武沢信行の「社長の学校・事始め」 | 経営者会報 (社長ブログ)
社長業を極めるためのカリキュラムについて、「日本的経営のリニューアル」という視点から紹介します
2010年05月14日(金)更新
敵情報知
正確にいえば、宋さんの秘書の方が私にメールを下さり、あなたの書いた本のことで一度お会いしたいと宋が申している、ということでした。
私も宋さんの活躍を存じ上げていたので、すぐに面談の日時を取り決め、八丁堀の本社までうかがいました。
●名刺交換して着席するやいなや、宋さんは手にしていた私の本の表紙を叩きながら、「あなたのこの本、ひどいよ」というのです。
怒った表情ですが、目は笑っているので私も笑いながら「何がひどいのですか?」と聞きました。
●すると宋さんは、本のタイトルがひどいというのです。
『勝ち抜く経営者の絶対法則』というあなたの本のタイトルだと経営者しか読まない。この本には経営者の切実な心があるから、むしろ若い社員に読んでほしい、というのです。
要するに、苦情を言うフリをしながら誉めてくれているわけで、人の心をつかむのが上手な方だなというのが第一印象でした。
●今ではマスコミを賑わす論客の一人として活躍中の宋さんですが、この当時からすでに一流の論客でした。たくさんのことをメモした覚えがありますが、その中で「情報」に対する宋さんの持論は膝を打つ内容でした。
●ビジネスに必要な「情報」とは何かということを本質的に考えることが大切だと説きます。宋さん自身は、情報ということばの語源にまでさかのぼって考えたそうです。
それによれば、情報とは「敵情報知」を略した言葉だといいます。敵情を報知する(知らせる)活動が情報なのだと。
敵の情勢を報知するとは、「敵がどこに何人いてどのような装備をしている」というような事実を伝えることなのです。そこにあるのは、すべてが事実であり、客観的なものであって予測や憶測・主観は含まれません。
●ビジネスや経営に必要なのは敵情報知という意味での「情報」だと宋さんは考えました。特に営業活動を支援するソフトウエアを開発するのが当時の宋さんの会社でしたから、営業活動における情報とは何かを根本から考え尽くしたそうです。
そして、日本企業ではどのように情報収集とその活用が行なわれているのかを調べていくと、そこには唖然とするものが待っていたというのです。
●例えば日報などの報告書関係。
多くの会社では次のような「情報」が報告され、それを経営者は経営判断に活かしているというのです。
・何とかがんばって今月中の受注に持ち込みたいと考えている
・この会社には予算がないと思われ、当面は期待がもてない
・この会社から紹介客を得るために最善を尽くしたい
・あの会社は担当者が変わったので、当社に対する信頼度が薄まった
・・・etc.
残念ながらこれらの「情報」は、敵情報知という意味からすると失格だそうです。それらは営業社員の主観や決意であって、経営者の意思決定のために使える情報になっていないのです。
●では何が本当に使える情報なのか。
それは、主観が交わらない事実です。出来れば定量化されるような、択一アンケートの方式に近い営業日報であれば良いと考えました。それが宋さんの会社のソフトウエアの根幹を成す発想だというわけです。
●「敵情報知」という言葉の敵情の中には、自社も含まれるでしょう。
要するに知りたい対象はすべて敵だと考えれば良いのです。あなたが意思決定するために必要な敵情は何か? それを客観的に知るためにはどうしたら良いかを考え、そうしたものだけが日々集まってくるようにすれば、それが立派な情報になるのです。
2010年05月07日(金)更新
N社長の事件簿
●たしかにその通りで、たった一回の面接だけで望み通りの社員なのか否か、望み通りの会社・社長なのか否かを判断することなど出来っこありません。だから試用期間がある、とは言うものの、試用期間を設けてあることでそれが有効に機能しているケースはまれです。ほとんどは自動的に本採用になっていくケースが多いです。ではどうしたら優秀な人を見極め、優秀でない人をふるい落とせるのでしょうか?
