武沢信行の「社長の学校・事始め」 | 経営者会報 (社長ブログ)
社長業を極めるためのカリキュラムについて、「日本的経営のリニューアル」という視点から紹介します
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2006年08月18日(金)更新
乗り物を替えよう
●さて、前号の続きです。
●昭和20年代の後半から30年代の後半までの約10年間は、百貨店を除くと、「業種店」全盛の時代でした。「業種店」とは、取り扱い製品によって○○屋と呼ぶことができる商売の形態をさします。たとえば、肉を売るのが肉屋、魚は魚屋、呉服は呉服屋、金物は金物屋。至極わかりやすいビジネス形態です。
●流通経路は、メーカー→商社→一次問屋→二次問屋→小売店→消費者という感じで、川上から川下へモノが流れ、情報も流れていきました。立場的には、川上が圧倒的に強い時代でもあったわけです。
●ところが昭和40年代に急成長したスーパーは、○○屋というジャンルで商売を特定することはできません。なぜなら肉売り場もあれば洋服売り場もあり、運動具も靴も売っている。それこそ、何でも揃っている。しかも、都心にある百貨店と違い、郊外の駐車場付き店舗が中心で、接客もなければ過剰包装もなく、価格が安いのです。
●このように、顧客サイドに立って新しい事業形態をつくりあげた店舗のことを「業態店」といいます。業態店は、業種店のもっていた前近代的な要素をすべて否定し、近代的かつ科学的な小売業へと変身をとげたわけです。この業界にとって、昭和30年代後半からの約20年間は、業種店から業態店へと脱皮するための変質期であり、経営者たちはこぞってアメリカへモデル探しにも出掛けました。
●そして平成時代の今日、○○屋というような「業種店」で成長をとげている企業は、一部の例外を除いてほとんど存在しなくなりました。地方の旧商店街で、家業として生き残っているか、日本中に知れ渡る老舗店舗になって勝ち抜いたかのいずれかです。
●もはや、業種店は業態店に変態しない限り、企業としての成長が見込めない時代になってしまったのです。
●さらに今では、業態店のなかでもごく一部の企業しか成長できない経営環境になってきました。これは、小売業だけに起きている現象ではありません。建設業でも製造業でも飲食業でも旅行業でも全く同じ現象がおきています。あらゆる業界で例外なく、新しい業態作りが求められているのです。顧客や市場の視点から事業の枠組みを作り直すことが、急務なのだといえましょう。
●一つの業態が成長を維持できる年数は限られています。私たちが、徒歩、自転車、そしてクルマへと乗り物を替えてきたように、業態も陳腐化する前に替えていかなければなりません。あなたの会社が飛躍できるかどうかは、新しい業態を開発できるかどうかにかかっている、といっても過言ではないでしょう。
2006年08月11日(金)更新
イノベーション
●資本主義発展の歴史をみてみると、おおきなうねりの中で事業の栄枯盛衰が手に取るようによくわかります。
●たとえば、私が子供のころ(昭和30年代半ば)には、母親たちの買い物は今と全然ちがっていました。買い物かごを手にもって、子供の手を引きながら近くの八百屋、魚屋、肉屋、乾物屋、金物屋などを転々としたものです。しかも冷蔵庫が十分に普及しておらず、買いだめはできません。当然家事は専業主婦でないとつとまらないほど多忙を極めたはずです。
●この当時、八百屋や乾物屋などを営む人たちにとって、誠実な商いを毎日つづけることこそ「企業努力」でした。自動車やバイクがないので、おのずと商圏はとても狭い範囲に限定されました。
●顧客の大半は地元のリピーターです。完全な地域密着商売です。ご近所とのつきあいを大切にし、常連客の家族構成を記憶しておくことや、気持ちのよい接客をすることなどで信用を築いていきました。いずれにせよ、きわめて緩やかな競争環境でもあったのです。
●それからわずか10年、電化製品や自動車の急速な普及により、主婦たちの家事労働は大幅に軽減され、おりからの経済発展も手伝って買い物の目的や方法が劇的に変わりはじめました。郊外に駐車場付きのスーパーが誕生し、食品も衣料品も玩具も文具もすべてが一カ所でまかなうことができる、主婦にとって、たいへん便利な時代が到来しました。
●このような時代の変化を見抜き、地方の小さな小売店にすぎなかったダイエー、イトーヨーカドー、ジャスコ、ユニー、ニチイなどが全国展開し、続々と株式公開を果たします。ちょうど、今のIT関連企業の公開ラッシュと似ています。
●さて、この話の本質は何か?
