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2008年09月01日(月)更新

誰よりも常識的でありたい

古今東西、成功した人はそのキャラクター性の一部として、「熱」とか「狂」という要素を持ち合わせていました。それは、次のような名言にみることができます。

・「思想を維持する精神は狂気でなければならない」(吉田松陰)
・「熱狂せずに作られた偉大なものは何もない」(エマーソン)
・「結果というものにたどり着けるのは偏執狂だけである」(アインシュタイン)
・「大切なのは熱狂的状況を作ることである」(ピカソ)

●我々はこうした名言を100でも200でも探してくることができるでしょう。ですから私は、過去に「狂気を持とう」「熱を帯びよう」という話を何度もしてきました。その必要性をますます感じる今日この頃ですが、なかには誤解もあるようです。

●最近、ソフト開発会社を経営している人にこう言われました。
「武沢さん、うちには挨拶とかマナーとかが苦手な社員が多いのです。たとえば服装ひとつをみても、カジュアルを通り越してだんだんだらしない雰囲気になりつつあり、何度注意をしてもすぐに崩れてしまいます。ですが、そんな彼らも仕事の面ではすごく有能だし、付き合ってみれば楽しい仲間なので、しつけは諦めるしかないかなと思ってしまうのです」

「え、諦めちゃうのですか?」

「だってかわいそうだもの。最近の『がんばれ社長!』でも狂気とか熱狂が大事とありますし、別に挨拶くらいできなくても仕事が人一倍できればそれでいいか、と自分に言い聞かせているのですよ」
●残念ながらこの社長は勘違いしておられるようです。
「狂気」とか「熱狂」とは言っても、それはあくまで仕事ぶりの話であって、決して人間性の話ではありません。マナーが悪いとかルールを守れないということは人間として常識をわきまえていないということです。これを許してはなりません。

●「思想を維持する精神は狂気でなければならない」と最も自分に狂気性を求めていた吉田松陰ですら、「他人から見てどんな人間でありたいか?」と友人に聞かれたときには「誰よりも常識的で、むしろ貴婦人のように慎ましやかでありたい」と答えています。

「狂気」や「熱狂」が大切なのは、その思想・アイデア・行動のことであり、態度や立ち居振る舞いのことではないのです