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2011年09月28日(水)更新

アクバルとビルバル

●インド・ムガール王朝第三代皇帝アクバルは戦場で生まれました。
当時のインドは戦国時代であり、学芸に親しむひまがまったくない武人中心の時代でもあったようです。そのせいか、皇帝アクバルは学芸に関心が厚く、学者を尊敬していました。
 
側近にビルバルという面白い学者がいて、そのビルバルと皇帝アクバルとの逸話が沢山残されています。
 
●逸話その1
 
宮廷に国中の賢人を集め、壁に一本の線を引いて皇帝アクバルはこう言いました。
 
「誰か、この線に触れることなく、それを短くできる者はいないか?」
 
賢人たちは皆押し黙ったまま誰もできないでいました。そこへビルバルが登場しました。
 
ビルバルが行ったある行為を見て宮廷内はどよめきました。皇帝が出した問いの本質を見抜き、ビルバルがみごと正解したのです。
 
あなたならどうしますか?
 
●長い短い、大きい小さい、有名無名、大物小物、上手下手、うまいまずい、はすべて相対的なものです。絶対的なものではありません。
ですから、皇帝が出した「短くせよ」という問いに対しては、相対的に短くすれば良いだけです。
ビルバルは、皇帝が引いた線の横にもっと長い線を引いたのです。それが正解なのです。
 
●経営には絶対の世界と相対の世界があります。
たとえば、売上げや利益、社員数など定量化できるものはすべて相対の世界。他社との比較、過去との比較において上を目指すなども相対的なものです。しかし、相対だけを判断基準にしていては、いつまでも不安や恐怖から逃れることはできません。
 
●逸話その2
 
ある日、智者・ビルバルは皇帝アクバルにこう言いました。
 
「ウソと真実は9センチほどの差がございます」
 
アクバル「なに? 9センチと申すか」
ビルバル「さよう! 9センチでございます」
 
アクバル王「いかなるゆえに9センチと」
ビルバル「皇帝様、よ~くご覧になってお考えくだされ。なぜならば、皇帝様が人からお聞きになる話には、ウソも含まれておりましょう。すべてが真実ではございません。しかしながら、大王様がご自身の目でしかと確かめられたことは、すべて真実でございます。されば、目と耳の間隔がちょうど9センチですからそのように申し上げた次第です」 
 
こうした教訓を素直に実行した皇帝アクバルは、300年続いた悪税を大改正するなど、屈指の名皇帝になってゆきます。
 
●社長は是非とも、ビルバルのような存在を味方に引き入れたいものです。

 

2011年09月23日(金)更新

少林窟道場 参禅記

●某月某日、生まれて初めて座禅道場に行きました。それ以前にも我流で座禅を組んだことはありますが、本格的な道場に行くのは初めてのこと。しかも、一週間も道場にこもって座禅三昧の日々を送ろうというわけです。
 
●そのときの体験をここに書いてみたいのですが、料理の味を他人に説明するのが困難なように、禅の世界をかいま見た経験をどれだけお伝えできることやら。挑戦してみましょう。
 
●まずは周囲の環境から。
そこは、広島県竹原市忠海にある「少林窟道場」といいます。道元禅師の流れを汲む曹洞宗のお寺で、現・道場主は第五世・井上希道老師、71才(以下、「老師」という)。
 
●「決して大きな道場ではない」と道場のホームページにもありますが、22名まで収容できる「禅堂」と、仏間や執務室、食堂などの「衆寮」、参禅者が睡眠をとる「宿坊」などからなります。私には相当な規模に思えました。ただし、本当に山深いところです。
目の前には瀬戸内の海が、真後ろは山々が連なり、鶯の声や竹笹が風でそよぐ音色など、絶好の坐禅環境です。
 
●少林窟道場での日課は、「禅三昧」のひとことに尽きます。
 
午前5時 木版。暁鐘。
 
老師のお弟子さんの修行僧が木版を鳴らす音で目ざめます。その直後から鐘の音も聞こえてきますが、その時には洗面を済ませ、皆がすでに禅堂で坐禅を組んでいます。まだ真っ暗で、シーンとした静寂と冷気、それに線香の香りだけがあります。
 
午前7時 粥坐(朝食)
 
毎食後には老師による法話がある。短いと数分、長いと一時間を超えることもあります。食後、初参禅者は直ちに禅堂にもどり坐禅。二回目以降の参禅者は、適宜、作務(後かたづけなど)を行い、坐禅。
 
正午  斎座(昼食、法話)食後、初参禅者は直ちに禅堂で坐禅
 
午後6時 薬石(夕食)食後、初参禅者は直ちに禅堂で坐禅
 
夕食前後  逐次開浴(入浴のこと。入浴しない修行法もありますが、このときは一日おきに入浴させていただいた)
 
午後10時 開枕(就寝)
 