●イノベーション(革新)の重要性です。自らすすんで過去の成功体験を捨てた所が勝ち組になったのです。ダイエー(薬局)もジャスコ(呉服屋)もヨーカドー(衣料品)もユニー(薬剤店・ふとん屋)も、地方小売店として当時からある程度の成功をおさめていました。にもかかわらず、過去と訣別する決意をし、店舗の総合化や大型化を一気にすすめたわけです。
同時に経営の近代化にも着手。商いの精神にサイエンスを導入し、より大きなビジョンに向かって合併する企業も相次ぎました。
●国内の商店街の大半は、こうしたイノベーション組によって大打撃を受けました。そもそもこうした時代の変化が、我が商店にどのような影響をあたえるのかに気づいていなかった所も多いのです。怠慢ゆえに時代を読み誤った会社は淘汰されていきました。
●また、「変わらなきゃ」とばかり努力する会社でも、イノベーションに成功できなかった会社がたくさんありました。イノベーション(革新)を成功させるためには、変革の目的が必要です。何をめざして変わるのかという大義名分や名目が必要なのです。
先に実名をあげた企業には、その大義名分が備わっていたのです。
それは・・・、 <続きは次号で>
2006年08月07日(月)更新
経営者の情熱
●まだこれから円熟するはずの経営者が、早くも世代交代を考えるには、積極的な理由による場合と消極的なそれとがあります。積極的な理由とは、後継者に任せた方が経営はうまくいくと信じていて、ご自分も他にやりたいことがある場合。消極的な理由とは、「疲れた」とか「飽きた」という社長自身の情熱喪失です。
●ここで問題にしたいのは、消極的な理由です。
●引退するときは誰にでもやってきます。その瞬間まで、社長は社内でだれよりも熱い情熱の持ち主であってほしい。にもかかわらず、情熱喪失に陥るのはなぜでしょうか?
●先行きが読めないとか、勘が働かなくなったとか、肉体が衰えたとか、いかようにも理由は見つかるでしょう。しかし、そうした表向きの理由の裏にあるもの、それは「夢」がなくなっているということではないでしょうか。夢がなくなると気力も衰えるのです。
●若手ベンチャー社長がマスコミにもてはやされ、20代や30代で成功するケースを多く接するようになりました。大橋巨泉流ライフスタイルにあこがれる経営者も多いそうです。
●そうした、周囲の成功者から学ぶことはあっても自分自身と対比する必要はありません。「彼らに比べて自分は今まで何をやってきたんだろうか」とか、「オレの出番はもう終わったのか」などと思うのは早計の至りです。老け込むにはあまりに若すぎます。
●日本初の地図制作者として有名な伊能忠敬は、養子先の家業再建のために50歳まの時を費やしました。人生50年時代の50歳だから、今でいえば70歳を超えていた感覚です。その後、彼は20歳も年下の若い天文学者の門を叩きました。そして測量術を学び、幕府の許可を得て地図制作を開始したのです。
●それから73年間の生涯を閉じるまで忠敬は日本中をくまなく歩き、彼の没後4年目に弟子たちが跡を継いで、ついに日本地図を完成させました。
●米国のマクドナルドハンバーガー創業者のレイ・クロック氏も、50代半ばまで、ミキサーのセールスマンをやっていました。ケンタッキー・フライド・チキンの創業者カーネルサンダースも60歳を超えるまで1店舗のガソリンスタンドを所有するにすぎない変わり者社長でした。
●夢と情熱は肉体年齢を超越します。私たちのクライマックスはまだ来ていないと考えて、もう一段高いところにピークを作ろうではありませんか。
2006年08月03日(木)更新
社長は黙って・・・
●燕雀(えんじゃく)とは、スズメやツバメのこと。鴻鵠(こうこく)とは、おおとりと、くぐい、いずれも大きな鳥のこと。その意味するところは、小人物がどうして大人物の志を知ることができようぞ、というものです。
●竜馬には、こうした自らを鼓舞することばが多く残されています。たとえば、「世の人は、我をなんともいわば言え、我がなす事は我のみぞ知る」もそうです。小物にはわからない大物の志というものがあるのですね。
●経営者という職業も、なにかと周囲から理解されないことが多いものです。たとえば、経営者の会合などに顔をだすと、ときどき「家庭をかえりみずに仕事に明け暮れて、家族から愛想をつかされています」と頭をかく経営者がおられます。たしかに、「家庭すら守れずに会社を守れるのか!」というヤジが飛んできそうですが、私はこうしたヤジにくじけてはならないと思います。
