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2010年07月23日(金)更新

社長が考えていること(1)

●「考える」ことと「悩む」ことには、はっきりとした違いがあります。「考える」という行為は生産的であるのに対し、「悩む」という行為には非生産的な響きがあります。
なにかを生みだそうと紙と鉛筆(またはパソコン)を手にして考えることが大切です。書いて書いて書きまくっていくと、やがて指が勝手に考えてくるようになります。

●先日の「海の日」の連休を利用して『社長のための計画合宿』を名古屋で開催しました。15人の社長が自社の経営理念や経営戦略を紙に落とし込んでいきます。一泊二日とはいえ、正味10数時間はアッという間に過ぎてしまいます。

そんな合宿の過ごし方をみていると、生産的な社長は書きまくって考えていますが、生産的でない社長は腕組みをし、虚空を見上げながらウンウンとうなっています。

●すでにあらゆる社長が、あらゆる問題について考えてきました。そうした先人の知恵を活用し、いただけるアイデアはどんどん吸収していけば良いのです。

中小企業の経営者は今まで何を考えてきたのでしょうか。

「あなたは今、何を望んでいますか?」をWish Listにしてくださいと私はお願いしています。多い人は1,000個以上のWishを書いてこられます。少ない人でも100個くらいはすぐに書けます。リストの中味は経営だけに限らず、健康のことや学習、教養、知識、精神、家庭、経済、趣味や娯楽など自由に書いてもらいます。ただし、二つだけ約束事があります。一つは、ポジティブに書くこと。「資金繰りが悪い」と書くのではなく、「潤沢な資金がある会社にしたい」と書く方が希望がもてるからです。

もう一つは、なるべくイメージが湧くように書くことです。「フランスへ行きたい」と書くよりは、「ルーブルでモナリザに対面したい」とか「三つ星レストランでフレンチ料理を楽しみながらボルドーワインを満喫したい」と書く方がリアリティがあってワクワクします。

●今日はそんな「Wish List」の中から、経営に関することだけを拾い集めてみましたので、ちょっと見てみましょう。

■1.理念・ビジョン関係

・きっちりと成文化した経営理念を作りたい
・理念を組織内に浸透させ、実践したい
・会社の将来に対して明るい希望がもてるようなビジョンを作りたい
・ビジョナリーカンパニーになりたい

■2.業績と財務関係

・絶対つぶれない会社になりたい
・100年続く会社になりたい
・売上高を増やしたい(χ年でy倍にしたい)
・利益率が高い会社にしたい
・年商に匹敵する現預金をもちたい
・長期にわたって増収増益を続ける会社にしたい
・無借金企業にしたい
・自己資本比率をχ%以上にしたい
・ROA(総資本利益率)をχ%以上にしたい
・株式公開できる会社になりたい
・買収されるような会社になりたい
・後継者が継ぎたいと思えるようなピカピカの会社にしたい

■3.社員関係

・社員の平均年収を業界平均のχ%アップでキープしたい
・社員が指示待ちではなく、自分で率先して仕事を創ってほしい
・年収1,000万円プレーヤーを社員の中から出してやりたい
・社員とその家族から我社で働いてきて良かったと言われたい
・社員の愛社精神が高い会社員したい
・報告・連絡・相談がきっちりできる人材ばかりにしたい
・時間や納期に対してシビアな社風を作り上げたい
・社員ひとりひとりに人生ビジョンを作らせたい
・社員から毎年最低一人、新規事業部門の社長を育てたい
・10年計画くらいのスパンで複数の若手後継者を育成・選抜する
・有給休暇が堂々と取れ、完全消化できる会社になる
・優秀な若者が毎年入社してくるような会社にしたい
・高齢者でも働ける会社、高齢者が入社してくる会社にしたい
・社員旅行を年二回開催し、一回は国外旅行にしたい
・社員教育の体系を整備したい
・女性人材が入社し、定着し活躍できる会社にしたい
・福利厚生の一環として、プロ野球のシーズン券を確保したい

