大きくする 標準 小さくする

2012年06月22日(金)更新

工藤社長の逆転勝利

●「おたくはそんな事も出来んのか?」と言われた。
 
客先の担当者は、工藤社長(仮名、55歳)からみれば自分の息子の年令だった。まだ社会人3年目くらいの若者から頭ごなしに怒鳴られたのである。サンプル品の品質が低いという。「よくこれで今までやってこれたね」とか、「おたくが社会に存在する意味がわからない」などと、屈辱的なこともたくさん言われた。
 
●「何とかしてこの大手自動車会社から注文がほしい」と、あらゆるコネをたどってようやくこのサンプル品を見てもらうチャンスが来たのだ。ここはジッと耐えるしかない。それにしても品質と価格の要求が今までとは別次元に厳しい。
「完璧な仕事をやったつもりだったのに。これ以上のことは今のウチの技術では無理かもしれない」と工藤はギブアップしたかった。
 
●実は、すでに工藤の会社は行き詰まっていた。従来の主力製品が海外生産されることになり、工藤の会社は資本力がないために海外移転できず、受注が激減していた。
まじめな工藤は、うつ病と診断され苦しんでいた。自殺を真剣に考えたことも数知れずあったが、奥さんが支えてくれた。イザとなれば親戚も友人も誰も助けてくれなかった。奥さんの父親だけが親身に話を聞いてくれて、保証人になってくれた。しかし、その資金もやがて底がつく。工藤はもう逃げ場がない。倒産破産するまえに、ラストチャンスを求めてアタックするしかなかった。
 
●若い担当者の罵声にもたえて、工藤はねばり強い対応を重ねていった。
「もう一回やらせて下さい。明日お持ちしますから」
こうした彼の懸命で誠実な努力ぶりと人柄が伝わったのだろうか、徐々に若い担当者の態度が変わっていった。やがて、小さな注文を出してくれた。若い担当者のメンツを保つためにも、工藤は最高の仕事をした。やがて若者は工藤を慕うようになっていった。
 
●仕事がようやく軌道に乗り始めたある日の午後、工藤は担当者に呼ばれた。
 
「工藤さん、こんな製品を作れませんかね。もし本当にこんなものが作れたら、ウチの会社だけでなく自動車業界全体からも注文が舞い込みますよ」とある工作機械のアイデアをもちかけてくれた。
 
「本当ですか?ぜひうちにやらせて下さい」
 
●もともと技術の仕事は得意だ。寝食を忘れてその機械作りに取り組んだ。そして、ついに三年がかりで完成させ、特許も取ることができた。
今、工藤の会社は舞い込む注文をこなし切れないほど超多忙だ。業績も急回復した。一億円を突破する利益が出るようになった。工藤の逆転勝利である。
 
●愛社もカリーナからウィンダム、そしてセルシオに進化した。油にまみれた作業着ではなく、ミラショーンのスーツにネクタイを締めて外出することも多くなった。奥さんも働きに出る必要がなくなり、特技の華道の教室を開いた。保証人になって支えてくれた亡き義父に恩返しできなかったことだけが悔やまれるが、きっと天国で拍手してくれているに違いない。