大きくする 標準 小さくする
前ページ 次ページ

2013年12月27日(金)更新

婚約体験記

●先日、路上で信号待ちしていたら、下校時の小学生数人のグループと一緒になった。
彼らの会話を聞いていると、そのボキャブラリーにビックリした。私が子どものころには決して使わなかった大人じみた、いや老けた単語がポンポンと飛び出てくるのだ。
「疲れたね」「うん休みたい」「癒してほしいよ」「おれマッサージ機にはまってるんだ」「温泉へ行ってのんびりしたい」・・・。敬老会の集まりではなく、小学生の会話に出てくる単語なのだ。
「がんばれ子どもたち!」と言いたくなったが、これも親の影響なのだろうか。

●そんな折り、メルマガ読者の方から先日次のようなメールが届いた。30代の独身男性によるつぶやきが聞こえてくる。
・・・いつもメルマガ楽しみに読んでいます。苦しいことも多いですが、何とかメルマガに励まされて頑張っています。ところで、私の悩みについて書いてみます。可能でしたらメルマガで是非取り上げてください。私は現在30台半ばです。結婚もしていませんし、彼女もいません。仕事に追われて気がついたらこの年になっていたという感じです。このままではいけないと彼女探しに力を入れると仕事がおろそかになり調子が悪くなり、そうすると彼女ができるのは先になるという悪循環です。彼女がいないことで、余計彼女ができにくくなっているようです。
こんな人、世の中にはあまりいないのでしょうか?成功している人たちは皆さんうまくこの辺、切り替えてやっていくのですかね。。。少子化といいますが、こんな感じの人って結構多いのでしょう。
・・・
(全文、本文のまま)

●こうした人が世の中に多いかどうかは知らないが、経営者にはこうした受け身の姿勢の人はいないはず。彼のメッセージを私なりに解釈すれば、冒頭の小学生のような「何となく」というアンニュイ(倦怠感)ムードが漂っているように思える。強く生きていく上で必要なエネルギーがまったく足りていない。
意味があってそうしている、意思があってそうしている、というのではなく、「何となくそう思うからそうしている」ように思える。

●司法試験界の「カリスマ塾長」こと伊藤真氏は、授業開始の初日に、まず生徒に合格体験記を書かせるそうだ。まだ合格していない、いや、勉強すら始めていない段階なのに、まるで合格したかのような体験記を書く。それもできるだけ具体的にリアルに書いてもらうという。
「あのとき、自分はとても苦しくてもうダメかと思ったが、家族のこんな言葉に励まされて、がんばることができた」
「今日、試験会場で発表を見てきた。自分の名前を見つけた。ジーンとした」などと合格者になりきる。
これが意外に効果があるという。

●メールの主の彼にも「婚約体験記」を書いてみるよう提案したい。主体的にエネルギッシュに生きている自分の姿を作文にしよう。自らの進路を明らかにして明るく生きている人に対して世間は、道を掃き清めて整えてくれる。その一方、自らの進路を迷いながらトボトボ歩いている人に対して世間は、行く手に石ころを放り投げイバラを敷き詰める。どんな歩き方をするかは他人が決めるのでなく、自分で決めるしかない。自分で決められるのだ。


2013年12月20日(金)更新

評価すべきは継続力

●沖縄の青い空、碧い海が大好きで毎年何度か出かけるようにしている。つい先日も沖縄でセミナーをしてきたのだが、受講者の方にこんな質問をされた。
「武沢さん、私はブログが長続きせずに困っています。武沢さんがあれだけのメルマガを毎日書きつづけられる秘訣は何ですか」
こうした質問は時々受けるが、いつも同じように返答している。
「だってこれが私の仕事ですから」とか、「それくらいしかやってませんから」などと。中には「がんばれ!社長」のことを”ご長寿メルマガ”とよぶ人もいる。たしかに20年しかないインターネットの歴史のなかで14年続いているメルマガなので”ご長寿”なのかもしれないが、私はまだかけ出しのつもりでいる。

