武沢信行の「社長の学校・事始め」 | 経営者会報 (社長ブログ)
社長業を極めるためのカリキュラムについて、「日本的経営のリニューアル」という視点から紹介します
2008年12月26日(金)更新
10年後に成功する
●「恐慌前夜」とも「恐慌突入」ともいわれる昨今の世界経済。世界の国々、世界中の産業が同時かつ一気に悪くなるという経験は過去に記憶がありません。どこまで悪くなるのか、いつまできびしい状況が続くのか皆目検討がつかない情勢です。
●しかし、今後どうなるのかわからないからこそ、社長は考えなければなりません。具体的には、緊急避難策として半年~1年間は効果が期待できる対策、そして、景気がもう一段悪くなり売上が2割や3割、さらに半減することも視野に入れた対策など、シナリオを何パターンも用意しておくのです。
●また、景気の底を抜けた先の状態も想像しておきましょう。5年後や10年後を見越した抜本的な成長戦略を作っておくのです。5年後、あなたの会社が今とまったく別の姿になっているかも知れません。それは異業種に参入するという意味だけではなく、何かの分野においてトップシェア、オンリーワン企業になっていることだってあり得るという意味です。
●ビールを例にとって考えてみましょう。
「ビールはキリンとアサヒ、エビスとございますが」
「えっと、僕はキリン」「私はアサヒ」「じゃぁ俺はエビス」
レストランや居酒屋で上記のように複数のメーカーのビールが飲めることは、今では当然のことです。しかし、はるか昔に「ビールは『キリンラガー』」とほぼ決まっていた時期がありました。
●キリンラガーは1888年の発売以来、国民的ビールと称されており、私が社会人になりたてだった昭和50年代前半のシェアは63.8%にまで達していました。今でも、酒問屋や酒販店の経営者は、当時の様子を次のように語っています。
「とにかくキリンさんの営業マンと仲良くすることが大切な経営課題だった。彼らの機嫌を損ねると、ドル箱のビール(=キリンラガー)が入荷しなくなる。そうなると店はお手上げだから、キリンの営業マンをこちらが接待することも珍しくなかった」
それほどまでにキリン王国は盤石だったのです。
●一方、そのころのアサヒビールは、シェアが9.6%にまで落ち込んでいました。個人が積極的にアサヒを選択することなど滅多になく、後発のサントリーにまでシェアを抜かれかねない危機的状況で、当時は「夕日ビール」と陰口をたたかれるほどでした。
●しかし、そこからビールのような成熟製品の市場では珍しいほどの大逆転ゲームが始まったのです。アサヒの逆転ドラマの舞台裏については多くの書籍が出ているのでそちらにゆだねますが、ここでは、アサヒがとった二つのユニークな取り組みをみてみましょう。
1.10年後に喜ばれるビールの味を研究したこと
2.味と鮮度の関係を数値で調べあげ、工場在庫20日間を5日間に短縮したこと
●一方的に負けている「キリン」に対し、10年後に勝つにはどうしたら良いかを考えました。つまり、今すぐ追い上げを狙うのではなく、10年後の市場や顧客の先取りを狙ったのです。
●そこでアサヒでは、小学生を対象とした味覚調査を実施しました。当時の小学生が10年後にビールを選ぶ若者になるからです。もちろん、小学生にビールを飲ませるわけにはいきませんので、調査にあたっては給食の味の傾向を調べたり街頭で聞き込み調査をすることで、おいしい味のキーワード探しに着手しました。
●その結果、成功しているキリンが「苦み」で押してきているのに対し、次世代は、「薄目でありながら『キレ』と『コク』がある」味を好むことがわかったのです。
「いけるぞ! 10年後は、今と味の好みが違う。キリンはそれに気づいていないに違いない。開発の方向性は決まった。軽めでありながら『キレ』と『コク』を求めよう」
アサヒはそう考えました。
●それからも膨大で地道な作業が続きました。世界中のホップを集め、新製品にふさわしいものを選びだす。味に「キレ」と「コク」を出すためには、どうすべきか。アルコール度はどうすべきか。すべてに答えを見つけてゆく作業です。
●また、味と鮮度は切り離せない関係にあることにも着目しました。私にも「プハァー、旨い。このビール最高っ!」と思うときと、「おや、今日はビールがまずいなぁ。体調が悪いのかなあ」と思うときがあります。もちろん、飲んだ本人の体調や気分、天候などによるところが大きいのですが、実は鮮度が味の分かれ目になっていることも多いのです。
●ビールの工場在庫日数を1日短縮することで、20日以内に消費される量が15%増加するという調査結果もでました。そこでアサヒでは、かつてビールの社内(工場内)在庫が約20日分あったものを、わずか5日以内に短縮する取り組みを実行したのです。
