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2006年11月24日(金)更新

社長は孤独か

●二人の経営者と夕食を共にしたときの話。一方の社長が、「社長は孤独だ」と言い出し、もう一方が、「孤独だなんて思ったこともない」と反論して座が盛り上がりました。主観の問題なので決着はつかなかったのですが、気になるテーマでした。

●そんなある日、東洋人物学・政治哲学の権威・安岡正篤(やすおか まさひろ)氏の書に、それに近い話を見つけました。ご紹介しましょう。

●周の時代に生きた劉峻という人の名論「広絶交論」というものがあります。誰かれなく絶交するという、面白くかつむずかしい作者による論文です。まず、作者は人と人の交わりを大きく二種類に大別しています。

「素交」・・・裸の交わり、人間の生地のつき合いのこと。
「俗交」・・・利益を期待した交わりのこと。

●そして、「俗交」にも5種類の交わりがあるといいます。

◇「勢交」・・・相手の勢いや勢力との交わり
◇「賄交」・・・儲かる相手と付き合う、あるいは金を出させる交わり
◇「談交」・・・マスコミなどとの交わりで、名声をあげ、自己宣伝に期待する交わり
◇「量交」・・・相手の景気次第であっちへ行ったりこっちへ着いたりする交わり
◇「窮交」・・・首が回らなくなり、あそこへ行けば助けてもらえるだろうという交わり

●作者の劉峻は、これらの世俗の交わりは人間と人間、精神と精神が結びつくのではなく、手段的な交わりゆえに、すべて絶交するといいます。

●他方、裸の交わりのほうは、お互いに名もなく、金もなく、同病相憐れむ、同窮相憐れむ。だから、正味の交わりができるゆえに本当の交わりができるというのです。
●資本主義経済の今の日本ですから、その当時の中国と単純に比べるわけにはいきません。したがって、この作者のように「俗交」そのものを否定することはできない、と思います。

●しかし、ビジネスだから「俗交」で良いんだ、とも言い切れません。むしろ、社員との関係も顧客との関係も可能な限り、「素交」に近づける努力が必要なのではないでしょうか。こんな話もあります。

●関ヶ原の合戦前に、大谷吉隆が盟友の石田三成に宛てた手紙が残っています。これも金銭と人間関係に関する友人への忠告です。独自に要約すると、こんな内容です。

「最近の君は、金を大切にしすぎで、人にも金さえ与えれば何とでもなると思っているようだ。家人(家族や部下)にもことごとく、そうしているように見える。はなはだしく心得違いをしているようだ。主人が貧しい時には、おのずと礼儀を厚くし、人を尊ぶので、家人もそれに応えてくれる。」
「やがて、主人が豊かになり、給与をたくさん与え、気前もよくなる。すると、部下は、『これくらい働いているのだからそれ位もらって当然』と思うようになる。はじめは、その家に望みをいだいて来た者も、後には希望を見失い、貧しき主人が礼儀厚かったころよりも働いてくれなくなるものだ。」

●この主人を社長と置き換えてもよいでしょう。日本と置き換えてもよい。リーダーたるもの、家人への接し方において原点を忘れてはいけません。

●ところで、「自分は孤独だ」という冒頭の社長は、そうした交わりが足りなくなっているのではないでしょうか。

2006年11月17日(金)更新

中小企業にとっての「戦略」とは

●毎年3月と9月は決算の会社が多く、おのずとこの時期には「経営計画発表会」が多くなります。私も縁のある会社の発表会に招かれることが多いのですが、こうした発表会を毎年行う会社は、その9割が黒字です。これも計画経営の成果でしょうか。

●しかし、最近の傾向から気になることもいくつかあります。

●数年前までは、どの会社にも中長期構想があり、そのなかに今期の単年度計画がありました。しかし、最近では単年度計画しか作れない、作らない会社が目立ちます。私見ですが、これでは「先行きがわからない」「夢が感じられない」などの印象を社員に与えているように思えるのです。

●「戦略なき国家は滅びる」といわれますが、企業も同じです。

●「戦略」という言葉は本来が軍事用語です。戦略とは、敵が存在し、その敵に対してどのように戦うかを考えるおおもとの作戦のことを意味します。したがって、逃げることも戦略、籠城作戦で日数をかせぐことも戦略、野戦で真っ向勝負することも戦略、奇襲作戦も和議などの外交交渉も、みな「戦略」です。

