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2009年04月03日(金)更新

誘惑を乗り越える

自らの才能を活かすか殺すかは、誘惑に対処する力の有無で決まります。なので、経営者は誘惑に負けるようではいけません。正しく言えば、自らを誘惑してはならないし、その誘いに乗ってはいけないのです。

●「習慣は第二の天性なり」という格言があります。英語にも“Custom is another nature.”とか、“Habit is a second nature.”といった表現があることから、この考え方は万国共通なのがわかるでしょう。

●イギリスの軍人であり政治家でもあったウェリントンは、「習慣は性質の10倍の力を備えている」という言い方をしました。習慣の力は偉大なものであり、良き習慣を身につけ、悪しき習慣を排除する力をもつことができたら、人間はたいていのことが出来るというのが真意でしょう。

●かつて、横綱・貴乃花が幕内に上がって間もないころ、「ここだな発想」を自分に言い聞かせていたと言います。これは、稽古が厳しくてついつい休みたくなったときに、「自分の殻を破るのは“ここだな”と自分に言い聞かせ、もう一番ぶつかっていく気力をふりしぼったそうです。

●やるべきときには脇目もふらずに真剣にやれる力が重要であり、それを習慣の一部にしてしまえば無敵だということです。
●吉田松陰も、異性としての女の人を一生しりぞけたそうですが、司馬遼太郎の「世に棲む日々」では、エピソードのひとつとして、次のように紹介されていました。

●ある日松陰は、書見台で四書五経を素読していました。ところがやがて若き血が鬱積し、性衝動が高じてくる自分に気づきます。(その後の彼の行動は、私から見れば常軌を逸しているのですが、)そのとき松陰は小刀で自らの股を切って血を抜き、懐紙でぬぐったあと何事もなかったかのように、読書に励んだそうです。

●常人なら誘惑に負けるか、集中力がそがれて休憩するようなところを、松陰や貴乃花は超越していったのです。これこそ習慣の力であり、第二の天性でしょう。

●また、広辞苑によれば、誘惑とは「人を迷わせて、悪い道にさそいこむこと」とあります。しかし、人を誘うばかりが誘惑ではありません。私などは自分が自分の誘いに乗ってしまうことがあります。たとえば、

・気分転換といいつつも、ネットゲームに熱中して3時間を浪費
・ちょっと昼寝のつもりが、4時間爆睡
・帰り道に軽く一杯、といいつつも、帰宅したときは酔っぱらい

などです。

●このようなことがあるからこそ、「人間くささ」があっていいのかもしれませんが、誘惑に負ける人はほぼ確実に「人間くささ」を言い訳にするので、注意したいところです

●さらに、別の視点からみてみましょう。遠藤周作はこのように言っています。

「情熱を持続するには危険が必要なんだ。恋愛の情熱がさめるのは安定した時であるのと同じように、人生の情熱が色あせるのも危険が失せた時だよ。革命はまだ危険という油を俺達の情熱にそそいでくれる」

情熱的であるためには、絶えずある程度の危険や革命という要素が必要ということでしょう。

これらの情報を総合すると、つぎの三つの法則が生まれます。

・情熱の不足が誘惑を招く
・危険(リスク)と魅力ある仕事が、誘惑からあなたを遠ざける
・危険と情熱は正比例し、情熱と誘惑は反比例する


ではまた次号で。