●こうして業界トップシェアだった「巨人・キリン」に対するためのアサヒの改革は成功しました。今すぐ勝とうとするのではなく、10年後に勝てば良いと考えたからこそ、腰をすえた改革ができたのです。
●そもそも企業の「戦略」とは、今期・来期ばかりに目を向けるのではなく、10年後、20年後を見据えたものも必要です。きびしい経営環境に直面している今は、そうした腰をすえた戦略に着手する絶好機でもあるのです。
●しかし、今後どうなるのかわからないからこそ、社長は考えなければなりません。具体的には、緊急避難策として半年~1年間は効果が期待できる対策、そして、景気がもう一段悪くなり売上が2割や3割、さらに半減することも視野に入れた対策など、シナリオを何パターンも用意しておくのです。
●また、景気の底を抜けた先の状態も想像しておきましょう。5年後や10年後を見越した抜本的な成長戦略を作っておくのです。5年後、あなたの会社が今とまったく別の姿になっているかも知れません。それは異業種に参入するという意味だけではなく、何かの分野においてトップシェア、オンリーワン企業になっていることだってあり得るという意味です。
●ビールを例にとって考えてみましょう。
「ビールはキリンとアサヒ、エビスとございますが」
「えっと、僕はキリン」「私はアサヒ」「じゃぁ俺はエビス」
レストランや居酒屋で上記のように複数のメーカーのビールが飲めることは、今では当然のことです。しかし、はるか昔に「ビールは『キリンラガー』」とほぼ決まっていた時期がありました。
●キリンラガーは1888年の発売以来、国民的ビールと称されており、私が社会人になりたてだった昭和50年代前半のシェアは63.8%にまで達していました。今でも、酒問屋や酒販店の経営者は、当時の様子を次のように語っています。
「とにかくキリンさんの営業マンと仲良くすることが大切な経営課題だった。彼らの機嫌を損ねると、ドル箱のビール(=キリンラガー)が入荷しなくなる。そうなると店はお手上げだから、キリンの営業マンをこちらが接待することも珍しくなかった」
それほどまでにキリン王国は盤石だったのです。
●一方、そのころのアサヒビールは、シェアが9.6%にまで落ち込んでいました。個人が積極的にアサヒを選択することなど滅多になく、後発のサントリーにまでシェアを抜かれかねない危機的状況で、当時は「夕日ビール」と陰口をたたかれるほどでした。
●しかし、そこからビールのような成熟製品の市場では珍しいほどの大逆転ゲームが始まったのです。アサヒの逆転ドラマの舞台裏については多くの書籍が出ているのでそちらにゆだねますが、ここでは、アサヒがとった二つのユニークな取り組みをみてみましょう。
1.10年後に喜ばれるビールの味を研究したこと
2.味と鮮度の関係を数値で調べあげ、工場在庫20日間を5日間に短縮したこと
●一方的に負けている「キリン」に対し、10年後に勝つにはどうしたら良いかを考えました。つまり、今すぐ追い上げを狙うのではなく、10年後の市場や顧客の先取りを狙ったのです。
●そこでアサヒでは、小学生を対象とした味覚調査を実施しました。当時の小学生が10年後にビールを選ぶ若者になるからです。もちろん、小学生にビールを飲ませるわけにはいきませんので、調査にあたっては給食の味の傾向を調べたり街頭で聞き込み調査をすることで、おいしい味のキーワード探しに着手しました。
●その結果、成功しているキリンが「苦み」で押してきているのに対し、次世代は、「薄目でありながら『キレ』と『コク』がある」味を好むことがわかったのです。
「いけるぞ! 10年後は、今と味の好みが違う。キリンはそれに気づいていないに違いない。開発の方向性は決まった。軽めでありながら『キレ』と『コク』を求めよう」
アサヒはそう考えました。
●それからも膨大で地道な作業が続きました。世界中のホップを集め、新製品にふさわしいものを選びだす。味に「キレ」と「コク」を出すためには、どうすべきか。アルコール度はどうすべきか。すべてに答えを見つけてゆく作業です。
●また、味と鮮度は切り離せない関係にあることにも着目しました。私にも「プハァー、旨い。このビール最高っ!」と思うときと、「おや、今日はビールがまずいなぁ。体調が悪いのかなあ」と思うときがあります。もちろん、飲んだ本人の体調や気分、天候などによるところが大きいのですが、実は鮮度が味の分かれ目になっていることも多いのです。
●ビールの工場在庫日数を1日短縮することで、20日以内に消費される量が15%増加するという調査結果もでました。そこでアサヒでは、かつてビールの社内(工場内)在庫が約20日分あったものを、わずか5日以内に短縮する取り組みを実行したのです。