■4.営業関係

・手形を切らない、もらわない
・新規開拓力の強い営業部隊を作りたい
・営業が営業の仕事をしていないので、営業活動に専念させたい
・全国の主要都市に営業拠点網を完成させたい
・中国やアジア諸国との貿易を開始したい
・自社開発のオリジナル商品の比率を高め、下請け依存度を下げたい
・口コミでお客が広がる状態を作りたい
・無事故無災害の会社になる
・会社案内を始めとした営業ツールを毎年アップデートしたい
・毎朝朝礼前の10分間を読書時間とし、読書の習慣を全員がもつ


<続きは次回。あなたも「Wish List」を作ってみましょう!>

2010年07月16日(金)更新

士の心

●山口県萩市にある「松下村塾」跡地、今の松陰神社には毎年一回は訪れています。ここにくるだけで、自分の志が問われるようで、厳粛な気持ちになれるからです。
志というものは、何かになろうとするために作るものではなく、いかにあるべきかの基準を定めることのほうが大切なのだと思います。

●吉田松陰が叔父・玉木文之進の嫡子、毅甫(きすけ)の元服に際して贈ったことばがあります。このときの文章がのちの松下村塾の士規七則につながっています。

1.およそ生をこの世に受けて人となったからには、人が禽獣(きんじゅう)と異なるゆえんをしらなければならない。思うに人には五倫がある。そのうち君臣、父子の道が最も大切である。だから人の人である真面目は、忠孝を根本とすることにある。

2.およそ皇国に生まれたからには、わが国が世界各国より尊いわけを知っていなければならない。思うに、皇室は万世一系であり、士や大夫は代々禄を受け地位を継いでいる。
君主は人民を養い、祖業を継がれ、臣民は君主に忠義を尽くし、もって父の志を継いでいる。君民一体、忠孝一致、これはわが国だけの特色である。

3.士の道は、義より大切なものはない。義は勇気によって実行され、勇気は義によってますます発揮される。

4.士の行為は質実で自分の心を欺かないことが肝要である。いつわりに巧みであったり、あやまちを飾りごまかすことを恥とする。心が明白で邪心なく、行ないが正しく堂々としているのは、みなここが出発点なのである。

5.人たる者で、古今の学問に通ぜず、聖賢を師とせず、自己の修業をおこたるようでは、心のいやしいままで終わってしまうだ けである。読書や賢人を友人とするのは君子のなすべきことである。

6.徳を厚くし才能を磨くには、師の恩や友人の益によるところが大きい。それゆえ君子は人との交際を慎重にする。

7.死してのちやむの四字(死而後己)は、言葉は簡単であるがその意味は広い。堅くたえ忍び、果断に実行し、断固として心を変えないのは、この死してのちやむの精神をほかにしては道がないのである。

●いかがでしょうか。

何かになろうとする目標より、いかに生きるべきかを重視する姿勢は当然のことかも知れません。なぜなら、もし士(さむらい)が何かになろうとする目標をもつとしたら、いつ下克上の世の中になるかわかりません。

志とは士の心と書くごとく、立身栄達よりも、心を大切にすることです。
日常のなかに義を元にした研ぎ澄ました生き方をすることが当時の士の志だったのでしょう。

私たちもそうした部分を忘れずに持っていたいものです。

2010年07月09日(金)更新

海援隊約規に学ぶ

●「海援隊の約規は実に簡素なものである。事細かな規則など必要ない。我々は天を翔ける鶴、その飛ぶ所にまかす。鳥かごの中に入るものではない」と龍馬が書いているように、海援隊の約規はとても短いものです。その原文と武沢訳の両方をお届けしましょう。

【海援隊約規 原文】

一.凡嘗テ本藩(土佐)ヲ脱スル者及佗(他)藩ヲ脱スル者、海外ノ志アル者此隊ニ入ル。
  運輸、射利、開柘(拓)、投機、本藩ノ応援ヲ為スヲ以テ主トス。
  今後自他ニ論ナク其志ニ従ッテ撰入之。

