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2012年02月17日(金)更新

入社するのが難しい会社

●昔、相手の人から携帯電話の番号を聞き出すことは友人の仲間入りを許されたことを意味しました。それが今では名刺や履歴書にも書く時代。近ごろでは、Facebook、携帯番号を載せている人もいるほどです。
直接本人につながるので便利になったわけですが、その逆に「不便になったなぁ」と思うものがあります。
それは履歴書。以前はかならず記入欄があった「国籍」、「家族構成」、「親の職業記載欄」などがなくなりました。長男(女)なのか、次男(女)なのか、会って聞かないかぎり分かりません。こんな不自由な履歴書は、被雇用者保護の精神で作られたそうですが、雇用する側だって真剣に相手を選ぶ義務と権利があるのです。
 
●したがって履歴書一枚で相手を判断するのではなく、もっと詳細にその人のことが分かるような書類を用意する必要があるかもしれません。
米国の警備保障会社『ガーズマーク社』のガードマンになることは、警察官になるよりもむずかしいとアメリカで言われているそうです。トム・ピーターズの『自由奔放のマネジメント』にそのあたりのことが詳しく書かれています。
 
●ガーズマーク社は、"セキュリティ(警備保障)事業のティファニー"をめざし、警備員の質が最大の決め手になると考えてきました。従来の米国における警備員は、「従業者の一割以上が刑法犯罪の前歴があり、ドラッグを常用する者の比率も極めて高い」という状況だったそうです。
 
●そうした業界の暗部を一掃すべく、ガーズマーク社では次のような厳しい選考過程を経てガードマンが人選されているのです。
 
・入社申込書は24ページにおよび、過去10年間の職歴、居住歴、医療面での生涯記録の記載が要求される
・職歴で30日以上の空白がある場合は、しっかりした説明が要求される
・過去10年までさかのぼって、応募者の前雇用主すべてと接触し、職歴や仕事の適格性を照会する
・応募者の現居住地か過去の居住地の隣人とも連絡をとり、人物照会する
・すべての応募者に対して法律の範囲内で犯罪歴をチェックし、指紋も採る。
・法律の許すかぎり、全従業員に対して嘘発見器にかけて質問回答することを義務づけている
 
●こうした選考過程を経ると、応募者のうち通過できる者は2パーセントほどになってしまうそうです。だからこそ、「どこでも見かけるような警察官になるよりもガーズマーク社の警備員になるほうがむずかしい」と言われるのでしょう。
 
●"セキュリティ(警備保障)事業のティファニーをめざす”というビジョンのためには一切妥協をしない。入社してからもさらに厳しいチェックが続きます。
 
・入社時に配られる113ページからなる研修マニュアルを完璧にマスターすることを要求される
・全ガードマンは毎月、最低でも4回は定期講習会に出席しなければならない
 
入社後も、警備のプロフェッショナルとして質の高い仕事が期待されるのです。しかし、それに見合った給与水準のせいか、転職率は業界平均の4分の1に押さえられているのもお見事ですね。
 
●誰もが知っている大企業に就職するより、無名の中小企業に就職する方が難しいことがあります。そんな会社を作っていきたいものです。
 
 

2012年02月10日(金)更新

お世話になっている社長だけに・・・

●主力の販売先をこちらから切る。しかもその取引先の社長には昔から大変お世話になり結婚式の仲人までお願いしました。今でも家族ぐるみのおつきあいで、とても尊敬しています。しかしその会社が今、資金難で支払いが1年間滞ったまま、ずるずると取引だけが続いてきました。
 
「武沢さん、どうしましょう?取引を続けるべきですか?」と相談を受けました。
 
●試算表を拝見したのち、「まず社長に会いにいくべきです」と回答しました。
 
先方に再建の意欲と見通しがきちんとあれば応援してあげるべきですし、それがなければ残念ながら取引を即刻中断すべきです。お世話になったことや尊敬していることは私情。ビジネスに私情を持ち込むのも結構ですが程度問題。1年間も支払ってもらえないのはすでに度を超しています。このままでは、連鎖倒産の危険を感じますよ」と申し上げました。
 