●こうして業界トップシェアだった「巨人・キリン」に対するためのアサヒの改革は成功しました。今すぐ勝とうとするのではなく、10年後に勝てば良いと考えたからこそ、腰をすえた改革ができたのです。
●そもそも企業の「戦略」とは、今期・来期ばかりに目を向けるのではなく、10年後、20年後を見据えたものも必要です。きびしい経営環境に直面している今は、そうした腰をすえた戦略に着手する絶好機でもあるのです。
2008年12月19日(金)更新
「偉大ゾーン」が社長の顔をつくる
●「人間40歳にもなれば自分の顔に責任がある」とはリンカーンの言ですが、どういう状況でそのセリフが出てきたのかを知っている人は、はたしてどのくらいいるでしょうか。
●リンカーンは閣僚人事の最終判断を、顔で決めていたと言います。もちろん経歴や評判はチェックしたのでしょうが、最終判断は顔だったようです。
●ある推薦者がある人物を閣僚に推薦したとき、「あの男は顔が気に入らない」とリンカーンは却下しました。推薦者は、「顔は当人の責任ではない。顔で人選するのはアンフェアだ」と指摘したそのとき、リンカーンは先の発言をしたのです。
●私は40歳過ぎて責任をもつのは「顔」だけではないと思います。自分の身の回りに起きていることのすべてに責任を負うのがこの年代です。まして、あなたが経営者ならば言い訳は一切できません。しかし、
「あなたは宮仕えの身ですか?」と突っ込みたくなるほど言い訳がましい社長がいるのも、また事実です。
・私は忙しすぎて○○する時間がとれない
・こういう事情だから、私の会社は自分の思うようにならない
・私は若すぎる(あるいは年をとりすぎた)
・私は数字(営業、経理など)に弱い
・私はかつて○○にだまされた
・あのとき、私はこうすべきだった
まるで、自分はなにかの“被害者”か“悲運の人”のように思っているのではないでしょうか。このような社長は、たいていが「いい顔」をしていません。
●あるとき、愛知県の社長の集まりで講演した際、私は「偉大ゾーンで勝負して下さい」と言いました。偉大ゾーンとは、「情熱がわく仕事」「得意な仕事」「利益が得られる仕事」の3つの条件がすべて合致する仕事のことです。
●その会場のなかにすごい社長が混じっていました。仮にA社長としておきますが、彼の会社は、50年間傘の製造一筋でやってきているのですが、一度だけ赤字を出したことがあるものの、それ以外は毎年
4,000万円以上の経常利益を出してきたというのです。
●「50年間傘一筋というのはすごいですね」と申し上げると、A社長は次のようにいいました。
「今までに、銀行さんをはじめとしていろんな事業提案が持ちかけられてきましたが、やろうと思ったことがありません。傘の製造業は私にとってもわが社にとっても『偉大ゾーン』だし、さらにそれを進化(深化)させるためにやるべきことが山ほどある。昨年は中国へ工場を進出させることでコストダウンをはかったし、今は、化学技術を強化して従来とはまったく違う傘を作る研究をしているのです」
今年還暦になられたA社長ですが、その話をしている彼の目は子どものように輝いていました。
●Aさんのように、今やっている仕事がズバリ「偉大ゾーン」に当てはまっている場合は幸福です。しかし、そうでない場合はどうしたらいいでしょうか。それには、2つの方法があると思います。
・より偉大ゾーンに近い仕事に参入する
・今やっている仕事を偉大ゾーンに近づくように変えていく
いずれにしても、偉大ゾーンで仕事をしている社長は必ず「いい顔」をしているものなのです。
●リンカーンは閣僚人事の最終判断を、顔で決めていたと言います。もちろん経歴や評判はチェックしたのでしょうが、最終判断は顔だったようです。
●ある推薦者がある人物を閣僚に推薦したとき、「あの男は顔が気に入らない」とリンカーンは却下しました。推薦者は、「顔は当人の責任ではない。顔で人選するのはアンフェアだ」と指摘したそのとき、リンカーンは先の発言をしたのです。
●私は40歳過ぎて責任をもつのは「顔」だけではないと思います。自分の身の回りに起きていることのすべてに責任を負うのがこの年代です。まして、あなたが経営者ならば言い訳は一切できません。しかし、
「あなたは宮仕えの身ですか?」と突っ込みたくなるほど言い訳がましい社長がいるのも、また事実です。
・私は忙しすぎて○○する時間がとれない
・こういう事情だから、私の会社は自分の思うようにならない
・私は若すぎる(あるいは年をとりすぎた)
・私は数字(営業、経理など)に弱い
・私はかつて○○にだまされた
・あのとき、私はこうすべきだった
まるで、自分はなにかの“被害者”か“悲運の人”のように思っているのではないでしょうか。このような社長は、たいていが「いい顔」をしていません。