●たとえ、家庭における人間関係がうまくいっていなかったとしても、従業員や顧客の幸せに貢献しようと一心不乱にがんばっておられる真摯な経営者だってたくさんいるのです。「より大きな愛」をもった経営者だからこそなせるわざではないでしょうか。自分のためでも家族のためでもなく、ただひたすら良い会社を作るため、良い社会を作るために真摯に働いている経営者って、鴻鵠(こうこく)そのものですね。
●経営者はもうひとつ、押さえておかねばならないことがあります。それは言葉ではなく、結果で評価されるという一面です。しかも一年とか二年という短期スパンでも結果を求められる存在だということです。そのあたりが昔の志士や今の政治家と異なる点です。自分の理念も理想も主義主張もすべては決算書に表れる、という覚悟も、経営者には必要なのです。
●あなたの事業の目的は何か、志は何かということについて百人百様の考え方があると思いますが、あなたがどのような経営者だったかは、「男は黙ってサッポロビール」(古い宣伝文句)ならぬ「社長は黙って決算書」なのです。
●鴻鵠の志と決算書の両方で勝負できる経営者になりましょう!
2006年07月03日(月)更新
彫りながら考える
その大きさと迫力に圧倒されそうになっただけでなく、何だか後光が差しているように見えました。
●美術館の廊下の端からダビデ像の立っているところまで数十メートルありますが、その廊下の両側に、未完成ながらミケランジェロの彫刻作品が並べられています。それらの作品を見て私は「はっ!」としたのを覚えています。それらの未完成作品は、ちょうど子供の出産みたく、大理石の中から作品が今にも生まれ落ちそうになっているように見えたのです。
●鎌倉時代の仏師・運慶の作品も、木を彫って作品を作ったというよりは、木の中に隠れている作品を彫りだしてあげたようだと評されています。大理石のミケランジェロ、木の運慶、東西の天才に共通する仕事術なのかもしれません。
●では、会社経営を彫刻に例えるならばどうなるのでしょう。ミケランジェロや運慶の
ように、彫る前から中に埋まった完成像が見えているような会社経営なら楽しいでしょうね。しかし現実的には、"彫りながら考える"という経営に軍配があがるように私は思います。
●「戦略は前もって計画され、書式に記入できるもの」というのは、環境がそれほど大きく変化しない前提で成り立つもののようです。『ビジョナリーカンパニー』(日経B
P刊)では、「崩れた神話」と題して私たちが無意識にもっている常識が、実態とはか
け離れていることを指摘しています。その中に次のようなことが書かれているのです。
神話1.すばらしい会社をはじめるには、すばらしい事業構想か画期的製品が必要である。
神話2.大きく成長している企業は、綿密で複雑な戦略を立てて、最善の動きをとる。
この2項目はいずれも「現実的ではない」という指摘なのです。
●今でこそ世界を代表するような企業になったところでも、初期の段階では実験や試行錯誤、臨機応変、あるいは偶然によって生まれたものが少なくないというのです。むしろ、「大量のものを試し、うまくいったものを残す」というドロナワ的な方針の勝利だともいうのです。
●誤解しないでいただきたいのは、戦略も目標も計画も必要ないという意味ではありません。むしろ緩やか戦略や目標をもち、あとは行動しながら考えて変更を加えていくという程度の方が、実際上は有効だという意味です。
●時々、勘定科目ごとに円単位で経費予算をたて、円単位で毎日の実績をチェックしているような会社がありますが、それが効果的だったのは環境が大きく変化しない時代です。今はあらゆる業界が乱世です。
●アメリカには「戦略クラフティング(工芸)」という単語があります。ちょうど粘土
をこねながら造形物を作るようなものに似ているからこうしたネーミングが生まれたのでしょう。会社経営は、ミケランジェロや運慶のような天才を必要とせず、彫りながら考える、考えながら彫るという非・天才のやり方に勝ち目があると私は思うのです。
●大切なことは、定期的に立ち止まって考えることと、必要な軌道修正を行い続けることなのです。
2006年06月27日(火)更新
爆弾とミサイル
●書店の自己啓発のコーナーに行くと、「心に描いた夢は必ず実現する」というような教えを書いた本が多い。もしその通りだとすれば、日本代表のジーコ監督や選手諸君は何を心に描いたのだろう。
