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2013年10月11日(金)更新

すごい朝礼

●ある日のこと、名古屋市内のある会社で会議を終えてオフィスに戻ろうとしたら、「武沢先生、ご夕食はいかがでしょうか」とお誘いいただいた。あいにく先約があったため辞退したところ、「せめて、4時半から始まる朝礼だけでも見学されませんか」とおっしゃる。元気朝礼が見学できるというのでお供することにした。
 
●行ってみると、店内には「日本一」とか「DREAM」、「すごい仲間たち」など、力がこもった文字による手書きポスターがところ狭しと張ってある。この標語を見ただけで、すでにただならぬ雰囲気が伝わってきた。
だが私が本当に驚くことになるのはそれからだった。
 
●ちょうど定刻になった。
10名のスタッフ全員が客席に座り、店長とおぼしき20代の女性が進行役をつとめる。スタッフが勢揃いしたこの段階ですでにお店のスゴサが分かった。
全員が店長の顔に熱い視線を集め、その発言をひとことも逃すまいと聞き入り、高速でメモもとっているのだ。
店長が「何か連絡事項はありますか?」と聞くと、それぞれの担当者からバッと手があがる。
 
●「デザートはこれがウリなので積極的にアピールしてほしい」とか「○○の魚は数量が少ないので、今日は△△を中心におすすめして下さい」などだ。
次に店長が、昨日お客さんに褒められたことや苦情を言われたことをそのまま全員に伝える。
そのことに対してどう思うか?と皆に水を向けると、瞬時に全員から手があがる。
「はい、ゆうこちゃん」
「はい。ありがとうございます。私はそのお客様が苦情をおっしゃる気持ちがよく分かります。正直いって自分たちが毎日全力を出し切っていると思っているのは勝手に自分が自己満足でそう思っているだけであって、お客様から見ればプロのレベルになってないんだと教えられる思いがしました。瞬間瞬間の仕事ぶりのなかに勉強のネタがひそんでいると思うので、満足したりすれば気がぬけて、そのネタが発見できないので、気を抜かずに今日もベストを尽くそうと思います。以上です!」
「ゆうこちゃん、ありがとう。たしかにあなたの言うとおり・・・」
と店長が寸評を加える。
「ほかにありますか? はい、さとう君」
「はい、ありがとうございます。僕はそのお客様の気持ちが・・・」
などと進んでいく。そのやりとりのレベルが20才代前半の若者同士のものとは思えないほど高度なのだ。
 
●次に顧客サービスに関する著書の輪読だ。
一人1ページずつ、数人で輪読するのだが、ここでも読みたい人が立候補し、当てられた人は嬉しそうにする。当てられなかった人は悔しそうだ。元気よく朗読がおわると、その箇所の感想を言いあう。
 
●そのような感じで最後はお店の標語を全員で大声で唱和し、30分丁度の朝礼を終える。見ている我々までぐったりするほど力が入った朝礼で、終わったとき客席から拍手がわき起こった。
この本気朝礼は毎日行われているといい、希望者があればお客様にも公開しているという。
 
●この朝礼に社長はいない。社長が朝礼に加わっていたら、かえって全員参加の朝礼にはならなかったことだろう。だが、社長は裏にいた。バックヤードで仕込みをしていたのだ。当然、材料を仕込みながらも朝礼の雰囲気は充分に伝わってくる。
 
社長が引っ張るのではない。こうした朝礼の仕組みを作ることが社長の仕事だと教えられた気がした。
それにしてもこの居酒屋の料理を味わってみたい。朝礼見学だけではもったいない。
 

2013年10月04日(金)更新

ヘンリーおじさん

●夏の暑い日に道路へ水を打てば涼しくなる。
冬の寒い日はストーブにヤカンをおいておけば湯も沸くし乾燥対策にもなる。
科学を知らなくても人が編み出す経験の知恵は大したものだ。半世紀前の経営者が今の経営者ほど知識や情報を持っていたとは思えない。だが、そんな彼らが編み出した知恵の多くは、実に理にかなったもので効果的なものが多い。
 
