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社長業を極めるためのカリキュラムについて、「日本的経営のリニューアル」という視点から紹介します
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2013年03月01日(金)更新
独自の世界
●好きなことと得意なことをかけ算すると、世の中に存在しない独自の世界を作ることができる。
社会保険労務士の K さんは、中小企業の賃金制度に関する第一人者としてのブランドを築いてきた。それを武器に、社労士として多数の企業と顧問契約をむすび、経営を安定させてもきた。
その K さんがある年、戦国武将物の本を著した。それを聞いて驚いていたら、あれよあれよと大ヒットになってしまった。
●K さんは 子供の頃から大の信長フリークだったそうで、いつかは自分の本業からみた信長の天才ぶりを書いてみたいと思っていたそうだ。
ある日、K さんが Google 検索をつかって「織田信長」を調べてみたところ、なんと170万サイトもヒットしたという。ライバルは多い、と思ったそうだ。
しかし「織田信長 労務」で検索すると一挙に8万サイトに減った。20分の1になってしまったのだ。
さらに「織田信長 労務 賃金」にすると1,190サイトになった。実は、その1,190サイトはすべて K さんとその仲間のサイトばかりなのだ。つまり、織田信長という大人気キーワードを使っても、ライバル不在のマーケットがそこにあった、ということだ。
●専門分野は「人事 労務 賃金」
得意技術は「書くこと」
好きな分野は「織田信長」
その三つをかけたのが K さんの著作であり、世界に一冊しかないライバル不在の本なのである。
「専門分野×得意技術×好きな分野=独自の世界」というわけだ。
●私の友人の T さんがやっているブログもそうだ。
専門分野「インターネット 英語 アメリカ事情」×得意技術「書くこと」×好きな分野「発想法 アイデア 楽しいこと」=『彼の世界』となる。
●また私が尊敬している経営者の T さんは、
専門分野「建築設計 デザイン 特定業界の建築事情」×得意技術「書くこと」×好きな分野「会社経営 旅 時事問題 志」=『彼の世界』になった。
●「得意分野×得意技術×好きな分野」=独自の世界
あとは、それをどのようにしてビジネスにつなげるかを考えるだけだ。だが、そちらは大してむずかしい問題ではないように思う。
まず大切なことは、あなたが今以上に独自の世界を作れるということに気づくことである。
2013年02月22日(金)更新
一日一枚書く
●文学の世界で「文豪」などとよばれる人は、多作家の人が多いようだ。たくさん書く、そのためにはたくさん読む。多読家、多作家が文豪の条件なのかもしれない。
今の日本ペンクラブの会長は浅田次郎氏だが、氏も「毎日午後には本を読むことしかやることがない。ヒマだから本でも読むというのは読書の王道である」と何かのエッセイで告白していた。
●山岡鉄舟は、書、剣、禅を極めた人だが、中でも書の力量には驚くばかりである。
晩年は胃ガンを患って医師の勧めで絶筆したが、絶筆前の5ヶ月に書いた扇子文字が4万本(一日あたり270本ペース)。
●一本を1分で書き上げるとしても270本書くためには4時間半かかる。
その間、休憩や食事、トイレなどがあるからあっというまに6時間、7時間になってしまう。
その間、休憩や食事、トイレなどがあるからあっというまに6時間、7時間になってしまう。
その前の年には大蔵経(だいぞうきょう)という長いお経(全126巻)の筆写を思い立ち、毎晩午前2時まで写経に励んで見事完成させている。
●鉄舟に向かって「大変なことですなぁ」と声をかけると、鉄舟はいつもこう答えたそうだ。
「なあに、ただ毎日一枚書くだけだと思っておりますから、なんの造作もありません」
●ここで私はお恥ずかしい話を告白せねばならない。
最近ある社長が私の本を100冊買いたいと言ってこられた。もちろん大歓迎したのだが、「ついては全部にサインしていただけないか」とおっしゃる。
「いいですよ」とお答えしたのはよいが、ザッと計算して青くなった。
私のサインは、筆をつかって手間をかけて行うもので、一冊あたり最低でも3分はかかる。つまり100冊で最低300分(5時間)かかるわけで、その時間をどう捻出するか考え込んでしまった。納期は一週間しかない。
●そのとき、目の前にアルバイト君がいた。
私は悪魔の誘惑に負けて「ねぇ、君。今から僕のサインをそっくりそのままマネしてみてよ」とお願いしてみた。彼はふたつ返事で引き受けてくれたのだが、なかなか良く出来たサインだった。ひょっとしたら、私よりも上手い。
●近くにいた家内に、どちらが私のサインだと思うか聞いてみたら、なんとアルバイト君の作品を指さした。
「よし決まりだ! 君、明日までに100冊サイン書いてよ」と半分冗談で言ったのだが、家内にピシリと叱られた。「ダメです。そんな失礼なことをして誰が喜びますか? 上手い下手の問題じゃなく読んで下さる方への思いやりがあるかどうかじゃないのですか」
