武沢信行の「社長の学校・事始め」 | 経営者会報 (社長ブログ)
社長業を極めるためのカリキュラムについて、「日本的経営のリニューアル」という視点から紹介します
2011年08月26日(金)更新
師から弟子に
●江戸時代後半、明治維新の原動力となる若ものたちが各地で育ちました。各藩の公式学校とでもいうべき藩校はもちろん、私塾も人気でした。吉田松陰の「松下村塾」、緒方洪庵の「適塾」などが有名です。
●蘭(オランダ)医者だった緒方洪庵が大坂でひらいた「適塾」には12箇条よりなる訓戒がありました。その一条めが次のように、まことに厳しい。
「医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。ただただ自分をすてよ。そして人を救うことだけを考えよ」
●250通以上残っている洪庵の手紙の多くにも「道のため、人のため」と結ばれています。
もともと医師を志す若者を集めていたのでこのような訓戒が真っ先にきているのですが、やがて「適塾」の評判は日本中に広まりました。
なにしろ西洋学を志す人材が全国から1,000人も集まるようになっていくのですからネット社会の今ならケタ違いの数字になるはずです。
記録をみるだけでも、橋本左内、大村益次郎、箕作秋坪、大鳥圭介、福沢諭吉などなど、そうそうたる人材が適塾で育っていったわけです。
●「適塾」がなぜこれほどまでに人気を集めたのでしょうか。
人間・緒方洪庵の徳の高さもありますが、自由競争の魅力が若者を刺激したとも言われています。
「門閥制度は親の敵(かたき)でござる」と福沢が言い続けたように、身分や家柄を大事にする江戸時代にあって、「適塾」には身分などまったく関係ありません。自由な空気にあふれ、学問の実力だけが問われました。塾生たちは、喜びと興奮をもって学問を楽しんだことでしょう。
●「適塾」の新人塾生は、まず8級からスタートします。最初は語学(オランダ語)を学び、月に6回、「会読」と言って何人かが集まって蘭書を訳します。その出来不出来で学力を競い合い、等級がつけられるのです。
一級が一番上なのですが、各級ごとに「会頭」が設けられ、塾生全部を代表して「塾頭」を設けていました。実力が一目瞭然に分かる仕組みが若者を刺激したことでしょう。
●「適塾」は幸いにも現存します。
大阪市中央区北浜三丁目に重要文化財として公開されているのです。「適塾」はその後、発展解消して今の大阪大学になりました。
●「これ以上できないというほどに勉強もした。目が覚めれば本を読むという暮らしだから、まくらというものをしたことがない」と明治になって福沢諭吉が語っています。
入塾した年、諭吉はひどい腸チフスにかかって高熱にうなされました。命取りにもなりかねない症状だったのを見かねた洪庵は、「俺はお前の病気をきっと診てやる」と多忙な合間をぬって、毎日診察しました。これは諭吉青年にとって終生の思い出として語られることになります。
●洪庵にとって「道のため、人のため」は単なるスローガンではなかったようです。
生きた実践哲学ともいえるもので、弟子の高熱を治すために真剣に診療する洪庵の姿をみながら、諭吉たちも「道のため、人のため」を学問の目的にしようと固く決心したに違い
ありません。
師から弟子へ、親から子へ、上司から部下へ、経営者から社員へ・・。
受け継がれていくべき精神とはこういうものではないでしょうか。
★適塾 http://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/about/tekijuku
http://www.geocities.jp/general_sasaki/tekijuku-ni.html
2011年08月12日(金)更新
三人のコーチ
●某月某日、オフィスでビールを飲んでいました。
18時から21時まで、アポ不要。自分のアルコールかソフトドリンクとおつまみをご持参ください、というオープンオフィスイベントの日なのです。
●始まって間もないころ、ある販売会社のA社長が来られました。
「武沢さん、ちょっとご相談があるのですが、今よろしいですか?」
私は他の来客者にも目で確認しながら、「はい、この状況でもよろしければどうぞ」と言いました。
A社長はウーロン茶で口を潤し、おもむろに話し始めました。
●偶然ですが、同席したのはマーケティング関係のコンサルタントばかり3人。皆、だまってA社長の長い長いお話を最後まで口を挟まず聞きました。
彼の、相談というより状況説明は15分ほど続いたでしょうか。コンサルタントは我慢強く、表情も変えずに、相手に最後まで気持ちよく語ってもらう仕事です。とは言え、相談内容がどこにあるのか分かりづらい話を15分聞くのは相当な辛抱が必要でした。
●「・・・・・・・という訳ですので、ご意見をお聞きしたいのですが」とA社長。
要するに、ある輸入製品を売りたいのだが日本ではまだ市場がない。しかも自社は代理店の下の位の販売店という立場。できれば正規代理店になってメーカーと直接取り引きもしたい。だが、今の代理店とケンカはしたくない。どのような優先順位で行動すべきだろうか?ということのようです。