ただし、禅堂は24時間開いているので徹夜坐禅も可能。つまり起きている17時間のうち、食事時間と入浴時間、トイレ時間以外のすべてが坐禅となります。短くても一日14時間は坐禅なのです。
 
●到着した初日。さっそく修行者としての格好に着替える。道場着に袴すがたになって、老師の部屋に到着のあいさつに伺います。
 
そのとき、こんな予期せぬ注意事項を受けました。
 
「当道場において守ってほしい決まりがある。まず第一に、悟りを得ることが第一目的なので、それ以外のことで無駄な我慢や遠慮をしなくても良い、ということだ。たとえば坐禅中に足が痛ければ崩す、眠くなれば好きなときに好きなだけ寝て良い。腹が減ればいつでも食堂にはお茶菓子が用意されておる、という具合だ」
 
「ほぉ~。そんなに自由でもよろしいのですか?」
「心の自由自在を求めて参ったはずのあなたが、それを得るために不自由な思いをしていては本末転倒ではないか」
「なるほど」
 
●「注意事項の二つめは、すべての時間が悟りを求めての修行であることを決して忘れない。歩くときには歩くことに徹し、放尿にありては放尿に徹し、咀嚼にあってはただ咀嚼する。そのことになり切り、気持ちを他のことに外してはならない。心身一如になることだ。そのためには、何ごとにおいても道元禅師が言われる『薄氷を踏むが如くすべし』である。普段の生活のスピードの十分の一で行動することを忘れないでほしい」
 
「十分の一ですか。わかりました。そのようにいたします」
 
●だがさっそく初日の薬石(夕食)の時、老師から
 
「武沢さん! あなた外してるよ」と食事中に大きな声で叱責を受ける羽目になりました。手を伸ばし、おかずをとりに行くときの行動が心身一如になっていないのを見破られたようです。おかずをとるのなら、只とることに無我夢中になっていなければならないのに、私は他のことにも心を配りながらとりに行っていたのです。
 
●足が痛くなれば伸ばして構わないし、片膝ついた坐禅もOK。もちろん、イスOK、立つOK、歩くOK。他人に迷惑さえかけなければ、NGはない。大切なことは、姿勢ではなく全力で今のこの一瞬に気持ちを集中させること。そのためには、呼吸するだけの自分になりきることだ。よって、姿勢などなんでも良いということになるのです。
 
●少林窟では、「初めて坐禅をやろうという人は一週間確保すべし」と原則で指導にあたっているそうです。
たしかに、私も最初の3日目や4日目までは、雑念妄想ばかりが頭に浮かびました。仕事のことをはじめ、いろいろな考えが頭を去来し、時にはそれにしばらく取りつかれている時もありました。
 
●呼吸のひと息ひと息を明確に行い、それに意識を集中するよう指導され、真剣にそれを守ります。しかも定期的に腰を左右にゆっくり捻る、という老師特有の指導法により、雑念が長時間頭の中に居座ることがなくなっていきます。
 
●疲れがピークに達する5日目あたりから、不思議なことだが頭の中が空っぽになりはじめるのです。あたかも、脳が思考停止に陥ったように反応が鈍くなるのです。
そうなると、呼吸にだけ集中している自分がいます。周囲に修行者仲間がいたことすら忘れ、完全に没頭し、無我になっているのです。
 
●自分と呼吸が一体になることで、自分を捨てることが可能になるのでしょうか。
ドラッカーが「革新の鍵は捨てること」と語っているように、禅の悟りにおいても自分を捨てる、忘れることが大切なのです。
 
●「あなたはネットで情報を発信されるお仕事らしいが、これからもメールにありてはひらすらメールを。講演にありてはひたすら講演を。心身一如を忘れずに取り組みなさい」
とのアドバイスを受けました。
ご指導いただいた老師に対して、お礼のお辞儀を深々とした瞬間、急に激しくこみあげてくるものがありました。その様子をみて老師はひと言、「さあ、行きなさい」。

 

2011年09月16日(金)更新

テストと考査

●変化するとは、今の上に新しく何かをトッピングすことではありません。
いったんゼロにすることであり、いったんやめること、いったん忘れることから始まるものです。
 
●より良い話し方をマスターするとは、表面的な技法を身につけることではなく、話し方を根本から変えることです。同時にそれは、生き方を変えることでもあると教えられたのに、そのことに気づかなかった私はかつて大失敗しました。
 
●「日本話し方センター」の故・江川ひろし先生の講座を受けたときのことです。初日の研修が終わろうとする時に宿題が出ました。家に帰って、明日までにやってくるものです。
今日の講座でどの程度学んだかをチェックする目的で、テキストやノートを見ても構わない「考査」というもので、学んだ通りの表現や言葉を使って回答するものです。
 
