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2006年08月31日(木)更新

社長の給料

●「社員に対して、経理内容を公開すべきか否か?」
 という質問を受けることがあります。

●この質問主の頭の中には、
「役員報酬を知られたくないとか」
「社員の給料をお互いにわからせたくない」
「会社の利益や資産の状況を教えたくない」
 など、いろんな思惑が渦巻いていることでしょう。しかしながら、こうした思いが、経理の公開を遅らせているのです。

●そこで、今日はその中のひとつ、社長の給料について考えてみましょう。

●社員の給料は賃金規定などによって基準がはっきりしていますし、世間相場との比較も簡単です。しかし、役員報酬に世間相場はなく、中小企業では報酬規定を定めていない会社も少なくありません。

●したがって、社長が社員の何倍もの給料をとっていることに罪悪感を感じてしまったり、その反対に社員と大差ない給料に恥ずかしい思いをしているケースもあります。

●私はかねがね、”役員報酬の基準を設けましょう”と申し上げてきました。一番ふさわしいのは、粗利益に占める役員報酬の割合を決めることです。一定以上の規模になれば、その平均値は10%前後になります。しかし、社員数が少ない会社では、この数字が極端に大きくなるケースもあります。

この値の大小を他社と比べても、意味はありません。過去3~5年間の数値を計算してみることです。すると、ある一定の範囲に収まっていることがわかります。さらに、今後3年間の粗利益目標を予想し、係数をかけてみると、だいたいの役員報酬額がわかります。

●順調に粗利益が伸びていけば、役員報酬も大手をふって増やすことができるのです。業績不振におちいれば、まっさきに役員報酬をカットする。もしくは役員を減らすことも検討するのです。仮に、役員報酬額が現実離れするほど大きくなれば、係数を下げていきましょう。

●このように、曖昧模糊とした役員報酬にも、何らかの基準を設けることが必要なのです。くれぐれも金額だけで判断してはいけません。金額は主観にすぎないのです。たとえば、「月額100万円もらっているから、当分上げないでいこう」とか、「家を買ったから給料を増やそう」などと考えること自体が、公私混同の始まりです。

●社長自身のテンションを上げましょう。そのための方法の一つが、役員報酬と個人資産に関する計画をもち、それに夢を感じることです

2006年08月28日(月)更新

VSC(ベリー・シリアス・クレーム)

いつも時間に遅れる社長がいたので、注意しました。すると、「すいません、うちはクレーム産業なものですから急に呼び出されることが多くて・・・」という言い訳が返ってきました。

●<クレーム産業>とは便利なことばで、いろいろな言い訳に使えます。そもそもクレーム産業なんていう産業はありません。特定の会社にクレームが多いだけのことです。

●数年前、大手の電機メーカーや住宅メーカーが消費者からのクレーム処理に失敗し、ホームページ上でクレーム対応のやりとりを公開されるという事件がありました。「これは大変な時代になってしまった」と大企業各社はあわてました。インターネット時代にはこれからも起こりうる出来事として、企業側も抜本的なクレーム対策が求めらているのです。

●クレーム対策は、以下のように分けて考えるべきでしょう。
・クレームを起こさないようにする取り組み
・クレームが起きた場合の取り組み

●ひとことでクレームと言っても、いくつかのランクがあるはずです。たとえば、クレームでも小さなものから大きなものまで五つくらいに分類し、第五段階を「VSC」とよぶことにしましょう。これは「ベリー・シリアス・クレーム」の略で、大変深刻なクレームと訳せます。

●製品の品質にかかわるものや、社会常識的に考えてあるまじき問題が発生したとき、あるいは、そうした問題に発展する危険性があるときは「VSC」に分類します。
このVSCは、クレーム担当役員(場合によっては社長自身)がその処置にあたるとともに、二度とあってはならないという意味で、全社あげて再発防止を徹底することになります。重点思考で、このVSCを撲滅することから着手しましょう。

●名古屋の某ハウスメーカーも、こうした事例を参考に社内で「VSC撲滅委員会」を結成しました。この委員会でVSCに至ったケースを分析したら、例外なく、単一の理由ではなく、複数の要因が重なってVSCに発展していくことがわかりました。たとえば、雨漏りがするからといっていきなりVSCになることはなく、その後の対応の悪さが重なって深刻な事態に発展するのです。

●同社は、一般業務の報告・連絡・相談のしくみの中でクレームも一緒に扱うと、危険であることを発見しました。そして、一定段階以上のクレームは、直接役員に報告するシステムを作ったのです。

