大きくする 標準 小さくする
前ページ

2014年04月25日(金)更新

がんばれ社長 2014


今日は私が個人的に挑戦中の二つのことについてお話しさせていただきます。


ひとつは、2014年4月にオープンした「Best of がんばれ!社長ブログ」についてです。
私が14年ほぼ毎日書いてきた日刊メルマガ『がんばれ社長!今日のポイント』を、テーマ別・目的別・キーワード別などでお読みいただけるように体系化したブログです。
まだ未完成ではありますが、私のなかでは「経営大全」的なものをめざしてライフワークにしていくブログです。
お時間のあるときにゆっくりとページを繰ってお読みいただけるように大幅に加筆修正して記事をアップしていますのでお目通し下さい。
★「Best of がんばれ!社長ブログ」
http://ganbare.s2.coreblog.jp/wordpress/ 


そしてもうひとつは、今年の2月からチャレンジを開始している、小説執筆です。
実在する経営者をモデルにした短編小説を毎月発行するという挑戦です。
Amazonが運営するキンドルストアで電子書籍として購入可能です。オープニング価格としてゴールデンウィーク明けまでは1冊300円で提供しています。


今話題の電子書籍は、Amazon の Kindle端末以外に、スマホやタブレット、パソコンでも読むことが出来ます。
今のところ発売中の小説は次の三本です。


■企業家列伝シリーズ1「ウオダイ物語」(2014年2月発売) 
戦後間もなく、祖父が大八車を使ってはじめた魚の引き売りは、その後半世紀を経て食品スーパー『ウオダイ』になった。親子孫、三世代にわたって引き継がれた言葉は「安く買ったら安く売れ、高く買っても安く売れ」だった。そして今、『ウオダイ』はメディアが注目する激安店に変貌を遂げた。そのプロセスがここにある。
http://e-comon.co.jp/pv.php?lid=3854


■企業家列伝シリーズ2「アジアの小太陽」(上巻)(2014年3月発売)
大阪の東栄百貨店で婦人服バイヤーをしていた松浪 悟は、四十歳で志願して海外駐在員になる。1980年代の前半の香港はまさしく龍のごとく飛翔する直前の時期だった。華僑の大物と出会い、人生を切り開いていくが、道は平坦ではない。松浪 悟の痛快実話物語。
http://e-comon.co.jp/pv.php?lid=3853


■企業家列伝シリーズ3「アジアの小太陽」(下巻)(2014年4月発売)
常識の違い、文化の違いに戸惑いながらも香港でしたたかに利益をあげ始めた松浪は、その後、日本のバブル経済の崩壊、東栄百貨店の香港撤退、香港の中国返還問題など、激動の波に翻弄される。
五十五歳にして家族を香港に呼び、大きな勝負に出る松浪。
その結果は……。
http://e-comon.co.jp/pv.php?lid=3873


いずれも一時間ほどで楽しく読める短編で、おすすめです。
おかげさまでAmazonでのブックレビューも好評で満点に近い評価をいただいています。また、Amazon さんが、私の「ウオダイ物語」を月間プロモーション作品に選定してくれました。最長一ヶ月にわたって Kindle ストア内で「ウオダイ物語」の露出が増えるそうです。
よろしければあなたも一度チェックしてみてください。


今日はお知らせだけで失礼いたします。


2014年03月20日(木)更新

1,000人の社長を小説にしたい

●全国には、数えきれないほどのすごい人がいます。しかし、意外に本人は自分のことをすごいと思っていません。なぜなら、すごい時間よりもすごくない時間の方が多いことと、すごい自分に慣れてしまっているからでしょう。
私は、そうしたすごい人と実際に出会ううちに、その人を小説にしたいと考えるようになりました。社長を主人公にした小説を書くことで、社長になりたい人が増え、社長になって良かったと思う人が増えたら素晴らしいと考えたのです。

●なにも世間が驚くほどの業績をあげなくとも、等身大の経営者のなかにすごいヒーロー・ヒロインがいます。
それを Kindle ストア(Amazonの電子書籍ストア)で発売することにしました。そうすれば、文芸界にコネがまったくない私でもすぐに出版できるからです。

●それを小説「企業家列伝シリーズ」と名づけ、第一弾『ウオダイ物語』を2月24日に、第二弾『アジアの小太陽』(上巻)を3月14日に発売しました。
それをプロモーションするためにブログ「小説ドットコム」のサイトも3月中旬にオープンしました。

