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2011年02月25日(金)更新

ぜんざい屋

●歴史のifには興味が尽きません。

もし日本があのときアメリカと戦争していなかったら・・
もし織田信長が本能寺で討たれていなかったら・・
もし坂本竜馬が土佐を脱藩していなかったら・・
もし私が彼女(彼氏)と出会っていなかったら・・

まったく別の歴史になっていたことでしょう。

●もし松下幸之助氏が松下電器(パナソニック)を設立するのではなく、町のぜんざい屋でもやっていたらどうなっていたでしょう。
おそらく氏は、"経営の神様"と称されるほどの経営者になっていなかったはずです。
実は松下さんは、ぜんざい屋をやろうと真剣に考えていたときがあるのをご存知ですか。

●大阪電灯に入社してまもなく、氏は肺尖(はいせん)をわずらいました。兄も姉も結核で亡くなっていました。結核予備軍ともいわれる「肺尖」を言い渡されたとき、氏は「ついに自分も来るべきものがきた」と覚悟し、悲観したそうです。
「仕方ない。殺すなら殺せ」と開きなおり、それによって心が安定したそうです。やがて病気の進行も止まり、大阪電灯を退職して独立することを決意しました。

●「商売をやろう」という氏の動機は、体が弱かったからです。当時の電灯会社は日給制度。体の弱さのために会社を休んでいては収入が不足します。なにか小さい商売でもして、自分が休んでも家内がやってくれる商売が良いと考えたそうです。

「自分は酒は飲まないが、甘いものが好きなので、ぜんざい屋を家内とやろう。ぜんざいだったら夫婦でやれる」

●そんなころ松下さんは、二股ソケットを考案したのですが会社にそれが採用されず、自分で電気器具の製造をやろうと決断しました。退職金と貯金をはたいて大正7年、23才の時に独立。住居兼工場での旅立ちでした。それが今日のパナソニッックです。もし、すんなりぜんざい屋になっていたらどうなっていたことでしょう。

・もし松下さんの体が丈夫だったら?
・もし松下さんがぜんざい屋をやっていたら?
・もし松下さんが考案したソケットを大阪電灯が採用していたら?

歴史のifには興味が尽きません。

●あなたも今、歴史のど真ん中にいます。

あなたはいま「ぜんざい屋」をやっていませんか?
あなたはいま「大阪電灯」につとめていませんか?
あなたはいま「松下電器」を経営していますか?