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2006年09月29日(金)更新

経営のプロになろう

●いわゆる“養子社長”と話し合う機会がありました。奥さん方の姓を名乗り、奥さんの父親が経営する会社の役員になり、やがて社長になったそうです。

●家庭内でさえ気苦労の多い立場に加えて、企業内でも養子の立場がついて回り、従業員もそうしたリーダーの出現に対して、お手並み拝見とでもいった形で傍観する……。そのやりにくさは、容易に想像がつきます。

●しかし、私の知るかぎり、こうしたケースが決して悪い結果につながるわけではありません。むしろ、養子の立場だからかえって甘えがなく、責任ある経営をする例が多いのです

●実の父親の会社を継いだ息子が、「会社の資産=家族の資産」と考えやすいのに対し、養子社長は経営を私物化するようなマネはできません。先代社長が存命であれば、なおのことです。

●そういえば、江戸時代末期において、名君と誉れが高かった大名にも養子が多いようです。越前の松平春嶽、会津の松平容守、土佐の山ノ内容堂、宇和島の伊達宗城、長岡の牧野忠訓など、積極的に大名たらんとすることを欲した者はすべて養子でした。

●「俺は大名としてお家のために足跡を残すのだ」という気概が、養子大名には強かったのでしょう。これに対して、世襲の大名で聡明な働きをしたのは、薩摩の島津と佐賀の鍋島くらいでしょうか。

●養子社長と話していて気づくことは、経営成果に対する責任感がオーナー社長以上に強いということです。具体的には、株主配当を支払う責任であったり、株主総会で納得のいく経営経過報告や今後の見通しを発表する責任などです。

●第三者に対する経営責任を負う立場の社長は、無意識のうちに、透明性・納得性の高い経営を志すのです。

●サラリーマンから出世して社長になったという場合も、養子のケースと似ているかもしれません。あるサラリーマン社長は、旅費規程で定められているにも関わらず、グリーン車に乗ったことがなく、新幹線はいつも自由席だとか。せめて指定席に、と私などは思うのですが、「株主のために無駄な経費は使えない」と言うのです。

●私は、オーナー企業の養子になることや、サラリーマン社長を薦めているのではありません。立場が違うと、責任感や経営への考え方は変わってくる、ということを言いたいのです。

●社長になったからには、株主のために、経営のプロとして2年契約を交わしたつもりで会社のありようを見直しましょう。プロ野球の監督のように、優勝請負人として手腕を買われたつもりで組織全体を見直しましょう。

●会社すべてが自分の所有物ではなく、経営資源の運用を託されたプロとして経営を考えることの大切さを、改めて強調したいのです。

●社長というポストは永遠のものでなく、リストラ対象から免除される聖域であってはなりません。結果が出なければ自分を解雇する、という覚悟が社長には必要なのです。