私はうなだれた。
●生産性や効率も重要な指標だが、それだけに心を奪われると本質を見失う。
どれだけ心を込めてその仕事をしているか、その姿勢は指標には表れない。だが、お客はわかる。何よりももう一人の自分がわかっているはずだ。
●早く書こう、たくさん書こうという気持ちよりも、今日も心をこめて一枚書く。それを継続することが何より大切なことかもしれない。
そこのところが、現時点の私と鉄舟さんの差なんだろう。
2012年11月22日(木)更新
真壁の平四郎
●今日は講談でもおなじみ「真壁の平四郎」(まかべのへいしろう)について書いてみようと思います。
時は本能寺で信長が討たれた天正年間。そんな騒ぎも遠くのこと、東北の小藩主・真壁の時幹(ときもと)の下僕、平四郎のお話。
ある冬、凍てつくような寒い雪の日のこと、平四郎は真壁時幹のお伴をして侍屋敷に出向いた。
よほど困難な案件だったのだろうか、なかなか時幹は戻ってこない。
東北独特のしばれるような寒さの中で、「時幹様のお履物が凍てついてしまったら大変だ。お帰り道にお困りになる」とばかり、身を切る寒さの中で平四郎は、時幹の下駄を自分の懐の奥深くに仕舞いこむ。ただでさえ震えるように寒い玄関口で、我が体温を主人の履物に送り、温める平四郎であった。
●何時かが過ぎ、
「郡主殿、お玄関、御出まし~!」の相図で、素早く温かい履物を玄関口にお揃えする平四郎。手柄を誇るつもりはなかったが、少なくとも喜んでほしかったことだろう。
下駄に冷え切った足をすっと入れる時幹。その瞬間、鋭敏な時幹は足裏につたわる暖かさに気づく。それと同時に時幹は、「おのれ平四郎、わが下駄を尻にでも敷くとはけしからん。これへ参れ!」と命じた。
●全く思いもかけぬことに、時幹は平四郎の労をねぎらうどころか、「私の下駄を腰掛にしよって、今の今まで横着にも休憩していたに違いあるまい」と曲解し、「こんな汚れた下駄が履けるものか」と、下駄を手に取りあげ、平四郎の頭上めがけて有無を言わせず何回となく打ちすえた。
平四郎の頭は割れ裂け、周囲の雪面に赤い鮮血が散らばった。噴出する血を手で抑えもせず、平四郎は頭を垂れてなされるがまま立ちつくすほかない。
「おのれトキモト、この恨み晴らさずにはおられまい。きっと、きっと、きっとこの平四郎に向かって平伏させてやる」と腹を固める平四郎。
●時幹のもとを飛び出し、平四郎が目指した場所はなんと中国(宋の時代)だった。
主人に対して単純な報復をしても始まらない。平伏させ、平謝りさせる方法をいろいろと考えた結果、平四郎は僧として大成する道を選んだ。立派な僧侶になれば、殿様といえども頭を下げさせることができる。
●中国で高名な径山(けいざん)の無準禅師のもとを訪ねた平四郎。中国語がさっぱり分からない。おまけに仏教用語もわからない。ダブルで分からないので、皆目見当もつかない中での修行スタートが始まった。
無準禅師が書いてくれた「丁」の文字を連日ながめながら座禅と修行の生活に入る平四郎。
●「丁」ってなんだ???
わからない、いくら考えてもわからない。やがて、わからないこともわからなくなるほど、わからなくなっていった。やがて考えることをやめ、ひたすら目の前のことに一意専心するようになる。
こうして時は移り、九年たったある日、ついに平四郎は大悟し、悟りを極める。無準禅師から法身性才禅師と名づけられるほど、堂々たる禅師になっていたのだ。
●勇躍帰国し、大殿様・伊達政宗候の帰依を得て瑞巌円福寺を再興させた法身性才禅師。おみごと!平四郎。
ある日、政宗候とともに瑞巌円福寺に招きを受けた小藩・真壁の郡主時幹は、床に飾ってある下駄をみてけげんな表情を見せる。
その様子を見て、法身性才禅師こと平四郎は、
「遠く径山に登りて帰りて開く円福の大道場、
法身を透得すれば無一物。元是れ真壁の平四郎」
と唄うかのように叫ぶ。
●「あっ!」とおどろく元・主人の時幹。
「あの平四郎・・・」
「さよう、あの真壁の平四郎なり。あの下駄殴打を今すぐここで謝罪されたし」
などと野暮なことは言わない。
平四郎が時幹に言った言葉は意外にもこんなものだった。
「ご主人様のあの下駄のお陰で、今日瑞巌円福寺が再興を果たせたのでございます」と当時の郡主に頭を下げ、心からなる御礼を申しのべたというのだ。
●「主人を平伏させる」という復讐心で中国に渡った平四郎だが、道を究める過程で復讐心が感謝心にスイッチされたのだろう。
中国で「丁」の文字をながめるうちに、
丁稚(でっち)奉公の「丁」、甲、乙、丙、丁の「丁」であることに気づいたのかもしれない。
「元是れ真壁の平四郎」
大成したのち、誰かにこんなことを言ってみたいが、そんなことより、恨みの感情を感謝に変える達人の生き方から学びたいものである。
2012年09月28日(金)更新
随所に主となる
