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2011年10月21日(金)更新

金策日記

●「お金がないということがどういうことなのかピンとこない」と五代目社長のAさん。
彼は生まれてから今まで、一度もお金に困ったことがないそうです。プライベートでも会社経営でもお金に困らないなんて、何とうらやましい。
私の場合、人生の半分はお金に困っていました。ですから、お金に困ったことがない人はいったい何に困るんだろうと思ってしまいます。
 
●親として、お金の苦労を子供にはさせたくないと考える人がいますが私はそれには反対です。お金に苦労させることは決して悪いことではありません。人の痛みや辛さが分かるようになるのです。
 
●あの坂本竜馬も、ずっとお金に困っていたという話を聞いたことがおありでしょうか?暗殺される直前まで、15両(約75万円)の金を友人に無心するほどいつもお金がなかったという記録もあります。
 
●竜馬は姉に宛てた手紙で「男が一年間暮らしていくには、どうしても六十両必要」と書いています。
一両の価値は時代によって変化しますが、幕末はおおむね一両が五万円程度でしょう。
土佐藩から支給される海援隊士の給料が月五両(25万円)なので、それで男は生活費トントンということです。
 
●維新回天の原動力となるほどの働きをした坂本竜馬ですが、ずっとお金には苦労していたとは意外でした。
彼が一声かければ、豪商や諸藩の殿様からいくらでも金が集められたように思えますが、それは幻想のようです。
 
●『龍馬の金策日記』(竹下倫一著、祥伝社新書)という本があります。
脱藩浪士の身分でありながら、いったいどのようにしてあのような東奔西走の志士活動が可能だったのか?特に資金面のことが気になっていた方にはおすすめの本です。
 
これを読むと、大変興味深い事実が幾つか浮かび上がってきます。
 
竜馬がゆく』で司馬遼太郎が描いた竜馬とはまったく別の、現実的な彼の一面が見えてくるのです。
 
いわく、
 
・脱藩時に竜馬が持参していた金は20~30両(100万円~150万円)。
かき集めた金とはいえ、せいぜい半年の生活費です。しかも案の定、脱藩四ヶ月後に竜馬は大坂でかなり生活に困窮していますし、飲まず喰わずの生活をしていた時期もあるようです。
 
・この時代は、刀が財産価値をもつようになっていました。実際、竜馬が持っていた刀も20~30両程度の価値があったとされ、それが質草になっています。彼が刀の柄を売ってしまったという記録も残っています。
 
・脱藩して一年近くたち、江戸で勝海舟に弟子入りしてからようやく生活が安定しましたが、それもつかの間でした。
 
・勝の海軍塾設立費用のうち、竜馬ら3名で50両をネコババした。それが発覚して「貸付金」で処理されましたが、結局返していないようです。
 
・新撰組の元になる「浪士隊」の最初の隊士候補メンバー12名に、竜馬の名前もありました。江戸デビュー当時の竜馬は剣術で名を馳せていただけに、竜馬が新撰組の局長になりうる可能性もあったのです。さすれば、維新はなかった?
 
・何をするにしても、まず概算費用を計算し、その調達方法も考えるという発想法は当時の武士には珍しい。竜馬はそうした発想法を、勝海舟から学んだようです。勝自身も若いころ、師から貴重なオランダ語辞書を借りてきて必死に二冊筆写し、一冊を売って30両得ているしたたかさをもっていました。
 
・今から思えば商売ベタの竜馬。亀山社中創立一年で65億円程度の武器取り引きを成立させているのに、斡旋手数料をまったく取っていません。せめて3%ほども取っていれば、2億円もの自己資金になったのに・・・。結果論ですが、後になって亀山社中は困窮し身売りしています。
 
●いかがでしょう。意外な竜馬の一面がこの本に綴られています。しかし、こんなことで竜馬の魅力が下がるわけではありません。
それどころか、人を魅了してやまない彼の人間力があったからこそ、資金的バックボーンが脆弱でも大業が果たせたのではないでしょうか。
 
 

2011年10月14日(金)更新

臨済の喝

●中国のある街で工場見学をした時のことです。
我々一行をご案内いただいた社長が、突如、大声で「オイ、こらっ!」と怒鳴ったのです。そのあと、作業員に近づき、「その右足、危ないだろうが。この台に乗っけて作業せんかい!」と身ぶり手ぶりを交えて真剣に叱っています。
 
「こらっ!」以外は全部中国語でしたが、その迫力に作業員の中国人男性も圧倒されているのが分かりました。
 
●工場見学を終えて会議室に戻るなり私は、「すごくよく通るお声でしたね」と水を向けてみました。すると、「あの作業方法ではいつか怪我をすると思い注意しました。工場の騒音の中でも私の声は一番よく通るから便利です。特に、教えたことと違ったことが現場で行なわれていると、たとえそれが静かな場所であっても、つい『こらっ!』と大声を出すのが私の流儀ですけど」とのことでした。
 
