大きくする 標準 小さくする

2010年01月29日(金)更新

本質を変える

●小川の流れは優しく、弱いものですが、ダムを作ってその流れをせき止め、水を貯めてから一気に放流すると、大きな力を生みます。経営資金も同じで、貯めてから一気に使うと爆発的な効果をもたらします。松下幸之助氏は、それを「ダム式経営」と表現し、全国の経営者に訴えました。

●「それはそうやけど、それが出来んから困っとるんや」と苦笑する多くの社長に対し、松下さんが「まず強く願うことですな」と教えるのを聞いて「背中に電流が走った」と、京セラ創業者の稲盛和夫氏が回顧しています。

●当時青年だった稲盛さんは、まず強く願い、具体的な一歩の行動を開始することが、自分の経営者人生を切りひらくのだと悟ったのでした。

●正月を迎えて心機一転を誓ったにも関わらず、1月も下旬になると、結局なにも変わっていないということがあります。なにも変わっていない自分の本質に嫌気がさすこともあるでしょう。
●本質を変えるということに関して、こんな故事があります。

・・・
あるとき達磨(だるま)大師のもとに青年が訪ねてきました。「どうか私の心を落ちつかせてください」と青年は言いました。

達磨はそれにこう答えました。
「その不安な心をここに持ってきなさい。そうしたら私が落ちつかせあげよう」

青年は困って一晩中考えたあげく、翌朝、こう言うしかありませんでした。
「不安な心を探しましたが、とらえることができませんでした」

達磨は言いました。
「とらえることのできぬ心が君の心なのだ」
・・・

●目に見えない心=「自分の本質」を探していても、すぐ日が暮れてしまいます。「本質は行動に宿るもの。今日の生活の一コマ一コマにその本質が宿るとすれば、そのコマを変えれば良い」というのが達磨大師の真意だったのでしょう。

●「人間の再起は朝起きにある」と断言したのは倫理法人会の前身組織をつくった丸山敏雄氏です。ズボラな性格や強情、言い訳ぐせといった、悪い習慣の大本が朝寝にあると考えた丸山氏は、明け方目がさめると同時にふとんから起きるようにしたそうです。

●みなさんも、明日の朝から早起きをしてみましょう。そして、今までやろうと思って先のばししてきたことを始めてみましょう。

心構えと行動、行動と心構え、それは魔法のペアなのです

2010年01月22日(金)更新

間違った二者択一

●マジック(手品)が、私の周辺でちょっとしたブームになっています。先日も、自宅で息子がトランプを使ったマジックを披露してくれました。

「さあ、お父さん。ハートのエースは左右どっち?」
「そりゃ、右でしょ」
「残念、右はダイヤの7でした」
「あれ? いつの間に。じゃあ、左かい」
「これまた残念、左でもないよ」
「えっ、左右どちらでもないの?」

このマジックでは「左右どっち?」と聞かれましたが、正解はいずれでもありませんでした。

●経営においても、「どちらにしたらよいか」などと二者択一を迫られる場面があります。そのとき、二択とも間違いであれば、当然、どちらを選んでも不正解になります。例えば、「進むべきか引き返すべきか」という選択がいずれも間違いであり、「立ち止まって様子を見る」ことが正しいという場合です。

●最近、愛知県のあるメーカーの経営者とお話ししました。多くの同業者が中国に進出するなか、ここの会社は断固として日本に留まる戦略をとっています。そこで、理由を聞いたところ、意外な答えがかえってきました。
●実はこの会社、20年以上も前に中国の地方都市に合弁会社を作り、現地パートナーと共同で事業を立ち上げたことがあるそうです。20年以上も前とはものすごい「先見の明」ですが、当時は中国の民主化が日本でもてはやされ、なかでも、上海の浦東地区の変貌ぶりは連日のように紹介されていました。「第一次中国投資ブーム」といってもよかったかもしれません。

