大きくする 標準 小さくする
前ページ 次ページ

2010年06月11日(金)更新

藤樹先生

●「人の第一の目的とすべきは生活を正すことである」という言葉に接した11才の中江藤樹(なかえとうじゅ)少年は、思わずこう叫びました。「このような本があるとは。天に感謝する」「聖人たらんとして成りえないことがあろうか!」と、感極まって泣いたという少年藤樹。それだけでなく、この日の感動を終生忘れることなく、「聖人たらん」という大志を抱き続けたというから、何たるすごい人物でしょう。

●藤樹は、1608年生まれ。江戸時代が始まって5年後の生まれで、侍は武芸に励むのが常識とされた時代にあって、学者・教育者の道を歩みます。
のちに「日本の陽明学の祖」、「近江聖人」と言われるにいたるきっかけは幼少時の読書にありました。

●藤樹少年は単なる早熟な子供ではありませんでした。その後の成長ぶりがまたすさまじいのです。
そのあたりを物語る逸話として、内村鑑三著『代表的日本人』にあるエピソードからご紹介しましょう。

●脱藩して親孝行した藤樹

27才のとき、生家の母への孝養を名目に帰国を願い出るが許されず脱藩。藩主よりも母に尽くす道を選ぶにあたっては、相当悩んだようで家老に次のような手紙を書いています。

「二つの道のいずれをとるべきか、心の中で慎重にはかりました。主君は、私のような家来なら手当を出すことで、だれでも召し抱えることができます。しかし、私の老母は、こんな私以外にはだれも頼る者がいないのでございます。」

●母のもとにあって藤樹は心安らかではありましたが、母を慰めるものはなにもなかったといいます。家に帰り着いたとき藤樹がもっていたお金は百文でした。
(武沢註:4,000文が一両、一両が8万円とすると、藤樹が持っていた百文とは今の価値でわずか2,000円となります)

●その金で少しの酒を仕入れ、みずから行商人となってそれを売り歩いてわずかな日銭を手にしたといいます。また、「武士の魂」といわれた刀まで売って銀10枚を手にし、その金を村人に貸してわずかな利子でつつましく生計を維持したというから涙ぐましいですね。
しかも藤樹の金貸しは高利貸しではなく、人助けの低利貸しだったと言いますから「聖人たらん」という志の実践者といえましょう。

●翌年28才になって江戸時代の最初の私塾ともいわれる学校を開設しています。真の学者とはどういう人かと聞かれて藤樹はこう答えています。

「“学者”とは、徳によって与えられる名であって、学識によるのではない。学識は学才であって、生まれつきその才能をもつ人が、学者になることは困難ではない。しかし、いかに学識に秀でていても、徳を欠くなら学者ではない。学識があるだけではただの人である。無学の人でも徳を具えた人は、ただの人ではない。学識はないが学者である。」

●学者とは学識がある人ではなく徳がある人のことである、とは、まさしく卓見です。
学識経験者や学校エリートが国や行政を動かしていてはうまくいきません。藤樹が言う
"学者"が政治や経済のリーダーになる世の中を作りたいものです。

●ちょうど日本の政治も新しいリーダーを担いだばかり。
今の政治家の中に藤樹先生が認める"学者"が果たして何人いるか、ということです。それを嘆くだけなら誰でもできますが、自らが学者たらんと決心し、行動することの方が大切であることは言うまでもありません。

2010年06月04日(金)更新

修羅場をくぐる

●ある日の未明のこと、ふとんの中で苦しくなって目が覚めたS社長(55才)は、次の瞬間、「ウッ」とうなり声をだし、胸を押さえました。心臓の異変だとすぐにわかりました。家族が近くで寝ていたのですが助けを呼ぶことができないもどかしさ。

●救急車で運び込まれたのは循環器系では日本有数の病院でした。しかも当直医が循環器の医師でした。適切な処置がすぐになされたため、初日のヤマは越えました。ですが予断を許しませんでした。