●14年間にわたって原稿を書くことができているだけのことで、格段誇るべきことなどない。

吉田松陰さんは「青年の俊才、恃むに足らず」として次のように語っている。
・・・
人が志を立てたという時には、必ず二、三十年くらい実行したのを見届けて、その後、初めてはっきりと信じるべきである。また、認めるべきである。(中略)青年がいくら人並みすぐれた才能をもっているとしても、信頼し、期待するには足りない。誠実なまごころ、これを信頼し、期待するだけである
・・・
(『吉田松陰一日一言』 川口雅昭 編 致知出版社 刊 より)

●年下の教え子に対しても「我が良薬なり」と賛辞をおくりつづけた松陰さんだが、それは信頼と期待の表れにすぎない。本当の意味で、人の実力や価値を評価するには、二、三十年の行動を見なければわからないというのだ。

●ひるがえって今、人が人を評価する、あるいは、人が会社を評価するとき、その評価スパンが短くなりすぎていないだろうか。
・彼はいつも立派なことを言う
・彼女の会社はとても高収益だ
・あの人のビジョンはスケールが大きい
など、短期的な発言や行動、結果で他人や他社を評価しがちだ。

●松陰さんに言わせれば、「がんばれ社長!」が14年続いているくらいは、評価の対象にはならない、となる。その二倍くらいやって、初めて認めてあげようということになるのだろう。
評価スパンが短くなっているだけでなく、行動したことの結果を求めるスピードもどんどん早くなってきた。「このやり方では結果がでない」と、短絡的に結果ばかりを追い求め刺激の強い手段を探していないだろうか。

●ジム通いにしろ、販売促進にしろ、学習にしろ、人材育成にしろ、結果が出るまでには時間がかかる。それも圧倒的な時間が。
前回、「熟す」ということばを紹介したが、本人のなかで熟成するには決意の持続と絶え間ない行動や思索が必要である。また、「煮てない時間が煮物を作る」という言葉があるように、やっている時間だけでなく、やっていない時間に熟成が進むことだってある。

●続けることに意味があるとは言っても、意地になって続けるのではなく、大切なことは、今もその活動に価値を感じ、同時に、楽しみながら行えているかどうかだと私は思う。それさえあれば、二、三十年なんてアッという間だ。

吉田松陰一日一言 

2013年12月06日(金)更新

熟す

●経営計画書をつくり、発表したのだけれどうまくいかない。中身の問題だろうか、それとも発表したあとの社内チェックの問題だろうか、いや、そもそも経営計画書など我社に必要ないのではなかろうか?というような質問や相談を受ける。

●経営計画書さえ作れば会社は変わるはずと即効薬としてのはたらきを期待しておられるのだろうが、料理や酒と一緒で熟成させるための時間が必要である。
個人でも志を立てることは簡単だ。夢を語ることも誰だってできるだろう。大切なことは、志に生きることであり、それには「熟」すことが肝要なのである。

●新潟県長岡市に「河井継之助記念館」がオープンした年に私はさっそく行ってきた。なにしろ司馬遼太郎の小説『峠』の主人公として日本中にファンをもつ河井継之助。平日の午後だというのに小さい記念館の中は人が絶えることがない。新築ということで、建材のにおいが濃くのこるなか、継之助の手紙や遺品の数々を見ているうちにあっという間に三時間ほど過ごしてしまった。

河井継之助記念館
 

●ここに来て分かったことが幾つかある。『峠』で司馬遼太郎が書かなかった河井像が浮かび上がる。

その1.河井は勉強熱心だった
『峠』によれば、河井は江戸の古賀塾に学んだものの、どちらかというと不良学生であった部分を強調して書いているが、むしろ苦学生であったようだ。河井は他の塾生と同じように行動するのを好まなかっただけで、向学心は誰よりも強かったはずだ。その証拠に塾生が寝静まってから「これだ!」と決めた本を何冊も筆写している。

その2.河井は吉田松陰からも学んでいた
その筆写本の中に吉田松陰の著作として名高い『孔孟余話』が入っている。小説『峠』の中では、吉田松陰の愛弟子の吉田稔麿(よしだ としまろ)と東海道で会話する場面があるが、実際には、松陰と継之助はもう少し濃厚な関係があったのかもしれない。

