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社長業を極めるためのカリキュラムについて、「日本的経営のリニューアル」という視点から紹介します
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2011年06月17日(金)更新
目指せ! 辛勝
●今年の日本ダービーはオルフェーヴルが優勝し、皐月賞とあわせて二冠に輝きました。
秋の菊花賞とあわせて三冠馬の夢がひろがり競馬ファンの気持ちは早くも秋に向かっているのかもしれません。
●私は馬券を買いませんが、G1レースの中でも大きいレースはテレビ放送をチェックします。たくさんの馬をみていて分かることは、本当に強い馬はかなり多彩な勝ちパターンを持っているということ。たとえば、圧勝したかとおもうと次のレースでは辛勝したりします。早めに仕掛けて勝ったり、ギリギリまで我慢して後方一気に追い込んで勝ってみたりもします。内枠で勝ったり外枠でも勝ったり、短距離で勝ったり長距離で勝ったり。
要するに特定の勝ちパターンにこだわらないのが本当に強い馬の条件なのかもしれません。
日本ダービーでの勝ち方を見ていて、オフフェーヴルもそんな馬になる可能性があります。
●「勝ち方」といえば、かつて私は山梨に旅行した際、こんな石碑をみつけました。
その石碑は、「武田信玄公訓言」と題されていました。
・・・
凡そ、軍勝五分をもって上となし、七分を中とし、十分をもって下と為す。その故は、五分は励を生し、七分は怠を生し、十分は驕を生するが故、たとえ戦に十分の勝を得るとも驕を生すれば次には必ず敗るるものなり。すべて戦に限らず世の中のこと、其の心がけ肝要奈利。
(山梨県甲州市塩山「恵林寺」の石碑より抜き書き)
・・・
●軍勢は敵方と五分五分が良いというのです。信玄公のこの言葉をみつけたとき、最初はエッ?と疑問を感じたものです。豊臣秀吉の場合は、いつも敵の二倍の勢力を確保して
"もう、これで負けない"と思うようにしてから戦に挑んだ、と聞いていたからです。
●資金があり、人材もある。そんな会社は敵の2倍の兵力を投入し物量作戦で勝利できるのは理屈で分かります。しかし現実は、そんな余裕がないことのほうが多いでしょう。特に中小企業はいつもギリギリの人材と資金のなかで経営しています。
●そんな時には、信玄公の教えのほうが適切なのかもしれません。
「ギリギリ粘って勝った」とか、「達成できるかどうか分からない目標に挑んでどうにか達成できた」というような経験が実力アップにつながり、チームに勢いをつけるのです。
2011年06月10日(金)更新
ちょいワルと日々好日
●ある夕食会で隣にすわった若い経営者に「理想とする経営者像」をたずねてみました。
すると彼は、「う~ん、そうですね。ちょい不良(わる)オヤジになりたいです」という答えが返ってきました。
「エッ?」と聞き返す私に向かって、もう一度彼は、「ちょい不良オヤジって知りませんか? 例えば、タレントのジローラモとか中尾彬なんかがその例だと思うのですが、不良中年という感じで格好良いですよね」
「それが理想像なの?」
「はい、彼らのような中年男になりたいです」
●結局、彼が語ってくれた理想の自分像というのは、外見のことばかりでした。
いかにも中味が乏しい将来像ではありませんか。そこで私はちょっと意地悪な質問をしてみました。
「じゃあ、"ちょい不良オヤジ"と"不良オヤジ"の違いは? ちょい不良がよくて、不良がダメな理由は?」
●彼曰く、「そこそこ不良でそこそこ良い人」というのは「ちょい不良」の定義だそうです。不良までいってしまうと悪人なので、根は善人のちょい不良ぐらいが自分に合っているというのです。
それでは中途半端! と私は彼に言いました。思いっきり不良、もしくは思いっきり善人、その両極が同じ人に同居しているほうが人間の幅が広くて面白いではありませんか。そっちの男を目指そうよ、という話をしました。中庸とは足して二で割った答えではなく、両極を知っていてこそ中庸が選べるのです。
●同じような例として、
「日々是好日(ひびこれこうじつ)」とか「晴耕雨読」などを将来の理想像として掲げる人もありますが、それらの言葉の意味にも誤解があるようです。