以前、N社長にこんなミニ事件がありました。
●N社長の会社はまだ小規模ですが、社長自身がインターネットサイトやメルマガ、ブログで大活躍していて活動範囲は日本中です。社長自ら本も出し、かなり売れています。その様子をずっとウォッチしていたという若いビジネスマンA君が、メールで「Nさんのもとで働きたい。是非御社に就職させてほしい」と面接を申し入れてきたといいます。
●Nさんの会社では社員募集をしていないので当惑しました。ですが、熱心な文面だし、頑張り屋さんなのがよく分かったのでとにかく本社で一時間ほど面接しましょう、ということになりました。
●25才というA君の第一印象は可もなく不可もない。とりたてて個性的でもないが、A君の話しぶりを聞いているとすごく芯がしっかりしています。学業も優秀だったみたいだし、N社長が若い頃よりも人生ビジョンをもっています。それに何よりも入社意欲が強烈に強い。
「Nさんのような人を探し求めていた」と言わんばかりで、面接というよりは、彼からの一方的な売りこみの時間だったといいます。
●「できるものなら、たった一回の面接で社員の採用決定をしてはいけない」という「がんばれ社長!」で読んだ武沢の教えをN社長は破りました。
面接がはじまって約一時間後、情にほだされる格好で、「よしA君、あなたは採用だ。いつから来られるの?」と尋ねていました。
A君は関東から単身で引っ越してくるというので10日後には大丈夫だといいます。「よし、5月の連休明けから仕事してもらおう。担当してもらう仕事は僕のほうで良く考えておくから」とN社長もすっかりその気になって再会を約束しました。
●ところが不幸なことにわずか4日後に入社辞退の申し入れを受けることになります。いや、4日後にこの「事件」が起きたことはお互いのために幸運だったのかも知れません。
●面接から4日後、彼が引っ越し先をどこにするかを決めるため再び愛知県に来るといいます。N社長はその日、午前中は商談が入っていたのですが正午には終了予定のため、A君とは12時半からランチをとる約束をしました。
どの物件に引っ越すべきか、どのような条件で仕事をしてもらうか、などの詳細を煮詰める予定でもありました。
●ところが、予定よりも前の商談が長引きました。A君の約束時間である12時半近くになりましたが、まだ終わりそうにありません。A君の携帯電話番号は登録していないので、携帯をかけるためにはカバンの中に入っているA君の履歴書を見なければなりません。とうとう12時半ちょうどになってしまいました。A君から携帯がなりました。ですが出られません。
●商談が終わったのは12時40分でした。駐車場に出てすぐにA君に電話しました。「Nですが、申し訳ない。今名古屋駅の近くで商談が終わりました。あと15分ほどでそちらに到着できそうです」
●すると、A君の様子が変です。まるで別人のような低いトーンで、「あ、N社長ですか。遅れる?あ、そうですかぁ、お忙しそうですね。何ならもう結構ですよ」と。
●約束のレストランに到着したのが12時55分でした。
A君はレストランの店内ではなく、駐車場で待っていました。店内へ促すN社長に対してA君はそれを辞退し、「私からとても大切なお話しがありますが、この場所で結構です」と立ったまま何かを話そうとします。
●A君から出た言葉はこんな内容だったといいます。
「小さな約束を守れない人に大きな仕事はできません。社長のお仕事から見て、私との約束など小さなものなのでしょうが、だからこそ誠意を見せていただきたかった。遅れるとわかった時点で連絡を下さるのが人としての最低限の常識ではないですか。このような人のもとでは残念ながら安心して仕事はできません。今回の採用のお話しはなかったことにして下さい。短い時間でしたがいろいろ勉強させていただきありがとうございました」
●Nさんは何も言わなかったといいます。いや、あっけにとられて何も言えなかったのでしょう。「サヨナラ」と言うのがやっとでした。
遅刻したことに弁解したい気持ちも少しはありました。A君のあまりに狭量な所などにも今後のために忠告してあげたかった。ですが、自分で遅れておいて忠告するのも変です。ですが、それよりも何よりも、こちらだって、A君をそんな人だと思っていませんでした。正式採用する前にそれがわかってホッとしたというのです。
●良いところ、悪いところ、清濁あわせ飲んでみてウマイかマズイかを見てもらいましょう。良いところだけを抽出して飲んでもらってはウマイに決まっています。清濁あわせ飲むためには最低でも一週間程度は実務面接試験がいると思うのです。
教訓:人を採用したければ、一週間ほど実務面接試験をしてから採用か不採用を決定しましょう。その間に、あえて会社や社長の弱みや問題点もさらけだし、開き直るのではなく、問題は問題として共有しましょう。
この事件簿を読んであなたは何を感じましたか?