●相次ぐ企業不祥事をみていても、クレーム対応のお粗末さがマスコミの餌食になっています。クレームのすべてを撲滅させようとすることは現実的ではありません。むしろ、VSCに絞って撲滅を図りましょう

●あなたの会社のVSCにはどんなものがありますか? 一度、社内でじっくり話し合ってみてはいかがでしょうか。

2006年08月18日(金)更新

乗り物を替えよう

●数年前に、32%を超える視聴率を記録したTBS系のテレビドラマ「百年の物語」(松嶋菜々子主演)が話題になりました。私もすべて見ましたが、わずか百年(3世代)の間で、これほどにまでに時代(特に女性の立場)が大きく変わるものか、とビックリした記憶があります。

●さて、前号の続きです。

●昭和20年代の後半から30年代の後半までの約10年間は、百貨店を除くと、「業種店」全盛の時代でした。「業種店」とは、取り扱い製品によって○○屋と呼ぶことができる商売の形態をさします。たとえば、肉を売るのが肉屋、魚は魚屋、呉服は呉服屋、金物は金物屋。至極わかりやすいビジネス形態です。

●流通経路は、メーカー→商社→一次問屋→二次問屋→小売店→消費者という感じで、川上から川下へモノが流れ、情報も流れていきました。立場的には、川上が圧倒的に強い時代でもあったわけです。

●ところが昭和40年代に急成長したスーパーは、○○屋というジャンルで商売を特定することはできません。なぜなら肉売り場もあれば洋服売り場もあり、運動具も靴も売っている。それこそ、何でも揃っている。しかも、都心にある百貨店と違い、郊外の駐車場付き店舗が中心で、接客もなければ過剰包装もなく、価格が安いのです。

●このように、顧客サイドに立って新しい事業形態をつくりあげた店舗のことを「業態店」といいます。業態店は、業種店のもっていた前近代的な要素をすべて否定し、近代的かつ科学的な小売業へと変身をとげたわけです。この業界にとって、昭和30年代後半からの約20年間は、業種店から業態店へと脱皮するための変質期であり、経営者たちはこぞってアメリカへモデル探しにも出掛けました。
●そして平成時代の今日、○○屋というような「業種店」で成長をとげている企業は、一部の例外を除いてほとんど存在しなくなりました。地方の旧商店街で、家業として生き残っているか、日本中に知れ渡る老舗店舗になって勝ち抜いたかのいずれかです。

●もはや、業種店は業態店に変態しない限り、企業としての成長が見込めない時代になってしまったのです。

●さらに今では、業態店のなかでもごく一部の企業しか成長できない経営環境になってきました。これは、小売業だけに起きている現象ではありません。建設業でも製造業でも飲食業でも旅行業でも全く同じ現象がおきています。あらゆる業界で例外なく、新しい業態作りが求められているのです。顧客や市場の視点から事業の枠組みを作り直すことが、急務なのだといえましょう。

●一つの業態が成長を維持できる年数は限られています。私たちが、徒歩、自転車、そしてクルマへと乗り物を替えてきたように、業態も陳腐化する前に替えていかなければなりません。あなたの会社が飛躍できるかどうかは、新しい業態を開発できるかどうかにかかっている、といっても過言ではないでしょう。

2006年08月11日(金)更新

イノベーション

●日本で最初に創られた株式会社は、坂本竜馬の「亀山社中」だといわれています。その後、明治に入り渋沢栄一らによって日本の資本主義の原型ができあがっていくわけですが、商業だけに限ってみれば、歴史は更にそれ以前にまでさかのぼります。

資本主義発展の歴史をみてみると、おおきなうねりの中で事業の栄枯盛衰が手に取るようによくわかります

●たとえば、私が子供のころ(昭和30年代半ば)には、母親たちの買い物は今と全然ちがっていました。買い物かごを手にもって、子供の手を引きながら近くの八百屋、魚屋、肉屋、乾物屋、金物屋などを転々としたものです。しかも冷蔵庫が十分に普及しておらず、買いだめはできません。当然家事は専業主婦でないとつとまらないほど多忙を極めたはずです。

●この当時、八百屋や乾物屋などを営む人たちにとって、誠実な商いを毎日つづけることこそ「企業努力」でした。自動車やバイクがないので、おのずと商圏はとても狭い範囲に限定されました。

●顧客の大半は地元のリピーターです。完全な地域密着商売です。ご近所とのつきあいを大切にし、常連客の家族構成を記憶しておくことや、気持ちのよい接客をすることなどで信用を築いていきました。いずれにせよ、きわめて緩やかな競争環境でもあったのです。