二.凡隊中ノ事一切隊長ノ処分ニ任ス。敢テ或ハ違背スル勿レ。若暴乱事ヲ破リ妄謬害ヲ引ニ至テハ隊長其死活ヲ制スルモ亦許ス。

三.凡隊中忠難相救ヒ困厄相護リ、義気相責メ条理相糺シ、若クワ独断果激、儕輩ノ妨ヲ成シ、若クハ儕輩相推シ乗勢テ他人ノ妨を為ス、是尤慎ム可キ所敢テ或犯ス勿レ。

四.凡隊中修業分課ハ政法、火技、航海、汽機、語学等の如キ其志ニ随テ執之。
  互ニ相勉励敢テ或ハ懈ルコト勿レ。

五.凡隊中所費ノ銭糧其の自営ノ功に取ル。亦互ニ相分配シ私スル所アル勿レ。
  若挙事用度不足、或ハ学科欠乏を致ストキハ隊長建議シ、出崎官ノ給弁ヲ竢ツ。

 右五則ノ海援隊約規、交法簡易、何ゾ繁砕ヲ得ン。モト是翔天ノ鶴其ノ飛ブ所ニ任ス。豈樊中ノ物ナランヤ。今後海陸ヲ合セ号シテ翔天隊ト言ハン。亦究意此ノ意ヲ失スル勿レ。

【海援隊約規 武沢訳】

一.およそかつて本藩を脱する者、他藩を脱する者、内外に志ある者、みなこの隊に入る資格あり。運輸、営利活動、開拓、投機、本藩の応援をもって主業務とする。今後、異論なくば方針にかなう業務はこれに加わる。

二.およそ隊中のことのいっさいは隊長の処分にまかせる。隊員は、隊長の指示方針などに違背してはならない。もし暴乱、違反行為、隊に対する迷惑行為などがあれば、隊長がその死活を制することを許す。

三.隊中にあっては、互いの困難を助けあい、守りあい、互いの気分が緩んでいるときには責めあい、道理や筋道の通らぬことは正しあい、独断で過激な行為に走るのを制しあうこと。仲間の邪魔をしたり、集団で他人の行為の邪魔をするなどの行為は、もっとも慎むべき所で決してこれを犯してはならない。

四.隊中の修業分課は、政法、火技、航海、汽機、語学等のごとき、その志に従ってこれを学ぶ。互いに勉励し、怠ってはならない。

五.隊中の活動は独立採算。活動に要する経費などは、隊の活動で得た利益でまかなうこと。収益は互いに分配し、私腹を肥やしてはならない。万が一、資金が足りず、修業に支障がでるような場合には、隊長が建議し、出  崎官役(後藤象二郎)の支給をまつこと。

 以上五則の海援隊の約規は実に簡素なものである。事細かな規則など必要ない。我々は天を翔ける鶴、その飛ぶ所にまかす。鳥かごの中に入るものではない。今後、海の海援隊だけでなく、陸をもあわせて「翔天隊」と言わん。この理想と精神を忘れてはならない。

●いかがでしょう、龍馬の真剣味が伝わってくるようですね。
事実、海援隊の活動は本格的なものでした。第四条に出てくる「政法」とは、政治活動に関するもので、後に政治的出版物を発行することにつながっています。
また、「火技」「航海」「汽機」に関してはそれぞれの専門家が隊内にいたほか、龍馬の師である勝海舟から神戸海軍操練所で教えを受けるなど、最先端教育をほどこしていたのが「海援隊」なのです。

●あなたの会社にとって「約規」に相当するものが「就業規則」でしょう。

しかし就業規則は「労働基準法に準拠している会社ですよ」ということを労基署に示すために作られたものが多いはずです。社長の理想や思想が入っているものは少ないでしょう。これを機会に、就業規則とは別に「海援隊約規」に相当するものを作ってみてはいかがでしょうか。

●就業規則を分かりやすく解説した「社員ブック」を作ろうと説く人がいます。経営理念やクレドを作り、それをカードにして毎朝唱和しようという人もいます。
「経営計画書」や「経営マニフェスト」を作ってそれを毎日1ページずつ音読するという人もいます。
形式ややり方は何でも構いません。大切なことは、全員がそれを読んで魂が鼓舞され、自分達が目指しているものや仕事遂行上の原理原則を確認できる簡潔なものが良いと思います。

