大きくする 標準 小さくする

2009年04月30日(木)更新

上質なクリーム

●生クリームは上質なものほど上に浮き、その部分だけをすくって食べるとおいしいだろうなと思うのですが、経営者にも同じことが言えるのではないでしょうか。経営者も上質な人ほど上に浮いてきますが、それは本人は上にいこうとしていなくとも、周囲が勝手に持ち上げてくれるからでしょう。

●かつての総理大臣のなかで、任命した大臣の不祥事が次々に発覚し、支持率を失って退任した人がいました。もし彼が周囲から担がれ、待望されて総理になった人ならそのような不祥事は起こらないはずです。結局、消去法で選ばれた総理の宿命で、彼を命がけで担ぐ人がいなかったのではないでしょうか。もちろん、今の政治家にそんな人がどれだけいるかと言われればお寒い限りではあります。

●経営者が消去法で選ばれることがあるとすれば、後継社長を選ぶときです。ある日突然トップの座に座るわけですから、その座にふさわしいかどうかは、そのトップが「おいしい」人かどうかで決まります

●勝海舟は、かつて教え子に「あの親分子分の間柄をご覧ナ。何であんなに服しているのだい。精神の感激というものじゃないか」と語ったそうです。「精神の感激」が指導者と部下との間に必要だということでしょう。
●新しい社長が部下を感激させられるようなリーダーであれば、リーダーのために良い仕事をしようと必死になってがんばるので、自然とうまくいくはずです。要求されていない仕事まで進んで行うようになるでしょうし、そのための勉強もすると思います。

人が育ちやすい会社と育ちにくい会社の違いとは、結局のところ、社長の人間的魅力によるところが大きいのです。特に中小零細企業であれば、社長の人間的魅力がすべてと言っていいでしょう。

●しかし、リーダーの属人的な魅力にも限界があります。社員数が10人を超え、20人、30人…となってくると、社長ひとりの魅力ですべてをカバーすることはできなくなります。経営幹部や部門リーダーが必要となり、その役を担う人物の魅力や実力が要求されるようになります。

●米国の海軍兵学校では、「ウソをつく」「人をだます」「人のものを盗む」を禁止条項の3つの教えとし、「そうする者たちを見逃さない」という4番目の教えを加えています。「見逃さない」という表現がポイントです。「そうさせない」のではなく、「そうする者たちを見逃さない」のです。この表現が組織に規律をもたらします。

●人が育つ会社では、遅刻者に対して上司や先輩だけでなく同僚も注意します。組織の決まりごと、つまり規律に反することがあれば、役職者が立場にもとづいて注意するというのではなく、誰もが注意しあう環境になります。このようにして、規律ある社風が作られていくのです。

●人が育ちにくい会社では、決めごとを破る社員がいても他の者が黙っています。そして社長だけが怒りをため込み、あるとき爆発する。これでは規律もなにもありません。規律ある組織にするにはどうするか。その答えは一つしかありません。

「あなた以上に自己規律をもった人を役職者に据える」
これだけです。その結果、あなたは上質なクリームになる道が開けます。まずはあなたの自己規律を確認し、部下にどんな規律をもってほしいのかを明らかにしてみましょう

2009年04月24日(金)更新

劇団四季はなぜ強い

●10数年前、当時小学生だった長女にせがまれて『キャッツ』を見て、私はミュージカルと劇団四季のファンになりました。『キャッツ』だけでも十数回観ていますし、本場ブロードウエイの『キャッツ』まで観劇したほどです。最近は夫婦で行くことも多くなり、『マンマ・ミーア』の名古屋公演にも何度か足を運びました。

●劇団四季の年間公演回数は3,000回強、売上高は230億円強と、この数年ほど高原状態が続いています。大不況のあおりを受けてチケットを値下げするなど、先行きは楽観視できませんが、報道によれば当面の業績はまだまだ底堅いようです。

●そんな劇団四季の強さの秘訣について知りたいと思い、あるとき同社のサイトをくまなく見ていたら、ヒントになりそうなコンテンツを発見しました。それは「理念」の力ではないか、ということです

●劇団四季のサイトには、1953年(昭和28年)に四季を創立したときの仲間、浅利慶太氏と日下武史氏の「二人の仲間」と題した対談記事が掲載されていました(今はリニューアルに伴って削除されています)。
●その対談のなかで浅利氏は、「僕の一生を決めた」として『演劇論』(ルイ・ジュヴェ著)の一節を紹介しています。そのなかから一部を引用してみましょう。

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日下:フランスの大演出家で、プロデューサーでもあったルイ・ジュヴェの
   「演劇論」を讀んで以来だね。

浅利:そう。そこに「演劇の問題」というエッセーがある。それが僕の一生を決めた。

日下:内容を話してみてよ。

浅利:最近朝日新聞の読書面に連載したエッセーの中で紹介した。ちょっと
   堅い文章だし、長くなるけれど、読んでみようか。

日下:是非やってよ。

浅利:「演劇に諸問題などありはしない、問題はただ一つだけだ。それは当るか
   当らないかの問題だ。当りなくして演劇はない。大衆の同意、その喝采、
   これこそこの芸術の唯一の目的と断じて憚らぬ。演劇は先づ一つの事業、
   繁昌する一つの商業的な企業であらねばならぬ。

