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2008年03月11日(火)更新

俗交から素交へ

●関ヶ原の合戦前に、大谷吉隆が盟友の石田三成に宛てた手紙が残っています。要約すると、こんな内容です。

――最近の君は金を大切にしすぎだ。人にも金さえ与えれば何とでもなると思っているのか、家人(家族や部下)にもことごとくそうしているように見受けられることから、甚だしい心得違いをしているのではないだろうか。

主人が貧しい時は、自然と礼儀をわきまえ、人を尊ぶから、家人もそれに応えてくれる。だが、主人が豊かになり気前もよくなってくると、部下は「働いているのだから、これぐらいもらって当然」と思うようになる。

はじめは、その家に望みをいだいて来た者も、主人がそうなってくると希望を見失い、貧しいが礼儀厚かったころよりも働いてくれなくなるものだ。

●とても400年前の戦国武将の手紙とは思えない、現代にも十分通用する忠告ではないでしょうか。

●たとえば、この手紙にある「主人」は「経営者」と置きかえることができます。経営者は、まず人間として一人ひとりの社員を尊重しなければなりません。言い換えれば、尊重したくなるような社員を採用すべき、ということでもあります

●また、中国・周の時代を生きた劉峻という思想家が、「広絶交論」という論文を書いています。それによれば、そもそも人間関係には「素交」と「俗交」の二種類があり、「素交」とは裸の交わり、つまり人間の地の付き合いを指し、「俗交」とは何らかの利益を期待した交わりのことだそうです。
●さらに「俗交」にも5種類あり、次のようなものがあります。

◇「勢交」:相手の勢い、勢力を期待した交わり
◇「賄交」:儲かる相手とつき合う、金を出させるといった、金銭を期待した交わり
◇「談交」:自分の名声を上げられる、自己宣伝を期待した交わり
◇「量交」:相手の景気次第で、態度を変えるような交わり
◇「窮交」:首が回らなくなったときの、援助を期待した交わり

●会社の採用活動で出会った社長と社員に例えるなら、その一番最初の出会いそのものは、すでに「俗交」の色合いが濃いものです。ですが、資本主義社会の中で、「素交」だけを賛美して「俗交」を拒否していては、劉峻のように次々に絶交する羽目になり、ついには友達が誰もいなくなってしまいます

●だからといって、ビジネスだからすべて「俗交」で良いんだと割り切ることもできません。大切なのは、「経営者と社員」「会社と顧客」の関係を「素交」に近づけていく努力です。そのためにも「俗交」と「素交」、この言葉はぜひ覚えておきましょう。