●その後、実に12日間にわたって昏睡状態が続きました。その間、妻や長男が病院に呼ばれ、海外に留学していた次男も緊急帰国しました。

集中治療室の照明のまわりに蝶々がとんでいます。
ぼんやりとした意識の中で、「へぇ、最近の病院は顧客満足のためにこんなサービスもはじめたんだ」と思いました。幻覚をみながらそんなことを考えるのがS社長らしいところです。

●12日後、意識が戻ったとき看護士さんがベッド脇で歓声をあげました。
「あ!生きてる、奇跡だ」
かけつけた担当医までもが、
「よく助かったなぁ」
と言っています。
そんな会話が聞こえるということは、どうやら助かったらしいのです。

●話したいことがある、聞きたいことがある、ですが、すぐには会話ができませんでした。家族や医師と会話するための文字板を押そうとしても目的の文字を指せず、自分の親指ばかりを押しています。筋肉が弱っていて反応してくれないのです。

●「床ずれ」もひどい。皮膚の表面はカサカサに乾燥し、ベッドで足をトンとさせただけでそこから出血します。
人間の体って、食べることと運動することで維持できていたことを今さらながらに思い知りました。

●翌月になってS社長は退院し、長男の結婚式にも間に合いました。

本当に奇跡的な生還と退院でした。その病院で一年に一度使うことがあるかどうか、といわれる人口心肺機をつかいましたが、この装置をつかって退院できる人は少ないらしいのです。

●見舞いに訪れた私に向かってS社長はこうつぶやきました。

「たけちゃん、もう10年前になるかなぁ、あなたに言われて新卒の学生を採用しはじめたが、今、彼らが居てくれるから会社は支障なくやれている。彼らとかみさんのおかげだ。今ごろになって感謝しているようじゃ遅いけどね、ハハ。ぼくは信仰心は薄いほうだが、今回の件では、自分が助かったというよりは、何かに助けられたとしか思えないんだ。この命のつかいみちがまだあるのだぞ、と教えられた気分だよ」

●大好きな酒もゴルフもやれなくなったS社長ですが、生きるということの価値と重みを実感する毎日が始まっています。

修羅場をくぐった人は強い。
経営者を大きくさせる要素に、倒産(の危機)、入獄(の危機)、死(の危機)の三つがあると言われています。

闇から出てきて光のありがたさを知ったS社長の新たな経営者人生がスタートしたのです。

●以前から読書好きなS社長でしたが、今回の出来事があってから読書量は10倍になったそうです。
私がプレンゼントした吉川英治の『三国志』(講談社文庫)全八巻もわずか二日で読んでしまうのですから、以前より集中力が増したのかもしれません。

2010年05月28日(金)更新

知恵のみを追う

●「少年よ大志を抱け」

小さい志ではなくて、大きな志をもつことをクラーク博士は説きました。クラークさんに言われるまでもなく、日本でも江戸時代の儒学者・貝原益軒は次のように述べています。

「志を立つるは大にして高きを欲し、小にして低きを欲せず」

●洋の東西を問わず、先人たちは後輩にむかって「大きな志を持て」と教えるのはなぜでしょうか?

それは困難なことだからです。むしろ、けがれの少ない若者こそ大志は抱けるが、大人や老人になるとだんだんそれができにくくなるのかもしれません。

●ルソーにいたっては、人間の欲望はいつまでたっても肉欲だと次のように皮肉っています。

「十歳にしては菓子に動かされ、二十歳にしては恋人に、三十歳にしては快楽に、四十歳にしては野心に、五十歳にしては貪欲に動かされる。いつになったら、人はただ知恵のみを追うて進むのであろう」

●大きい志とは、"業界初"とか、"日本一"とか、"世界一" などの相対的なものであってはならないでしょう。ライバルが失敗すれば自社が得するような目標や志であってはうまくいきません。

ルソーが言う「知恵」のみを追う生き方をしたいものです。知識ではなく知恵を求める行為には合格もなければ終わりもないのです。

●会社経営にとっての「知恵」とは何でしょうか?