   然る後に初めて演劇は芸術の領域に自己の地位を確保することを許容される。
   二つの目標を同時に結びつけねばならぬ怖るべき二者選一、それは演劇の
   地位をあらゆる追従とあらゆる妥協の面の上に置く。

   現実的なものと精神的なものとが結びつき、相対立する必然とは正にかくの
   如きものであって、これを以てすればわれわれの職業の苦い快楽も、
   その憐れむべき偉大さも一挙に説明することが出来る。(鈴木力衛訳)」

   こういうことなんだよ。

日下:四季の理念の根本にはこの考え方がある。
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●いかがでしょうか。「演劇の問題はただ一つだけだ。それは当たるか当たらないかの問題だ。当たりなくして演劇はない。」とは何たる痛快な断言でしょう。

そしてのちにこう続くのがまたまた明快です。

「演劇は先づ一つの事業、繁昌する一つの商業的な企業であらねばならぬ。然る後に初めて演劇は芸術の領域に自己の地位を確保することを許容される。(後略)」

これは演劇の問題だけではありません。一般の事業においてもまさしく当てはまるはずです。それはこうなります。

事業の問題はただ一つだけだ。それは利益が出るか出ないかの問題だ。利益なくして事業はない。事業はまず一つの繁昌する商業的な企業であらねばならぬ。然る後に初めて事業は理念や思想の領域に自己の地位を確保することを許容される。」(「がんばれ社長!」訳)

●劇団四季の考え方がすばらしいというよりは、ルイ・ジュヴェの「演劇論」の方を賛美すべきかもしれませんが、劇団四季の場合はその徹底度合いが並外れているから、賞賛に値するのではないでしょうか。

●昨今の経営環境のなかでも最高益を更新している会社のほとんどが、理念を際だたせている会社であることにも注目したいものです。

2009年04月17日(金)更新

リーダーの魅力

●ある日、無精ひげを剃らないままいつも行っているカフェにいったところ、女性店員に「ちょい悪オヤジみたいですね」と言われました。

●気をよくした私は、それから一週間ひげを剃らなかったのですが、外見をちょっとだけ不良オヤジっぽくしてみたところで、中味が変わらなきゃ意味がないと悟り、結局、ひげはきれいさっぱり落としました。人の中味は生き様で決まるので、どうせならそちらを魅力的にしたいものです

●特に企業のトップである社長は、表面的なビジュアルや発言内容ではなく、生き様が一貫していなければ、魅力が生まれてきません。もちろん、人間ですから悪戦苦闘し、失敗もすることもあるでしょうが、目指すものがぶれてはいけません。

●また、欠点がいくつかあったとしても、人にはない長所があればそちらのほうが魅力となるでしょう。魅力とは、人として欠点がないこと大事なのではありません。たとえ欠点があっても、それ以上に大きな長所があるからこそ、魅力が生じてくるのです
●旧約聖書でも、ダビデがゴリアテを倒したとき、街中大騒ぎになり彼をイスラエルの英雄として扱いました。そのダビデ自身は欠点も多く、ひどいケースだと、自分の部下の奥方に惚れてしまい、奥様ほしさに部下を戦死させたりしています。そんなひどい悪事もしていますが、それを上回るだけの大きな魅力があったからこそ、旧約聖書を代表するヒーローになったのでしょう。

●論語のなかで孔子はこう語っています。

「その知及ぶべし、その愚及ぶべからざるなり」

その意味は、彼の賢い点は真似ができるけれども、馬鹿っぷりは到底まねができないということです。めずらしく孔子が、ある人物の愚のみごとさをほめたたえているのです。

●ダビデにも論語にも共通する人間の魅力とは、次の5つにまとめられるのではないでしょうか。

1.誰にも負けない強みがある(長所)
2.人よりはるかに劣るような弱みがある(短所)
3.それらを隠そうとしない(裏表なし)
4.バカなことができる(愚)
5.周囲が想像できないほど高い志がある(イチローのような孤高な「志」)

2009年04月10日(金)更新

情熱のマネジメント

●フランスの啓蒙家、ラ・ロシュフーコーは「人間の心の中では情熱の不断の生殖が行われていて、一つの情熱の消滅はもう一つの情熱の出現と、ほぼ決まっている」と語っています。この意見が正しいかどうかはわかりませんが、『孟子』も「心を養うには欲をすくなくするよりいい方法はない」と教えています。情熱は、ここぞという時に一気呵成に使うべきであって、チョロチョロと小出しにしていては大した仕事はできないという意味でしょう。

●情熱量の最大値が100ポイントのAさんがここにいるとします。彼は何事にも才能豊かで、本業の経営も、業界活動も、趣味のスポーツも、子供の教育も、地域活動も熱心に行なっています。彼が、それぞれに情熱を分散して使った結果、本業経営に投入できた情熱を60ポイントとしましょう。