●そんな好例として、究極のクレーム処理法を開発したヘンリーおじさんのことをドラッカーは次のように書いている。
・・・
(ベルンハイムというデパートを経営していた)ヘンリーおじさんは、クレーム処理の仕方も独特のものを開発していた。クレームを受けた者はいつでも大声で「クレーム担当副社長!」と大声で周囲の誰かを呼びつけることができる。すると近くにいた35歳以上の誰かが飛んでいって自己紹介をし、「いかがされましたか?」と聞く。ひととおり顧客のクレームを聞いたあと、「当ベルンハイムでは、そのようなことはあってはならないことです。おい担当は誰だ、連れて来い」と近くの店員に言う。
 近くの店員が顔を出す。
 「お前はクビだ」。驚いた客がクレーム担当副社長をなだめる。担当が泣き出す。そこで仕方なく執行猶予にしてやる。お客が帰る。するとただちにクレームの徹底調査を行う。怒鳴られ役をさせられた店員には、後で特別手当てが出る。
・・・
(「ドラッカー わが軌跡」ダイヤモンド社 より)
 
●ヘンリーおじさんが開発したこの方法が、今も使えるかどうかはわからないが、どこか余裕と愛嬌を感じる”クレーム対応ルール”ではないだろうか。
 
●もうひとつある。
大恐慌時代になって、ヘンリーおじさんのお店でも店員による商品の盗みが増えた。他の会社では、透かし鏡をつけたり、監視員を配置したりして社員の不正を見つけ出そうと躍起になったものだが、効果はなかった。ここでもヘンリーおじさんは知恵を発揮した。
・・・
うちの店では正常な減耗率(ロス率)というものを想定してみた。半年ごとの棚卸しで、その率以下だった売り場には特別賞与を出し、月給2%分の商品券と、何%分かの割引券を支給した。そうしたら減耗率は一挙に下がり、正常な率のはるか下で収まってしまったんだ。売り場ごとの取り組みが進んだんだ。
・・・
(前著より)
 
●人間中心の経営とはこういうことを指すのだろう。
ヘンリーおじさんのデパートは後継者の孫が大手デパートチェーンに売った。株式交換でもらった大手デパートの株をヘンリーおじさんはすぐに処分してしまったという。理由は、「チェーンの連中と話したとき商品を店のために仕入れていることに気づいたから。商品はお客のために仕入れねばならないのに」2年後、この大手デパートは本当に客足も売上も利益も減り始めたという。
 
●ヘンリーおじさんのように現場に精通し、人の心を理解でき、経験則のなかから知恵を出せる人材は宝ものである。日本の製造業や建設業にはそうした経験志向の人材がたくさんいた。だが、私たちは「KKD」による経営を排除しようともしてきた。「KKD」とは、勘・経験・度胸の頭文字だ。
だが、正しくは「KKD」のみに頼るのは危険という意味であって、KKDがなければその真逆の論理と科学だけの経営に陥るのだ。他人が開発した知識や理論だけに依存するのではなく、私たち自身の知恵を発揮した経営が大切なのである。
 
●ドラッカーはこう結んでいる。
・・・
半世紀前、人々はあまりに経験志向だった。システム、原理、抽象化が必要とされていた。しかし今日では、われわれは逆の意味で再びヘンリーおじさんを必要とするに至っている。プラトンの言うように、論理の裏付けのない経験はおしゃべりであって、経験の裏付けのない論理は屁理屈にすぎないのである。
・・・

2013年09月13日(金)更新

京都・永観堂の阿修羅

●心のなかで「わりこむなよ、オジサンたち」と思い、老夫婦の進路を妨害した自分の了見の狭さがはずかしい。
 ある年の晩秋、京都・永観堂でライトアップされた紅葉をみようと、長蛇の列に並んでいた。列の長さだけでなく、強く降り出した雨のおかげでストレスが高まっていたのだろう。
そんな中を行列の後ろから人をかき分け、かき分けしながら老夫婦が前へ進んでくる。
周囲から「え、何この割り込み」とか、「おいおい」という声があがっているのに、まったくおかまいなく進んでくる。ついに私のすぐ後ろまできた。
 
●「よし、自分のところでせき止めよう」と私は、デジカメで自分撮りをするかのように腕をのばし、老夫婦の進路をふさいだ。首尾良く私にブロックされ、老夫婦は立ち止まり、行進をやめた。
「してやったり」、私は内心でさけんでいた。
 
●だが得意な気分は続かなかった。数分後、私はショッキングな光景をみることになる。
永観堂内で若夫婦が待っていた。そして老夫婦に駆けよるなり、「どうしたのお父さん、お母さん。トイレ混んでたの? 遅いので心配したわ」と言いながら手話で話しかけていた。「ごめんね、待たせて」という感じでお母さんの方が手話で返答している。
 