●ものごとを真剣に教えるときには、「大声で叱りとばす」という方法があります。
大声でその場で叱れる上司は貴重な存在です。感情によって大声を発するのではなく、相手の目を覚まさせるための一喝が大切なのです。
 
●一喝といえば。
中国唐代末の禅僧で後に臨済宗の開祖ともなる臨済義玄(?~867)。
彼の一種独特な指導法がのちに、ひとつのスタイルとして確立することとなりました。それが「喝」を用いた指導なのです。
「喝」とは、一瞬の大声を出すことですが、単なる大声ではありません。臨済は、修行者を指導する手段として、四種類の喝を使い分けていたというのです。
 
1.有時一喝如金剛王宝剣
 
ある時の一喝は、金剛王宝剣(こんこうおうほうけん)の如く。金剛王宝剣は堅く、鋭利であり、どんなものでも一刀両断にすることができるように、この一喝は、迷いや妄想を断ち切る一喝だ。
 
2.有時一喝如踞地金毛獅子
 
ある時の一喝は、据地金毛(こじきんもう)の獅子の如く。百獣の王で金毛の獅子が、地面にうずくまり獲物にとびかかろうとした姿は、底知れぬ威力を秘めて周囲を威圧します。このような一喝は、寄りつくスキもない威力をもった一喝なのです。
 
3.有時一喝如探竿影草
 
ある時の一喝は、探竿影草(たんかんようぞう)の如く。探竿とは、竿の先に鵜の羽根をつけたもので、水中を探って魚を浮草(影草)の下に集めて捕る魚具をいいます。つまり、相手の様子をうかがいながら一喝し、本物か偽物かをみる喝です。
 
4.有時一喝不作一喝用
 
ある時の一喝は、一喝の用(ゆう)を作(な)さず。これは自然のまま、何の造作も意図も加えない一喝。これこそ、無喝の喝ともいうべき最上級の喝と言われるものです。
 
●書物による求道や、道徳的戒律を求めない禅にあっては、悟りの境地を持つ指導者から発せられるこれらの「喝」こそ最高の教材であり、修行者の心に迫るものだったのでしょう。
言葉や文字で優しく教える指導法だけでは限界があります。そのとき、たった一言「か~つ!」と発すれば済むような部下や後輩を育成していくこともひとつの人材育成に関する指標になるかもしれません。
 

 

2011年10月07日(金)更新

“今”を大切にする

●2006年から日本でも「四半期配当」ができるようになりました。
ホンダなど一部の企業がさっそく導入し、証券会社では「四半期配当銘柄」を組み合わせたファンドを売り出すなど話題作りにも力が入っていました。その後、この話題はあまり大きく取り上げられることはありませんが、ジリジリと「四半期配当」を導入する企業が増えていくのではないでしょうか。
 
●日本企業は欧米に比べて中長期的な視点で経営を行い、目先の利益に固執しないのが特色とされました。しかしこれからは、徐々に変わって日本でも株主に対してスピーディな利益還元をする必要がありそうです。
四半期配当の導入は、すなわち長期の視点も押さえながらも3ヶ月単位で利益目標を達成し株主に還元するという、経営者にとっては厳しいチャレンジの始まりです。
 
●先日、ある経営者とこんなやりとりをしたのを思い出します。
 
「武沢さん、"400年存続できる会社を作る"というのを我社の企業目的にしたいのですが、どう思われますか?」と聞かれたのです。私は「あまり意味がないと思うよ」とお答えしました。
なぜなら、人間と同じで長寿であることそのものにはあまり大した価値がないと思うからです。「どれだけ生きたか」より「どのように生きたか」が大切なのではないでしょうか。
 
●400年後に会社があるかないかを気にしていては今がおろそかになります。長寿の会社は長寿を目標にしたのではなく、その時その時を真剣に生きた結果として長寿になったという、ただそれだけのはずです。
 
●倫理研究所の創設者である丸山敏雄氏は、次のようなことを述べています。
 
「修行でも習い事でも何でも、毎日続けるという目標を持つことは間違いだ。大切なのは、今日一生懸命やることだ」
 
●私も日刊メルマガを発行して11年になりますが、11年前に「よし今日からメルマガを11年間毎日書こう」なんてこれっぽっちも考えませんでした。
「今日、一本書く」ということに集中した結果に過ぎません。明日や明後日や来月来年のことは考えずに書いてきました。明日もそうするつもりです。
 
●やるべきことを今日やる。それは半年後、一年後を視野に入れて計画的にやるのでなく、この瞬間に完全燃焼する。日々全力を尽くす。今日が人生最後の一日だと思ってやる、そうやって今を大切にしていくことではじめて、うれしい明日がやってくるのだと思います。

 

ボードメンバープロフィール

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武沢 信行氏

1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。

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