大きくする 標準 小さくする

2008年03月28日(金)更新

立案力と遂行力

●ある日のことです。世界的カメラメーカーで15年間修業し、最近になって父親が経営するK精密に入社したK専務が相談に来られました。

●内容は社員のレベルが違いすぎるため、今まで経験してきたことの大半が役に立たないということでした。K氏が以前勤めていたのは一部上場企業であったため、社員教育制度も充実し、ビジネススキルやコミュニケーション能力もあるエリートが入社してくる会社でした。

●しかし、K精密は社員数約30名の部品メーカーで、社員全員が中途採用。それも、全員が基礎研修などを受けたことがあるわけではなく、中には職人気質の現場社員やコミュニケーションを満足に取れないスタッフもいるとのことでした。

●K氏はこう嘆いていました。「武沢さん、私が前の会社で培ってきたやり方が通用しないんですよ。前職では、大まかな方向性さえ指示しておけば、部下が自分で目標や行動計画を設定して動いてくれました。でも今いる会社では、方向性を示すだけでは足りず、具体的な作業指示も出してやらないと社員が動かないのです
●K氏が前職と現職のギャップに悩み、嘆く気持ちもわからないではありませんが、嘆いていても始まりません。

●大企業は人員も多く、社員の質も粒ぞろいなので「私は決定する人、あなたは実行する人」というように、役割分担ができます。しかし、中小零細企業の経営者は、決定するだけではなく、現場の陣頭指揮もとれる人でなければならないのです。その意味でいうと、中小企業の経営者は、大企業の経営者より有能な人材でなければ務まらないのです

経営力とは「立案力」と「遂行力」の和のことです。中小企業を経営するには、社員のレベルの低さを嘆く前にまず、自分の立案力と遂行力の向上をはかりましょう。ついでにそのとき、「すべての責任は我にあり」くらいに考えた方が、精神的なストレスも少なくなるでしょう。

2008年03月21日(金)更新

志を練る

●私はよく、「武沢さん、よく毎日メルマガが書けますね」と言わるのですが、自分では三日坊主タイプだと思っています。とてもムラッ気が強いのか、やるときには人の何倍も努力しますが、ひとたび集中が途切れると、その反動で人の何倍も怠惰になります。そして、いったんそのリズムに入ると何の仕事もしたくなくなったりします。

●もし努力家の部分だけが一生続いたとしたら、「上場会社のひとつやふたつ作って、億万長者になっていただろうな」と勝手な空想をしてしまうほどですが、不思議なことにメルマガを書くことだけは、8年間欠かさずに続けています。これは私の中の「奇跡」といってもいいでしょう。

●また、「三日坊主」とは反対に「志操堅固」という言葉があります。「志が堅い」という意味ですが、私にあてはめると、メルマガを書くことだけが志操堅固であり、他のことはほとんど三日坊主ということになるのでしょう。

●しかし、人間ってそんなものではないでしょうか。自分が大好き、かつ得意なことを本業にできたら、誰だって「志操堅固」になる可能性が高くなります。しかし、飽きっぽい人は、ちょっとした工夫がいる。その一工夫は「志を練る」という行為だと思うのです
●その昔、幕末の志士たちは墨痕あざやかに漢詩をつくり、仲間とそれを交わすことで自らの志を絶えず練っていたそうです。つまり、遊興のためではなく、志を錬磨しあうための飲み会をさかんに行っていたのです。

●禁門の変において25歳で自刃した久坂玄瑞は、松下村塾の師・吉田松陰から才能を高く評価されていました。その久坂は、長州藩士のなかでも檄文の達人としても名が通っていたようで、いくつかの過激な漢詩を残しています。以下に、「長州漢詩集」でみつけた久坂の詩を記載します。


------------------------------------------------------------
 そうあい ふみやぶる ばんちょうのやま
 雙鞋蹈み破る萬重の山