2010年04月30日(金)更新
勘当されても親孝行
同族経営をしているA専務との会話。
A:「武沢さん、ちょっと聞いて下さいよ。うちの親父がまだ私に社長の座を渡そうとしないんですよ。私が専務になって今年で20年目だ」
武沢:「なんと、すごいですね。今年で専務は何才になられるのですか?」
A:「私が59才で父が85才になる。来年になれば私も赤いチャンチャンコですよ。さすがにこの年まで来ると、もう開き直ってきて、親孝行になるのなら、ずっと社長には社長のまま一生を全うしてもらいたいと思っているのです。何なら私が社長にならなくても、次は私を飛び越して息子に社長をやらせても良いと思っている」
●達観した専務ですが、リーダーとしてもの足りなさを感じました。
儒教的な教えでの親孝行とは、親よりも長生きをすることであるとか、親が喜ぶことをする、悲しむことをしない、と教えられるでしょう。
ですが、親が喜ぶとか、悲しむということをどのように理解するかがポイントなのです。
「親が喜ぶのなら、ずっと親父に社長をやらせておいて」というA専務は本当に親孝行なのでしょうか? 私は否だと思います。
●「よいか、よ~く聞け。父上を討つ」と腹心の部下に宣言し、自らの父・信虎を追いやって当主の座についた若き武田信玄。
「父上よりも私のほうがうまくやってみせる」という気概あるリーダーの存在こそお家の宝ではないでしょうか。敬意を表しながらも先代を退場させることが子供の役目なのです。
●武田信玄のクーデターは、下克上の戦国時代ゆえ許された行為でしょうか。資本主義経済、自由主義経済というのは法のもとでの下克上戦国時代そのものではないでしょうか。
そのような意味で、社長の座を虎視眈々と狙う副社長や専務のいる会社は幸せです。
●孟子は、親不孝の定義として次の五つをあげています。
1.立派な手足と体があるのに怠けて父母への孝養をかえりみない者
2.博打をうち、酒ばかり飲んで父母への孝養をかえりみない者
3.欲が深くて自分と妻子にのみ金を使い、父母への孝養をかえりみない者
4.聞きたい見たいとレジャーばかりにうつつをぬかして、父母を辱める者
5.いきがって喧嘩ばかりして、父母に心配ばかりかけている者
●一方で孟子は、父と子が正しいことを求めて議論し、その結果子が親に勘当されて外へ行き、親孝行ができなくなっても、それは親不孝に当たらないといいます。
(『孟子』離婁章句 下三十一より)
親に勘当されても親不孝にならない事がある、とはすごい定義ではないでしょうか。もちろん、親しき仲にも礼儀ありで、礼節を重んじることは大切ですが、子が親を乗りこえねばならない時があるのも事実なのです。
2010年04月23日(金)更新
心をこめて感謝する
あるとき、名古屋の設計事務所の経営計画発表会に招かれました。
一般的な経営計画発表会はこれまでもたくさん見てきていますが、この会社の発表会は忘れることができないものになりました。
●まず司会の開会宣言のあと、会場前方にあるスクリーンに映像が映し出されました。
その設計事務所のこの一年間の作品(建築物)が外観や内装はもちろん、実際使われている最近の様子や、施主の感謝の言葉などが流されたのです。
●数分間の映像をみているうちに、自分たちが日頃やっている仕事が社会でどのように役立っているのかが再認識できるようになっていました。