●「なんだ、簡単じゃないか」出題を見て、私は安心しました。どこかでなめてしまっていたのでしょう。受講者仲間とファミレスでハンバーグを食べながらその場で片づけてしまいました。
 
そして、翌日の午後、結果発表がありました。
 
●「成績の良い順に答案をお返しします」と事務局。
私は、自分が首位で100点満点だと信じていたのですが、事務局は、「トップの方は、山本太郎さん。88点です」と言いました。我が耳を疑いました。
「あれ?」自分の名前ではない。しかも88点ではありませんか。
 
●「二番目の方は85点で須藤ちか子さん」、「三番は81点の松木順さん」・・・・。
あれあれ~、全然私が呼ばれない。最初は何かの間違いだと思っていましたが、だんだん自信がなくなり放心状態になりかけたとき「24番めのかたは、武沢信行さん。43点です」
 
●33人中24番。
 
江川先生から答案用紙を受け取り、席へもどりました。身体が火照っています。答案用紙は×だらけ。これが「考査」というものの恐さだと思い知りました。
 
●他の生徒たちは、テキストの表現や講座中の板書メモに沿って忠実に回答していたのに、私は、自分の言葉づかいで回答していました。いわゆる「テスト」だったら高い点数が取れたのかもしれませんが、「考査」ではそれが通用しないのです。
 
●この出来事を通して私は、学ぶことにも二種類あるのだと思い知らされました。
一つは、主旨を理解する学習法。もう一つは、学んだことをそっくりそのまま再現できる学習法。
 
●主旨を理解すれば充分な学習もあるでしょう。しかし、主旨の理解だけではダメな学習もあるということです。
むしろ、自分の経験をもとにした過去の知識はかえってジャマになることもあると気づかされました。
 
何かを学ぶときには、積極的に過去のことを忘れましょう。一時的でも構わないので、とにかくまったく知らない人になって素直に学ぶことが求められることがあります。
謙虚で真摯な学習姿勢が、変化と成長の原動力になるのだと教えられた一日でした。
 

2011年09月09日(金)更新

相づちを我慢せよ

●相手を黙らせたかったらずっと無視するか、あるいはその逆に、「うん、そうそう」とヤケに軽く相づちを連発すれば良い。そうすれば、相手はやがて話をするのをやめるでしょう。
 
●営業の現場でも同じです。相手のお客さんから断られたければ、何を言われても関心なさそうに無視しているか、何を言われても「はい、はい、はい」と言いながら軽く相づちを打っていればよいのです。
 
●某月某日、ある社長から寿司屋にさそわれました。部下を連れています。
 
社長は私にこう言いました。
 
「武沢さん、ここにいるA君は私にとって期待の新人だ。新人とはいっても年はいってるがね。今年30かな。今日は武沢さんから直接仕込んでやってほしい。酒に説教に、両方ガンガンやってほしい」
 
●「へぇ、そうなの」と言いながら、自然なかたちで営業の話をはじめました。
 
A君が営業先で一番心がけていることは、お客様の話をとことん聞くことだそうです。それは間違ってはいません。
しかし私は、A君がウソを言っていると思いました。彼はお客さんの話をとことん聞くような人間には見えなかったのです。それどころか、お客さんのことなどあまり関心がないように思えたのです。
 
●その証拠は、相づちの軽さ。
 
私がまだ話しはじめたばかりなのに、「ええ、はい。はい。ええ」と、さかんに相づちを連発するのです。
「本当にあなたわかっているの?」と念を押そうとすると、私の言葉が消え去る前から「はい」と即答します。
 
これはきっと彼の「癖」なのでしょうが、まるで話をさえぎられたように思えるのです。これでは営業がうまくいくわけがありません。
 
●私は "新人君" にショック療法を試みました。
 
「ねぇ、あなた。仕事の話はもうよしましょう。握り(寿司)も出てきたことだし、あなたは仕事の話より食べることの方がいまは先決でしょ」
 
彼は、キョトンとしながらも
「え、そんなことはありません。お話しをうかがいたいです」といいます。
 
●そこで私は彼にこう忠告しました。
 
「あなたの聞く姿勢は、話を聞きたい人の態度ではない。人の話を全身全霊込めて聞く練習をすべきですよ。相手の話が終わるまで注意深く聞くこと。決して話の途中で意味を早合点してはいけないし、 "はい"とも "いいえ" とも言ってはならない。それどころか、同意を求められてもいないのに、話の途中でうなづくのもやめるべきだ」
 
● "新人君" は、その瞬間凍り付いたように固まりました。笑みも消えさりました。
 
私は続けました。
 
「相手のお客さんは、一人一人が固有の存在です。だから過去にあったどのお客さんとも人間とも違う人なのです。だからどのような考え・要望・問題をもっているのかは、あなたの過去の記憶のデータベースにはないと思うべきです。当然ながら、真剣に真剣に相手の話しを聞かねばならない」
 