●彫るように書く、文字が立ってくるほどに書く、それが河井流であったらしい。記念館でみた直筆の筆写本は、一文字一文字を彫刻刀で彫り刻むようにして書いてある。わずか一文字といえどもゆるがせにしないという気迫で書き写しているのだ。

●今とは違ってこの時代は、書物が簡単に買える時代ではなかった。書き写すことは当時の教養人のごく一般的な学習法だったのだが、それでも河井の特徴は、『峠』に出てくる次のひとことで察することができよう。
・・・
私は気に入った書物しか読まない。そういう書物があれば何度も読む。会心のところに至れば百度も読む、と、そういうふうなことを、継之助はひくい声でいった。(松陰先生に似ている)と、稔麿はおもった。
・・・

●「松陰」(しょういん)というのは松下村塾で維新の志士たちをたくさん育てたあの吉田松陰のことだが、彼はこのような言葉を残している。

・・・
今、人々が学んでいる四書五経は、孔子、孟子が説いた教えを記したものである。それなのに、善の善なる境地に達することができないのは、「熟」という一字を欠いているからである。「熟」とは、口で読み、読んで熟さないなら、思索、つまり物事のすじみちを立てて深く心で考え、思索しても熟さないならば行動する。行動して、また、思索し、思索してまた読む。本当にこのように努力すれば、「熟」して善の善なる境地に達することは疑いないことである。
・・・

経営計画書に書いてある様々な思いや願いを「熟」していくための継続的な取り組みが会社のなかに必要なのである。

2013年11月22日(金)更新

D社の貯蓄作戦

●前回の続き。
「会社にお金が貯まらない」のがD社長の悩みだった。自宅で好物の梅酒ロックを片手にそのことを妻に話すと、なんと彼女がとっておきの方法を教えてくれた。時には愚痴ってみるのも悪くないものだ。彼女のアイデアを聞いたとき、「それなら会社でもやれそうだ。最初はちょっと面倒だけどうまく回り出せば楽にお金が貯まるような気がする」とDは思った。

●D社の普通預金や当座預金にはいつも運転資金として必要な資金だけがプールされていて、積み立て預金や定期預金のたぐいはまったくない。20年以上会社をやってきてこんな状況では情けない。どうしたら資金力のある会社になれるだろうかとかねがね思ってきたD。

●奥さんの助言に従って口座管理のあり方を変えることにした。今までは、入金や出金の9割以上はひとつの普通預金口座でまかなってきた。まれにサブの口座や郵便局・ネットバンクを使うときもあるが、それは全体の1割程度だ。

●D社長は入金用口座と出金用口座を分けることにした。毎月3千万程度の売り上げ入金があるが、そちらは今までの普通預金口座「A」に振り込んでもらう。そして、この「A」をマスター口座と位置づけ、資金を蓄えるのもこの「A」が行う。

●次いで、出金(業者への支払い用や経費の支払い)専用口座「B」と、特別支出専用口座「C」の二つを新たに作った。「C」の口座では、社員の賞与や納税資金など不定期ながらも確実に出費することがわかっている性質の資金を貯めておく。そして毎月一回だけ、決めた日にマスター口座から「B」「C」へ資金移動するわけだが、必ずマスター口座にお金が貯まるように資金移動する。仮にマスターに100入金があっても、「B」と「C」には合計して90位しか資金移動しない。あとはそれで何とかやっていくのだ。そうするとマスター口座には常時、入金額の1割程度がプールされていくという考え方だ。

●果たしてこんなシンプルなやり方がうまくいくかどうかはまだ分からないが、彼の奥様の実績があるので心強い。大切なことは目的に向かってまず行動することだ。ところでこのやり方は奥様の特許ものアイデアかと思いきや、参考図書があるというのでさっそく私も読んでみた。

