大きくする 標準 小さくする

2010年02月26日(金)更新

起業家とサラリーマン

●私が50才になったとき、ある経営者から『50代からの選択』(大前研一著 集英社)をプレゼントされました。
この本は大前氏がサラリーマンに送る檄文のような内容でしたが、楽しく痛快に読むことができました。
「サラリーマン同士でつるむな」、「やりたいことを10以上あげることができるか」、「死ぬときは貯蓄ゼロでいい」など、相変わらず歯切れがいい"大前節"を堪能させてもらいました。

●しかし異論もあります。たとえばこの箇所。

・・・
サラリーマンは常に上司によって、「人に言われたことをきちんとこなす力があるかどうか」で評価される。20代にこうやって育てられると、言われたことはやる、言われないことはやらない、という思考・行動パターンが習慣化する。これは、サラリーマンの生活習慣病みたいなもので、数年のうちに「お手」といわれたら、サッと手を出すという“サラリーマン染色体”に染まってしまうのだ。
・・・

サラリと読んでしまえば問題ないのかもしれませんが、私は少々引っかかっりました
私も30才になるまでは真面目で勤勉なサラリーマンでしたが、著者が言う「サラリーマン染色体」には染まっていません。

というより、勢いのある中小企業やベンチャー企業では、そうした染色体に染まる要素がないと思うのです。また、官僚的になってしまった巨大企業のサラリーマンだったとしても、本人の自覚次第で染色体まで染まるような愚はさけられるはずです。
●ですから、サラリーマンという立場の人を必要以上にワルモノにし、断罪するのは危険なことだと思います。
サラリーマンが悪いのではなく、"サラリーマン根性"が悪いわけで、その根性を要求したり、許容したりする仕組みの方が悪いと考えてみてはどうでしょうか。
サラリーマンの中にも経営者マインドに富んだ人がいる一方で、経営者の中にもサラリーマン根性の人がいます。大切なのは"根性"、つまり意識の方なのです

●では、具体的に「根性」や「意識」はどうあるべきでしょうか。
『イノベーションと起業家精神』でドラッカーが訴えているのは、サラリーマン根性を涵養するような組織ではなく、起業家精神を涵養する組織を作れということです。

昔から「諸行無常、万物流転」と言いますが、ドラッカーも、「人の手によるものに絶対のもの、永遠のものは存在しない。あらゆるものがやがて陳腐化する。そして進歩する。それが文明というものである。だからあらゆるものにイノベーションと起業家精神が必要となる。しかも常時必要となる。イノベーションと起業家精神が当たり前に存在し、継続していく起業家社会が必要なのだ」と説いています。

サラリーマン根性を育てかねない仕組みや制度があればすみやかに廃止し、逆に起業家精神を涵養する仕組みを考案しましょう
それには、あなたがなぜ起業家的であるのかをよく考えてみれば、そのヒントが見つかるはずです。

2010年02月19日(金)更新

行動を共にできる相手

●かつてある会社の経営会議に出席したおり、ささいなことから口論となり社長が専務をクビにするという”事件”がおきました。ことの発端はカレーチェーン店「C」社のカレーが美味いか不味いかという些細なことです。

それだけ聞くと、“大のオトナが情けない”と思われるかもしれませんが、彼らにとってカレーの好みの差は氷山の一角であり、一事が万事、日ごろから意見や好みがあわなかったのです。

意見が合う・合わないというのは調整できますが、趣味や感性が違っていると互いに歩み寄りようがないのかもしれません

●だからこそ、部下の喜怒哀楽や趣味嗜好が自分と同じである時、社長はすごくうれしいものです。それは社長に限った話ではなく人間の本性というべきものかもしれません。

ある日、私の講演会に部下を連れて参加されたS社長からこんなメールをもらいました。

「先日の岐阜での公開セミナーに大阪より参加させてもらいましたSでございます。私は武沢先生のお話をうかがうのはこれで2度目ですが、途中、涙がこみ上げてくるのを堪えていました。

今回は、自社の社員に是非聞かしてあげたいと最近入社してくれた二人の若手社員を連れて行きましたが、正直、最初は彼らがどういう意識で拝聴するか、不安でした。社長に無理やり連れて来られて、あまり感動もなく、ただ座っているだけで終わるかもと思っていました。

最初、受付で武沢先生の本を売っていたので、お前も買わないか?と尋ねたところ、[僕はこんな本、自宅にもたくさんありますから要らないです]といっていました。あぁやっぱり、連れてきても意味が無かったかと思いました」
●「セミナーが終わって、私は先生に挨拶に行きましたが、彼ら2名はその間になんと、自分の意思で先生の本を2冊ずつ購入していました。私は、1冊しか購入しませんでしたが(笑)・・。涙がこみ上げてくる思いでした。

そのあと、懇親会場へ移動する間、彼らが満足げな顔で『社長、今日は本当に来て良かったです』と素直に心から感謝していました。私は涙を堪えるのに苦労しながら感激しました。彼らの心に何か響いたのでしょう、心からこみ上げてくる熱い思いが顔に出ていました。

自分より一回り以上年下の彼らと、同じ感動を分かち合うことができて、これからの会社運営に意を強くもつことができました。創業して10年目になりますが、ようやく盟友に出会えた気分です。(後略)」

