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2012年03月26日(月)更新

発心(ほっしん)

●室町時代に活躍した雪舟(岡山県総社市生まれ)は、幼いころ近所の寺に入れられました。お経を読まずに絵ばかり描いている雪舟をみて、ある日、寺の坊さんがお仕置きをしました。仏堂の柱にしばりつけてしまったのです。床に落ちた涙を足の指につけ、鼠の画を描く雪舟。今にも動き出しそうなその鼠をみて坊さんがいたく感心し、ついに彼に絵を描くことを許したというエピソードは有名です。
 
●その雪舟はのちに、水墨画家としても有名になるのですが、彼の本職は禅僧です。6点の国宝を含む多数の水墨作品を残していますが、禅にまつわる作品もとても多いのはそのためです。
そのうちの一つに、斎年寺(愛知県常滑市)が所有する「恵可断臂図(えか だんぴず)」という国宝作品があるのをご存知でしょうか。
 
●雪舟77才の時のこの画は、禅宗が始まる瞬間を切り取ったものでもあります。
 
★「恵可断臂図」
http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kaiga/suibokuga/item06.html 
 
「面壁九年」ということばがあるように、壁に向かって何年ものあいだ坐禅を組む菩提達磨(ぼだいだるま)と、彼に弟子入りを願う若き修行僧とのやりとりの場面です。
 
●修行僧の名は神光(じんこう)。40年間書物を読み、出家し修行をしてきたのにいまだに悟りに到達できないでいました。当時、中国全土に名をとどろかせていた達磨に会いにきたのですが、門前払いがつづきます。
 
やがて冬になりました。雪中に立ちつくして教えを乞う神光に対し、ついに達磨が口をひらいてくれました。
 
達磨:何を求めて雪中に立ち続けておるのか
神光:なにとぞ、なにとぞお願い申し上げます。この迷える者にどうか甘露の門を開きたまえ!
達磨:諸仏無上の真理の道を得たいのか
神光:はい!
達磨:それでは小智 小徳 軽心 慢心をもってしては勤苦を労するぞ。真理を得るには行じ難きを行じ、忍じ難きを忍じなければならぬ
神光:はい、・・・
 
●次の瞬間、自らの決心を表すために神光がとった行動!
 
それは自らの左腕の切断でした。それを達磨に差し出しながら、「これが私の発心です」と神光。
 
●「その心、今後も決して忘れるな」と弟子入りを許可した達磨。
この瞬間こそが、禅宗の開祖者・達磨と第二祖、恵可(慧可とも書く)誕生の瞬間だったのです。真理を得るためには身命さえかえりみない禅の姿勢がみてとれます。
 
●「発心」(ほっしん)とは元来が仏教用語で「悟りを得ようと心を起こすこと」とか「菩提心(ぼだいしん)を起こすこと」という意味です。のちになって一般的にもつかわれるようになり、「物事を始めようと思い立つこと」をそう呼ぶようになりました。
 
 
●間もなく3月決算。そして新しい事業年度がスタートします。実質上のお正月が4月から始まるという組織も多いはず。今年度もがんばるぞ!というその「発心」を大切にしたいものです。
 
自らの左腕を差し出すほどの「発心」があるかと問われてあなたは何と返すことができるでしょうか。