武沢信行の「社長の学校・事始め」 | 経営者会報 (社長ブログ)
社長業を極めるためのカリキュラムについて、「日本的経営のリニューアル」という視点から紹介します
2011年11月18日(金)更新
事故の歴史展示館
●「忘れかけたころにドカーンとくる」と語るのは住宅会社を経営するA社長。この会社では、2~3年に一回とてもシリアス(深刻)なミスを犯し、その都度会社をあげて大騒動になるそうです。
どの程度シリアスなミスかというと、
・図面と実際とで南北が真逆の家を建ててしまう
・他人の敷地まで入り込んだ図面で工事を始める
など、部外者がみても「あり得ない」ほど初歩的かつ致命的なミスをやってしまうのです。
歴史は繰り返すといいますが、最近もありました。
●それは、協力会社の水道管工事でのミスでした。二階トイレの水道管に一箇所だけバルブの締め忘れがあったため、家主が長期不在の連休中にそこから水が漏れ続け、階下の天井から床が水浸し。それだけでなく、家電製品やクローゼットの衣料、ピアノなども全部水浸しになってしまったそうです。
●示談金として「損害額+慰謝料」で解決しようとする会社に対し、家主側は逆上。建物の解体建て替え+慰謝料を請求しました。訴訟に発展しそうな雲行きだといいます。
引き渡し時には大喜びされ、いたく感謝しておられた家主だけに、半月後にこのような事になるとは・・・。
●歴史ある住宅会社なのですが、今でも時々このようなシリアスなミスが発生するそうです。これはやむを得ないことなのでしょうか。ビジネスにおいてやむを得ないことなどひとつもないのです。
●過去のミスや失敗からきちんと何かを学習し、対策を講じてきたらミスは撲滅できるのです。ミスへの対処に追われて、なぜミスが起きたのか、どうしたら今後ミスがなくなるのかを真剣に考えてこなかった結果が今日のミスにつながっているのです。
●「失敗を風化させてはならない」といえば、失敗の展示館を作っている会社もあります。
JR東日本もそのひとつで、過去の事故の教訓を風化させないために2002年に福島県白河市にある同社の総合研修センター内に「事故の歴史展示館」を開設しました。
●この展示館では、事故現場のパネル写真、直接要因、経過、状況、新聞報道、その後の対策などについて展示。信号無視、災害など原因別に25の事故の紹介もされています。事故の重大さ、社会的責任を実感させるため、報道と被害者の証言コーナーもあって、"これでもか" というくらい生々しく過去を今に伝えているのです。
●当然、これはJR社員の安全意識を高めることを目的としたものですが、毎日の標準化された現場作業のやり方は、すべてこうした過去の失敗や成功の体験から抽出されたエッセンスなのだということを思い起こすことに役立っていることでしょう。
あなたの会社の「事故の歴史展示」はどんなものになるでしょう。
文書やメール、画像や動画をつかって生々しく記録し、二度とあんな失敗はしないぞという決意に固めるのに役立てたいものです。
2011年11月04日(金)更新
“あきらめの蔦”から”攻めダルマ”に
●先日、ある経営者の方からメールを頂戴しました。
「今日から私は新しい名前、○○○○になりました。よろしくお願いします」とありました。下の名前はもちろんのこと、苗字までもがまったく新しいものに変わっていたのです。
ペンネーム、ビジネスネームなのか、本当に戸籍の名前も変えてしまったのかは分かりません。
●改名は昔から行われてきていて、古くは新約聖書のペテロがそうです。
彼はキリスト・イエスに出会うまでは漁師をしていました。そのころはシモン(葦)という名で、イエスにこんなことを言っています。
「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」。
すると、イエスは「恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」とシモンに言っています。
●このあともイエスに付き従って、時々軽はずみにも意味のないことを口走ったり有頂天になったりするシモンですが、あるときイエスは、「あなたは今日からシモンではない。ペテロ(岩)だ」と新しい名を与えます。そこからペテロの伝道師としての新しく力強い歴史がスタートし、やがて大聖人の一人になるのです。
●名前こそ変えなくとも、古くて弱い自己像をたたきこわし、新しい自分像をつくったおかげで成功した人はたくさんいます。
徳島県立池田高校野球部の元監督、蔦 文也(つた ふみや、1923年 - 2001年)さんもそのお一人でしょう。
●蔦さんは、昭和27年に池田高校の野球部監督に就任しています。以来、まったく無名の同校を、四国大会の常連校にするまでに10年を要しました。しかし、そこから悲願の甲子園初出場までには、もう10年の歳月を必要としています。いつもあと一歩、ここ一番というところで負けてしまうのです。
●後に相手校から "攻めダルマ" とおそれられる蔦監督も、50才台までは"あきらめの蔦"を自認していたそうです。勝利の執念にまったく乏しい監督だったというのです。
「私のようなお人好しタイプが大事な試合で勝てないのは当たり前だ。選手がミスを犯すのも、この性格が乗り移るからだ。甲子園まであと一歩と迫っても、この性格が運命を呼んでしまう。結局、負けるのは私の宿命なのだ。気の小さいワシが監督をしている限り、絶対に池田高校は甲子園に出場できない」
そう蔦監督は思いこんでいました。
(『攻めダルマの教育論 蔦流・若者の鍛え方』ごま書房 より)
●実は当時、池田高校野球部は、存続か廃部かの瀬戸際に追いつめられていました。池田高校から商業科がなくなり、普通科一本になったからです。野球部生徒は、商業科が多かったため、おのずと野球部の存続はむずかしくなっていたわけです。
そのラストチャンスともいえる年、奇跡はおきました。
●南四国大会決勝、徳島商戦。
池田高校は初回いきなり0-3とリードされ、そのまま試合は淡々と進んでいきます。
以下は、蔦監督の言葉です。
・・・
「またか!」と嫌な予感が胸をよぎった。そして、「あー、もう負けた。もうあかん。」とベンチで私がつぶやいた。生来のあきらめの早さが出たのだ。なんといっても、『あきらめの蔦』と呼ばれる私である。
そのときである。横にいた元木部長が怒鳴った。
『イカン!蔦はん。勝負事は最後まであきらめたらイカン』
『アホいうな。3対0で負けておるのに、どうして勝てるんじゃ。アカン、アカン。もう帰り支度じゃ」
私はすっかり試合を投げてしまっていた。そうこうしているうち、ヒットエンドランが決まり、4番の峰川に中前タイムリーが出て2点入った。
3対2だ。元木先生は、『みてみなはれ。ワシのいうとおりじゃ。こりゃいけまっせ。」
4-4のまま延長へ。そして10回裏、サヨナラ勝ちした。」
・・・
●「性格というのは恐ろしい。強気でしっかりしている男は、他人にまで幸運をもたらす。私のように弱気な男は、逆に臆病が選手に伝わり、揚げ句の果てに、負けを呼び込んでしまう」
蔦監督はこの日以来、自分の性格と向き合い、弱さを克服しようと性格改造に乗り出しました。
●シモン(葦)という本名から生来の気弱さを見抜かれ、イエスに「あなたは岩(ペテロ)だ」と言われ、後に大聖人となったシモン。
「あきらめの蔦」が「攻めダルマ」に変身したのもある試合の体験から。自らの弱さと向き合い、それを克服するのに才能や年齢は関係ありません。意思ときっかけがあれば、誰だってできるはずなのです。
ボードメンバープロフィール
武沢 信行氏
1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。
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