●あるとき、愛知県の社長の集まりで講演した際、私は「偉大ゾーンで勝負して下さい」と言いました。偉大ゾーンとは、「情熱がわく仕事」「得意な仕事」「利益が得られる仕事」の3つの条件がすべて合致する仕事のことです。
●その会場のなかにすごい社長が混じっていました。仮にA社長としておきますが、彼の会社は、50年間傘の製造一筋でやってきているのですが、一度だけ赤字を出したことがあるものの、それ以外は毎年
4,000万円以上の経常利益を出してきたというのです。
●「50年間傘一筋というのはすごいですね」と申し上げると、A社長は次のようにいいました。
「今までに、銀行さんをはじめとしていろんな事業提案が持ちかけられてきましたが、やろうと思ったことがありません。傘の製造業は私にとってもわが社にとっても『偉大ゾーン』だし、さらにそれを進化(深化)させるためにやるべきことが山ほどある。昨年は中国へ工場を進出させることでコストダウンをはかったし、今は、化学技術を強化して従来とはまったく違う傘を作る研究をしているのです」
今年還暦になられたA社長ですが、その話をしている彼の目は子どものように輝いていました。
●Aさんのように、今やっている仕事がズバリ「偉大ゾーン」に当てはまっている場合は幸福です。しかし、そうでない場合はどうしたらいいでしょうか。それには、2つの方法があると思います。
・より偉大ゾーンに近い仕事に参入する
・今やっている仕事を偉大ゾーンに近づくように変えていく
いずれにしても、偉大ゾーンで仕事をしている社長は必ず「いい顔」をしているものなのです。
2008年12月05日(金)更新
理念不在がどうした!
●今日は、いつもとは逆に、「理念・理念・理念」と経営理念を作ることに盲進しすぎると、優先順位を誤るおそれがあるということについて説明しましょう。
●最近でこそ、中小企業の経営者で本を読む人が多くなりましたが、昔は本を読まないどころか人の話すらまともに聞かない頑固な経営者も、少なからずいました。本やセミナーで勉強したこともなく、自分の経験と勘と度胸(頭文字をとってKKD)しか信用しない社長がたくさんいたのです。
●私が新米コンサルタントだったころ、そのようなKKD社長に「社員のためにも経営理念を作りましょう」と提案したこともありますが、「そんなもんでメシが喰えるか」と一喝されてオシマイのケースがほとんどでした。自分の経験からくる揺るぎない信念と哲学をもとに「経営理念なんていらない」と言われたら、何も言い返せなかったのです。
●ところが最近は、ほとんどの経営者が経営理念の必要性に異議を唱えません。それどころか、何の疑いもなく「理念が必要だ」と言います。
●しかし、経営理念というものは、すべての会社が今すぐ必要とするものでもありません。理念がなくても経営はできますし、そんなややこしい事にうつつを抜かしているヒマがあれば、今すぐ外へ飛び出して顧客の話を聞いてきた方が参考になる、という時期もあるのです。
●特に、従業員が30人未満のベンチャーのような会社では、社長の言動自体が経営理念そのものです。社長がいつも社員に向かって思いの丈を熱く語れば、それが経営理念の役割を果たすので、それで充分ではないでしょうか。
●そのような段階で経営理念の作成よりも先決すべき課題は、業績の安定です。大口の得意先や企業系列に依存しないで顧客を引っぱれるようになること。また、業績管理を徹底して目標と数字データに基づく計画経営を行うことが大事です。
●業績が安定し、社長も社員も安心してご飯が食べられるようになったら、次のステップではじめて経営理念や経営ビジョンを制定する必要が出てくるのです。
●私が影響を受けた本である『ビジョナリー・カンパニー』の中にも、こんな一節が出てきます。
---
ビジョナリー・カンパニーのすべてが、設立当初から基本理念をしっかりした文書にしていたわけではない。そうした企業はごく一部である。
理念を文書にしたのは多くの場合、設立から10年前後たったころだが、おおむね大企業に成長する前である。ビジョナリーカンパニーのほとんどが、設立当初は会社を軌道に乗せ、成功させるために必死だった。
はっきりした理念を掲げるようになったのは、会社が発展したからだ。
だから、基本理念を文書にしていなくても問題ない。しかし、早ければ早いほどよい。この本を読む時間があるのだから、読書をしばらく中断して、いますぐ基本理念を書き上げるべきだ。
(『ビジョナリー・カンパニー』ジェームズ・C・コリンズ/ジェリー・I・ポラス著
日経BP社刊 129ページより抜粋)
---
●わかりやすくするために、会社のレベルを次の4つに分類して考えましょう。