2010年06月25日(金)更新

ある母の手紙

●今から100年ほど前の明治45年、ある母親がアメリカにいる息子に宛てた手紙をご紹介しましょう。
この母親は幼いうちに両親と生き別れ、子供のころから働きに出たため、学校も満足に出ていませんでした。手紙には誤字も多いし句読点のうち方もヒドイ。でも息子の心をとらえてはなさしませんでした。そして、後に出世した息子の記念館にいまもこの手紙の実物が保存され、それを見た私の心まで打ってしまいました。

・・・
おまイのしせ(出世)にわ、みなたまけ(驚ろき)ました。わたくしもよろこんでをりまする。
なかた(中田)のかんのんさまによこもり(夜篭り)をいたしました。
べん京なぼでも(勉強いくらしても)きりかない。(きりがない)いぼし。ほわ(烏帽子=近所の地名 には借金を返すようにいわれて)こまりおりますか。(困っています)
おまいか。きたならば。もしわけ(申し訳)かてきましよ。
はるになるト。みなほかいド(北海道)に。いてしまいます。わたしも。こころぼそくありまする。
ドか(どうか)はやく。きてくだされ。
かねを。もろた。こトたれにこきかせません。それをきかせるトみなのれて(飲まれて)。しまいます。
はやくきてくたされ。はやくきてくたされはやくきてくたされ。はやくきてくたされ。
いしよ(一生)のたのみて。ありまする。
にし(西)さむいてわ。おかみ(拝み)。ひかしさむいてわおかみ。
しております。きた(北)さむいてはおかみおります。みなみ(南)たむいてわおかんておりまする。
ついたち(一日)にわ しおたち(塩絶ち)をしております。
ゐ少さま(栄昌様=修験道の僧侶の名前)に。ついたちにわおかんてもろておりまする。
なにおわすれても。これわすれません。
さしん(写真)おみるト。いただいておりまする。はやくきてくたされ。いつくるトおせて(教えて)くたされ。
これのへんちちまちて(返事を待って)をりまする。ねてもねむれません。
・・・


●「1日も早く帰ってきてほしい、私は心細い」と息子に訴える母。この手紙の差出人は、野口シカさん、受取人は息子の野口英世です。

極貧の農家に生まれた野口清作(のち英世と改名)は、困窮していたシカさんにとって希望の星でした。ところが、一歳半のときに起こったあの有名な悲劇。

●我が子のすさまじい鳴き声に驚いて駆けつけてみると、清作がいろりの火の中に体ごとうつぶせに倒れこんでいたのです。あわてて抱き上げるシカ。ですが清作の左手が無残に焼けただれ、シカは苦痛と恐怖でぶるぶると震えていたといいます。場所は猪苗湖畔の寒村で、近くに医者はいません。もしいたとしても、払えるお金はありませんでした。
シカは一心不乱にお経を唱え、21日間にわたって観音様に願をかけながら寝ずの看病を続けます。

●幸い命は助かったものの、清作の左手は、親指が手首のところにねばりつき、中指は手のひらにねばりついて離れない。松の木のこぶのような醜い姿となってしまいました。
このとき、シカは清作の将来について悲観せざるを得なかったのです。

「こんな手では百姓はできない。この子を一生養ってゆかねば」

●シカは我が不注意を深く悔いました。そして息子を養っていく覚悟を固めます。
ですが予想外なことに、清作はヤワな男ではありませんでした。努力家の秀才だったのです。死に物狂いで学問に打ち込みました。睡眠時間は極端に短く、風呂焚きなどの仕事をしながらも読書し続けました。
そんな清作にやがて支援者があらわれたのです。
清作は、上京して医者を目指す決意をします。この時に、清作が自宅の柱に小刀で彫った言葉が今も残されています。

 -志を得ざれば再び此地を踏まず-

私は野口英世記念館でこの彫り物をみました。

●学問が認められ、米国の研究所で助手を務めるなどをしながら栄達してゆく英世とは裏腹に、この頃のシカがもっとも財政的に苦しかったようです。そのとき、慣れぬ筆を取り上げて書いた手紙が冒頭のものです。

●たった100年前は、シカのような人たちが日本中にたくさん居ました。それを思うとずいぶん日本人の暮らしぶりが豊かになったことに素直に感謝したいと思います。

しかしその反面で、日本人の若者に青年・野口英世のような青雲の志があるかと問われたら、少々お寒い現状だと言わざるを得ません。また、豊かになったがゆえに親子の絆が失われつつあるのも感じます。