●この話を聞いていた3人が順に意見を述べていきました。
面白いことに全員の意見が異なっていたのです。
・一人目の意見。
あなたの「絶対成功する」という信念は大切だが、特定商品への思い入れだけが強いのは危険だ。
"市場に聞け"ということばがあるように、まずは営業活動に出向くことだ。その製品で売上げや利益を確保できるという見通しが持てるようになることが最優先の課題ではないだろうか。結果次第では、その製品ではダメだと結論づける事だってあり得る。決めるのはお客だ。
・二人目の意見。
気の毒だが日本での成功は大変むずかしい製品だと思う。今のあなたの話を聞いて、私自身が消費者になりたいとは思えなかった。お客のゴリヤクが何なのかを分かりやすく語れるようになることが、あなたの一番の優先順位ではないだろうか。また、今まで日本でこの製品がなぜ売れてこなかったのかをもっと調べることも大切だ。もっと冷静になって、あなたにふさわしい他の製品をさがした方がよいと思う。
・三人目の意見。
ユニークという意味でとても面白い製品を見つけてきたと思う。簡単に売れるとは思わないが、ある程度の市場が日本にもあるように思う。僕だったら、すぐにそのメーカーにアポをとって外国に飛ぶ。そして、こちら側の熱意とか希望を伝えに行く。メーカーの熱意も聞いてみたい。そして、安心して日本国内での販売活動が続けられるような供給体制やアフターサービスなどを確認し、販売計画をメーカーと共有してくる。
●三人目は売れると言い、二人目は売れないと言い、一人目は市場(お客)に聞けと、それぞれが違うことを述べています。
未知の商品だけに悩ましいところですが、私はこのときのAさんの態度が相談者として好ましいものではなかったと感じました。
●助言に対して議論してしまうのです。Aさんはこの製品を愛しているのでしょうが、自分にとって好ましい意見には耳を傾け、好ましくないものには反論する、という態度では他人の助言を冷静に聞くことができなくなります。
●しかしコンサルタントの三人はコーチング的なメソッドを持ち合わせていました。
誰一人感情的にならず、最後には彼が明日から何をすべきかを焦点を絞るための質問を発していったのです。
売れると思うか、売れないと思うか、という相談には主観で回答するしかありませんが、明日からどうすべきかという相談であれば質問で回答できるのです。
質問に答えながらA社長が自分で自分のことが分かってくる、それがコーチング的なメソッドなのでしょう。A社長にとって、お得な30分になったはずです。
2011年08月05日(金)更新
インディの銃
●ひとたびメガフォンを持てば子供のように無邪気に映画撮影に興じた黒澤明監督も撮影現場に行くまでは布団から抜け出るのが苦手だったようです。
「やる気が起こらない、サボりたい、なんて誰でも思うことさ」という言葉を残しているのです。しかもこんな言葉まで。
「ロケ先の宿屋で朝起きるとカーテンから首を出して "雨降ってたらいいな" なんてしょっちゅう思うよ。でも否が応でも現場に行けば、夢中になっちゃう、そんなもんだよ」
●この夏は節電の影響でどこもエアコンの設定温度が高くなっていますが、あなたは夏バテしていませんか。もし体調が悪ければ、無理してでもがんばろうとせず、思い切って臨時休養するか、もしくは体調が悪いなりの仕事をしたほうがよいでしょう。
●映画スターだって風邪をひきます。高熱で寝込んでしまうときもあるでしょう。そんなとき、ロケ地ではどうしているのでしょうか。
『インディ・ジョーンズ/失われたアーク』でハリソン・フォード演じるインディが、カイロの街中で恋人を追う場面があります。この収録の日、実は主演のハリソンはウィルス性胃腸炎にかかっていて、体調は絶不調だったそうです。
●監督のスピルバーグは迷いました。
「どうしよう。ハリソンを休ませるべきか? でも撮影を遅らせたくない」
その日の収録は、ハイライトシーンの一つとなる場面が撮られる予定でした。台本ではインディがムチを駆使して大刀を持つ敵と激しくバトルすることになっていたのです。
クレイジーな表情で大刀を振り回しながら迫ってくる悪漢。しかし、我らがインディには有名なムチがあります。だれが観ても、大刀対ムチの壮絶なバトルを予想する場面です。
●ところが肝心のハリソンの体調が悪いことから、スピルバーグは現場で急きょ台本を変えました。
体調に配慮してバトルをやめさせ、拳銃で相手を撃たせることにした。これがかえって観客の期待をはぐらす名場面として映画の評判を高めることにもなったそうです。
●できるものなら、いつも心身ともにベストコンディションで仕事をしたいもの。しかし、そうでない時だってあります。そんな時にはそんな時のやり方をみつけるのがプロなのでしょう。インディがムチではなく、珍しく銃で相手をやっつけたことから「インディの銃」としてこの教訓を胸にしまっておきましょう。
ボードメンバープロフィール
武沢 信行氏
1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。
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