大きくする 標準 小さくする
前ページ 次ページ

2008年10月17日(金)更新

育成と選抜

●「Jリーグに選手を送り込むことだけが目標ではない。むしろ選手には、それが最終目標でサッカーをやってるんじゃない、と教えています」と語るのは、サッカー指導歴20年のA氏。

●Jリーガーになれる確率は、「1000人に1人いるかいないか」といいますが、その狭き門を潜り抜けてピッチに立つJリーガーたちは、アマチュアサッカー選手からみれば憧れの存在でしょう。しかし、それに憧れるのは結構なことですが、先のA氏の話にあるとおり、Jリーガーになることだけがサッカーをやる目的ではありません。

●A氏は、「サッカーを通じて健全な身体や心、それにチームプレイというものを指導していきたい。サッカーを一生のスポーツとして愛し、人生の重要な場面にはいつもサッカーがあるような関わり方をしていってほしい」と続けます。

企業の人材育成においても同様の視点が求められるはずです。それは、「選抜」と「育成」という二本柱です

「選抜」とは、ふるいにかけて優れたものを選び出すこと。
「育成」とは、選手を育て組織全体のレベルアップをはかることです。

この二つのうち、いずれが良いかという問題ではなく、両方が大切なのではないでしょうか
●能力主義型の人事制度の中には、単なる選抜主義だけのものが少なくありません。がんばった人に大きく報いるのは当然のことですが、その一方で、がんばっても結果が出なかった人や、何らかの事情によりがんばれなかった人に対するフォローのしくみが伴っていないとうまくいきません。

●組織の基礎となる育成のしくみを最初にきちんと作り込んだうえで、さらに選抜システムを付け足すのが理想でしょう。人材が豊富な大企業ならば、育成のしくみがある程度構築済みですので、そこに新たに選抜システムを組み込んで、あとは社員間の自由競争に任せるだけでいいですが、中小企業ではそうはいきません。まず育成のしくみを作ることがが必要なのです

最初にすべきことは、なぜ人材を育成するのかという「目的」を「育成理念」として明文化することです。社長が「立派な人材を育成したい」と思って教育に力を入れていても、社員に「どうせ会社の都合、社長のエゴと趣味で教えているんだろう」と思われていては何も伝わりません。

●戦前の日本には、世界から賞賛されていた「教育勅語」というものがありました。「教育勅語」は、人が学ぶ目的を明文化したものだったのですが、戦後になってから日本はそれを取り下げてしまいました。そのときから、教育の理想がなくなってしまい、日本の教育の混迷が始まったといえるのではないでしょうか。

●その事実を反面教師とし、私は企業にこそ「教育勅語」を制定する必要があると思います。経営者の思いと教育を受ける側との思いを一致させる「教育勅語」を制定し、それをベースにして、あなたの会社に育成と選抜のしくみを構築していきましょう

2008年09月29日(月)更新

専務号泣

●ある日のことです。住宅資材商社であるM社の経営方針発表会に参加しました。
M社のM専務は、私が開催した経営セミナーの修了生で、彼の会社の成長ぶりには以前から関心があったので、喜んで出席することにしたのです。

●このM専務(33)には、同社の社長でもある父がいます。見たところ大変若く、あとで65歳と聞いてびっくりしたのですが、人をそらさぬ見事な人格者のようでした。また、これまでは業界の成長とともに、父の代で会社を大きくしてきたのですが、そろそろ専務体制にシフトしていきたいという様子もうかがえました。


●M専務は入社5年目で、それ以前はハウスメーカーで営業の仕事をしていました。弁舌さわやかで勉強熱心な人ですが、若さと社歴の浅さからか、まだまだ社内のベテラン職人さんたちを率いていく力が空回りしているようにみえました。

●そのような状況の中、今年の発表会では、初めてM専務が一人で作り上げた経営方針書を発表するというのです。はたしてどの程度受け入れられるのか、あるいは総スカンを食ってしまうのか、私もドキドキしながら席につきました。

事業承継をするときは、新しいリーダーと従業員の間で信頼関係を築き上げることができ、社内が一丸となって目指す方向に進んでいけるかどうかが、非常に重要です。おそらく、この経営方針発表会でM専務の力量を試すことも、社長にとって目的の一つだったのでしょう。
●名古屋市内の某ホテルで行なわれた発表会の参加者は、全従業員10数名と来賓数名。司会はM専務の奥様でもある総務部長です。社長あいさつ、来賓の紹介と進み、いよいよM専務による方針の発表がはじまりました。

●私は来賓なのになぜか最前列の真正面だったので、彼の息づかいの様子が手にとるようにわかったのですが、彼は最初こそ緊張していたものの、やがて落ち着いていきました。
そして10分もしないうちに、緊張がとけてふだんの彼になり、徐々に興奮気味になっていきました。「うちの会社は変わらねばならないんだ~」と最後の方は、完全にハイテンションでした。