その後、「黙祷」の声で全員が黙祷をはじめました。その黙祷の間に、音声が場内に流れます。これは、あらかじめ女性スタッフが吹き込んでおいたもののようです。
「今年もお客様がわたしたちをご指名下さったおかげで、この一年間、おもいっきり仕事に専念することができました。そして、個人や家庭の生活も守ってくることができました。
来年以降の仕事や生活が誰かに保証されているわけではありませんが、これからも私たちがお客様に支持される仕事を続けるかぎり、安心して仕事を継続発展させることができることを私たちは知っています。これからもおごり高ぶることなく、謙虚にお客様の要望を形にしていきます。私たちは、建築設計の仕事や我が社そのものに誇りをもって仕事をしていきます。」
●その後、経営計画の発表です。その内容もユニークでしたが、一番驚いたのが最後の社員表彰の時間でした。まず勤続5年表彰です。表彰状の文面はこのようなものでした。
「あなたが、入社以来5年間の厳しい訓練に耐え、日々精進・努力を積み重ねてきた事に敬意を表し、ここに副賞として一週間の特別有給休暇と、一名分の海外旅行券に金5万円を添え、表彰状を贈ります。株式会社○○○○ 代表取締役 △△△△ ・・・」
これは社長自らが考えた原稿だそうで、6名の社員が表彰されました。
中国が大好きだという一人の社員をのぞく全員が、仕事で取引があるイタリアに行くそうです。いまどき、勤続5年で外国旅行+有給+金一封だなんて豪勢ですね。
●業績が良いからそれが出来るという面もありますが、業績が悪いときから社長はこうした制度を実行してきたそうです。もちろん最初はもっと低予算のものだったそうですが、少しずつ予算が増えてきたといいます。
●続いて行われた特別表彰。
この会社の番頭格として活躍している三名の幹部が急きょ表彰されました。
彼ら三名の表彰は当初の予定になく、社長からのサプライズ演出だったのです。しかし、
ここでちょっとした"事件"がおきてしまいました。賞状を読み上げる社長の様子がなにかおかしいのです。
「厳しい時代背景のなか、創業時から我が社の経営に参画してくれ、数々の困難をかいくぐってきてくれたあなたの献身的努力なくしては我が社の今日はなく、・・・」
ここで社長は天井を見上げてしまいました。
「すいません、・・・、ちょっと・・、」と言ったまま数秒間声になりません。目が真っ赤です。
ようやくの思いで途切れ途切れにこう続けました。
「どのように感謝しても感謝しきれるものではありません。一つの節目としてここに、大きな感謝と共に、副賞として有給休暇一週間と、海外旅行券二名分と、金20万円を添えて表彰いたします。一名分は貴方を支えられた奥様へのささやかなプレゼントといたします」
●これは予定になかった表彰でした。
社長が涙をながしながら感謝してくれたことで幹部たちも感極まっていました。社長のものか、幹部のものなのか、流した涙が賞状に落ちていました。
あとから見せていただいたのですが、受賞者の氏名の横には奥様の名前も書いてありました。
「この幹部に出会ってよかった」という社長の思いは、「この社長に出逢えて良かった」という幹部の思いとイコールでしょう。
●その他にも風変わりな賞がいくつもありました。「グッドデザイン賞」をとった人への賞状はこうでした。