等身大のヒーロー・ヒロイン社長の物語を読みたくなったとき是非思い出してください。
私の新しい夢は「1,000人の社長を小説にする!」です。

ウオダイ物語 
アジアの小太陽 (上巻) 
ブログ「小説ドットコム」  

2014年01月28日(火)更新

数字に弱い社長

●講演やセミナーで「経営者は数字に強くなりましょう」というお話をすると、ほとんどの方が決算書や経理に強くなることが社長の役目だと理解するようだ。
先日もある講演会のあと、「私は数字にからっきし弱いので、これを機会に勉強しようと思います。おすすめの本を1~2冊紹介していただけませんか?」と聞かれた。そこで私は、「数字に強くなるのに読書は必要ありません。まずはご自分の考えや目標を語るときには常に数字で表現する自己訓練をなさって下さい」と申し上げた。

●本を読むのも結構だが、日ごろから社長の気持ちを数字で表現することを心がけよう。

・顧客満足を高めよう
・お客様に喜ばれよう
・お客様の笑顔が私たちの喜びです
などのスローガンはことばだけでなく、その状態を数字で語る訓練をすればよい。
たとえば、
・顧客満足指数を χ点以上にする
・購入リピート率を χ%以上にする
・顧客からの紹介客を年間χ件以上集める
などである。
このように、目標を数字で語る訓練をするだけで、理想と現実の双方を数字でとらえようという努力が始まる。それがすなわち数字に強くなりはじめる第一歩なのだ。

●もうひとつ大切なことがある。「目標達成のためにどのような行動をとるか」も数字で考えるのだ。
株式会社武蔵野の小山社長は、最新著『決定で儲かる会社をつくりなさい』のなかで次のような主旨のことを書いておられるが、私も同感である。

以下、文責武沢。
・・・
環境美化はわが社にとってきわめて重要な経営戦略ですから、わが社(武蔵野)では、毎朝30分間の社内清掃を義務づけています。もちろん給料を払って掃除をしてもらっているのです。20年前の経営計画書の「環境美化に関する方針」のなかに、「わが社は今後、環境整備に毎月100万円使う」と書きました。それを書いて発
表した瞬間から社員は、「社長、本気だな」と思ったはずです。実際に100万円を使い切ることよりも、それだけのお金や時間を使ってまでも大切にしている目標なのだ、ということを伝える上で、方針を数字で語ることは大切なのです。こうしたことをくり返していくと、「できない」「無理だ」と思っていたことも、やがてできるようになっていくのです。
・・・

●私もかつて、「日本中を東奔西走する」という目標を達成するために月間100万円の旅費交通費を使うことを予算化した。それを使いきるようにした一年があったが、大切な目標は必ず数字で目標設定するのはもちろん、行動基準も数字で評価できるようにしていけば、おのずと数字に強くなってくるはずだ。

大切なことでありながら、数字化していないことはないだろうか?よく吟味してみよう。

2014年01月10日(金)更新

行(ぎょう)のある生活

●目標設定のバランスを考えてみよう。今のあなたの目標を箇条書きしたとき、「得る」「なる」「ある」が程よく調和しているかどうかがポイントだ。
「得る」とは、何かをGetすることである。家を買う、収入を得る、売上げ目標を達成する、外国へ行く、など、数字やカタチのある目標が「得る」目標である。

●「なる」目標とは、あなたが何者かに「なる」ことである。新しい知識や教養、技術を習得することや今までとは異なる人格・個性を身につけることである。
「ある」とは、日常生活のあり方や仕事のありかたが何らかのテーマによって貫かれている状態をいう。そのあたり、司馬遼太郎が『峠』で次のように書いているのが参考になるだろう。
・・・
志は塩のように溶けやすい。男子の生涯の苦渋というものはその志の高さをいかにまもりぬくかというところにあり、それをまもりぬく工夫は格別なものではなく、日常茶飯の自己規律にある、という。箸のあげおろしにも自分の仕方がなければならぬ。物の言いかた、人とのつきあいかた、息の吸い方、息の吐き方、酒ののみ方、あそび方、ふざけ方、すべてがその志をまもるがための工夫によってつらぬかれておらねばならぬ、というのが継之助の考えかたであった。
・・・
継之助が心がけたという日常の自己規律こそ、「ある」の目標設定の好例だろう。

●「ある」とは、ひとつの「行(ぎょう)」と考えることもできる。伝教大師・最澄が1200年前にひらいた比叡山延暦寺には、「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」という荒行中の荒行がある。7年間をかけて通算1000日かけて行われるこの荒行は、文字どおり命をかけて行われるのだ。なぜなら、一度始めたら途中でやめることは許されておらず、続行不能になった場合は、自ら命を絶つことが不文律とされている。
信長の比叡山焼き討ち以後400年間の記録によれば、千日回峰を満行した僧は50人もいない。