●この様子をみて、私は恥ずかしいと言うより、心からショックを受けた。
そうなのだ、老夫婦は行列を若夫婦にまかせて、トイレへ行っていたのだ。それとは知らず、割り込みだと早合点する我がエゴを強く悔いた。きっと自分の顔を昼間にみたら、永観堂の紅葉のように染まっていたに違いない。
 
●そういえば、その日の昼間に東寺でみた「十界(じっかい)」の説明書を思い出す。
十界とは、仏教の教義において人間の心の全ての境地を十種に分類したものをいう。
それによれば、人間の心はまず「迷い」の世界と「悟り」の世界の二つに大別できる。さらに「迷い」の世界を低い順にみていくと次の六つだという。
 
1.地獄・・・極苦処ともいう。生きていることすべてが苦であるという状態
2.餓鬼・・・飲食が得られないために苦のやむ時がない。欲求不満の状態
3.畜生・・・互いに他を餌食として生長し、自分のことしか見えない状態
4.阿修羅・・嫉妬心が強く、常に不安がつきまとい戦いばかりやっている状態
5.人間・・・堕落することもできるし悟ることもできる。そういう中間的存在。地獄と仏の間、人と人との間、生と死の間。
6.天・・・・優れた楽を受けるが、なお苦を免れない。求めることはすべて充たされた人間の最高の状態。しかしそこにもない苦がつきまとう
 
●次に「悟り」の世界は次の四つある。
 
7.声聞(しょうもん)・・教えを聞くことによって真理を学びとろうとしている状態。学生。
8.縁覚(えんがく)・・生活の中から独り、悟りを見つけだした状態。生活者。
9.菩薩・・・他と共に悟りを得ようとして願をおこし、修行しているもの。初めて自己を超えた状態。
10.如来・・自らも悟り、他をも悟らせつつあるもの。自他平等の状態。
 (真言宗総本山 東寺の解説書より)
 
老夫婦をさえぎったときの私の気持ちは、まさしく「畜生」か「阿修羅」だった。

 

2013年08月23日(金)更新

社長の自主トレ・キャンプ

●今日、何も予定がないからとっても幸せな気分だ。のんびり本でも読んで早めに仕事のキリをつけてジムにでも行くか。
だが、そういうワケにはいかない。なぜなら、無理やり算段して今日という日を確保したのだから。仕事の遅れをとりもどすためだけでなく、今後のための企画や立案もせねばならない今日という貴重な一日を捻出したわけだ。
 
●経営者のスケジューリング技術とは、こうしたノーアポデーをひねり出すためにあると言っても過言ではない。
以前の私は半年先まで予定でビッシリ詰まったスケジュール帳を見ながらウットリしたものだ。だって、こんなにも世間が私を必要としていると思えるからだ。だが、そんなことを誇りにしていては進歩がない。
 
●手帳が予定で真っ黒になっているのを自慢して良いのは営業マンと人気作家くらい。少なくとも経営者は、予定が白いことを誇りにしよう。そして、本当にやるべきことをやるのだ。
 
『超・手帳法』の野口悠紀雄氏は、3ヶ月以上の先の予定は決して入れないそうだ。どうしても予定を入れなくてはならないときは、「仮予定でもよければ」という前提で約束するという。その時に意味がある約束でも3ヶ月後にも意味があるとは限らないからだ。もしお互いに意味がない約束であるにも関わらず手帳にその案件が居座っているかぎりそれは履行されねばならない。だから3ヶ月以上先のスケジュールは組まない、というのは理にかなった考え方である。
 
●他人とのアポイントや会議・会合への参加約束、食事会やゴルフコンペなどの参加約束は最小限にしておこう。それよりも個人の企画や立案、執筆などができる時間を確保しよう。幹部や社員とのコミュニケーションの時間も確保しよう。
 
●どうしても相手優先、客先優先でスケジュールを組まねばならないときは、プロ野球のポストシーズンのように自主トレ、合宿、キャンプなどの日付を決めて手帳に入れておこう。
ひとつの案として、「一人合宿」を四半期に一度やると決めてはどうだろう。三ヶ月に一回、理想は二泊三日以上が望ましいが、まずは一泊二日でも構わないので一人合宿をやる。まとまった時間がとれるので、その間に欲ばらずにひとつのことだけをやるのだ。
 