●5年前にご主人を、2年前に父親を亡くされたご婦人が相談に来られました。膨大な土地や建物、株券、預金を相続したのですが相談相手がいない。毎日のように様々な業者から営業アプローチを受けて頭は混乱。その上、相続税や固定資産税の取り立てにあううちに、軽いウツ状態になってしまったそうです。他人がみたらうらやむような金満家でも、ひとたび防戦一方になると辛いそうです。
●防戦一方から攻撃に転じましょう。金満であろうが、金欠であろうが関係ない。大切なことはあなたにとって価値ある目標をもち、それを実現する計画があり、今日もそれに向けてベストを尽くすことができたという事実。そのくり返しが、あなたをあなたらしくしていくのです。
●東京エレクトロン(東証一部)の元副社長・風間善樹氏は、若い社員に向かって「どうしてもダメなら会社を辞めて、ラーメン屋でもトラックの運転手でもやったほうがいい。そのほうがいい人生を送れるぞ」とハッパをかけてきたそうです。社員の一部はそれを実行し、本当に植木屋や印刷屋、ラーメン屋になって生き甲斐ある日々を送るようになった人がかなりいると本に書いておられます。
★『考えるよりまず動け!』(風間善樹著、東洋経済)
●「球の表面はどこでも中心」と風間氏は説きます。たしかに、白い野球ボールにどこでも好きな場所にペンで点をつけてみよう。点をつけたその場所が球の中心になるのが分かります。
地球も玉のように丸いので、あなたはどこへ行っても立っている場所が地球の中心だということです。決してエゴイズムの自己中心ではなく、至る所にあなたが中心になれる場所があるということです。
●禅宗の教えに「随所に主となる」という言葉があります。「なんじ、すべからく、随所に主となれば、たちどころに皆真なり」というものです。これは、どこでも主人になれとか、どこでもリーダーシップを発揮せよという教えではありません。真の独立者(主体性を発揮して生きる人)は、どこに行っても周囲や環境と適合し、自然に調和してうまくやってゆける、という意味なのです。
●社員が主人公。社員が主となれるような会社、社員が好きなことに熱中できるような会社は、トップが「売上○○億」などと号令を発せずとも自然に伸びるのではないでしょうか。
2012年08月31日(金)更新
S社長の迷い
●「武沢さん、人の為(ため)と書いて偽り(いつわり)と読むように、会社経営もお客や社員のためにやっているようでは偽りのそしりを免れない。もっと正直に、"自分が儲けるためにやっている"と言い切ってしまえる勇気が必要だと思う」とS社長。
●持論を述べるのは結構なことだが、私が経営理念の重要性について語った講演会のあとでの質問がそれだ。下手をすれば講演会そのものがぶち壊しになりかねないタイミングでの発言だった。
私はつとめて冷静に「なぜそのように思うのですか」と理由を尋ねてみた。すると、S社長はつい先月まで「顧客第一主義」という経営理念を後生大事に守ってきたのだということがわかった。だが、いつまでたっても売上や利益が伸びない。だから迷っていた。
●そこで先日、S社長が尊敬している大物社長(財界の著名人)から直接教えを請う機会があったそうだ。最近の業績不振を相談したところ、「S君、まず儲かる会社を作ることが先決だ。それが出来てはじめて理念を論じるべきだ。順序というものがあるのだよ。ひょっとしたら、あなたの会社は理念の存在によって儲からない会社になっている可能性すらある。いったん、理念なんか捨ててしまったらどうだ」と。
●S社長が心酔している大物社長が言った「理念なんか捨ててしまえ」説。私が想像するに、それは一般論を語ったものではなく、今のS社長の状況を察しての発言だったと思う。
そこで私は、渋沢栄一翁の「道徳経済合一説」の話を切り出し、儲かる会社作りと道徳的にも立派な会社になることとは何一つ矛盾しないと説明した。
●すると、S社長はさらに粘った。
「その大物社長いわく、そもそも『道徳』なるものは時の権力者が大衆を治めるためにデッチあげたものである、という。だから、道徳=すばらしいもの、とも言えないと思う」
●道徳の否定まで飛び出し、議論は平行線をたどったが、私はS社長に自分自身の意見を述べてほしかった。
最近聞いたばかりの大物社長の言葉を受け売りし、まだ自分のものとして咀嚼していない段階で公開質問にのぞむなど稚拙な行為である。
それに、根掘り葉掘り聞けばその大物社長といえどもサラリーマン社長ではないか。一代で大企業を作った経営者ならいざしらず、組織を生きぬいて立身出生を遂げた者と、無名の中小企業を率いて会社を大きくしていこうとする者とでは生き方が違う。
もちろん尊敬すべきサラリーマン経営者もたくさんいるが、中小企業や零細企業、中堅企業、ベンチャー企業、自営業などなど、一国一城の主には、崇高な理想と理念がなくて何するものゾ、と申し上げたい。
「義を見て為さざるは、勇なきなり」(人として当然なさねばならなぬ正義と知りながら、自分の利害のみをはかって実行しないのは、真の勇気がないからである)という孔子のことばを忘れてはならないのだ。
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