●「日々是好日」とは、毎日毎日が良き日でありますように、という願望を表した生やさしい言葉なのではないのです。本来は、厳しく激しい決意表明の言葉なのです。
●日々是好日の本来の意味は、
「私は毎日毎日を良き日にしてみせます。そのためには、今この瞬間瞬間に全身全霊を傾けて命を完全燃焼します」という覚悟と決意を表したものなのです。
●同じく、晴耕雨読だってそうです。
なまけ者がこの言葉を使うときは、
「晴れたら田んぼでも耕し、雨が降ればのんびり本を読む。そんな自然まかせの悠々自適な生き方も悪くない」となります。
ですが、賢者がこの言葉を使うときはこうなります。
「晴れたら野良仕事に精をだし、雨が降れば読書を全力でやる。いつだってどこだって私は全力で今を生きる」
となります。
●「ちょい不良オヤジ」「日々是好日」「晴耕雨読」に限らず言葉には表面的な意味と真意との二つがあります。人と会話するときには、言葉の意味を理解しながら会話したいものです。
2011年06月03日(金)更新
インドでの気づき
●私には、「ぜひとも行きたい外国ベスト50」というリストがあります。すでに訪問したことがある国(14カ国)は除外し、これから行きたい国の名前が羅列され、その横に行きたい都市や食べたいもの、見たいものなどのメモが書かれています。
●そのリストに入っていなかった国・インドに、2005年2月、縁あって行くことになりました。
「がんばれ社長!」メルマガの広告主でもあり、私が愛用している「マンダラ手帳」の開発者でもある松村寧雄先生。
先生が開催される『仏陀ゴールデンロード、悟りの旅』に "一緒に行きませんか" とお誘いいただいたのです。
●「今回は数年ぶりの開催です。次回はいつになるか分かりません」と聞けば、最初で最後のインド行きのチャンスになるやもしれず、その場で参加申込みを決断しました。
2005年といえば、今からみれば業績は絶好調で東京にもオフィスを新設した年です。仕事がどんどん増えるので、新卒学生の求人も始めたころでした。しかし、そのころの私は、とにかく悩みが多く、「悟りの旅」という副題にある「悟り」が欲しくてたまりませんでした。
・なぜ、私は毎朝寝坊してしまうのか
・なぜ、自分で決めたことが守れないのか
・なぜ、予定外のことをやるのか
・なぜ、子供や家族は思い通りにならないのか
・なぜ、私は愛欲の欲望に負けるのか
・なぜ、自分は老けるのか
・なぜ、自分は太ってしまうのか
・なぜ、大食い・大酒してしまうのか
・なぜ、体力が落ちるのか
「それって更年期障害でしょ」と家内は冷やかしましたが、とにかく心が何かを渇望していたのです。
●だからこそ「心のシステム」を理解し、それを自在にあやつることが出来るようになりたい。誘惑を退けられるようになりたいし、苦悩や葛藤からも解放されたい。
そういう意味において、『仏陀ゴールデンロード、悟りの旅』への参加は、これからの人生の大きな転換点になるかもしれないと期待していました。
●参加者は、主催者含む14名。
2500年前、ブッダが歩んだ悟りへの道をあえてそのまま歩むことで、我々一行も「悟り」というテーマをずっと維持することができたように思います。
●結論から申し上げます。
第一の結論:「インドに行っただけでは答えは見つからない」
インドに行けば何とかなると、バックパッキングで出かける学生もいるが、インドの景色をどれだけたくさんながめても答えはありません。インド人にどれだけ接し、会話しても答えはないのです。もちろんおいしいカレーやナンをどれだけ食べても答えはないです。
●第二の結論:「今回の旅は、人生屈指の旅になった」
主催者であり講師でもある松村寧雄先生(クローバ経営研究所)が開発された、ブッダの叡智を人生や経営に活かすためのテキスト&講義に私の悟りへの回答がありました。
このテキストと講義が日本ではなく、インドで行われたからこそ、臨場感バツグン、効果万倍のセミナーになったのでしょう。
●私の場合、まだまだ"悟り"とは呼べないかもしれませんが、先に掲げた多くの「なぜ・・」に対する答えを見つけ、打開策のヒントをつかむことができました。これは大きい。余りにも大きな収穫なのです。
●第三の結論:「これからが始まり」
インド旅行は終わりましたが、悟りへ本当の旅はそのときから始まりました。どのようにして悟りへの修業を継続実行してゆくか。