「入社二年目のあなたの作品には目を見張るものがありました。××の店舗では、予算にも恵まれないなか、多くの色彩を使いこなしながら、いささかも建築的過剰感も感じないどころか、従来の我が社になかった“軽さ”、“楽しさ感”を生み出した功績は大きなものがあります。施主からも大きな賞賛をいただき、次の物件の受注にも繋がりましたことに感謝を表します。また別の物件の△△の店舗では、逆に予算のある立派な店舗の内装において、ボキャブラリーを増やしすぎることなく、“品格”を見事に作品に表現したことにも、若さに似合わず全体の本質を見極めた力量に、今後の大きな可能性を感じます。とくに、カウンター周りのガラスの内装は見事な出来栄えでした。・・・」
●すべての賞が、このように社長の言葉によって表彰理由が語られ、賞状にそれが印刷されています。記念のプレートや記念品のiPodもうれしいでしょうが、この賞状こそ若いスタッフの宝ものになるはずです。
みんなの前で誉める、みんなの前で感謝する、しかも思いをこめてそれを行う、ということを考えてみましょう。
2010年04月16日(金)更新
働きやすいとは
ともに働きやすさを追求しているという点でも共通しているそうで、ともに頭文字がRであることから「RからRへ」に転職や引き抜きが行われることもあるとか。
●ドラッカーが言うように、ホワイトカラーの時代のスタッフは、会社や上司に妥協や気兼ねして働くよりも、自由に働かせてくれるところを選ぶようになります。
当然、経営者は、給料や休日、勤務時間といったハード面だけでなく、仕事のシステムや会社の環境といったソフト面も含めて待遇改善を計っていく時代なのです。
●私の場合、ニューヨークやロサンゼルス、上海、香港といった活気がある街が好きで、そこに居るだけでテンションが上がってくるような気がします。実際、上海には4年ほどオフィスを借りて仕事をしたこともあります。そうした物理的環境も働きやすさに大きな影響を与えるでしょう。しかし最近は、空気の悪いアジアよりは東京の方が好みなのですが、ここでは余談。
●働きやすいということは生活しやすいということと密接な関係があるようです。米国のシリコンバレーのベンチャー企業では、人材こそが最高の経営資源であり、人材確保と定着が重要な経営課題にあげられます。一部の有名企業では、人もうらやむような環境が社員のために用意されています。
●「我社は、社員が働きやすい環境をつくります」という方針を掲げる企業では、それを具体化せねばなりません。
まずは、ハード面とソフト面から「働きやすい環境」というものを定義していきましょう。そのためには、今いる社員にフリーアンケートをとれば良いでしょう。
「将来こんな会社になったらいいなアンケート」というもので、自由に希望を書かせるのです。えっ!と驚くような奇抜な答えが含まれていることでしょう。
・24時間使えるジムを作ってほしい
・小さい子供を会社で預かってほしい
・会社でランドリーサービスの受付をつくってほしい
・シャワールームか風呂を作り、ロッカーも自分専用がほしい
・(酒を適量)飲みながら仕事したい
・本代はすべて会社経費でまかなってほしい
・社員食堂のメニュー充実と費用の無料化
・社内のドリンクやフルーツの無料化
・大学か大学院または専門学校やビジネススクールへ通わせてほしい
・勤続表彰は、3年単位で好きな国へ一人で行かせてほしい
・勤務時間内で自由研究の時間をとらせてほしい
・自分の配属先は自分で決めさせてほしい
・自分の上司(部下)は自分で決めたい
・・・etc.