集中読書するもよし、企画、開発、計画に集中するもよし。
次のように季節ごとにテーマを分けても良いだろう。
 
・春(3月)・・・経営計画合宿
・夏(6月)・・・読書合宿
・秋(9月)・・・新事業企画合宿
・冬(12月)・・開発合宿
 
なるべく日常空間を離れよう。旅館やホテル、別荘でもよい。急用以外は電話やメールをするなと関係者に言っておこう。
 
ドラッカーが言うように社長の時間はいつもお客や社員に奪われる運命にある。個人の時間も友人や家族のために奪われる。無防備に奪われるだけでなく、せめて一年に何日かは予防策として一人になれる時間を前もって確保しておこうではないか。
 
 

2013年05月31日(金)更新

自分を気持ちよく動かす

●21世紀に入り、飛躍的に解明が進んできた分野のひとつに脳の分野がある。今までの脳に関する常識を鵜呑みにしていると危険だ。たとえば、「あなたの脳年令は何才?」というようなゲームも、脳の専門家からみれば誤用のひとつらしい。「世の中の脳に関する情報のほとんどは信用できない」とまで警告するのは、脳医学会での日本の権威・京都大学名誉教授の久保田競氏(くぼたきそう)だ。ある日、氏のセミナーを受講してきた。
 
●いくつかの点でとても新鮮な発見があったがその中からふたつほどご紹介したい。
1.GOとNO GO
「やれ」と「やるな」の両方が大切ということだ。やれた時に報酬を与えるだけでなく、やらなかった(やめた)時に報酬をあげることも脳にはすごく有効だということ。たとえば、毎日遅刻する習慣が直らないA君が、久しぶりに時間内に出社できたとする。会社にとってみれば、時間内に出社することは常識であって報酬の対象ではないだろうが、A君本人にとってみれば革命的なことなのだ。だからA君の上司は彼を祝ってやるべきだろう。中小企業なら、みんなの前でA君の快挙を祝おうではないか。遅刻しなかった、ふつうのことができた、だから祝うのだ。すると、もっとできる。
 
2.畳の上の水練
畳の上で水泳の練習をしてもうまくならないというのはウソだ。人は歩かなくても、歩いていることを想像しただけで歩いているに近い肉体反応を起こすことがわかっている。水泳の練習も然り、なのだ。
こうしたイメージトレーニングが有効なのはスポーツ分野だけでなく、いかなることにおいても好ましい行動のイメージをもつことが大切で、素振りしなくてもゴルフはある程度まで上達する。もちろん、練習による筋肉運動が大切なのは言うまでもないが、練習場だけが練習する場所ではないということだ。
 
●鈴木さん(仮称)は、どうしても直したい癖があった。毎晩深酒してしまい、おまけにそのまま朝まで眠ってしまう。夜の読書ができないし、家族とのコミュニケーションもすすまないので、深酒癖をなおしたい鈴木さんにとって、飲酒を制限することは私生活の最重要課題。
 
●そこでGO−NO GO法で報酬を与えることを考えればよい。飲まなかったら次の日のビールのつまみをグレードアップできる、でもよいし、「飲まないポイント」を貯めて家族で夕食にでかけるでも良い。欲望をコントロールすることがストレスを貯め込むことにならないようにすることが肝要なのだろう。
 
●さらには飲む量をコントロールし、読書したり家族と談話している自分の姿をイメージし、頭脳内で予行演習しておけばなお良いだろう。飲む量を制限すればどのような好ましい結果が待っているのかを想像し、それを実行している自分をビジュアライズ(鮮やかに想像)するのだ。
 
●このように脳の仕組みを勉強することで、もっと上手に自分や部下と付き合うことができるようになるだろう。
 
 

2013年05月17日(金)更新

三畏(さんい)

●小学生が、「織田く~ん、おださ~ん、オダちゃ~ん」とさけんでいる。人気俳優・織田裕二への歓声ではなく、なんと織田信長への歓声なのだ。
 
毎年10月22日は京都三大祭のひとつ、「時代祭」の日である。友人にお願いし手に入れておいた指定席に着座した。ちょうど行列ごしの反対側に小学生たちが座っていた。有名な英雄が通るたびに、「西郷(隆盛)さ~ん」とか「しんさく~ぅ(高杉)、こっち見て」などのかけ声が飛ぶ。まるで歌舞伎役者のようだ。
 
●明治維新から始まって江戸時代、安土桃山時代という順に歴史をさかのぼっていく。専門家が時代考証・衣装考証しているという本格的な時代ファッションショー的な色合いもあり、とにかく美しい。当然、外国人観光客も多く、興奮している。
 
