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京都・永観堂の阿修羅

投稿日時:2013/09/13(金) 15:30rss

●心のなかで「わりこむなよ、オジサンたち」と思い、老夫婦の進路を妨害した自分の了見の狭さがはずかしい。
 ある年の晩秋、京都・永観堂でライトアップされた紅葉をみようと、長蛇の列に並んでいた。列の長さだけでなく、強く降り出した雨のおかげでストレスが高まっていたのだろう。
そんな中を行列の後ろから人をかき分け、かき分けしながら老夫婦が前へ進んでくる。
周囲から「え、何この割り込み」とか、「おいおい」という声があがっているのに、まったくおかまいなく進んでくる。ついに私のすぐ後ろまできた。
 
●「よし、自分のところでせき止めよう」と私は、デジカメで自分撮りをするかのように腕をのばし、老夫婦の進路をふさいだ。首尾良く私にブロックされ、老夫婦は立ち止まり、行進をやめた。
「してやったり」、私は内心でさけんでいた。
 
●だが得意な気分は続かなかった。数分後、私はショッキングな光景をみることになる。
永観堂内で若夫婦が待っていた。そして老夫婦に駆けよるなり、「どうしたのお父さん、お母さん。トイレ混んでたの? 遅いので心配したわ」と言いながら手話で話しかけていた。「ごめんね、待たせて」という感じでお母さんの方が手話で返答している。
 
●この様子をみて、私は恥ずかしいと言うより、心からショックを受けた。
そうなのだ、老夫婦は行列を若夫婦にまかせて、トイレへ行っていたのだ。それとは知らず、割り込みだと早合点する我がエゴを強く悔いた。きっと自分の顔を昼間にみたら、永観堂の紅葉のように染まっていたに違いない。
 
●そういえば、その日の昼間に東寺でみた「十界(じっかい)」の説明書を思い出す。
十界とは、仏教の教義において人間の心の全ての境地を十種に分類したものをいう。
それによれば、人間の心はまず「迷い」の世界と「悟り」の世界の二つに大別できる。さらに「迷い」の世界を低い順にみていくと次の六つだという。
 
1.地獄・・・極苦処ともいう。生きていることすべてが苦であるという状態
2.餓鬼・・・飲食が得られないために苦のやむ時がない。欲求不満の状態
3.畜生・・・互いに他を餌食として生長し、自分のことしか見えない状態
4.阿修羅・・嫉妬心が強く、常に不安がつきまとい戦いばかりやっている状態
5.人間・・・堕落することもできるし悟ることもできる。そういう中間的存在。地獄と仏の間、人と人との間、生と死の間。
6.天・・・・優れた楽を受けるが、なお苦を免れない。求めることはすべて充たされた人間の最高の状態。しかしそこにもない苦がつきまとう
 
●次に「悟り」の世界は次の四つある。
 
7.声聞(しょうもん)・・教えを聞くことによって真理を学びとろうとしている状態。学生。
8.縁覚(えんがく)・・生活の中から独り、悟りを見つけだした状態。生活者。
9.菩薩・・・他と共に悟りを得ようとして願をおこし、修行しているもの。初めて自己を超えた状態。
10.如来・・自らも悟り、他をも悟らせつつあるもの。自他平等の状態。
 (真言宗総本山 東寺の解説書より)
 
老夫婦をさえぎったときの私の気持ちは、まさしく「畜生」か「阿修羅」だった。

 

ボードメンバープロフィール

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武沢 信行氏

1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。

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