●私もこのメールに感動したので、さっそくS社長に返信したところ、再び次のメールが来ました。

「あれから、三人で話し合いましたが、我社の経営方針がはっきり決まりました。我々が真剣に世の中を変えてやろう、我々がこの業界を引っ張ってやろうと決断しました。男50にしてようやく死に場所が定まったようです」とありました。

人気ビジネス書『ビジョナリー・カンパニー』でも、まず大切なことは「適切な人をバスに乗せること」だと説いています。時には不適切な人をバスから降ろすか、後部座席に追いやることも重要だと説いています。そして、適切な人が運転席に集まって、自分たちの目的地を決めるくらいで十分だというのです。

目的地へいくのにふさわしい人を探すのではなく、ふさわしい人を見つけて目的地を決めるのだという考え方に最初私は疑問を抱きましたが、夫婦だってそれに似ています。結婚してから互いに話し合って夢を見つける方が一般的です。

盟友を見つけるには、こちらも盟友相手にふさわしい人間でなければなりません。男惚れする人間になること、それが行動を共にできる相手を見つける鍵だと思うのです。

2010年02月12日(金)更新

もうとまだ

●あるセミナーで講師が「コップの水が半分あるのを見てあなたはどう思いますか?」と聴衆に質問しました。

「もう半分しか残っていない」と考える人はなくなった水を見ているから否定的。「まだ半分残っている」と考える人は残っている水を見ているので肯定的。だから、いつでも「まだ」の心で今あるものに目を向けなさいというお話でした。

それを聞いて私は、「なるほどなぁ」という気持ちと同時に「そんな単純なものか?」という違和感を同時に感じました。

●相場の格言に「もうはまだなり、まだはもうなり」というのがあります。
もう底だと思えるようなときは、まだ下値がある。その反対に、まだ下がるのではないか、と思うときは、それが底かも知れないという先人の知恵です。

●「もう」か「まだ」かという二者択一だけで、その人が否定的か肯定的かが分かるというのはどうみてもナンセンスではないでしょうか。むしろ、「もう」や「まだ」のあとに続く言葉や態度が問われるはずです
●たとえば、こうです。今年も1月が終わりました。あと11か月、その事実をどう考えるのかを例にしてみましょう。

「もう」の人たちはこう考えます。

「もう1か月が終わってしまった。時間がたつのはあっという間だ。この1か月で私たちは何を達成したか。何が問題だったか、そして残された11か月を最高にすごすにはどうすべきだろうか」と考え計画を作り、行動を開始します。

「まだ」の人の発想はこうです。

「まだ今年も11か月残っている。まだまだ始まったばかりだ。さあ、この新しい2010年で何を達成しようか」と考え計画を作り、行動を開始します。

この二つの場合は、どちらも目標志向で積極的です。

●その反対に、「もう」でも「まだ」でも、どちらにしたってうまくいかない人の考え方はこうです。

「もう1か月が終わってしまった。あと11か月しか残っていない。このままだと今年もあっという間に終わってしまうだろう。ああ、何て無駄な1か月を過ごしてしまったのか」となげく人。

「まだ今年も11か月残っている。大丈夫、まだまだ余裕。あわてなくてもなんとでもなるさ」と残り時間の多さをあてにする人。

経営者は「もう」も「まだ」も両方を使いこなしましょう

事実や現実はありのままを受けいれ、過去を引きずらず、たえず今日を出発点にして最善を尽くそうと考える姿勢こそが大切だと私は思うのです

2010年02月05日(金)更新

木の五衰について

●幸田露伴の随筆『洗心廣録(洗心録)』に、「木の五衰」(木がどのようにして弱っていくのか)が書かれています。

●まず第一段階として、木が繁茂してくると「懐の蒸れ(ふところのむれ)」というものが始まります。枝葉がふんだんに茂ったために風通しが悪くなり、蒸れはじめるのです。そうなると、酸素の代謝が悪くなり、害虫が付きやすくなるなどの問題が出始めます。

●その結果、木が伸びなくなります。これを「末止まり(うらどまり)」といい、成長がストップします。これが第二段階です。

●次の第三段階目では、「裾上がり(すそあがり)」が始まります。本来、木が成長過程にあるならば、根は深く広く伸びなければなりません。しかし、「裾上がり」になると、根が地表に出てしまい傷ついたり腐ったりします。

●裾上がりした木は根っこからではなく木の上部から枯れ始めます。これを第四段階の「末枯れ(すえがれ)」といいます。

●そして最後、「虫食い」の発生です。末枯れした木は害虫によって完全に枯れていきます。木が枯れるプロセスをみると、最初から害虫に食われて枯れたように思われがちですが、実際に枯れるまでの過程には、こうした段階があるのだそうです。以上が「木の五衰」です。

人間も企業も、真の実力は根っこの充実によるところが大きいものです。果たして、私たちは広く、太く、地表の奥深くに根をおろしているでしょうか。どこかで「末止まり」や「裾上がり」を起こしていないでしょうか。また、根っこ以外にも、枝葉をつけすぎるあまり代謝を阻害してはいないでしょうか。

●芽生えたての木が一日で大木になれないのと同様に、個人や企業が社会に認知される前には、「実力はあるが、まだ無名」という時期が必ずあります。そのようなときは、見てくれだけをよくして売名行為にうつつを抜かすのではなく、根っこの充実を図ることを忘れないようにしましょう

ボードメンバープロフィール

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武沢 信行氏

1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。

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