●日本史上の有名人がたくさん登場するのだが、意外な大物がこの行列に登場しない。たとえば、信長・秀吉が出るのに徳川家康が出ない。西郷や坂本、桂、高杉が出るのに、大久保利通が出ない、など不思議な点もあるがそこまで詮索するのはよそう。
 
●そんな中、一番人気はやっぱり信長。冒頭にご紹介した小学生のかけ声がひときわ大きくて熱い。ヒーロー、ヒロインは子ども達のあこがれであり、心のなかでメンターであり続けるのだろう。
 
●そうした意味で、私はダウンタウンというお笑いコンビが嫌いだ。というより、彼らが司会する番組の多くに問題があると思っている。
すでに放送は終了したが、「HEY!HEY!HEY!」や「ジャンクスポーツ」などでは、歌謡やスポーツのヒーロー・ヒロインを登場させ、それをこき下ろして遊んでいる。あれでは青少年の情操教育にすこぶる悪い影響を与えると思うのだ。
 
●「スターを身近に感じてもらう」という彼らなりの言い分もあるのだろうが、孔子がこんな言葉を語っているのを番組制作者たちは思い出してほしいものだ。
「君子に三畏(さんい)あり。天命を畏(おそ)れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして畏れざるなり。大人に狎(な)れ、聖人の言を侮(あなど)る」
 
●その意味はこうだ。「リーダーは、三つのものを畏れる(尊重す)べきである。一つは天命を畏れ、大人(優れた徳のそなわった人)を畏れ、聖人の言葉を畏れる。
その逆に、つまらない人物は、その三つのものを大切にしない。つまり、天命(天から与えられた使命)を知ろうともせず、わがままに振る舞い、尊敬すべき人になれなれしく接し、聖人の言葉を馬鹿にする」
 
●「HEY!HEY!HEY!」などの番組から受ける嫌悪感は、大人に狎れる(なれなれしい)子供を育成しかねない危機感からくるものだ。
私はお笑い番組を否定するものではない。むしろお笑い番組が大好きである。いつでも明るく振る舞うタレントをある面では尊敬もしている。だが、笑いの質と影響を考えねばならない。お笑いタレントとして天命をもち、勉強してほしいと願う。
 
●子供たちの先輩のなかに、ヒーロー・ヒロインを持たせることは、教育上とても大切なことなのである。
 
 

2013年04月26日(金)更新

武士道

●ある日、三島由紀夫を題材にした映画を観た。たいへん重くて複雑な気分になる映画だったが、もっと彼の心の奥が知りたくなって『葉隠入門』(三島由紀夫著)を読んでみた。そのなかにこんな一節を見つけた。
 
・・・
なによりもまず外見的に、武士はしおたれてはならず、くたびれてはならない。人間であるからたまにはしおたれることも、くたびれることも当然で、武士といえども例外ではない。しかし、モラルはできないことをできるように要求するのが本質である。
そして、武士道というものは、そのしおれた、くたびれたものを、表へ出さぬようにと自制する心の政治学であった。健康であることよりも健康に見えることを重要と考え、勇敢であることよりも勇敢に見えることを大切に考える、このような道徳観は、男性特有の虚栄心に生理的基礎を置いている点で、もっとも男性的な道徳観といえるかもしれない。
・・・
 
●『葉隠』というと有名な一節がある。それは、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」というものだが、そのフレーズだけを聞いて『葉隠』を腹切りのススメと解釈してはいけない。三島に言わせれば、『葉隠』は武士の自由と情熱を説いた本らしい。私はこの本から自由と情熱を感じるまでには至っていないが、現代人にも通用する道徳書だと思った。
 
●「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という印象的な一節がひとり歩きしているが、古来、武士はたえず自らの死に場所と死に様を想像し、覚悟しておくことが必要だった。それによってはじめて潔い生き方ができると考えていたのだ。生き様と死に様は表裏一体のものであるというわけだ。
 
●平成の今日、昔にくらべて平和な世の中になったことは好ましいことだが、現代人が死ぬ時は、事故か病気。
死に場所は病院か自宅のベッドの上である確率が高い。価値あるものにこの命を捧げたいという願望はあっても、結局はベッドの上が平和なのだろう。死に場所が決まっているのなら、この価値ある命を日常の生活や仕事のために燃焼させよう。
 
●まとまりがつかなくなったので、三島由紀夫の訳を参考に『葉隠』を少しつまみ食いしてみよう。
 
○仕事に関しては、大高慢で死に狂いするくらいがいい。雑務方は、知らぬがよし。武士である以上、武勇に関しては大高慢で、死に狂いするくらいの覚悟が必要である。つね日ごろの考え方、ものの言いよう、身のこなしなど、すべて綺麗にしようと心がけて、つねにつつしむべきである。一生の仕事は、人のためになることばかりを考え、よけいなことは知らないほうがよい。
 
<武沢意訳>武勇に関しては高慢・・・自分の仕事に関してはもっと胸を張って威張れるようになれ。必要以上にへりくだるな! 武士ならば、雑学やうんちくは語るな!
 