●最初の三年間は、1年のうち100日だけ行が許され、1日30Kmを歩いて260ヶ所の霊場をめぐる。四年目からの二年間は1年に200日、同じ修行を行ない、この五年間で通算700日となる。そこから9日間の「断食、断水、不眠、不臥の行」にはいる。この行を修めないと次の行に進むことは許されないのだ。通常、人間が断食・断水状態で生きられる生理的限界は三日間とされていることを考えれば、想像を絶する苦行といえよう。

●この行の後、六年目は1年間に100日の行となる。1日に歩く距離は60Kmと倍増する。七年目は、前半の100日間が1日84Km、300カ所の巡拝となる。これだけ歩くためには、睡眠時間はわずか2時間、夜中の12時に起きて歩き始める必要があるという。

●最後の100日間は当初の1日30Kmの行に戻る。これで合計1000日間、歩く距離は地球1周に匹敵する4万Kmにも及ぶそうだ。これは、仏道に生きる決意をした人が自分を捨て去るために挑む苦行である。
こうした過酷な「行」は、誰にでもできることではない。だが、何らかの「精進(しょうじん)」や「持戒(じかい)」をもった生活をすることが大切なのは言うまでもない。他人に言われてやるのではなく、何かを成すために自らがすすんで行う「行」に価値があると思う。
あなたにとっての「行」を考えてみよう。

2013年12月27日(金)更新

婚約体験記

●先日、路上で信号待ちしていたら、下校時の小学生数人のグループと一緒になった。
彼らの会話を聞いていると、そのボキャブラリーにビックリした。私が子どものころには決して使わなかった大人じみた、いや老けた単語がポンポンと飛び出てくるのだ。
「疲れたね」「うん休みたい」「癒してほしいよ」「おれマッサージ機にはまってるんだ」「温泉へ行ってのんびりしたい」・・・。敬老会の集まりではなく、小学生の会話に出てくる単語なのだ。
「がんばれ子どもたち!」と言いたくなったが、これも親の影響なのだろうか。

●そんな折り、メルマガ読者の方から先日次のようなメールが届いた。30代の独身男性によるつぶやきが聞こえてくる。
・・・いつもメルマガ楽しみに読んでいます。苦しいことも多いですが、何とかメルマガに励まされて頑張っています。ところで、私の悩みについて書いてみます。可能でしたらメルマガで是非取り上げてください。私は現在30台半ばです。結婚もしていませんし、彼女もいません。仕事に追われて気がついたらこの年になっていたという感じです。このままではいけないと彼女探しに力を入れると仕事がおろそかになり調子が悪くなり、そうすると彼女ができるのは先になるという悪循環です。彼女がいないことで、余計彼女ができにくくなっているようです。
こんな人、世の中にはあまりいないのでしょうか?成功している人たちは皆さんうまくこの辺、切り替えてやっていくのですかね。。。少子化といいますが、こんな感じの人って結構多いのでしょう。
・・・
(全文、本文のまま)

●こうした人が世の中に多いかどうかは知らないが、経営者にはこうした受け身の姿勢の人はいないはず。彼のメッセージを私なりに解釈すれば、冒頭の小学生のような「何となく」というアンニュイ(倦怠感)ムードが漂っているように思える。強く生きていく上で必要なエネルギーがまったく足りていない。
意味があってそうしている、意思があってそうしている、というのではなく、「何となくそう思うからそうしている」ように思える。

●司法試験界の「カリスマ塾長」こと伊藤真氏は、授業開始の初日に、まず生徒に合格体験記を書かせるそうだ。まだ合格していない、いや、勉強すら始めていない段階なのに、まるで合格したかのような体験記を書く。それもできるだけ具体的にリアルに書いてもらうという。
「あのとき、自分はとても苦しくてもうダメかと思ったが、家族のこんな言葉に励まされて、がんばることができた」
「今日、試験会場で発表を見てきた。自分の名前を見つけた。ジーンとした」などと合格者になりきる。
これが意外に効果があるという。

●メールの主の彼にも「婚約体験記」を書いてみるよう提案したい。主体的にエネルギッシュに生きている自分の姿を作文にしよう。自らの進路を明らかにして明るく生きている人に対して世間は、道を掃き清めて整えてくれる。その一方、自らの進路を迷いながらトボトボ歩いている人に対して世間は、行く手に石ころを放り投げイバラを敷き詰める。どんな歩き方をするかは他人が決めるのでなく、自分で決めるしかない。自分で決められるのだ。


«前へ