●あれから1年たち、その出来事を私はすっかり忘れかけていました。
そんなある日、一通のメールが舞い込みました。「うれしい報告がある」とその社長。
 
・お世話になった社長に会いに行ったが、すっかり意欲をなくしておられたので残念ながら取引を中止
 した。当社としても売上げの3分の1を失うのは痛かったが、緊張感が生まれたおかげで客先の新規
 開拓を始めるようになった。
・業績面では結局、売上げは微減にとどまったし、コストダウンのおかげで経常利益は500万円(も)
 出た。史上二番目の好業績だった。
・結局、その主力取引先は倒産した。お世話になった社長には今、「顧問料」をお支払いしつつ会社の
 顧問としてお知恵を拝借している。
 
●彼の会社にはアルバイトが二人いるそうですが、実質的には社長一人の個人企業。
自分の年収を確保しながら二人のスタッフを雇い、500万円の利益を出せたのは立派だと思います。私はかねがね、1,000万円未満では法人の利益と言えない。社長の給料を1,000万円確保したうえで、なおかつ1,000万円以上出ているのが本当の経常利益だ、と申し上げてきました。しかし彼のような個人経営で500万円の利益は立派です。
 
●メールには、次のような文面が綴られていました。
 
「武沢さん、不思議なものです。やろうとしながらも後回しにしてきたことを一つ二つ片づけたおかげで、一気にいろんなことが出来るようになりました。業績と資金繰りがよくなったせいもありますが、自分の一存で出来ることがこれだけたくさんあるのかと驚いています。懸案だった夫婦での沖縄旅行にも行けたし、パラオでスキューバーのライセンスを取得するという目標も新たに作りました」
 
●気になっていることから逃げずに、いますぐ直面しよう。
 
 

2012年01月27日(金)更新

攻略ノート

●昭和30年代後半、大手スーパーの経営者や人事担当者は、狙った学校の正門前で下校時にビラを配ったそうです。
「ちょっと君、パフェをおごるから話を聞いてくれないか」
学生を誘って喫茶店に入り、自社のビジョンを語って求人活動をしたのです。しかも交通費は全額負担して会社見学などをさせ、熱心に学生を口説き落としていったといいますから、涙ぐましい努力です。「大学卒業生が行く業界ではない」と見られていた業界ですから、そこまでする必要があったのです。
 
●「うちのような会社にはヤンキーとニートと引きこもりとオタクのような奴しか入社してこない」と自虐的に嘆く社長がいます。たとえば、どこにでもあるような町工場で典型的な3K産業(キツイ、キタナイ、キケン)の場合、普通の求人活動だけではよい人材が入ってこないのは当然でしょう。
どのようにしたら、優秀な学生が入社してくれるか?という設問を掲げ、真剣に知恵を絞りたいものです。
 
●学生の側でも、ものすごい努力をしているケースがたくさんあります。私が実際に出会った Y 君のような努力をすれば、就職難なんて全然こわくないでしょう。
 
Y 君は三年生になってすぐに自分の進路を決めました。製菓会社の「A」、家庭用品会社の「B」、食品会社の「C」の三社を受験すると決めたのです。それ以外の会社には行くつもりはなかったし、実際この三社しか受験しませんでした。
「この三社のいずれかで営業をやる」と心に決め、それぞれの企業ごとに一冊の「企業攻略ノート」を作りました。
 
●その「企業攻略ノート」には、企業情報、株価、マスコミ記事、OB訪問メモ、などその企業に関する情報すべてを書き込み、貼り付けていきました。その企業に対する自分の思いもそのノートに書きつづったのです。
 
そうした活動を一年以上にわたって続けた結果、社員よりもその会社に詳しくなったそうです。
 
●こうしたノートを持参し企業訪問にのぞむ Y 君 をみて、驚かない人事担当者はいませんでした。彼はこの三社すべてから内定が出ました。もちろん、順番は決まっていて、迷うことなく「A」を選んだのです。
 
●Y 君はどこからみてもエリートという感じではありません。外見はまったく普通の学生です。しかし熱意と努力は誰にも負けないものをもっていたのです。そんな彼を見て、「うちの社員も見習ってほしい」と思う経営者は多いはず。しかし、本当に見習うべきなのは経営者の方だと私は思います。「優秀な人材がこない」と嘆いているばかりでなく、彼の逆をやればよいのです。
 
●「人材攻略ノート」を作り、望む人材のプロフィールを明らかにしましょう。
「優秀な人材」とはどういう人を言うのか定義するのです。そうした人材を採用するためには、どのような会社になるべきか、また、今すぐ行動できることは何なのかを決め、実際に行動しましょう。
 