富を築く100万ドルのアイデア

●個人の家計管理についていえば、この本の通りに実行するのは簡単だろう。そして貯まるに違いない。だが企業の資金管理においてどれだけ通用するものかどうかは未知数だが、考え方はものすごく参考になるはずだ。D社の実験の推移をこれからも見守りたい。

2013年11月14日(木)更新

現金の迫力

●岐阜県の食品卸し会社「D」のD社長は、社長就任早々、銀行の協力を得てある実験をした。
D社では毎月の売上高が約3,000万円、原価(仕入れ)が2,400万円、粗利益が600万円、毎月の経費が550万円、毎月の営業利益が50万円というのが平均的状況だった。

●ある実験とは、昼の休憩時に13名の社員・パート全員を会議室に集め、テーブルの上に現金3,000万円を積み上げたものを見せることからはじまった。しかもあえて真っ新なピン札ではなく、使い込まれた一万円紙幣だけできっちり3,000枚が積み上げられているので、相当なボリューム感だ。

●「うわあ、何ですかこれ。山分けですか」とはしゃぐ社員がいる中、D社長は「そうや、山分けするんや」と言った。さらに、「いや、すでに毎月山分けしとるんや。ただ、その実感をみんなに伝えたくて集まってもらった」と続けた。

●「ここにある現金はなぁ、みんなが毎月働いてうちの会社が売り上げた一ヶ月分の売上や。まず、この売上の中から業者さんに支払っているうちの仕入れ分がこの中の2,400万円」とまず、その分の金額を横へずらした。
次に、残った600万円のうち、毎月支出している550万円を横へずらした。
「これはうちが毎月使ってる経費550万や」そして、ぽつんと残った50万円を手にとってD社長は、「これが毎月の会社の利益や。いや、正確に言うとこの半分は税金や。だから25万円だけ、これだけがうちの会社の儲けや」人差し指と親指の二本だけで軽くつまめる厚みになってしまった。

●「でもなみんな、この25万円も銀行さんの借金返済にすべてが回っていくので、会社としては一円も残らないのが現状や。お恥ずかしい話だが、うちは、ひ弱い体の会社でしかないというのが現実だ。だが、これからはきっちりと蓄えて、頑丈な体の会社にしていきたい。それが僕の希望であり、会社としての方針や」

●「ここでちょっと考えてみようや。このテーブルの上に乗っかってる3千万をもっと上手に使うことが出来たら、もっと会社の利益が残ると思わへんか。そしたら、もっとみんなへの分け前も増えるとおもわへんか?」「思う」「思う」と社員たち。社員の感覚としては、この中のたった一枚でも自分のものとして分け前が増えればうれしいのが本音だろう。

●「じゃ今からちょっと作戦会議や」と、社員一人一人に紙を一枚渡した。毎月の損益計算書をカラーで見やすくした表だ。

それを見ながらD社長は、「まず一番大きな山である"仕入れ代金2,400万円の支払い"、これはどうしたらええ?」と水を向ける。「まけてもらいましょう」「いや、一方的にまけろと言っても通らないだろ」など、ひとしきり議論がある。

●「次にこの経費550万円の使いみちやけど、現状は、そのうち約400万円が人件費や。つまりみんなの給料や社会保険、それに賞与に回るお金を足すと、ざっと400万円になる。あと、家賃がこれだけ、交通費がこれくらいっと、光熱費がこれだけかかってるし、通信費がおおむねこれだけ・・・」という具合に現金を動かして説明していくので迫力充分だ。これだけの大金を見るのは初めてという社員ばかりで、中には、ゴクッとつばを飲み込んで話を聞く社員もいた。

●最後にD社長はこう締めた。「今日は銀行さんのご協力を得て、会社の動きを現金でみんなに見てもらうことができた。毎月こんなことが出来るわけやない。これからは毎月一回、みんなに紙で配って経営報告会をやる。その時に、みんなの意見や知恵を聞かせてもらいたいと思っているのでよろしく」

●このミーティング直後、D社長は銀行マンとある打ち合わせを行った。それは銀行口座の管理方法についてなのだが、それは次回に続く予定。


 
«前へ 次へ»