・第一レベル 「悪い」
・第二レベル 「普通」
・第三レベル 「良い」
・第四レベル 「偉大」
「悪い」から「普通」へ、「普通」から「良い」の段階に移行するには、経営理念よりも、顧客創造の力が問われます。いかにして利益を出し、キャッシュフローを良くするかという格闘です。この段階では、経営理念はさほど大きな意味を持ちません。
●しかし、それ以上の段階である「偉大」の高みに登ろうとしたときにはじめて、人材力・組織力・管理力などが醸し出す企業文化や、企業のブランドイメージが問われるようになります。その段階でこそ、経営理念とその浸透力が、極めて大切な要素になってくるのです。
●最近でこそ、中小企業の経営者で本を読む人が多くなりましたが、昔は本を読まないどころか人の話すらまともに聞かない頑固な経営者も、少なからずいました。本やセミナーで勉強したこともなく、自分の経験と勘と度胸(頭文字をとってKKD)しか信用しない社長がたくさんいたのです。
●私が新米コンサルタントだったころ、そのようなKKD社長に「社員のためにも経営理念を作りましょう」と提案したこともありますが、「そんなもんでメシが喰えるか」と一喝されてオシマイのケースがほとんどでした。自分の経験からくる揺るぎない信念と哲学をもとに「経営理念なんていらない」と言われたら、何も言い返せなかったのです。
●ところが最近は、ほとんどの経営者が経営理念の必要性に異議を唱えません。それどころか、何の疑いもなく「理念が必要だ」と言います。
●しかし、経営理念というものは、すべての会社が今すぐ必要とするものでもありません。理念がなくても経営はできますし、そんなややこしい事にうつつを抜かしているヒマがあれば、今すぐ外へ飛び出して顧客の話を聞いてきた方が参考になる、という時期もあるのです。
●特に、従業員が30人未満のベンチャーのような会社では、社長の言動自体が経営理念そのものです。社長がいつも社員に向かって思いの丈を熱く語れば、それが経営理念の役割を果たすので、それで充分ではないでしょうか。
●そのような段階で経営理念の作成よりも先決すべき課題は、業績の安定です。大口の得意先や企業系列に依存しないで顧客を引っぱれるようになること。また、業績管理を徹底して目標と数字データに基づく計画経営を行うことが大事です。
●業績が安定し、社長も社員も安心してご飯が食べられるようになったら、次のステップではじめて経営理念や経営ビジョンを制定する必要が出てくるのです。
●私が影響を受けた本である『ビジョナリー・カンパニー』の中にも、こんな一節が出てきます。
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ビジョナリー・カンパニーのすべてが、設立当初から基本理念をしっかりした文書にしていたわけではない。そうした企業はごく一部である。
理念を文書にしたのは多くの場合、設立から10年前後たったころだが、おおむね大企業に成長する前である。ビジョナリーカンパニーのほとんどが、設立当初は会社を軌道に乗せ、成功させるために必死だった。
はっきりした理念を掲げるようになったのは、会社が発展したからだ。
だから、基本理念を文書にしていなくても問題ない。しかし、早ければ早いほどよい。この本を読む時間があるのだから、読書をしばらく中断して、いますぐ基本理念を書き上げるべきだ。
(『ビジョナリー・カンパニー』ジェームズ・C・コリンズ/ジェリー・I・ポラス著
日経BP社刊 129ページより抜粋)
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●わかりやすくするために、会社のレベルを次の4つに分類して考えましょう。
・第一レベル 「悪い」
・第二レベル 「普通」
・第三レベル 「良い」
・第四レベル 「偉大」
「悪い」から「普通」へ、「普通」から「良い」の段階に移行するには、経営理念よりも、顧客創造の力が問われます。いかにして利益を出し、キャッシュフローを良くするかという格闘です。この段階では、経営理念はさほど大きな意味を持ちません。
●しかし、それ以上の段階である「偉大」の高みに登ろうとしたときにはじめて、人材力・組織力・管理力などが醸し出す企業文化や、企業のブランドイメージが問われるようになります。その段階でこそ、経営理念とその浸透力が、極めて大切な要素になってくるのです。
ボードメンバープロフィール
武沢 信行氏
1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。
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