●そして、いよいよラストの締めくくり、という段階になって異変がおきました。
「最後になりますが…。ああ、ごめんなさい…。ちょ、ちょっと失礼。あ、ダメだ。…フー。どうしたんだろ…。あ、ごめんなさい。」

やがて、M専務は天井を見上げました。そして両方の目尻からスルスルと涙がこぼれ、頬を伝いました。やがて、声をあげて号泣しはじめました。
あまりに突然のことで、周囲も私も最初はきょとんとしていましたが、30秒、1分と彼の泣き顔をみているうちにこちらまで感極まってきました。

●彼はついに結びの言葉を言うことができず、お辞儀だけで発表を締めくくりました。そして、来賓の言葉ということで私の出番になったのですが、こちらももらい泣きしてしまっていたので、自分でも何をお話ししたのか覚えていません。

●懇親会のときM専務は私にこう言いました。

とにかく、社員のみんなにお礼を言いたかった。『ふだんから出来の悪い自分をカバーしてくれてありがとう。それに、ふだん足を引っぱっている自分が、前で偉そうなことを言って申し訳ないという気持ちと、うちの会社を辞めず、毎日朝早くから夜遅くまで働いてくれて本当にありがとう』という気持ちが入り混じって、みなさんに無様な格好をお見せしてしまいました」

●あれから数年経ちました。彼の会社は今完全にM専務体制になり、新しいリーダーのもとで社内が一丸となってとてもムードが良いそうです。こういう誠実な姿勢が言葉を越えて互いの信頼関係を作っていくのだと思います

2008年09月12日(金)更新

誤った能力主義

●それぞれが自己紹介するのではなく、相手のことについてお互いが質問して理解しあうことで、かえってメンバー同士の理解が進むということがあります。これを他己紹介というのですが、初対面ばかりの会合でもこれをやると意外に盛り上がります。

●また、私たちは自分だけのためにがんばるよりも、相手や他人、あるいはチームのためにがんばる、というモチベーションのほうがより強く働くようです。当然、企業の人事評価制度においても、そうした心理をふまえることが望ましいのですが、個人単位の成果主義にして失敗する会社が、まだまだあとを絶ちません。最近もこんなことがありました。

●ある社長から、「武沢さん、当社も去年から能力主義型賃金にしたのだけど、どうもうまくいっていない。どこがいけないのだろうか?」と相談されました。この会社は子供服専門のお店を4店舗ほど経営しており、正社員やアルバイトなど、あわせて40名近いスタッフが働いています。

●実は、この会社は最近になって業績が急激に低迷し、二年前に初めて赤字転落して以来、毎月赤字が続いているそうです。でも、その割に社員に危機感が見られず、目標意識も希薄だということでした。
●「創業以来、ずっと仲良し集団でやってきた弊害がここにきて出始めている」と社長は思ったそうです。そこで昨年、「能力主義型賃金制度」を思い切って導入し、全社一丸でこのピンチを乗り切ろうとしました。

●この制度を導入するにあたり、社長は書店や図書館に足繁く通い、何冊もの賃金設計の本を読み込んで、独自の評価・賃金制度を設計したというのですから大したものです。『キャスティング・プラン』というしゃれた名前をもつこの制度は、社員一人ひとりの販売額をポイントに換算して合計し、1点に付きいくらというかたちで給与に加算するというものでした。

●つまり、基本給を大幅に下げ、歩合給の要素を相対的に大きくしたのです。また、お互いの販売額を競わせるため、店長室には個人ごとの目標達成度合いを表す棒グラフを貼りだしました。

●ですが、この評価制度を導入して一年近く経っても業績は全然伸びず、逆に社員からはブーイングが浴びせられています。とくに、若い女性スタッフが多いこの会社では、「こんな個人競争はいやです」と言われているそうです。

●デミング賞でおなじみのデミング博士は、「一年に1~2回、伝統的に行なわれる個人業績評価は、かえってチームワークを損なう」と言っています。進学校の受験競争のような、「あなたは○○人中△△番目の結果です」と言わんばかりの評価制度は有害であり、組織の雰囲気を破壊しかねないというのです。

●業績連動型の賃金にするのは結構なことでしょう。ただし、それはもっと緩やかなかたちで導入すべきです。たとえば、店舗全体の業績に対し、チームメンバーは全員連帯責任を負う。しかし、「信賞必罰」はすべて賃金に反映させるのではなく、社員旅行や食事会の予算にはねかえってくるなど、チーム全体が盛り上がるような方法を模索した方がいいのではないでしょうか。