○自分の目的の障害になるのなら、神仏に嫌われてもかまわない。神はけがれを嫌うが、戦場で血を浴びたり死人を足げにして働いているときの武運長久を祈るために信心を大切にせよ。けがれが身についているとそっぽを向いてしまうような神仏であったら、それも仕方のないこと。自分のけがれのいかんにかかわらず、神仏を礼拝しよう。
 
<武沢意訳>「神仏よりも職務の遂行」。もちろん正しい理想と理念があってのこと。
 
○成り上がり者を馬鹿にしないこと奉公人も下賤から身を起こして高い身分にまでなった人というのはその人なりの徳や能力が備わっていたから立派なこと。はじめからその地位にあった人よりは、下々からのぼってその地位についた人を我々は尊敬しなければならない。
 
<武沢意訳>セレブの子息よりも成り上がり者と付き合え!
 
★『葉隠入門』(三島由紀夫著)新潮文庫より
 
 
 

2013年03月15日(金)更新

なにが幸運か

●小学生になる息子とデパートに買い物に出かけたお父さん。ネクタイを品定めをしていると、息子が公衆電話のところでしゃがんでいる。
「気分でも悪いのか」と思って駆けよってみたら、「お父さん、これが落ちてたよ」と一万円札を見せた。どうやら拾ったらしい。
 
●周囲を見回したが、近くに人はいない。
「お父さん、交番に届けようと」と息子。お父さんは言った。
「わかった。今から行こう。でもここはデパートなので交番ではなくて、落とし物係の人に届けよう」
 
●書類を書いて一切の謝礼の権利も放棄し、ふたたび売場にもどって買い物を続けた親子。
 
私はその話を聞かされて痛く関心した。そして、「なぜそうしたのですか?」と聞いてみた。するとまったく予期しない答えが返ってきた。
 
●「武沢さん、もしうちの息子に拾ったお金で得するところを見せたら、子供にとって一生の不幸でしょう。本当にツイている人はお金を拾っても着服しないし、謝礼も受け取らないものだということを教えたかったのです」
 
●立派な考えだと思う。
告白するが、その2年ほど前に道路に落ちていた5千円札を息子が拾って二人で交番に届けたことがあった。それから1年経っても落とし主が現れなかったので、我々はそれを頂戴して帰り道にゲームを買ったのだった。
 
・財布を拾う
・万馬券を当てる
・パチンコで大儲けする
 
などはよほどお金にツキのない人間に起こりうることだと『ツキの大原則』(西田文郎著、現代書林)に書いてあったのを思い出す。
 
●私の友人のある経営者もツキに関しては独特の哲学をもっている。
ある日のこと、その友人がマカオのカジノで大金を稼いだ。中国人が大好きなバカラを一晩中やったらしい。
 
バカラとは、「大」か「小」かを当てるだけのいたって単純かつ単調なカードゲームのこと。そのくり返しだけで彼は数百万円稼いだという。彼いわく、
「マカオの場合はラスベガスより稼ぎやすいですね。ディーラーも他のお客もアマチュアが多いので隙だらけですよ」と前置きし、「要はツイている人に乗り、ツイてない人の逆をやる。たったそれだけです」と。
 
●そして自分の方に好調のリズムが乗りうつってきたとき、大きく賭けて大きく稼ぐ。このとき、金銭感覚をマヒさせてしまわないことだ。目的は遊ぶことなのか、勝つことなのかをよくわきまえないと、最後にはゼロにしてしまう。好調の潮が引いたら休むのだ。
 
ドリンクを飲みながらショーでも観ることによって脳をリフレッシュさせ、勘を取り戻す。
こうして元金数万円で始めたバカラゲームは12時間で百倍に膨らんだという。
 
●大切なことは、カジノで稼いだツキで本業のツキまでもって行かれないことだとか。だから、そのお金をきれいさっぱり忘れることが大切だ。
従って知人の会社に投資し、儲けたお金のことを忘れてしまう。
 