●達成する人の数に限りがあるような目標(総理大臣になるとか世界一になるなど)の場合は描いても実現しないことの方が多いのはたしか。でも、自分の努力次第でどうにかなるテーマ、たとえば「減量する」とか「今日中にこの原稿を仕上げる」というような課題についても、達成できる時とできない時があるのは、なぜだろう。
●「事業計画を作ってもその通りにならないから、作るのをやめました」という社長がいるが、なぜ事業計画を作ってもその通りにならなかったのかを考えてみる必要があるのだ。事業計画を達成できなかったということは、
・計画通り実行したのだが、うまくいかなかった
・計画通り実行しなかったので、うまくいかなかった
のどちらなのだろう。
●「やってみたのだが、うまくいかなかった」というのならやり方を変えねばならないということだし、「事情があってやれなかった(やらなかった)」というのなら、どのようにしたらやれるのかを率直に考えてみるべきだろう。どちらにしても、大切な目標をいつまでも未達成で放置しておくのは精神衛生上良くない。
●私は、未達成の目標の多くは「爆弾型」であり、達成する目標の多くは「ミサイル型」だと思っている。物騒な名前を付けたが、これには深い意味がある。
●爆撃機などに積まれた爆弾は目的地の上空で投下され、地上で爆発する。目標物が動かない建物などの場合は爆弾が有効だろう。爆弾投下は、こちらが速いスピードで動く飛行機で、しかも風の影響もあるという障害があるにもかかわらず、訓練さえ積めば、かなりの精度で当たるようになるらしい。
●だが、問題は、対象物が肉眼で見えない時や動く時はどうするか、である。
●そこでミサイルというものが誕生した。ミサイルには目標を追求する装置が付いているために、対象物が動いてもそれに合わせてこちらも移動する。パトリオット(迎撃)ミサイルに落とされないかぎり、必ず当たるようにできているのがミサイルだ。
●あなたの会社で投下する目標は、「爆弾型」か「ミサイル型」か、どっちだろう。会社経営とは、爆弾を落とすことではなくミサイルの機能を働かせることだ。なぜならば、経営環境は刻々と変化する。獲物は動いているのだ。したがって、期首に作った目標や計画のままではうまくいかなくなることが多いのだ。
●だからこそ、ミサイルになろう。あなたの会社にとってミサイルの機能を果たすようなシステムとは何だろう。まさしく「目標到達システム」とでも呼べるような強力なミサイルを取り付けようではないか。
2006年06月19日(月)更新
中国の経営者(その2)
●私は講演の最後に、「質問や意見はありませんか?」と聴衆に水を向けました。すると、半分くらいの人が挙手しました。7年前の苦い思い出(前回のブログ参照)があるだけに、少々ドキドキしながら彼らの質問を待ちます。
●最初の質問者は30代半ばの男性経営者で、済南市にある中堅ホテルのオーナーでした。
「私の会社のスタッフは、あまり長期間定着してくれません。戦力になってきたなぁと
思うころには転職していってしまいます。引き抜かれることもあります。日本には、ソニーや松下のように会社と社員が家族的なつながりをもって、長期間働いてくれるような関係を作っている会社が多いと聞いています。そのために経営者がすべきことは何でしょうか」
●いきなりの難問でした。本題から離れるといけないので、ここでは質疑応答のくわしいやりとりをご紹介しませんが、この質問に端を発して、次から次へレベルの高い質問が飛んできます。
・「良い経営理念は掲げたいが、それはどのようにしたら作れるのか」
・「経営方針を社内に徹底させるために、どのようなことをすればよいか」
・「採用面接で、優秀な人材とそうでない人材を見抜くコツはあるか」
・「社長(総経理)として、一番大切な役割は何か」
●私と聴衆の間に通訳が入るわけですから、一つの質問を終えるのに最低10分はかかりました。ですから質疑応答だけで1時間以上もかかったのですが、こうした真剣なやりとりを通して私は、「中国はこわい国になる」と思ったのです。
●ちょっと前までは「会社経営=金儲け」という単純な発想しかもっていなかった中国人経営者たち。ところが、彼らの多くは今、本当の会社経営者として成長してきました。なぜ彼ら中国人経営者は急速に経営力をつけてきたかを私なりに考えてみました。二つ原因があるように思います。一つは「失敗体験」、もう一つは彼らの「学習環境」です。