●しかし、その合弁会社は数年で破綻。多大な損失を被った結果、中国から撤退することになりました。その余波で、儲かっていた国内事業にもしばらく悪影響が及びました。

●このことを受け、当時の経営会議で決まった結論が、次の二つだったそうです。

 ・今後、わが社は二度と合弁事業をやらない
 ・今後、わが社は外国への進出は一切考えない

●その話を聞いたとき、私は言葉がでませんでした。

「前回の中国進出は○だったか、×だったか」というならば、言うまでも無く×でしょう。だからといって、「今後、私たちの外国進出は○か×か」について、その時点で結論を固定してしまうのは、間違った二者択一ではないでしょうか。万物流転、諸行無常の世にあって、「今後二度と・・・」という結論を後世に残すことは、大きな誤りだと思うのです

二者択一の場面に遭遇したら、その二択は正しいかどうか、よく吟味しましょう

仕事から帰った亭主に対し、妻が「先にご飯にする、それともお風呂にする?」と質問して二択を迫るのも、実はトリックかもしれませんよ。

2010年01月15日(金)更新

表敬訪問の重要性

●名古屋で金属加工業を営み、先代の跡を継いで5年目になるS社長(51歳)と話したときのことです。

武沢:「経営の調子はどうですか?」
S :「不況の影響を受けていますが、先代が非常に堅実な経営をやっていたおかげで財務体質には問題ありません。無借金で経営できているということは、今の時代、ものすごい武器になっていると思います」
武沢:「それは素晴らしいですね。では、社長に就任してからいちばん苦労されたことは何ですか?」

という問いに対し、返ってきた答えは「先代社長と比べられること」。また、S社長の会社だけでなく、主力取引先の多くで世代交代が進んだため、先代同士ほどの濃い人間関係がつくれていないことも心配の種ということでした

●跡を継いだ社長が、先代の人間力やカリスマ性を真似しようとしても無理な話であり、純粋に商品の善し悪しや価格の競争力、サービスの充実具合などが問われることになります。そのため、世代交代というものは、長年続いた取引先を失う危険性をはらんでいるのです

●幸い、「先代のように人間力で売ることなどできない」と早くから気づいていたS社長は、純粋に商品やサービスで勝負しようと決意していたといいます。
●さて、あなたの会社は、社長個人の人間力で売れているのか、それとも純粋に商品・サービスの魅力で売れているのか、どうやって判断しているのでしょうか。「その両方で売れている」と考えているかもしれません。しかし、世代交代をする際には、社長個人が持つ人間力を差し引いて評価をし直す必要があるかもしれません。

●ただし、人間力に頼らないとはいえ、定期的に行ないたいのが社長の客先訪問です。「表敬訪問」というと何か儀礼的な訪問に思われますが、実は社長の表敬訪問ほど効果のあるトップ営業はありません。「社長の表敬訪問は、セールスマンの100回の訪問に勝る」(経営コンサルタント・一倉定氏)と言われますが、まさしくその通り。郵便物のポスティング1000枚にも勝ると思います。

●表敬訪問をするときに前もってアポイントを入れておくと、先方も社長や役員が応対してくれることでしょう。そのとき、地元の名産品や地酒に加え、自社の経営計画も持参すれば最高です。

●そして、訪問した際に自社の情報を積極的に開示すると、先方も今後の見通しなどの情報を聞かせてくれるはずです。そうした会話の中から、それまで気づいていなかったニーズや隠れた不満などがわかることもあるでしょう。

●さらにもう1つ、トップの表敬訪問には重要な役割があります。それは、同業他社の動向をつかむこと。他社がどれくらいの頻度で訪問し、どのように攻勢をかけているのか。あるいは、同業他社の社長も表敬訪問をしているのかどうか、それとなく聞き出すのです。それによって、自社の優位性がどの程度なのかを知ることができます。