そんな都合の良いことばかり並べ立てて…、と腹を立ててはなりません。これらは、どこかの会社で行われている実例ばかりなのですから。
●「われわれは失敗にも報酬を与えている。機能しない照明器具をつくったチーム全員にテレビセットを贈ったこともある。そうしないと、社員は新しい挑戦を避けるようになる」とアメリカのジャック・ウェルチ(GE元会長)が言うような、大胆な人事システムも考案していくべきでしょう。
●これまで企業は、社員に賃金を支払い、休暇を与え、労働時間を短縮し、福利厚生を充実させるという方向で酬いてきました。
しかし、これからは楽しく充実した仕事環境・生活環境を実現するために今までとは別の視点で社員の期待に応えていくべきでしょう。優秀な人材を確保し、快適に働いてもらうための投資は、充分な見返りがあるはずです。
2010年04月09日(金)更新
待ち伏せ読書
私の記憶が正しければ、名古屋のT社長は約束に一度も遅れたことがありません。それどころか、いつも私より先に待ち合わせ場所に到着しています。名古屋、東京、アジアと飛び回り、大変お忙しい社長なのに、どうしていつも私より先に待っておられるのか不思議でした。
●ある時、ものは試しに待ち合わせ場所に30分前に行ってみました。すると、すでにT社長は先に待っておられるではありませんか。そして、いつも決まって本を読んで待っておられるのです。完全に意識してそうされているのだと思い、あるとき尋ねてみました。
するとこんな答えが返ってきました。
「私は約束の時間に遅れて恐縮しながら人に会うのが嫌なんですよ。遅れると相手に失礼になるだけじゃなくて、自分に嫌気がさしてくるでしょう。その時点でもう負けですよ」
●早めに約束場所へ行って読書して相手を待つ。なるほど合理的な方法です。
「待ち伏せ読書」とでも命名したくなるほど、このやり方は一石二鳥にも三鳥にもなります。
読書時間が取れないとおなげきの方に最適な読書法かもしれません。仮に毎月30回の待ち合わせがあるとして、一回平均30分の待ち伏せ読書をすれば、15時間も読書時間が確保できます。待ち伏せ読書だけで一ヶ月に数冊の本を読めてしまう計算です。
●T社長曰く、
「こうすることで、もし相手が遅れてきても全然気になりません。むしろ読書がはかどるわけですから、早く来られては困るんですよ。ハッハッハ。」
これは、相手の遅刻に対して寛大になれる方法でもあるようです。
「他人が自分に期待するより高い基準で、責任を負う」ということのひとつのスタイルを見る思いがしました。
2010年04月02日(金)更新
志に生きるためには・・
●女王にもこうした大失敗があるくらいですから、当然、失敗は誰にだってあります。
問題は失敗の有無ではなく失敗にめげずに立ち向かう気持ちの有無です。キム・ヨナ選手はバンクーバー以後、引退をほのめかすような発言をしていただけに、この世界選手権で優勝するモチベーションが最初から足りなかったのかもしれません。
●「優勝する」「ライバルに勝つ」という強い志があればキム・ヨナ選手は次の試合できっとリベンジするでしょうが、そうした気持ちが途切れてしまえば、別の進路で目標設定することでしょう。大切なことは失敗の有無ではなく志の有無の方です。
●かつてアメリカにこんな政治家がいました。大変有名な話なので、どなたもご存知でしょうが、あらためて彼のやったことを見てみましょう。次のような政治家を私たちは失敗者だと言えるでしょうか?
1809年ケンタッキー州の貧農家族に生まれる
1831年(22才)ビジネスに失敗
1832年(23才)地方議員選挙に落選
1833年(24才)ビジネスに再び失敗
1834年(25才)地方議員選挙に初当選
1835年(26才)最愛の恋人が死去
1836年(27才)自ら神経衰弱の病にかかる
1838年(29才)議会で敗北
1840年(31才)大統領選委員選挙に落選
1843年(34才)下院選挙に落選
1846年(37才)下院選挙に当選
1848年(39才)下院選挙に落選
1855年(46才)上院選挙に落選
1856年(47才)副大統領選挙に落選
1858年(49才)上院選挙に落選
1860年(51才)「丸太小屋からホワイト・ハウスへ」のキャッチコピーで大統領に当選
1861年(52才)南北戦争勃発
1863年(54才)「人民の人民による人民のための政治」・・ゲティスバーグで歴史に残る演説
1864年(55才)大統領選に再選
1865年(56才)南北戦争終結、黒人奴隷解放
ワシントンのフォード劇場で観劇中に暗殺
合衆国憲法修正、同国内の元奴隷すべてに公民権付与が決定
●50才までは失敗のオンパレード人生。ですが、今となっては、アメリカ合衆国の多くの都市が彼の名にちなんで命名しています。ネブラスカ州の州都は彼の名前そのものですし、ワシントンD.Cには彼の名の記念館があります。
5ドル紙幣および1セントコインには彼の肖像が採用され、サウスダコタ州のラシュモア山国立記念公園に顔を彫られている大統領の一人でもあります。
彼の誕生日2月12日は、1892年に連邦の休日と宣言されましたが、後にジョージ・ワシントンの誕生日と併せて大統領の日とされました。
それに、彼の名前は航空母艦や高級自動車にまで使われているのです。
●もうおわかりでしょう。そう、この人こそ他ならぬ米国第16代大統領、エイブラハム・リンカーンです。彼が勝利らしい勝利をおさめたのは、51才と55才のときの大統領選だけで、あとは全部失敗です。
ですが、失敗とは挑戦をあきらめることを言います。そうした意味で、リンカーンは決して失敗者ではありませんでした。
●結果も大切ですし、周囲の意見や社会の反応も大切なことですが、何よりも大事なことは、あなたの魂の叫びにあなたが正直に応えて生きていくことではないでしょうか。そういう人を、「志に生きる」というのでしょう。
社長は一貫して志に生きる人であり続けてほしいです。迷ったら立ち返る原点、それが志であり、それを文字に表したのが経営理念なのです。
あなたの「志」と「経営理念」は今もそうした役目を果たしていますか?