●かつて鄧小平が「金儲けは悪いことではない」と語り、一攫千金を夢みて都市部に出てきて事業を始める若者が急増しました。しかしその多くは、「会社経営=商売=金儲け」、「金持ち=経営上手」という短絡的な損得勘定だけを基準に会社経営をしていたのでしょう。そこには長期的な視点や善悪、信用、信頼という発想が欠けていたのです。
●しかしあれから時間がたちました。彼らも進化しているのです。猛スピードで学習し
ているのです。自分たちの考え方ややり方の限界を感じたのでしょう。「会社経営は金儲けだけではないぞ」と気づき始め、儒教の精神を経営に活かす経営者のことを「儒商」とよび、尊敬するようになってきたのです。私たちにとってこの変化は見逃せません。
●つまりは、「ダマされるな」「ひどい目にあう」という、私たちの中になる中国観を修正すべきなのです。
●彼らの学習環境についてですが、読書人口や読書数はまだまだ日本より見劣りがします。しかし、中国人が自由に入手できる情報の質と量は急増しました。一定規模以上の街になると市内の中心地には書城(しょじょう)と呼ばれるデパートのように大きな書店があります。日本の大型店と比べても規模的にまったくひけをとりません。しかも、そこには多数の客が押し寄せ、新しい知識や情報を入手しています。
●共産党支配の社会主義国ながら、中国でも比較的オープンに世界の最新知識や情報が手に入るようになっているのです。ドラッカーの本もジャック・ウエルチの本も、そして、大前研一の本も読めるようになっているのです。
●失敗体験に懲り、学習意欲をもった中国の若手経営者が真に効果的な学習を始めたとき、中国は私たちにとって信頼できる強力なパートナーとなるのか、それとも恐るべき難敵となるのか、それを決めるのは、ほかならぬ「あなた」なのです。
2006年06月08日(木)更新
中国の経営者(その1)
●自己紹介で私は若干、社交辞令もまじえてこうあいさつしました。
「私は日本で経営コンサルタントをやっています。子供のころから三国志や水滸伝を読んできて、中国には特別な思い入れがありますし、なにより中華料理がおいしい。そこで、将来は中国でもコンサルティング活動ができれば良いなぁと思っています。どうぞよろしく!」
●すると彼らがザワザワと何やら隣同士で囁きあうではありませんか。てっきり、私のスピーチの評判が良かったのだろうと思って通訳の顔をみると、彼の顔が曇っているのです。
「あのぉ、彼らは何を話しているのですか?」
と私が尋ねると、通訳は言いづらそうな表情でこう言いました。
●「日本の経営コンサルタントが自分たちに何を教えてくれようとしているのだろう?むしろ自分たちの方が、このセンセイに中国でのビジネスのやり方とか儲け方を教えてあげるのが筋じゃないのかい」
などと私の悪口を言っているというのです。私は一気に興ざめしました。その後、会食で何を飲んだか、何を食べたか、まったく覚えていません。そして、内心で固く誓いました。
「こんな国、二度と来るものか!」
●それから7年ほど経過した2003年のこと。ある日突然、中国人経営者から日本語でメールが届きました。彼は私のメールマガジンの読者で、青島(チンタオ)で貿易会社を経営しているといいます。そんな彼が、私に講演の打診をしてきたのです。理由を尋ねると、「がんばれ社長!」メルマガのおかげで彼の会社がグングン成長しており、青島の経営者仲間を集めるので2時間ほど講演を頼みたいということでした。
●私の心は動きました。なにしろ、美しいと評判がある青島へはいつか行ってみたいと思っていたからです。しかし、そのメールを無視しました。
「こんな国、二度と来るものか」
と誓ったあの日のことを思い出してしまったからです。
しかし彼は熱心でした。一度や二度の無視ではめげません。さすが有名な「三顧の礼」の国だと感心もしました。
●半年後、私は青島で講演していたのです。数十名の中国人経営社長者が集まり、彼の逐次通訳によって私のメッセージを彼らに伝えたのです。
もし以前のように、
「日本のコンサルタントが我々に何を教えてくれるというの?」
という態度の経営者がいたら、即刻ホテルに戻るつもりでいました。
●でも彼らの聞く姿勢は、以前のそうした経営者とは全然違っていました。私が変わったのか、それとも彼らが変わったのか? とにもかくにも講演が終わりました。私が、
「質問や意見はありませんか?」
と聴衆に水を向けると、なんと半分くらいの人が挙手しました。少々ドキドキし
ながら彼らの質問を聞きました。私は彼らから発せられたその質問内容に驚かされることになるのです。
<続きは次号で>
2006年06月02日(金)更新
いよいよスタートします!
