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2011年01月07日(金)更新

模倣と独創

●芸事などで、新弟子が基礎を学び、成長し、名人になっていくプロセスを、「守 → 破 → 離」の三段階で語ることがあります。
特に「守」の段階は、建物の基礎にあたる部分として一番重要でしょう。
徹底的に基礎を学び、反復訓練する段階です。ある意味、師匠の物まねに徹する時期でもあります。

●そこで武沢仮説・・「独創は師匠(お手本)の物まねから始まる」

物まねがうまい人とは、それだけ観察力が高い証拠であり、上手にお手本の物まねができる器用さがある人です。
外国語の習得もそれと同じです。小さい子供のほうが耳で聞いたとおりに話しますからネイティブに近い発音ができます。しかし大人は単語のつづりや意味の理解から勉強しますから、日本語脳をつかっての発音になるので、ネイティブには通じにくいものになるのです。

●物まね上手になりましょう。
役者や作家だって一流どころは皆、物まね上手が多いようです。かつて、ダスティン・ホフマンがアカデミーの受賞スピーチでこう語りました。

「ハンフリー・ボガードにあこがれ、ボガードを真似し、ボガードを演じ続けるうちに今日私はダスティン・ホフマンになりました」

●シェークスピアだってそうです。
『オセロー』も『ヴェニスの商人』も『ハムレット』も、その元になる民話や物語を上手にアレンジし、世界に影響を与える作品に仕上げました。
あの『リア王』も元の話は、「レア王とその三人娘、ゴネリル、レーガン、コーデラの実録年代記」です。また、その『リア王』を下敷きして作られた黒沢映画が『乱』だといいます。

●古典から生まれた文学作品も少なくありません。
井原西鶴の「好色一代男」は『源氏物語』のパロディだといいます。芥川龍之介の「鼻」や「芋粥」も『今昔物語』などが下地になっています。

●「発明する方法は一つしかない。それは模倣することだ」とアランが語るように、私たちは何かを模倣することに臆病であってはならないのです。

●模倣したいような会社、
模倣したいような経営者、
模倣したいような売り方、
模倣したいような・・・

模倣すべきものを見つけてくる能力は立派な才能であり、実際それを模倣し、元のもの以上に仕上げることはすでに独創なのです。