最近は品質問題で叩かれ、社長自ら米国の公聴会によばれたトヨタ。途中、きびしく追及される場面もありましたが、委員長自ら「あなたが自分から進んで来たという事実に私が感銘を受けたということを知ってほしい」と述べ、日本の自動車メーカーのトップに敬意を払いました。

企業の責任を負うためには真実を明らかにせねばならない。そのためならば、世界中どこへでも出かけていくという経営者の姿勢が功を奏したようです。

●そのトヨタから国民の大衆車の定番・カローラが出たのはまだ40年ほど前のこと。当時のトヨタは、収益でも財務でも人材でもノウハウでもとても世界の自動車メーカーと太刀打ちできるほどの会社ではありませんでした。

その後、半世紀にも満たない年月で世界有数の企業になった原因は、会社全体が知恵を求めたからではないでしょうか。野心でも貪欲でもなく知恵を求めたから、カイゼンがくり返され、世界屈指の自動車メーカーになったのだと思います。

●企業にとって知恵を追う生き方とは、経営理念や経営哲学を追求する生き方であり、それが、業績面にも直結してくることを社員に教えるのが経営者の大切な仕事なのです。

業績や結果ではなく、知恵を求めましょう!

2010年05月21日(金)更新

家康の強運

●徳川家康は三方原(静岡県浜松市の北部)の合戦(1753年)で武田信玄に大敗を喫しました。野球で言えばコールドゲーム、ボクシングならタオルが投げられるほどの完敗です。
なにしろ相手が悪い。川中島で上杉謙信と幾たびも交戦し、戦上手この上ない日本を代表する屈強武田軍団なのですから。

とにかく家康は馬上で脱糞しながらも、ほうほうの体で逃げ伸びました。

●家臣にも笑われるほどの惨めな姿で城に戻った若き家康は、そのあとが立派でした。この敗戦を教訓にするため、自分のみじめな姿を絵師に描かせているのです。トップとして、なかなかできることではありません。

★家康敗戦の絵 http://www.hamamatsu-navi.jp/shiro/history/002.html


●この敗戦が忘れられぬ家康は、後々になっても「負けを知らない人はよろしくない。私の場合、三方原で・・・」というようなことを周囲に語っています。

余談ながら、家康はこの敗戦でかえって有名になります。天下の“赤具足”武田軍団に真っ向から立ち向かった若武者がいると全国にその名を轟かせるわけですが、家康という男はこのころから強運の持ち主だったのでしょう。

●さて、「運」といえば先日、数人で居酒屋に行きました。その中にいた初対面の20代後半とおぼしき男性ビジネスマンが私に向かってこう言いました。

「武沢さんって、経営の秘訣をメルマガに書いてるの? へぇ、どんなこと書いてるの? オレが思うに、経営者ってまず運が大切だと思うの。こう見えてオレも相当なツキ男。だって付き合ってるやつら、みんな明るくて幸せそうだし、自分的にもまずまずハッピーだし。ま、不運そうなやつが寄って来たらこっちから逃げるけどね、ハハハ。この前も失敗している同級生から電話がかかってきたけど居留守使っちゃったもの。たしか、松下幸之助さんも運の良い人と付き合えみたいなこと、言ってるじゃん」

●残念ながら、この人は運というものについて表面的な理解しかしていないように思います。まずは、そのタメグチを改めることが大切でしょう。

ともかく、負けや失敗を周囲から排除するから運がよくなるのではない、と私は思うのです。どれだけ沢山の失敗や挫折、それに不遇というものを知っていたり、体験しているかということが、人間の深みにつながるのではいでしょうか。

●成功しか知らない人(そんな人はいないと思いますが)や、成功することしか興味がない人(こういう人は多い)は、他人の感情や心の痛みが理解できなくなりがちです。そういう経営者では良い会社は作れないと思います。