●さらにAさんは、本業経営の中で動いている6つのプロジェクトに関心を分散しています。本業に注ぎ込んだ60ポイントを6で割ると、1つの案件にはそれぞれ10ポイントずつ投入していることになります。

●一方、情熱量はAさんよりはるかに見劣りするBさんは、最大で60ポイントの情熱しかもっていません。ところが、彼は不器用なため本業の経営に徹していること、その中でも事業の領域をしぼりこんでいるので、1つのプロジェクトに15ポイントずつ割くことができたとします。もし、AさんとBさんが同じ業界で働いていたとすると、きっとBさんの会社が勝つことでしょう

●ここに「小」が「大」に勝ち、「弱者」が「強者」に勝つ戦略があるのです。才能でも資金でも人材でも、見劣りする企業や個人が勝つときは、こうした一点集中しているときだけなのです
●さらにロシュフーコーはこうも言っています。

「小さなことに熱中してしまう人は大きなことができなくなる」

量の個人差はあるにしろ、人は情熱の対象なしでは生きていけません。その情熱の対象はしっかりとマネジメントすべきであり、あなた自身の大切な仕事なのです。小さなことに熱中してしまって、大きなことをおろそかにしていないかどうか、ときどき点検する必要があるでしょう

●私は一年に四冊の手帳を使います。いつも同じ手帳を使うのですが、四半期ごとにまっさらな手帳を卸しているのです。そうすることで、お正月のときの神聖な気分を奮い起こし、大きなことに挑もうとしているのです。今年も第一四半期が終わって、今の私の手帳はまっさらです。

あなたは「情熱のマネジメント」をどのようにされているのでしょうか

2009年04月03日(金)更新

誘惑を乗り越える

自らの才能を活かすか殺すかは、誘惑に対処する力の有無で決まります。なので、経営者は誘惑に負けるようではいけません。正しく言えば、自らを誘惑してはならないし、その誘いに乗ってはいけないのです。

●「習慣は第二の天性なり」という格言があります。英語にも“Custom is another nature.”とか、“Habit is a second nature.”といった表現があることから、この考え方は万国共通なのがわかるでしょう。

●イギリスの軍人であり政治家でもあったウェリントンは、「習慣は性質の10倍の力を備えている」という言い方をしました。習慣の力は偉大なものであり、良き習慣を身につけ、悪しき習慣を排除する力をもつことができたら、人間はたいていのことが出来るというのが真意でしょう。

●かつて、横綱・貴乃花が幕内に上がって間もないころ、「ここだな発想」を自分に言い聞かせていたと言います。これは、稽古が厳しくてついつい休みたくなったときに、「自分の殻を破るのは“ここだな”と自分に言い聞かせ、もう一番ぶつかっていく気力をふりしぼったそうです。

●やるべきときには脇目もふらずに真剣にやれる力が重要であり、それを習慣の一部にしてしまえば無敵だということです。
●吉田松陰も、異性としての女の人を一生しりぞけたそうですが、司馬遼太郎の「世に棲む日々」では、エピソードのひとつとして、次のように紹介されていました。

●ある日松陰は、書見台で四書五経を素読していました。ところがやがて若き血が鬱積し、性衝動が高じてくる自分に気づきます。(その後の彼の行動は、私から見れば常軌を逸しているのですが、)そのとき松陰は小刀で自らの股を切って血を抜き、懐紙でぬぐったあと何事もなかったかのように、読書に励んだそうです。

●常人なら誘惑に負けるか、集中力がそがれて休憩するようなところを、松陰や貴乃花は超越していったのです。これこそ習慣の力であり、第二の天性でしょう。

●また、広辞苑によれば、誘惑とは「人を迷わせて、悪い道にさそいこむこと」とあります。しかし、人を誘うばかりが誘惑ではありません。私などは自分が自分の誘いに乗ってしまうことがあります。たとえば、

・気分転換といいつつも、ネットゲームに熱中して3時間を浪費
・ちょっと昼寝のつもりが、4時間爆睡
・帰り道に軽く一杯、といいつつも、帰宅したときは酔っぱらい

などです。

●このようなことがあるからこそ、「人間くささ」があっていいのかもしれませんが、誘惑に負ける人はほぼ確実に「人間くささ」を言い訳にするので、注意したいところです

●さらに、別の視点からみてみましょう。遠藤周作はこのように言っています。

「情熱を持続するには危険が必要なんだ。恋愛の情熱がさめるのは安定した時であるのと同じように、人生の情熱が色あせるのも危険が失せた時だよ。革命はまだ危険という油を俺達の情熱にそそいでくれる」

情熱的であるためには、絶えずある程度の危険や革命という要素が必要ということでしょう。

これらの情報を総合すると、つぎの三つの法則が生まれます。

・情熱の不足が誘惑を招く
・危険(リスク)と魅力ある仕事が、誘惑からあなたを遠ざける
・危険と情熱は正比例し、情熱と誘惑は反比例する


ではまた次号で。

ボードメンバープロフィール

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武沢 信行氏

1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。

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