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行(ぎょう)のある生活

投稿日時:2014/01/10(金) 16:36rss

●目標設定のバランスを考えてみよう。今のあなたの目標を箇条書きしたとき、「得る」「なる」「ある」が程よく調和しているかどうかがポイントだ。
「得る」とは、何かをGetすることである。家を買う、収入を得る、売上げ目標を達成する、外国へ行く、など、数字やカタチのある目標が「得る」目標である。

●「なる」目標とは、あなたが何者かに「なる」ことである。新しい知識や教養、技術を習得することや今までとは異なる人格・個性を身につけることである。
「ある」とは、日常生活のあり方や仕事のありかたが何らかのテーマによって貫かれている状態をいう。そのあたり、司馬遼太郎が『峠』で次のように書いているのが参考になるだろう。
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志は塩のように溶けやすい。男子の生涯の苦渋というものはその志の高さをいかにまもりぬくかというところにあり、それをまもりぬく工夫は格別なものではなく、日常茶飯の自己規律にある、という。箸のあげおろしにも自分の仕方がなければならぬ。物の言いかた、人とのつきあいかた、息の吸い方、息の吐き方、酒ののみ方、あそび方、ふざけ方、すべてがその志をまもるがための工夫によってつらぬかれておらねばならぬ、というのが継之助の考えかたであった。
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継之助が心がけたという日常の自己規律こそ、「ある」の目標設定の好例だろう。

●「ある」とは、ひとつの「行(ぎょう)」と考えることもできる。伝教大師・最澄が1200年前にひらいた比叡山延暦寺には、「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」という荒行中の荒行がある。7年間をかけて通算1000日かけて行われるこの荒行は、文字どおり命をかけて行われるのだ。なぜなら、一度始めたら途中でやめることは許されておらず、続行不能になった場合は、自ら命を絶つことが不文律とされている。
信長の比叡山焼き討ち以後400年間の記録によれば、千日回峰を満行した僧は50人もいない。

●最初の三年間は、1年のうち100日だけ行が許され、1日30Kmを歩いて260ヶ所の霊場をめぐる。四年目からの二年間は1年に200日、同じ修行を行ない、この五年間で通算700日となる。そこから9日間の「断食、断水、不眠、不臥の行」にはいる。この行を修めないと次の行に進むことは許されないのだ。通常、人間が断食・断水状態で生きられる生理的限界は三日間とされていることを考えれば、想像を絶する苦行といえよう。

●この行の後、六年目は1年間に100日の行となる。1日に歩く距離は60Kmと倍増する。七年目は、前半の100日間が1日84Km、300カ所の巡拝となる。これだけ歩くためには、睡眠時間はわずか2時間、夜中の12時に起きて歩き始める必要があるという。

●最後の100日間は当初の1日30Kmの行に戻る。これで合計1000日間、歩く距離は地球1周に匹敵する4万Kmにも及ぶそうだ。これは、仏道に生きる決意をした人が自分を捨て去るために挑む苦行である。
こうした過酷な「行」は、誰にでもできることではない。だが、何らかの「精進(しょうじん)」や「持戒(じかい)」をもった生活をすることが大切なのは言うまでもない。他人に言われてやるのではなく、何かを成すために自らがすすんで行う「行」に価値があると思う。
あなたにとっての「行」を考えてみよう。

ボードメンバープロフィール

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武沢 信行氏

1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。

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