●哲学者ヴィトゲンシュタインは、「人間の偉大さを測る尺度は、その仕事に支払った犠牲の多寡である」と述べています。この言葉を引用しつつ、評論家の森本哲郎氏はこう語っています。「犠牲を支払えばだれでも後悔するだろう。しかし、その後悔が偉大さを生むのだ。だから、私のモットーは宮本武蔵とは逆である。『我、事において、常に後悔す』」。

●家康の大敗戦に学ぶように、私たちも負け、失敗、犠牲、後悔、不運、不遇といったものを避けるのではなく、それらの上に成功や偉大さが成り立っていると考えみてはどうでしょうか。

2010年04月16日(金)更新

働きやすいとは

●先日、リクルートで働く女性と楽天で働く男性と一緒にあんこう鍋をご一緒しました。リクルートと楽天は業界こそ違え、今ではライバル関係にあるそうです。
ともに働きやすさを追求しているという点でも共通しているそうで、ともに頭文字がRであることから「RからRへ」に転職や引き抜きが行われることもあるとか。

●ドラッカーが言うように、ホワイトカラーの時代のスタッフは、会社や上司に妥協や気兼ねして働くよりも、自由に働かせてくれるところを選ぶようになります。
当然、経営者は、給料や休日、勤務時間といったハード面だけでなく、仕事のシステムや会社の環境といったソフト面も含めて待遇改善を計っていく時代なのです

●私の場合、ニューヨークやロサンゼルス、上海、香港といった活気がある街が好きで、そこに居るだけでテンションが上がってくるような気がします。実際、上海には4年ほどオフィスを借りて仕事をしたこともあります。そうした物理的環境も働きやすさに大きな影響を与えるでしょう。しかし最近は、空気の悪いアジアよりは東京の方が好みなのですが、ここでは余談。

●働きやすいということは生活しやすいということと密接な関係があるようです。米国のシリコンバレーのベンチャー企業では、人材こそが最高の経営資源であり、人材確保と定着が重要な経営課題にあげられます。一部の有名企業では、人もうらやむような環境が社員のために用意されています。
「我社は、社員が働きやすい環境をつくります」という方針を掲げる企業では、それを具体化せねばなりません
まずは、ハード面とソフト面から「働きやすい環境」というものを定義していきましょう。そのためには、今いる社員にフリーアンケートをとれば良いでしょう。
「将来こんな会社になったらいいなアンケート」というもので、自由に希望を書かせるのです。えっ!と驚くような奇抜な答えが含まれていることでしょう。

・24時間使えるジムを作ってほしい
・小さい子供を会社で預かってほしい
・会社でランドリーサービスの受付をつくってほしい
・シャワールームか風呂を作り、ロッカーも自分専用がほしい
・(酒を適量)飲みながら仕事したい
・本代はすべて会社経費でまかなってほしい
・社員食堂のメニュー充実と費用の無料化
・社内のドリンクやフルーツの無料化
・大学か大学院または専門学校やビジネススクールへ通わせてほしい
・勤続表彰は、3年単位で好きな国へ一人で行かせてほしい
・勤務時間内で自由研究の時間をとらせてほしい
・自分の配属先は自分で決めさせてほしい
・自分の上司(部下)は自分で決めたい
・・・etc.

そんな都合の良いことばかり並べ立てて…、と腹を立ててはなりません。これらは、どこかの会社で行われている実例ばかりなのですから。

●「われわれは失敗にも報酬を与えている。機能しない照明器具をつくったチーム全員にテレビセットを贈ったこともある。そうしないと、社員は新しい挑戦を避けるようになる」とアメリカのジャック・ウェルチ(GE元会長)が言うような、大胆な人事システムも考案していくべきでしょう。

●これまで企業は、社員に賃金を支払い、休暇を与え、労働時間を短縮し、福利厚生を充実させるという方向で酬いてきました。
しかし、これからは楽しく充実した仕事環境・生活環境を実現するために今までとは別の視点で社員の期待に応えていくべきでしょう。優秀な人材を確保し、快適に働いてもらうための投資は、充分な見返りがあるはずです。
«前へ 次へ»