●敵に対する接し方は多数あるものの、相手の出方に応じて臨機応変に戦略を組み立てるのが大将の役割なのです。

●孫子の有名な言葉に、
彼を知り己を知らば、百戦殆うからず、彼を知らず己を知らば、一勝一負す。彼も知らず己も知らざれば戦う毎に必ず殆うし
 というのがあります。私は中小企業にとっての戦略を考えるとき、この言葉にすべてが集約されているように思います。
●敵情を知り、わが力をも知る場合は、戦いに敗れることはない。つまり、敵情とは、経済全体の流れや市場のニーズ、業界の動向、ライバル企業の動きのこと。そうした外部与件を経営陣全体で共有しておくことです。

●こうした情報のほとんどは、新聞などから入手できます。その都度切り抜いておけば充分なデータベースになります。

●とくに、ライバル企業の経営状況や商品戦略に関する情報は、意識して入手する必要があります。よく観察していくと、同業他社の売れている商品とそうでない商品がわかってくる。売れている商品は長く売られている商品であり、売れない商品はすぐに消えてしまう。さらに、組織図などを入手できれば、ライバル企業が経営上で打つ手も見えてくるのです。

●己を知るとは、内部与件のことです。人・物・金の状態がどのような競争力をもっているのかを再確認し、経営陣全体で認識を共有することです。具体的には、以下のポイントを押さえることです。
「人」のポイントとは、社員の士気や能力をいかに高めるかということ。
「物」のポイントとは、競争力ある商品やサービスをいかに作るかということ。
「金」のポイントとは、必要な資金をいかに調達するかということ。

●戦略や方針があいまいな会社には、このような視点が欠けています。経営方針を作る際には、いったん当事者であることを忘れて、軍師であるかのように今の会社の長短得失を洗い出し、企業の内部外部の与件も洗い出してみるべきです。

●そうした中から活路を見出し、成長の絵を描くのが経営者の大切な役割なのです。

2006年11月10日(金)更新

会社を環境適応させる

●「経営の仕事とは、環境適応である」と言われることがあります。経営者の仕事は、会社を環境適応させるようにかじ取りすることです。

●社長も含めて、社員全員が額に汗して懸命にはたらいているのに利益がでないというのは、責任のすべてが経営者にあるのです。環境に適応しようとせず、コツコツと努力するだけでは勝てません。

●先日、ある団体で「経営計画を策定するための社長講座」のセミナー講師を仰せつかりました。参加者はいずれも中小企業の経営者。規模や業種、それに年齢もさまざまですが、その大半は、自社の経営計画をつくるのが初めての方々でした。

●こうした講座でレクチャーをして気づくのですが、最近の経営者は年々基礎能力が高くなってきています。みなさんきっちりと宿題をこなします。毎回、課題となる書式を完成させる熱心さと学習能力を持ち合わせています。もちろん、パソコンやメールも使いこなします。

●二次会では、経営の問題ばかりでなく、政治や経済、社会の出来事など、豊富な話題で盛り上がります。

●もし、社長の経営力が、知識量や情報量で評価されるのであれば、今の若手経営者の大半は、すでに「社長合格」です。しかしながら、経営者とは何を知っているのかではなく、何をなしとげているかが問われる職業なのです。
●すでにもっている情報・知識・経験・アイデアをベースにして、会社全体のビジョンと計画を描くことこそ、社長業の本質です。そのためには、自ら実践し、社員に実践させるヒューマンスキルが非常に重要となってきます。

●一般に、ビジネスパーソンに必要とされる技能は、以下の3つに大別されます。

1.テクニカルスキル(業務遂行能力)
2.ヒューマンスキル(対人関係能力)
3.コンセプチャルスキル(概念構築力)

●新入社員から中堅社員に求められる技能は「1」がもっとも大きく、「3」がもっとも低い。一方、経営者は「3」がもっとも大きく「1」がもっとも低い。管理職はその中間です。この3つのうち、ビジョンを描く能力は「3」の領域。つまり、経営者にもっとも必要な能力であり、代理を務めてくれるスタッフはいません。

●経営環境は毎年・毎月・毎日、確実に変化していきます。為替や株式のマーケットが世界のどこかで毎秒変化しているように、経営環境も厳密にいえば毎秒変わっていきます。同業他社の動向も刻々と変わります。ただ、目に見えるものや、数字に表せるものはすべて変わっていく中で、人間の心や原理原則など、変わらないものも存在します。