●本当に人材がほしいなら、校門の前で変な目で見られながらも狙った学生をカフェに誘うでしょう。そうした気構えがあれば、今すぐできることはかなりあるはずです。大切なのは心の底から人材が欲しいと思い、行動を開始することです。事実、人材が会社を変えるのですから。
 
 
 

2012年01月20日(金)更新

ある地方都市にて

子供のころ、戦国の英雄ものがたり『真田十勇士』を読んで興奮したことを覚えています。真田幸村につかえる十人の勇士のものがたり。

猿飛佐助、服部半蔵(皇居、半蔵門の由来となった)、霧隠才蔵、三好晴海入道、祢津甚八など、個性派揃いのキャラクターはいずれもが子供たちのスーパースターでした。

 

真田幸隆、昌幸、信之、そして幸村が実際に活躍したのは、信玄、謙信、信長、秀吉、家康などが覇権を争った戦国時代のことです。地方大名として誰に味方するか、誰に弓引くかは、そのままお家の存亡にかかわる意志決定でした。そうした中、誰が天下を取ろうが関係なく見事に泳ぎ切り、家名を守り抜いた真田一族の才覚は「したたか」そのものといえましょう。

 

戦国の真田家と同じようなしたたかさで、現代の「食品スーパー戦国時代」を生き抜く地方会社があります。

 

幸い、その会社の社長とも親しくさせていただいていますが、許可を得ていないので実名は伏せてご紹介しましょう。この食品スーパーの本社は人口数万人の地方都市。こんな小さな街にも大手スーパーの乱入が始まって15年になります。しかし、この『F』(仮名)は、「したたか」に戦い勝ち目がないと見た相手は次々に徹退していくのです。

 

「体力(資本)勝負に持ち込めば大手の全国チェーンに必ず負ける。であれば、知恵と知識と情報を武器にして、お客様にどちらが近いかという接近戦に持ちこもう」と考え、様々な施策を打ち出してきました。

 

・戦略会計の導入

・MG(マネジメントゲームの社内開催)

・計数知識に関する全社員対象の社内テスト(定期開催)

・FSPの導入

 FSPとは

  http://www.jmrlsi.co.jp/menu/yougo/my08/my0811.html 

・MY法による計画経営の導入

 MY法とは http://www.myhou.co.jp/ 

 

矢継ぎ早の経営改革。

 

経営陣も社員も猛烈に働き、猛烈に勉強したそうです。昌幸と幸村の真田一族のように、スーパー『F』でも社長を支えようと二人の息子が経営に馳せ参じ、中心的役割を果たしました。

 

経営改革の途上、こんなエピソードがあったそうです。

 

ある中堅社員は仕事ぶりはまじめなのですが、計数にあまりに弱い。毎回の数字テストの点数がとても低いのです。彼を育てようと、社長自身が深夜にまで及ぶ個人補講を行ったのですが、その甲斐なく、泣く泣く彼を更迭人事しました。そのショックから彼は退職してしまったというのです。社長もその幹部も互いに大いに悲しんだことでしょう。

「こんな方針で良いのだろうか」と社長は自らの信念が揺らいだこともあるそうです。しかし、そこに活路を求めた限りは、決めたことは断固やり抜きました。

 

社員全員が個人商店のオーナー並に経営とビジネスに精通し、数字と情報をマネジメントできるようになりました。間もなく50回目の決算をむかえる『F』は、創業二年目から一度も赤字を出していないそうです。

 

そうした自信がなせるワザでしょうか、10年近く前には社運を賭ける意志決定をしました。

それは、新しい店舗をオープンするのに約5億円かかるなか、それを見送って、ほぼ同金額をコンピュータ投資にふりむけたのです。

そしてどこにもマネできないFSPシステムを構築し、チラシ投入をゼロにし、それ以上の成果をあげる作戦を始めたのです。

 

FSPの目玉は独自のポイントカードです。徹底した地域密着と顧客指向のプログラムによって、社員はお客様の顔と名前を覚える必要が生じました。それをやり抜いた結果、びっくりするほどの結果が出始めたのです。

 

ところで、あなたは、一人の売り場担当者がクリスマスケーキを年末に何個売るか想像がつくでしょうか?