それは、日常の修業にあります。
今この瞬間瞬間、自らに関心を集中することや、八正道、六波羅蜜などブッダの教えの中に今日の私たちが応用できる叡智と実践プログラムがたくさんあるのです。
●このインド旅行では、偶然とは思えない奇妙な出会いがありました。
それは、14名の参加者のお一人が広島の禅僧であり、全国でも有名な座禅指導者の方だったのです。しかも北海道から参加されていたO弁護士ご夫妻は、このインド旅行をきっかけにして、今でも交友させていただいています。
●帰国直後、私は一週間かけて広島の禅僧の寺で参禅修業しました。
悟りというにはおこがましいまだまだ小さい「気づき」程度のものですが、心の問題は必ず解決できると確信をもつことができました。
その日以来5年、「クローバ経営研究所」の松村寧雄先生の月例セミナーに毎月通うようになり、その確信がますます深まっているのです。
★クローバ経営研究所 http://www.myhou.co.jp/seminar/mandala_series.php
2011年05月31日(火)更新
お金より価値あるもの
●「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」とか、「論語と算盤(そろばん)の両立が大切」などを説いた渋沢栄一翁。
氏は、西洋渡来の資本主義に東洋思想の味付けをし、日本独自の資本主義や日本的経営とよばれるものの原型をつくりあげた人です。
「経営者は利益を上げなければならない」とする西洋の考え方にプラスして、「経営者は志をもち、道を究める人でなければならない」という考えも付け加えたと言えましょう。
●ついこの前まで士農工商の士分にいた渋沢たちが、そこいらの商人と一緒にされてはたまらないという誇りのような気分が混じっていたのかもしれません。
それによって日本の経営者は、ビジネスで利益を上げるだけでなく、道を究める人でもあらねばならなくなったわけで、考えようによってはずいぶんハードルがあがってしまいました。しかし、それは実に取り組み甲斐のある挑戦なのです。
●「士」の誇りと「商」の才覚の融合こそ日本的経営。
・理想とする企業を作ること
・理想とする経営者になること
・理想とする経営環境を作ること
その「理想」を明文化する必要が私たちにはあります。当然、その「理想」は借り物ではいけません。自らの言葉で理想を語り、その実現策も語りましょう。
それこそが、かねてより申し上げている「経営マニフェスト」というものの本質だと思うのです。
2011年05月20日(金)更新
会社に生命を吹き込む
●会社や組織というものには実体がありません。会社が入居しているビルやオフィス、店舗が会社ではないのです。あくまで登記簿謄本に記載された書類上にその存在が確認されるだけです。
●しかし、間違いなく会社や組織には命があります。
生命力あふれるダイナミックな会社もあれば、その反対に、沈滞ムードが漂っている会社もあります。また、同じ会社なのに元気な時とそうでない時があります。実体がないはずの会社なのに、そのあたりが面白いところです。
●かつて京セラの稲盛さんがこんなことを語っていました。
「会社のトップである社長が生命を吹き込んでいないと、社長が一人の素の人間になってしまったら会社の生命はなくなる、空っぽになる。社長の場合、いつも会社に対して思いをいたしていないといけない。他の役員や社員は仕事を離れれば個人にかえることが許されるが、トップである社長が個人になることは許されないのだ」
●会社の生命とは、すなわち社長そのものの生命だというのです。たしかにそれは事実でしょう。
社長のテンションや情熱がそのまま会社の生命になります。とくに、まだ規模が小さい会社の場合は、社長が寝食を忘れるほど会社のことに夢中になる必要があります。
寝ても覚めても仕事と会社、という状態が望ましいし、それが成功のための自然な姿なのです。
●社長が、夕方になるとソワソワと帰宅時間を気にし、子供との入浴やナイター中継を楽しみにして仕事を放り出して帰宅するような会社では成功しません。
魂を込めて仕事に打ち込み、人がアッと驚くような素晴らしい仕事をしましょう。
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