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2010年06月18日(金)更新

ある牧師の祈り

●数年前のことですが、中国の上海から杭州まで白タク(無許可営業のタクシー)に乗ったことがあります。ワンボックスカーに総革張りのシートで、ほとんど新車でした。私を呼び止めた営業の中年女性は片言の英語を話しましたが、彼女自身は車に乗り込みませんでした。運転手は中国語しか話せない中国人男性でお客は私ひとり。本当に杭州へ連れて行ってくれるのか心配になりました。

●お金を節約するためにこんなハラハラドキドキするなんて馬鹿だったと後悔しましたが、車は猛スピードでどこかへ向かっています。また、そんなときに限って道路案内標識がなかなか現われません。ますます不安が募り、私は心のなかで「神様、お助け下さい」と祈る気持ちになりました。

●すると5分もしないうちに急に眠くなり、ウトウトしはじめました。
そのウトウトの瞬間、不思議なことに20年前に聞いたキリスト教の牧師のメッセージが思い出されました。

その牧師は、まだかけ出しの頃とても貧しかったそうです。信者からの献金や献品で辛うじて糊口をしのいでいましたが、布教活動するための自転車がありませんでした。徒歩による宣教活動だけでは限界があります。そこで牧師は神に祈りました。

「神さま、あなたの栄光を表すために私は自転車を必要としています。どうか、自転車を私にさずけて下さい。アーメン!」

●一ヶ月たち、二ヶ月たち、とうとう半年が経過しました。それなのにいっこうに自転車が手に入りません。その牧師は神様に確認する意味もこめて、こう祈ったそうです。

「神さま、私は全時間をあなたに捧げています。でも自転車がなくて毎日の活動はとても不自由を感じています。もし、御心にかなうならば一日でも早く自転車を私に授けてください。それとも、私の活動は御心にかなわないのでしょうか?」

●すると、そのときは神から返答が来たそうです。

「あなたの祈りは毎日聞いている。あなたの願いをかなえてあげたいとそのたびに思う。だが、いつもあなたは"自転車が欲しい"としか言わない。私はどんな自転車をそなたに授けてよいのか分からないのだ。もっと具体的に祈ってくれ」

●牧師は「そうかぁ、しまった。私が浅はかだった」と反省し、祈り直しました。
「色は銀色で、サドルは黒。それに大きめの買い物かごがついていて・・・」

自転車の色や形、大きさ、カゴの色とか荷台の形状、ハンドルのデザインなど、具体的にして祈ったのでした。

●翌日、教会清掃のボランティアの婦人が乗ってきた自転車をみて牧師はビックリしました。祈ったとおりの自転車がそこにあり、思わず「アッ」と声が出てしまったといいます。

しかもそのボランティア婦人は、牧師にむかってこう切り出したのです。

「先生、これは先月自分で買ったばかりの自転車なのですが、最近主人が私の誕生祝いにスクーターを買ってくれましたの。不要になってしまったのですが、もしよろしかったら、先生が役立ててくれませんか?」

牧師は絶叫しました。 「ハレルヤー!!」 と。

●祈りは具体的にしないといけないよ、という牧師のメッセージでした。

20年前のその説教が、なぜか中国の高速道路で思い出されたのです。

目が覚めた私は「そうだ、目的地をもっと具体的にしよう」と思い、ふたたび運転手の彼に目的地を書いた紙を手渡しました。

「杭州站」(杭州駅)

すると彼は、
「明白了」(ミンパイラ、「分かりました」)と言ってくれました。
かなり時間はかかりましたが、そのやりとり以降は不安も消えて、純粋に窓外の景色を楽しみました。

●白タクには二度と乗りたくありませんが、期待を明確にするという癖はその珍事以降さらに強まったように思います。