 

彼女の一声で予約申込書にサインした人の数は、なんと「400人!」

 

クリスマスケーキは必ずどこかで買うもの。だったら、あの人から買おうということになるのです。

 

「鈴木さん、本タラバ(蟹)の良いのが今入りましたが今日のご夕食にいかがですか」などと電話を入れるのです。当然、その場で予約が入って売れていきます。

この商品だったらあの人に・・・、そんな連想ができる八百屋感覚のスーパーなのです。コンピュータによって、ベテラン八百屋店主の才覚を全社員が持てるようにしたのですから大型スーパーだって叶いません。

 

「かつてほど利益が出にくくなった」とはいうものの、本当の企業力によって生み出している今の利益は明日につながります。

 

がんばれ地方企業! がんばれ小企業!

 

2011年12月22日(木)更新

新しい顧客サービスを

●米国メジャーリーグでは、ファンサービスの一環として人気選手の一人がユニホームにピンマイクを付けてプレイする日があります。選手の声はテレビの副音声でそのまま放送されるそうで、通常の放送とはひと味違う楽しみがあるそうです。
 
●かつて、新庄選手がメジャーでプレイしていたある日のこと、ヒットで出塁した新庄選手に、相手チームの一塁手が話しかけてきました。当然、相手選手も、この日は新庄がマイクを付けていることを知っています。
 
「やぁ、新庄。ナイスバッティング」
「おぉ久しぶり。ありがと、我ながら完璧だった」
「ところで、そろそろ日本へ帰るのだろう」
「いいや、帰らないよ」
「野球プレイヤーのあとは何をやるつもり」
「(ちょっと間があってから) ムービースター!」
「マジかよ?」
「ああ、マジだ」
 
こんな会話がライブで聞けるのだからファンにはたまりません。
 
●別の日、あるアメリカ人選手(外野手)は、味方投手が連打を浴びつづけ、なかなか守備時間がおわりません。そんなとき、
「なにやってんだよ、お前。早く終わらせろよ、俺の方まで調子がおかしくなるぜ」
「頼むから今日は俺の方へ打球を飛ばさないでくれ」
などと一人グチりつづけるのです。
試合内容がつまらなくても、こうしたアメリカンジョークが聞けて、最後まで楽しく放送が見られのです。実にファンを大切にする試みだと思いませんか。
 
●日本でもようやく試合中に監督インタビューを受け付けたり、審判の頭にカメラを付けたりと、新しいファンサービスを始めましたが、とても良いことだと思います。
日本球界のファンサービスのあり方に大きな影響を与えた人として、アマチュア野球「茨城ゴールデンゴールズ」の萩本欽一さんがいます。彼のおかげでアマチュア野球がとても熱くなりました。
 
●演歌歌手・山本譲二氏が設立した社会人野球チーム、山口きららマウントGが、萩本監督率いる茨城ゴールデンゴールズと、対戦したことがあります。
結果は、13-12という壮絶な打撃戦を制し、山本監督のチームに軍配があがりました。1回裏には茨城GGの女性先頭打者に対し、山本監督は、同じ女性の投手を起用したり、9回には自分も代打で出場し、長島選手ばりの空振り三振で約1万人のファンを喜ばせたりしました。
 
●欽ちゃんお得意のマイクパフォーマンスはもちろん、この日は、元ジャイアンツの宮本和知投手を助っ人登板させたり、歌手の森山直太朗がゲスト登場し、歌と笑いと真剣勝負を織りまぜた演出に、ファンはみな大満足で帰路についたと報じられました。
 
●「茨城ゴールデンゴールズ」の本拠地は、茨城県稲敷市(旧・桜川村)。大半が農村部です。選手らは稲敷市に住み込み、野球と農業の両立を目指しています。
 
「社会人野球チームが相次いで廃部の傾向にあることや、プロ野球も再編の波に押されるなど、野球界全体が揺れ動いているので、少しでも野球界の活性につながれば」とこのチームを結成することを決心したという欽ちゃん。
 
●専用球場には村民の1割にあたる約700人のファンが集まることもあります。
お正月などは駐車場で餅つきをするなどのお祭り騒ぎで、地元の警察署員も出動するほど。 欽ちゃん自身、朝10時から夕方5時まで、集まったファンすべてにサインします。どんなに時間がかかっても、時間の許す限りサインするのです。「だって、来てくださいって言ったのは僕だもん」と、ファンを大事にする欽ちゃんらしい言葉ではありませんか。
 
●ファンサービスを追究するこうした事例から学びましょう。それによって、あなたの会社の顧客サービスも今までとは違う視点がきっと見つかるはずです。
 
 
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