●それからわずか10年、電化製品や自動車の急速な普及により、主婦たちの家事労働は大幅に軽減され、おりからの経済発展も手伝って買い物の目的や方法が劇的に変わりはじめました。郊外に駐車場付きのスーパーが誕生し、食品も衣料品も玩具も文具もすべてが一カ所でまかなうことができる、主婦にとって、たいへん便利な時代が到来しました。

●このような時代の変化を見抜き、地方の小さな小売店にすぎなかったダイエー、イトーヨーカドー、ジャスコ、ユニー、ニチイなどが全国展開し、続々と株式公開を果たします。ちょうど、今のIT関連企業の公開ラッシュと似ています

●さて、この話の本質は何か?
●イノベーション(革新)の重要性です。自らすすんで過去の成功体験を捨てた所が勝ち組になったのです。ダイエー(薬局)もジャスコ(呉服屋)もヨーカドー(衣料品)もユニー(薬剤店・ふとん屋)も、地方小売店として当時からある程度の成功をおさめていました。にもかかわらず、過去と訣別する決意をし、店舗の総合化や大型化を一気にすすめたわけです。
同時に経営の近代化にも着手。商いの精神にサイエンスを導入し、より大きなビジョンに向かって合併する企業も相次ぎました。

●国内の商店街の大半は、こうしたイノベーション組によって大打撃を受けました。そもそもこうした時代の変化が、我が商店にどのような影響をあたえるのかに気づいていなかった所も多いのです。怠慢ゆえに時代を読み誤った会社は淘汰されていきました

●また、「変わらなきゃ」とばかり努力する会社でも、イノベーションに成功できなかった会社がたくさんありました。イノベーション(革新)を成功させるためには、変革の目的が必要です。何をめざして変わるのかという大義名分や名目が必要なのです。
先に実名をあげた企業には、その大義名分が備わっていたのです。

それは・・・、 <続きは次号で>

2006年08月07日(月)更新

経営者の情熱

●「うちも若返りが必要だから3年以内に息子へのバトンタッチを考えている」という経営者にお会いしました。聞くと、まだ52歳だそうです。息子の年令がではなく、その社長が52歳なのです。

●まだこれから円熟するはずの経営者が、早くも世代交代を考えるには、積極的な理由による場合と消極的なそれとがあります。積極的な理由とは、後継者に任せた方が経営はうまくいくと信じていて、ご自分も他にやりたいことがある場合。消極的な理由とは、「疲れた」とか「飽きた」という社長自身の情熱喪失です。

●ここで問題にしたいのは、消極的な理由です。

●引退するときは誰にでもやってきます。その瞬間まで、社長は社内でだれよりも熱い情熱の持ち主であってほしい。にもかかわらず、情熱喪失に陥るのはなぜでしょうか? 

●先行きが読めないとか、勘が働かなくなったとか、肉体が衰えたとか、いかようにも理由は見つかるでしょう。しかし、そうした表向きの理由の裏にあるもの、それは「夢」がなくなっているということではないでしょうか。夢がなくなると気力も衰えるのです。

●若手ベンチャー社長がマスコミにもてはやされ、20代や30代で成功するケースを多く接するようになりました。大橋巨泉流ライフスタイルにあこがれる経営者も多いそうです。

●そうした、周囲の成功者から学ぶことはあっても自分自身と対比する必要はありません。「彼らに比べて自分は今まで何をやってきたんだろうか」とか、「オレの出番はもう終わったのか」などと思うのは早計の至りです。老け込むにはあまりに若すぎます。

●日本初の地図制作者として有名な伊能忠敬は、養子先の家業再建のために50歳まの時を費やしました。人生50年時代の50歳だから、今でいえば70歳を超えていた感覚です。その後、彼は20歳も年下の若い天文学者の門を叩きました。そして測量術を学び、幕府の許可を得て地図制作を開始したのです。

●それから73年間の生涯を閉じるまで忠敬は日本中をくまなく歩き、彼の没後4年目に弟子たちが跡を継いで、ついに日本地図を完成させました。

●米国のマクドナルドハンバーガー創業者のレイ・クロック氏も、50代半ばまで、ミキサーのセールスマンをやっていました。ケンタッキー・フライド・チキンの創業者カーネルサンダースも60歳を超えるまで1店舗のガソリンスタンドを所有するにすぎない変わり者社長でした。

夢と情熱は肉体年齢を超越します。私たちのクライマックスはまだ来ていないと考えて、もう一段高いところにピークを作ろうではありませんか。
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