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2010年04月30日(金)更新

勘当されても親孝行

●自分のイスがいつも誰かに脅かされているような社長は幸せです。何があっても社長の座は安泰という会社は不幸せです、というお話しをしましょう。

同族経営をしているA専務との会話。

A:「武沢さん、ちょっと聞いて下さいよ。うちの親父がまだ私に社長の座を渡そうとしないんですよ。私が専務になって今年で20年目だ」
武沢:「なんと、すごいですね。今年で専務は何才になられるのですか?」
A:「私が59才で父が85才になる。来年になれば私も赤いチャンチャンコですよ。さすがにこの年まで来ると、もう開き直ってきて、親孝行になるのなら、ずっと社長には社長のまま一生を全うしてもらいたいと思っているのです。何なら私が社長にならなくても、次は私を飛び越して息子に社長をやらせても良いと思っている」

●達観した専務ですが、リーダーとしてもの足りなさを感じました。

儒教的な教えでの親孝行とは、親よりも長生きをすることであるとか、親が喜ぶことをする、悲しむことをしない、と教えられるでしょう。
ですが、親が喜ぶとか、悲しむということをどのように理解するかがポイントなのです。
「親が喜ぶのなら、ずっと親父に社長をやらせておいて」というA専務は本当に親孝行なのでしょうか? 私は否だと思います。
●「よいか、よ~く聞け。父上を討つ」と腹心の部下に宣言し、自らの父・信虎を追いやって当主の座についた若き武田信玄。
「父上よりも私のほうがうまくやってみせる」という気概あるリーダーの存在こそお家の宝ではないでしょうか。敬意を表しながらも先代を退場させることが子供の役目なのです。

●武田信玄のクーデターは、下克上の戦国時代ゆえ許された行為でしょうか。資本主義経済、自由主義経済というのは法のもとでの下克上戦国時代そのものではないでしょうか。
そのような意味で、社長の座を虎視眈々と狙う副社長や専務のいる会社は幸せです。

●孟子は、親不孝の定義として次の五つをあげています。

1.立派な手足と体があるのに怠けて父母への孝養をかえりみない者
2.博打をうち、酒ばかり飲んで父母への孝養をかえりみない者
3.欲が深くて自分と妻子にのみ金を使い、父母への孝養をかえりみない者
4.聞きたい見たいとレジャーばかりにうつつをぬかして、父母を辱める者
5.いきがって喧嘩ばかりして、父母に心配ばかりかけている者

●一方で孟子は、父と子が正しいことを求めて議論し、その結果子が親に勘当されて外へ行き、親孝行ができなくなっても、それは親不孝に当たらないといいます。

(『孟子』離婁章句 下三十一より)

親に勘当されても親不孝にならない事がある、とはすごい定義ではないでしょうか。もちろん、親しき仲にも礼儀ありで、礼節を重んじることは大切ですが、子が親を乗りこえねばならない時があるのも事実なのです。