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2009年04月24日(金)更新

劇団四季はなぜ強い

●10数年前、当時小学生だった長女にせがまれて『キャッツ』を見て、私はミュージカルと劇団四季のファンになりました。『キャッツ』だけでも十数回観ていますし、本場ブロードウエイの『キャッツ』まで観劇したほどです。最近は夫婦で行くことも多くなり、『マンマ・ミーア』の名古屋公演にも何度か足を運びました。

●劇団四季の年間公演回数は3,000回強、売上高は230億円強と、この数年ほど高原状態が続いています。大不況のあおりを受けてチケットを値下げするなど、先行きは楽観視できませんが、報道によれば当面の業績はまだまだ底堅いようです。

●そんな劇団四季の強さの秘訣について知りたいと思い、あるとき同社のサイトをくまなく見ていたら、ヒントになりそうなコンテンツを発見しました。それは「理念」の力ではないか、ということです

●劇団四季のサイトには、1953年(昭和28年)に四季を創立したときの仲間、浅利慶太氏と日下武史氏の「二人の仲間」と題した対談記事が掲載されていました(今はリニューアルに伴って削除されています)。
●その対談のなかで浅利氏は、「僕の一生を決めた」として『演劇論』(ルイ・ジュヴェ著)の一節を紹介しています。そのなかから一部を引用してみましょう。

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日下:フランスの大演出家で、プロデューサーでもあったルイ・ジュヴェの
   「演劇論」を讀んで以来だね。

浅利:そう。そこに「演劇の問題」というエッセーがある。それが僕の一生を決めた。

日下:内容を話してみてよ。

浅利:最近朝日新聞の読書面に連載したエッセーの中で紹介した。ちょっと
   堅い文章だし、長くなるけれど、読んでみようか。

日下:是非やってよ。

浅利:「演劇に諸問題などありはしない、問題はただ一つだけだ。それは当るか
   当らないかの問題だ。当りなくして演劇はない。大衆の同意、その喝采、
   これこそこの芸術の唯一の目的と断じて憚らぬ。演劇は先づ一つの事業、
   繁昌する一つの商業的な企業であらねばならぬ。

   然る後に初めて演劇は芸術の領域に自己の地位を確保することを許容される。
   二つの目標を同時に結びつけねばならぬ怖るべき二者選一、それは演劇の
   地位をあらゆる追従とあらゆる妥協の面の上に置く。

   現実的なものと精神的なものとが結びつき、相対立する必然とは正にかくの
   如きものであって、これを以てすればわれわれの職業の苦い快楽も、
   その憐れむべき偉大さも一挙に説明することが出来る。(鈴木力衛訳)」

   こういうことなんだよ。

日下:四季の理念の根本にはこの考え方がある。
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●いかがでしょうか。「演劇の問題はただ一つだけだ。それは当たるか当たらないかの問題だ。当たりなくして演劇はない。」とは何たる痛快な断言でしょう。

そしてのちにこう続くのがまたまた明快です。

「演劇は先づ一つの事業、繁昌する一つの商業的な企業であらねばならぬ。然る後に初めて演劇は芸術の領域に自己の地位を確保することを許容される。(後略)」

これは演劇の問題だけではありません。一般の事業においてもまさしく当てはまるはずです。それはこうなります。

事業の問題はただ一つだけだ。それは利益が出るか出ないかの問題だ。利益なくして事業はない。事業はまず一つの繁昌する商業的な企業であらねばならぬ。然る後に初めて事業は理念や思想の領域に自己の地位を確保することを許容される。」(「がんばれ社長!」訳)

●劇団四季の考え方がすばらしいというよりは、ルイ・ジュヴェの「演劇論」の方を賛美すべきかもしれませんが、劇団四季の場合はその徹底度合いが並外れているから、賞賛に値するのではないでしょうか。

●昨今の経営環境のなかでも最高益を更新している会社のほとんどが、理念を際だたせている会社であることにも注目したいものです。