●消費税をどうするか、米軍基地をどこに置くかという問題も政治の争点かもしれませんが、日本人の若者をどうするか、日本の家庭をどうするかを論じる政治家が登場してほしいものです。私たち経営者は日夜そうした若者と格闘しているのですから。

2010年06月18日(金)更新

ある牧師の祈り

●数年前のことですが、中国の上海から杭州まで白タク(無許可営業のタクシー)に乗ったことがあります。ワンボックスカーに総革張りのシートで、ほとんど新車でした。私を呼び止めた営業の中年女性は片言の英語を話しましたが、彼女自身は車に乗り込みませんでした。運転手は中国語しか話せない中国人男性でお客は私ひとり。本当に杭州へ連れて行ってくれるのか心配になりました。

●お金を節約するためにこんなハラハラドキドキするなんて馬鹿だったと後悔しましたが、車は猛スピードでどこかへ向かっています。また、そんなときに限って道路案内標識がなかなか現われません。ますます不安が募り、私は心のなかで「神様、お助け下さい」と祈る気持ちになりました。

●すると5分もしないうちに急に眠くなり、ウトウトしはじめました。
そのウトウトの瞬間、不思議なことに20年前に聞いたキリスト教の牧師のメッセージが思い出されました。

その牧師は、まだかけ出しの頃とても貧しかったそうです。信者からの献金や献品で辛うじて糊口をしのいでいましたが、布教活動するための自転車がありませんでした。徒歩による宣教活動だけでは限界があります。そこで牧師は神に祈りました。

「神さま、あなたの栄光を表すために私は自転車を必要としています。どうか、自転車を私にさずけて下さい。アーメン!」

●一ヶ月たち、二ヶ月たち、とうとう半年が経過しました。それなのにいっこうに自転車が手に入りません。その牧師は神様に確認する意味もこめて、こう祈ったそうです。

「神さま、私は全時間をあなたに捧げています。でも自転車がなくて毎日の活動はとても不自由を感じています。もし、御心にかなうならば一日でも早く自転車を私に授けてください。それとも、私の活動は御心にかなわないのでしょうか?」

●すると、そのときは神から返答が来たそうです。

「あなたの祈りは毎日聞いている。あなたの願いをかなえてあげたいとそのたびに思う。だが、いつもあなたは"自転車が欲しい"としか言わない。私はどんな自転車をそなたに授けてよいのか分からないのだ。もっと具体的に祈ってくれ」

●牧師は「そうかぁ、しまった。私が浅はかだった」と反省し、祈り直しました。
「色は銀色で、サドルは黒。それに大きめの買い物かごがついていて・・・」

自転車の色や形、大きさ、カゴの色とか荷台の形状、ハンドルのデザインなど、具体的にして祈ったのでした。

●翌日、教会清掃のボランティアの婦人が乗ってきた自転車をみて牧師はビックリしました。祈ったとおりの自転車がそこにあり、思わず「アッ」と声が出てしまったといいます。

しかもそのボランティア婦人は、牧師にむかってこう切り出したのです。

「先生、これは先月自分で買ったばかりの自転車なのですが、最近主人が私の誕生祝いにスクーターを買ってくれましたの。不要になってしまったのですが、もしよろしかったら、先生が役立ててくれませんか?」

牧師は絶叫しました。 「ハレルヤー!!」 と。

●祈りは具体的にしないといけないよ、という牧師のメッセージでした。

20年前のその説教が、なぜか中国の高速道路で思い出されたのです。

目が覚めた私は「そうだ、目的地をもっと具体的にしよう」と思い、ふたたび運転手の彼に目的地を書いた紙を手渡しました。

「杭州站」(杭州駅)

すると彼は、
「明白了」(ミンパイラ、「分かりました」)と言ってくれました。
かなり時間はかかりましたが、そのやりとり以降は不安も消えて、純粋に窓外の景色を楽しみました。

●白タクには二度と乗りたくありませんが、期待を明確にするという癖はその珍事以降さらに強まったように思います。
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