●本業以外のことで儲かった余韻に浸っていると、本業がダメになる。
 
ツキとはなにか、それは私たちが一見幸運だと思うことをむやみにありがたがらないこと。同時に、不運に思えることを幸運につなげるしたたかさを忘れないことだ。
 
 

2013年03月08日(金)更新

大きなテーマ、大きな疑問符

●考えても考えても答えがみつからない。そんなテーマをあなたはお持ちだろうか。
たとえば、ビジネス目標。是が非でもこの目標を達成したい。だが、どうやったらそれができるのか分からない。だからこそ、学ぶのであり人の話を聞くのである。
だが、やり方が分からない目標を考えるのが面倒くさいのか、やれそうなことしか目標にしない会社が多いのはもったいない話である。
 
●私たちのビジネスや人生でブレイクスルーを起こすためには、心にいつも大きな疑問符を灯しつづけることが大切だ。スケールを大きく考えて、ノーベル賞を取れるくらいの大きな社会変革を起こそうではないか。
ひとつのテーマに対してひとつのアイデアだけで終わらせず、あらゆる角度からアプローチした答えを用意する。しかもひたすら掘りさげて掘りさげて、心の芯に届くまで考えぬきフィールドで検証していく。
 
●そもそもノーベル賞をとるような学者の多くは、先人の業績を尊重し学びながらも同時に、その上にさらに新しいことを積み上げようとするものである。日本では京都にそうした気性のもちぬしが多いのだろうか、自然科学分野における日本人のノーベル賞受賞者15名のうち、なんと5名が京都大学出身者(旧帝大含む)なのだ。
ゆかりのある人も加えると倍になるだろう。
 
●京都大学出身のノーベル賞受賞者(自然科学部門)
 
<物理学賞>
湯川秀樹氏
朝永振一郎氏
<化学賞>
福井謙一氏
野依良治氏
<医学生理学賞>
利根川進氏
 
●そのあたり、元・京大総長の平澤興氏は『現代の覚者たち』(致知出版社)で次のように話す。
 
・・・湯川、朝永、江崎の三氏は物理学での受賞です。これにはいろいろの原因があり、京都の自然とか、京大の個性を尊ぶ自由の空気なども関係しているでしょう。しかし京都の三高に物理学の先生で、森総之助という素晴らしい独創的な物理学の先生がおられたんです。この三氏は、森先生の教え子です。つまり、ノーベル賞のもとは森総之助なんです。で、湯川君なんかは頭の回転の早い、いわゆる頭のいい人じゃなかったようです。大体、頭がいいとか悪いということが、実際どういうことなのか私にもよくわかりませんが、湯川君なんかは、すぐわかったような気持ちになる粗末な頭ではなく、わかるまで徹底的に考えぬく、限りない深さをもった頭ですね。(後略)
・・・
 
※『現代の覚者たち』(致知出版社)
 
 
●偶然かどうか、私が京都で定例勉強会をひらいていたころ、講義のあとにかならず議論を吹きかけてくる若者がいた。「武沢さんの講演を聞いてどうにも納得できない箇所があるのでお尋ねしたい」と二次会の宴席になって執拗にくいさがってくる好青年・T君もたしか京都大学の理工系出身者だったことを思い出す。
 
●安易にわかったようなふりをしないことが学ぶ上では大切なことだ。だからといって、錯覚してはならないことがある。わかったふりをしないとは言っても、熱心に聞くことが大切なのは言うまでもない。聞く姿勢まで懐疑的・批判的・傍観者的であってはならないのだ。
 
●そのためには、最前列正面に腰かけるのが良い。それができなければ、少なくとも前から3列目までに腰かけることが重要だ。そうした学習者に対しては講師としても真剣に接しようという気になる。そもそも後方で聞くと、それだけで人間心理として講師や会に対して傍観者的になってしまうものである。
そんなもったいない聴き方にならないためにも、まずは大きなテーマをもつことである。そのテーマに関するヒントを求めて人の話を聞こうとする。そうすればおのずと前の方に座りたくなるものである。
 
 

2012年11月22日(木)更新

真壁の平四郎

●今日は講談でもおなじみ「真壁の平四郎」(まかべのへいしろう)について書いてみようと思います。
 
時は本能寺で信長が討たれた天正年間。そんな騒ぎも遠くのこと、東北の小藩主・真壁の時幹(ときもと)の下僕、平四郎のお話。
 
ある冬、凍てつくような寒い雪の日のこと、平四郎は真壁時幹のお伴をして侍屋敷に出向いた。
よほど困難な案件だったのだろうか、なかなか時幹は戻ってこない。
東北独特のしばれるような寒さの中で、「時幹様のお履物が凍てついてしまったら大変だ。お帰り道にお困りになる」とばかり、身を切る寒さの中で平四郎は、時幹の下駄を自分の懐の奥深くに仕舞いこむ。ただでさえ震えるように寒い玄関口で、我が体温を主人の履物に送り、温める平四郎であった。
 
