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2011年12月09日(金)更新

おやじさんとO社長

●私の名古屋オフィスから徒歩30秒にある行きつけのそば屋が閉店しました。おやじさんが最近痩せてきて、体調を心配していたところだったのですが、後継者対策もままならないままシャッターが降ろされて一ヶ月、貼り紙もありません。
 
●うまいものを客に食わせて納得させるのが職人。このそば屋の近所に同業のチェーン店が出来たときも、隣にラーメン屋が出来たときも、このお店の主人は微動だにしませんでした。実に堂々たるもので、それが職人の意地とワザだとでもいいたそうでした。完璧なおやじさんだったのですが、経営者としてはどうだったのでしょうか。
 
●できるものならば、せっかく店を手伝ってくれていた二人の息子に継がせたかったのではないでしょうか。
店内で親子が言い争いをする場面をよく見ました。決して仲は良くないようでしたが、腹を割ってお店の今後について話し合ったことがあったかどうか。
 
●コンサルタントとして、お客として、いや、おやじさんが作るたぬきそば、おかめとじうどん、カレーうどんのファンとして、もう食べられなくなるのがあまりに悔しい。大げさかもしれないが、人生の損失と思えるのです。
 
●「機械設計の職人から経営のプロへ」
今から3年前、機械設計事務所のO設計のO社長が高らかにそう宣言しました。愛知県の大メーカーの機械設計室から独立し20年になります。当時、10名程度の社員を抱える設計事務所として高級車に乗ってゴルフ場に通えるほどにO社長はある程度成功していました。
 
●しかし、O社長はある日、悟ります。
「このままじゃ、街のそば屋と同じで一代限りの成功じゃないか」
O社長は、武沢が主催する「経営講座」の門をたたきました。
 
●やがて O社長はビジョンを定め、それを経営計画書として完成させました。今まで中途採用一本だった求人を新卒学生採用にも切り替えていきました。O社長の会社は変わり始めました。社長が社内にいなくても、組織として会社が回りだしました。人が育ち、業績も急激に伸びました。
 
●ついに36名の社員数までになったO社長は、3年前より今の方が若々しくみえます。
 
閉店してしまったそば屋のおやじさんとO社長とは、さほど年齢が変わらないはず。
そば屋のおやじさんの元気が回復し、志さえ立てれば、彼もまだまだ現役の経営者としてやるべきことがたくさん残っているはずです。
 
がんばれ! そば屋の親父