●そうした環境要因にさらされているものが企業です。経営者としてかじを取って持続的成長を図るためには、経営計画策定能力は不可欠なスキルです。しかも、このスキルは決算期にあわせて年一回だけ使うものではなく、必要に応じていつでも使えるように鍛えておかねばなりません。

●そうした能力を身につけることが、会社を「環境適応」させるのです。

2006年11月04日(土)更新

社長の器~太閤秀吉より

●よく、「会社は社長の器以上にはならない」と言われます。では、「社長の器」とは具体的にどんなことを指すのか。今回は、太閤・豊臣秀吉の例で考えてみましょう。

日本史上最大の急成長組織は豊臣秀吉がつくりあげた豊臣家でしょう。尾張中村郷(今の名古屋市中村区)の農民の倅(せがれ)が蜂須賀小六と出会い、織田信長に仕えてから天下を平定するまでわずか30年。おそらく世界史でみても指折りの急成長です。

●織田家での秀吉のスタートは雑役夫で、足軽以下です。しかも、当時彼はすでに18歳。この時代としてはかなり遅いスタートでもあります。

●しかし、30年後には徳川、毛利、上杉、伊達など歴史と伝統と格式をもつ大大名を傘下におさめる巨大組織の頂点にたつのです。その間、秀吉とその組織は成長と変質をくりかえしてゆきます。

●企業でいえば、サラリーマンから個人の自営業として独立。零細企業の社長から中小企業、中堅企業の社長を経て、一部上場会社、そして日本中の会社を傘下におさめることになるのです。

そのプロセスで秀吉の組織はどのように進化し続けたのでしょうか

●足軽頭になった頃の部下は、数人から数十人の規模です。企業でいえば、零細企業から中小企業のトップです。一人ひとりの足軽に対して、直接指揮をとる段階といえましょう。

●やがて、墨俣築城の頃が数十人から二百人規模。元気の良い中小企業規模で、秀吉とその部下とのドラマチックなエピソードがもっとも多い時期でもあります。

●近江長浜の城主になるころには、部下が千人から三千人規模。この時期には竹中半兵衛や黒田官兵衛などの知将が部下に加わっています。さらに、加藤清正や石田三成といった小姓組織も作っています。

●企業でいえば、中堅企業から上場企業という段階ですが、織田家という親会社をもつ気楽さと大らかさをあわせもっていたようです。

●やがて、本能寺で信長が急死。その直後、天下分け目の天王山の戦いを勝ち、賤ヶ岳の合戦で勝利をおさめ、天下をとると、諸大名のすべてが部下となりました。個人的な裁量で組織を動かすことはできなくなり、規則・規定と事務官僚が組織運営の中枢を握り出すという段階です。

●さて、秀吉個人はこの間に、兄貴分からおやじに、大将から殿、やがて太閤へと呼称は変わるわけで、その都度、彼は部下のと関係や自分のリーダーシップを変えていくのに成功しているのです

●呼称が変わるだけでなく、その時々の組織改革とみずからの変身を同時に成し遂げたところに、類をみない成功の原因があります。その変身ぶりは今日のビジネス社会でいうところの「自己啓発」などという生やさしいものではなく、命をかけた環境適応でした。

●組織が小さい段階ではお互いに気心をつかみ、規則に反するものがいても寛大。戦場で結果を出せ、といったところです。しかし、組織が巨大化し、お互いの気心がつかめなくなると、就業規則も賃金規程も必要になり、それを守らなければならなくなります。

●古参の武将からはそうした官僚的な組織運営に対する不満と若手エリートが幅を効かせることへの不信感が芽ばえるでしょう。しかし、秀吉はそうした対立への処置が実に適切でした。

●たとえば、初期の段階で役に立った猛烈社員は、天下平定後の豊臣家ではほとんど役に立っていません。しかし、俸禄で報いることで対立のバランスをとり続けたのです。

●秀吉の生涯は、強運としか言いようのないものですが、実は彼自身がものすごい成長をしていたという点に注目したいものです。

●もちろん左遷も経験し、腹を切ってもおかしくないほどの失態も演じています。しかし、もともとが尾張中村郷の水飲百姓の小せがれ、はなっから捨て身ですから陽気です。

●私たちも太閤秀吉のような変身力をもつことが、「天下平定」「目標実現」の大きな条件になっていると思います。立場や年令を超越して変身・成長できることが、社長の器ではないでしょうか。

ボードメンバープロフィール

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武沢 信行氏

1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。

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