●何時かが過ぎ、
「郡主殿、お玄関、御出まし~!」の相図で、素早く温かい履物を玄関口にお揃えする平四郎。手柄を誇るつもりはなかったが、少なくとも喜んでほしかったことだろう。
 
下駄に冷え切った足をすっと入れる時幹。その瞬間、鋭敏な時幹は足裏につたわる暖かさに気づく。それと同時に時幹は、「おのれ平四郎、わが下駄を尻にでも敷くとはけしからん。これへ参れ!」と命じた。
 
●全く思いもかけぬことに、時幹は平四郎の労をねぎらうどころか、「私の下駄を腰掛にしよって、今の今まで横着にも休憩していたに違いあるまい」と曲解し、「こんな汚れた下駄が履けるものか」と、下駄を手に取りあげ、平四郎の頭上めがけて有無を言わせず何回となく打ちすえた。
平四郎の頭は割れ裂け、周囲の雪面に赤い鮮血が散らばった。噴出する血を手で抑えもせず、平四郎は頭を垂れてなされるがまま立ちつくすほかない。
 
「おのれトキモト、この恨み晴らさずにはおられまい。きっと、きっと、きっとこの平四郎に向かって平伏させてやる」と腹を固める平四郎。
 
●時幹のもとを飛び出し、平四郎が目指した場所はなんと中国(宋の時代)だった。
 
主人に対して単純な報復をしても始まらない。平伏させ、平謝りさせる方法をいろいろと考えた結果、平四郎は僧として大成する道を選んだ。立派な僧侶になれば、殿様といえども頭を下げさせることができる。
 
●中国で高名な径山(けいざん)の無準禅師のもとを訪ねた平四郎。中国語がさっぱり分からない。おまけに仏教用語もわからない。ダブルで分からないので、皆目見当もつかない中での修行スタートが始まった。
無準禅師が書いてくれた「丁」の文字を連日ながめながら座禅と修行の生活に入る平四郎。
 
●「丁」ってなんだ???
わからない、いくら考えてもわからない。やがて、わからないこともわからなくなるほど、わからなくなっていった。やがて考えることをやめ、ひたすら目の前のことに一意専心するようになる。
こうして時は移り、九年たったある日、ついに平四郎は大悟し、悟りを極める。無準禅師から法身性才禅師と名づけられるほど、堂々たる禅師になっていたのだ。
 
●勇躍帰国し、大殿様・伊達政宗候の帰依を得て瑞巌円福寺を再興させた法身性才禅師。おみごと!平四郎。
 
ある日、政宗候とともに瑞巌円福寺に招きを受けた小藩・真壁の郡主時幹は、床に飾ってある下駄をみてけげんな表情を見せる。
 
その様子を見て、法身性才禅師こと平四郎は、
 
  「遠く径山に登りて帰りて開く円福の大道場、
   法身を透得すれば無一物。元是れ真壁の平四郎」
 
と唄うかのように叫ぶ。
 
●「あっ!」とおどろく元・主人の時幹。
 
「あの平四郎・・・」
「さよう、あの真壁の平四郎なり。あの下駄殴打を今すぐここで謝罪されたし」
などと野暮なことは言わない。
平四郎が時幹に言った言葉は意外にもこんなものだった。
「ご主人様のあの下駄のお陰で、今日瑞巌円福寺が再興を果たせたのでございます」と当時の郡主に頭を下げ、心からなる御礼を申しのべたというのだ。
 
●「主人を平伏させる」という復讐心で中国に渡った平四郎だが、道を究める過程で復讐心が感謝心にスイッチされたのだろう。
 
中国で「丁」の文字をながめるうちに、
丁稚(でっち)奉公の「丁」、甲、乙、丙、丁の「丁」であることに気づいたのかもしれない。
 
「元是れ真壁の平四郎」
大成したのち、誰かにこんなことを言ってみたいが、そんなことより、恨みの感情を感謝に変える達人の生き方から学びたいものである。
 
 
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ボードメンバープロフィール

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武沢 信行氏

1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。

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