2010年03月26日(金)更新
西郷式
●昔、西郷隆盛さんは朝寝坊の自分にほとほと困っていたそうです。このままの自分では倒幕だ、薩長同盟だ、の騒ぎではない。何とかして早起きの習慣を身につけないと、かみさんに頭が上がらない平凡な役人人生で終わってしまうと考えたことでしょう。
●そこで西郷さんは自分にあった早起き法を開発しました。人呼んで「西郷式朝起き」。私はメルマガの発行を始めた2000年以降、この方式を取り入れて起きるように心がけています。「西郷式」のノウハウはいたって簡単なもの。
●明け方、ふとんの中で目が覚めたら、今何時かを気にしません。一秒も躊躇せず布団をけ飛ばし、その拍子でスックと立ち上がり厠(トイレ)に行きます。厠にいるうちにやがて目が覚めてきます。あとは二度寝しない。これが「西郷式朝起き」です。高血圧の人や高齢者にはおすすめできませんが、そうでない限りおすすめです。
●とにかく、すぐに起きることが大切なのです。
私は今でも目覚まし時計に起こされたり、かみさんに起こされることもありますが、自然に目覚めることが多くなりました。外が真っ暗で静まりかえっていると、時計だけみてもう一度寝ようと思うこともありますが、なるべく目が開いた瞬間が起床時間なのだと思うようにしています。時にはそれが午前2時だったり3時だったりして結局午後には昼寝が必要になるときもありますが、それでも構いません。
●「私は○時間眠らないとダメなたちなので・・・」という人もいますが、それはアファーメーション(自己宣言や自己暗示)のようなもの。そうした制約で自分を縛らないことをおすすめします。
●ところで早朝に起きて何をするかを決めてありますか?
大好きな紅茶を楽しみながら読書するもよし、音楽を聴きながら散歩やジョギングも良いでしょうし、写経しながら精神を集中するのも良いでしょう。とにかく朝起きて楽しみなことが多ければ多いほど、目覚めはさわやかですし、眠りもおのずと深くなることでしょう。
西郷式、まずはあなたもお試しあれ!