2008年09月01日(月)更新

誰よりも常識的でありたい

古今東西、成功した人はそのキャラクター性の一部として、「熱」とか「狂」という要素を持ち合わせていました。それは、次のような名言にみることができます。

・「思想を維持する精神は狂気でなければならない」(吉田松陰)
・「熱狂せずに作られた偉大なものは何もない」(エマーソン)
・「結果というものにたどり着けるのは偏執狂だけである」(アインシュタイン)
・「大切なのは熱狂的状況を作ることである」(ピカソ)

●我々はこうした名言を100でも200でも探してくることができるでしょう。ですから私は、過去に「狂気を持とう」「熱を帯びよう」という話を何度もしてきました。その必要性をますます感じる今日この頃ですが、なかには誤解もあるようです。

●最近、ソフト開発会社を経営している人にこう言われました。
「武沢さん、うちには挨拶とかマナーとかが苦手な社員が多いのです。たとえば服装ひとつをみても、カジュアルを通り越してだんだんだらしない雰囲気になりつつあり、何度注意をしてもすぐに崩れてしまいます。ですが、そんな彼らも仕事の面ではすごく有能だし、付き合ってみれば楽しい仲間なので、しつけは諦めるしかないかなと思ってしまうのです」

「え、諦めちゃうのですか?」

「だってかわいそうだもの。最近の『がんばれ社長!』でも狂気とか熱狂が大事とありますし、別に挨拶くらいできなくても仕事が人一倍できればそれでいいか、と自分に言い聞かせているのですよ」
●残念ながらこの社長は勘違いしておられるようです。
「狂気」とか「熱狂」とは言っても、それはあくまで仕事ぶりの話であって、決して人間性の話ではありません。マナーが悪いとかルールを守れないということは人間として常識をわきまえていないということです。これを許してはなりません。

●「思想を維持する精神は狂気でなければならない」と最も自分に狂気性を求めていた吉田松陰ですら、「他人から見てどんな人間でありたいか?」と友人に聞かれたときには「誰よりも常識的で、むしろ貴婦人のように慎ましやかでありたい」と答えています。

「狂気」や「熱狂」が大切なのは、その思想・アイデア・行動のことであり、態度や立ち居振る舞いのことではないのです

2008年05月09日(金)更新

執行責任者制の意義

●先日、ある方からご相談を受けました。

武沢さん、うちも新年度から、CEOとかCOOとかいうポストを導入しようと考えているのですが、どう思いますか?
「ほー、なるほど。その狙いは何ですか?」
「何となくカッコイイじゃないですか」
「カッコいい? それだけの理由ですか……」
「若手社員の動機づけにもなるかと」

●本来は「カッコイイ」とか、「社員の動機づけ」を目的に役職名称を決めるものではありません。しかし、最近はこうしたカタカナ名称の名刺をもらう機会が増えており、間違いなく日本の中小企業にも浸透しつつあるようですので、少しおさらいしておきましょう。

☆ CEO(chief executive officer)…… 最高経営責任者
☆ COO(chief operating officer)…… 最高執行責任者
☆ CFO(chief financial officer)…… 最高財務責任者
☆ CIO(chief information officer)…… 最高情報責任者
☆ CTO(chief technology officer)…… 最高技術責任者

●その他にも、最高知識責任者(CKO)、最高個人情報保護責任者(CPO)、最高顧客市場分析調査責任者(CMO)などもあります。そんなに新しい肩書きをつくってどうするのだろうと思いますが、大企業ではそれでもまだ足りないほど経営の守備範囲が広くなっているようです。
●日本の商法では、「代表取締役」が株式会社の最高責任者とみなされているだけで、これらカタカナ名称は非公式の社内ポストに過ぎません。ソニーが1976年にこの名称を採用したのが第一号となっており、徐々に国内ビジネスでもこの執行責任者の名称を使うケースが増えているようです。キヤノンやシャープのように従来からの漢字名称をそのまま使っている会社もありますが、海外ビジネスではむしろカタカナ名称が一般的です。

・ソニー
   会長兼CEO ハワード・ストリンガー
   社長兼エレクトロニクスCEO 中鉢良治
   副社長、コンスーマープロダクツグループ担当 井原勝美

・ユニクロ
   代表取締役会長兼社長 柳井正
   取締役兼常務執行役員COO 大笘直樹
   社外取締役 松下正

●このように、世界企業の一部ではごく自然にカタカナ名称が使われています。もちろん、カッコ良さの問題ではなく、経営戦略上の確固たる意味があってのことです。

●経営の4大役割である「ビジョン」「戦略」「執行」「戦術」の各々について、一人で何役もこなせるほど今の経営環境は甘くありません。CEOはビジョンと戦略を、COOは執行と戦術を分担しようというような狙いがそこにあるのです

●「カッコイイから」「社員のモチベーションのため」という理由ではなく、経営の役割を分担するのであればカタカナ名称の役員チームにすることも充分な意義があるはずです
«前へ 次へ»