 ここのえにむかって やきんを けんじんと  ほっす
 九重に向かって野芹を獻じんと欲す

 このさい だんじ かぎりなしの こころざし
 此際男兒限り無しの志

 らんらくに ようふんを ふせしめん
 鸞輅に妖氛を付せしめん
------------------------------------------------------------
 【意味】
この草鞋で幾重に連なる山々も踏み破ってやろう。
田舎者ではあるが、人のため何かがしたくて、心は天朝に赴いている。
この国家の一大事に男児たる者、その天下の志は限りなく溢れ、神国日本に外夷の穢れなどを近づけさせはしない。


●現代に生きる私たちにとって、彼らが行っていた漢詩づくりに相当するものは何でしょうか。また、自らの志を練り上げるために何をしているのでしょうか。そうした、自らを鼓舞するために、何らかの習慣をもつことは、とても大切なことではないでしょうか

●ですから、私はメルマガを毎日書いています。毎日書くことを通じて、自分が日本の経営者に役立っていることを確認できるのです。ときどき感謝のメールをもらったりすると、ますます自分の行為に意味が感じられるようになります。これはつまり、書くことそのものが志を練るという行為になっているのでしょう

●経営者のみなさん。あなたは何を繰り返していますか?

2008年03月11日(火)更新

俗交から素交へ

●関ヶ原の合戦前に、大谷吉隆が盟友の石田三成に宛てた手紙が残っています。要約すると、こんな内容です。

――最近の君は金を大切にしすぎだ。人にも金さえ与えれば何とでもなると思っているのか、家人(家族や部下)にもことごとくそうしているように見受けられることから、甚だしい心得違いをしているのではないだろうか。

主人が貧しい時は、自然と礼儀をわきまえ、人を尊ぶから、家人もそれに応えてくれる。だが、主人が豊かになり気前もよくなってくると、部下は「働いているのだから、これぐらいもらって当然」と思うようになる。

はじめは、その家に望みをいだいて来た者も、主人がそうなってくると希望を見失い、貧しいが礼儀厚かったころよりも働いてくれなくなるものだ。

●とても400年前の戦国武将の手紙とは思えない、現代にも十分通用する忠告ではないでしょうか。

●たとえば、この手紙にある「主人」は「経営者」と置きかえることができます。経営者は、まず人間として一人ひとりの社員を尊重しなければなりません。言い換えれば、尊重したくなるような社員を採用すべき、ということでもあります

●また、中国・周の時代を生きた劉峻という思想家が、「広絶交論」という論文を書いています。それによれば、そもそも人間関係には「素交」と「俗交」の二種類があり、「素交」とは裸の交わり、つまり人間の地の付き合いを指し、「俗交」とは何らかの利益を期待した交わりのことだそうです。
●さらに「俗交」にも5種類あり、次のようなものがあります。

◇「勢交」:相手の勢い、勢力を期待した交わり
◇「賄交」:儲かる相手とつき合う、金を出させるといった、金銭を期待した交わり
◇「談交」:自分の名声を上げられる、自己宣伝を期待した交わり
◇「量交」:相手の景気次第で、態度を変えるような交わり
◇「窮交」:首が回らなくなったときの、援助を期待した交わり

●会社の採用活動で出会った社長と社員に例えるなら、その一番最初の出会いそのものは、すでに「俗交」の色合いが濃いものです。ですが、資本主義社会の中で、「素交」だけを賛美して「俗交」を拒否していては、劉峻のように次々に絶交する羽目になり、ついには友達が誰もいなくなってしまいます

●だからといって、ビジネスだからすべて「俗交」で良いんだと割り切ることもできません。大切なのは、「経営者と社員」「会社と顧客」の関係を「素交」に近づけていく努力です。そのためにも「俗交」と「素交」、この言葉はぜひ覚えておきましょう。

ボードメンバープロフィール

board_member

武沢 信行氏

1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。

バックナンバー

<<  2008年3月  >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31