2010年03月19日(金)更新
最小限が最大限に
初出勤の日のこと。
さすが人気店だけあって、ランチタイムは嵐のような大混雑だったそうです。ピーク時には外に行列が30人ほど出来たと言います。しかし、午後2時を過ぎるとさすがに外の行列が途絶えました。
●ホッと一息ついたA君に対し、店長が皿洗いを命じました。
「はい、わかりました」と元気よく洗いものを始めたA君。店内外の様子や他のスタッフの仕事ぶりをチラチラみながら洗いものをしていると、店長が大声で怒鳴りました。
「こらA、チンタラ洗ってるんじゃない。全力かつ大急ぎで洗え!」
●その後、休憩時間に店長からこんな説明を受けたそうです。
「店内の忙しさにあわせて仕事を調整するんじゃない。そんな高等判断を新人アルバイトに求めてなんかいない。君に要求したいことはただひとつ、いつも全身全霊で目の前の仕事を集中し、一気に片付けろ。さっきのおまえの皿洗いは、まわりの様子を見ながら心ここにあらずという状態でやっているのがすぐ分かった」
●A君は謝りながらも、言い訳しました。
「店長、すいませんでした。でも、もし全力で皿洗いをして洗うものがなくなってしまったら、やることがなくなってヒマになります。僕だけやることがなくなるのが嫌だったのでそうしました」
すると店長は言いました。
「おまえをヒマにしないのが俺の仕事だ。もし本当にヒマになれば、"休憩"という指示を出す。大切なことは、ダラダラした仕事ぶりを体にしみこませないことなんだ。それがしみこんじゃうと、本当に忙しくなったとき、最高速に戻すのが大変なんだ。焼きが回ると鈍るんだよ。だから普段から最高速で仕事をして、少しでもたくさんの仕事をこなせるようにして、おまえをこの店で使える人間にするんだ。それが俺の仕事だ」
●自己啓発教材のSMIを創ったポールマイヤー氏は、「あなたが今日行う必要最小限のことは、やがてあなたが出来る最大限のことになる」と述べています。
毎日、必要最小限のことしかやっていないと、やがてそれが最大限の仕事になってしまうというのです。
部下には時間調整などさせず、たえず全力で仕事をさせましょう。それが上司の役目だと思います。
2010年03月12日(金)更新
目標と見通し
ある時、二人の社長が議論していました。
・A社長の意見
一度決めた目標はやすやすと修正すべきではない。そうしないと社員も成長しないし、モティベーションも維持できない。だから、かなり目標との誤差が出るとわかっても、最低半年間は目標修正しない。できれば一年間は目標を変えずに行くべきだ。
・B社長の意見
目標は現実性を帯びていないと意味がない。修正すべきだと思ったら、いつでも臨機応変に修正すべきである。目標値は資金繰り予定にも直結してくるのでなおさら実態に即していなければならない。
という二つの意見があります。あなたはどちらのタイプでしょうか。
●例をあげて考えてみましょう。
ある会社は、年間売上高目標を12億円と掲げ、毎月1億円ずつ売上げると決めました。
昨日でちょうど2ヶ月経過し、実績をチェックしたところ、
1月実績0.7億円、2月実績0.5億円という厳しい状況が続いていました。
こんなとき、A社長の会社ではやはり月間1億円という月間目標を変えずに3月もそれに挑戦するでしょう。一方、B社長のもとでは、すかさず0.6億円程度に減額修正し、必達を誓うのです。
さて、どっちの経営が正しいのかが問題です。
●私の考えでは、どちらも正しいし、どちらも間違っていると思います。
正しいやり方は、A・B両方のやり方を取り入れることではないでしょうか。つまり、「挑戦目標」と「見通し目標」とを使いわけるのです。
いや、正確に表現するなら、「目標」と「見通し」を使い分けるということです。
●「目標」として掲げた毎月1億円、年間12億円という数字は、少なくとも四半期または半期は変更すべきではありません。目標にこだわることに対する社員への教育と“しつけ”だからです。
●一方、「見通し」として掲げた数字は、あくまで現実に即したものです。今の延長でいけば将来はどうなるのかという予測でもあります。この数字をもとに社長は、通期の業績見通しや資金繰り計画を組むのです。
正しい経営実態を見誤らないためにも、毎週とか毎日など、細かいピッチで「見通し」は修正していくべきでしょう。
●この二つの使い分けが出来るようになっていくことが計画経営力を高める要素だと思います。もちろん、社員には一貫して「目標」に意識を集中してもらいましょう。
ただし、社長はいつも現実的な「見通し」も持っていて、早め早めに悪い状況にも即応していくということが、景気低迷期に会社を守る大切な術だと思います。
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ボードメンバープロフィール
武沢 信行氏
1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。
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