みなさん、こんにちは! 武沢と申します。
「有限会社がんばれ社長」というコンサルティング会社の社長をやっていますが、銀行の窓口で「がんばれ社長さ~ん」などと呼ばれると、周囲のお客がみんな私の方を見ます。クスッと笑う人だっています。
どうやら世間ではユニークな会社名みたいなのですが、決してウケ狙いで決めた社名ではありません。実はこの名前、私が6年前(西暦2000年)の夏から発行しているメールマガジンのタイトルなのです。
『がんばれ社長!今日のポイント』というタイトルのメルマガを発行していて、読者数がかなり増えてきたので、社名まで「がんばれ社長!」にしてしまったというのが真相です。
私の願いは日本の中小企業経営者を応援し、元気になっていただくこと。「がんばれ~、ガンバレ!」と応援するサポーターでもありますが、時には、がんばり方もお教えできるコンサルタントの仕事もします。
日本実業出版社さんともメールマガジンを通して出逢い、おつき合いさせていただくようになりました。
この『経営者会報ブログ・アドバイザリ・ボード』でも「社長の学校・事始め」というテーマで経営者のみなさんを応援するコラムを書いてゆきたいと思います。
内容は種々雑多なものになると思いますが、ブログですので、、みなさまからコメントや質問などを頂戴しながら、なるべく楽しく、かつ長く続けられたらよいなぁ、と思っています。
■社長の学校・事始め
第一講座:「聖と俗」
●たしかヨーロッパの企業だったか、重役の一人が仕事中にインターネットのアダルトサイトにアクセスしていたことが発覚し、辞任に追いやられるという"事件"がありました。きっと本人にしてみれば、ちょっとした息抜きのつもりだったのでしょう。しかし、組織のリーダーが率先してルール違反をした代償はあまりに大きかったようで、高額の役員報酬もフイにしてしまいました。
●仕事中の息抜きが悪いのではなく、ルール違反がとがめられたということでしょう。しかし、私はもっと深い意味があるように思えます。だってルール違反するたびに役員が更迭されていては、誰も役員がいなくなってしまいかねません。むしろルール違反の中身が問題です。それは、「聖」(職場)と「俗」(アダルト)の混合が良くないということではないでしょうか
●「回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる」と語ったのは、かのピカソです。中国から日本に仏教を持ち込んだ僧侶のひとり「空海」が高野山を修業の場とするにあたり、「結界」という名の境界線を設定しました。「結界」内には女人が入ることが許されず、ほかにも修業の妨げになるような世俗的なものは一切が持ち込み不可でした。
●このように、古今東西において「聖」と「俗」を区分けすることの大切さが説かれているのです。それは、宗教や芸術だけの話ではなく、ビジネスでも同様のはず。オフィスの中には、仕事に関係しないモノは持ち込まないこと。
●最近では、パソコンの中味も問われます。仕事で使うパソコンにも、何らかの決まりが必要な時代になってきました。多くの企業では、すでに次のようなことが実行されていますが、今後、こうした制約はますます必要になってくるでしょう。
・ゲーム類のソフト削除
・インターネットサイトへのアクセス制限
・メール内容の監視(私用メールの禁止)
・・・etc.
●パソコンは、ビジネスやコミュニケーションの生産性を上げるためのもの。ゲームマシンやDVDプレイヤーにも早変わりする存在だけに、正しい使用法を守らないと、かえって生産性を落とすツールになりかねません。会社としてパソコン使用に関する何らかのルールを作ることや、その管理・監査が必要だと思うのです。
●まずは、経営者であるあなた自身のパソコンを「聖」なるマシンとしてキープすることを誓いましょう。
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ボードメンバープロフィール
武沢 信行氏
1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。
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