●とくに、重要な顧客に対してはトップ同士の情報戦がカギとなります。製品やサービスの質や価格で勝負するのは素晴らしい心意気ですが、表敬訪問も決しておろそかにすべきではありません

2010年01月08日(金)更新

もう一人の白虎隊

●江戸時代、会津藩(今の福島県)では藩校「日新館」に入学する前の6歳から9歳までの子供を地域ごとに組織し、武士としての心構えを互いに学びあうシステムがありました。
そのときの規則が「什の掟(じゅうのおきて)」です。その内容は、

一.年長者の言うことに背いてはなりませねぬ
二.年長者にお辞儀をしなければなりませぬ
三.虚言(うそ)を言うことはなりませぬ
四.卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
五.弱い者をいぢめてはなりませぬ
六.戸外で物を食べてはなりませぬ
七.戸外で婦人(おんな)と言葉を交えてはなりませぬ

「ならぬことはならぬ」と締めくくっています。ダメなものはダメなんだということです

●これらは要するに、「人として恥を知りましょう」ということなのです。
中国の孟子は、「人は羞恥心がなければならない。羞恥心は人間にとって重大な徳目である。もし羞恥心がないことを恥ずかしく思うようになれば、辱められることはない」と語っています。
会津の「什の掟」も羞恥心を定義したもののように思えるのです

●電車の中での携帯電話やお化粧。コンビニの前での座り食い。公園や路上での男女の抱擁や接吻。
彼らに注意しようものなら、「私の自由でしょう。それに誰にも迷惑かけてないじゃん」と反発するでしょうが、実は迷惑をかけているのです。
運転中の携帯電話を取り締まるだけでなく、これらの行為も公然わいせつ罪とか何かで取り締まってほしいものです。眉をひそめるだけでなく、国や学校の問題として「ならぬものはならぬ」と羞恥心を教えていかねばならぬはずです。

●会津藩に話は戻します。

白虎隊の物語は多くの方がご存知だと思うのでここでは割愛します。実は白虎隊と同世代の若者で郡 長正(こおり ながまさ)という若者がいます。
彼の行為は、「もう一人の白虎隊」として語り継がれているのですが、あまり知られていないようです
わずか16歳で自らの命を絶ったせい惨な最期は、「ならぬものはならぬ」という教えに殉じた武士の引き際です。ご紹介しましょう。

●郡 長正(安政3年~明治4年)
会津藩家老、萱野権兵衛の次男。明治のはじめ豊津小笠原藩(福岡県)に留学した。育ち盛り、食べ盛りの長正は、ある日郷愁を覚えて母に手紙を書き送った。
「稽古や野外訓練が終わったあとなど、空腹で辛いことがあるので、会津の柿を送って下さい」

●その手紙を受け取った母は、さすが武士の親。

「事もあろうに空腹を訴え、柿を送れとは何ごとですか。会津武士の精神はどこへやったのですか」と戒めたのです。愛する息子への思いやりは、甘やかすことではなく、たしなめることです。しかし長正の母は、まさかこの手紙が息子を死へおいやるとは露知りません。

●長正は母からのこの手紙を心の支えとして大切に持ち歩いていました。
あるとき不運にも、これを落としてしまいます。それを学友に拾われ、皆の前で読まれてしまったのです。
小笠原藩士の学友たちに会津武士を辱められるほど恥ずかしく悔しいことはありません。悩んだあげく、長正は会津武士の屈辱をはらそうと藩対抗剣道大会で完勝し、その後切腹して果てました。時に16歳。
「ならぬものはならぬ」という恥の精神を貫いたのです。

無病息災と不老長寿を願うばかりが幸せではなく、思想や志操に殉ずるためには、いつでも死と背中合わせに生きる生き方も人として大切なのではないかと思います
「もう一人の白虎隊」と言われるこの長正の生き様から何かを学びたいですね。

ボードメンバープロフィール

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武沢 信行氏

1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。

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