●彼はさっきまでとはうって変わって相づちもなく私の話を最後まで聞いてくれました。たったそれだけのことで彼の好感度は倍増したのです。
 
「私の話を真剣に聞いてくれている」と私は感じるようになりました。
 
気分がよくなってきた私は、調子に乗って彼に助言をおくり続ける。
 
「会食中の話し合いだから大っぴらにノートをとるのは野暮だが、アドバイスをもらいながら何一つメモをとらないのは野暮以上の"失礼"にあたる。そんな時は、ポストイットか何かの小さいメモ用紙にメモするか、お手元袋の裏にメモするんだ。とにかくメモしていれば、相手はドンドンしゃべってくれる。相手が饒舌になればセールスは必定、うまくいく」
 
●彼は相づちと返事を我慢するというその一点だけで好感度が上がったのです。あなたの会社の営業マンはどうでしょうか?
 
質問上手になろうと、たくさんの質問をするのは結構ですが、答えを聞く姿勢がなっていません。人の話を真剣に聞く術(すべ)をもっと磨こうではありませんか。

 

2011年09月02日(金)更新

“脳”を良くする習慣

●少しずつ脳のメカニズムが明らかにされつつあります。それにつれて、私たちも脳(つまり自分自身)と上手に付き合っていく術がわかってきました。
 
「頭が良いという状態ではなく、脳が良いという状態をめざしたい。脳が良いと、知的能力だけでなく、運動能力や健康維持能力も高まるからだ。そのためのちょっとした習慣や考え方を利用すれば、誰だって何才からだって簡単に脳の良い人になれる」と説くのは、『バカはなおせる』の著者、久保田競教授です。
 
●著者によれば、脳にとって良い習慣と悪い習慣というものがあるそうです。脳幹のなかには腹側被蓋野(ふくそくひがいや)という大変重要な領域があり、ここが働くと「脳内麻薬」とも「やる気の源」とも言われる「ドーパミン」が分泌される。つまり腹側被蓋野が活発に働くようになるそうです。それが脳に良い習慣であり、その逆が悪い習慣となるというのです。
 
●昔からドーパミンは "やる気ホルモン" として注目されてきましたが、その好影響はそれだけでは済まないこともわかってきました。ドーパミンは、運動時のスピード、力、手足の器用さや俊敏さ、考える力や集中力、決断力、記憶力にまで良い影響を及ぼすことがわかってきたというのです。
 
●問題は、どのようにすればその腹側被蓋野がよく働くようになるかです。その答えが実にシンプルでうれしいものだ。
 
「快感を起こす刺激は全部脳に良い」というのです。
 
●サルを使った実験では、おいしいものを食べることが最高に脳に良いという結果がでたそうです。サルにとっての最高の報酬は食べ物ですが、人間にとって最高の報酬はお金ではないかと著者は指摘しています。
 
●また、スポーツの後、シャワーで汗をながしているときの爽快感はたまりませんが、実は、"何か行動をする"だけでも腹側被蓋野は働きだすともいいます。運動すること自体が脳にとても良いというのも新発見ですね。
 
●最新の脳科学原則による結論その1は、
「お金を得ておいしいものを食べて気持ちよいと感じることをやりまくる」ということが、脳が発達し、知力も運動能力も高まるという結論です。
 
●ではその逆の生活をおくるとどうなるか。
たとえば禁欲生活する。断食し座禅瞑想して頭も身体も動かさない、といったライフスタイルをおくると脳に良くないそうです。しかし、禁欲や断食によってかえって腹側被蓋野が働いて気持ちよくなる人もいるので、個人差があるのかも知れません。
 
●ここで、久保田教授は興味深い実験結果を紹介している。
 
サルに対して、キーを叩いたごほうびとして、腹側被蓋野を電気刺激してやる。サルはやる気が出て気持ちよいことだろう。そうしておいて、サルが空腹になる時間にエサや水をやる。その時、サルはどうするか? エサや水をとるか、はたまたキーを叩き続けるか?
 
「サルは、エサや水に見向きもせず、キーを叩き続ける」という結果がでました。
 
●一日に何万回もキーを叩き続け、空腹のはずなのに食べ物には興味も示さないという。サルにとって最高の報酬であるはずだった「食べ物」よりも上位次元にくる歓びがあったとは驚くばかりの結果ではありませんか。
 
●結論その2.
好きなことをやることと、体を動かすことをふだんの生活に取り入れること。
 
●結論その3.
生活習慣病は脳にひどく悪いダメージが及ぶ。脂肪が気になりだしたら低カロリー食をおいしく食べ、軽いジョギングなどの運動習慣を取り入れよう。それが脳をリフレッシュさせるといいます。

 

ボードメンバープロフィール

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武沢 信行氏

1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。

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