武沢信行の「社長の学校・事始め」 | 経営者会報 (社長ブログ)
社長業を極めるためのカリキュラムについて、「日本的経営のリニューアル」という視点から紹介します
2008年12月19日(金)更新
「偉大ゾーン」が社長の顔をつくる
●リンカーンは閣僚人事の最終判断を、顔で決めていたと言います。もちろん経歴や評判はチェックしたのでしょうが、最終判断は顔だったようです。
●ある推薦者がある人物を閣僚に推薦したとき、「あの男は顔が気に入らない」とリンカーンは却下しました。推薦者は、「顔は当人の責任ではない。顔で人選するのはアンフェアだ」と指摘したそのとき、リンカーンは先の発言をしたのです。
●私は40歳過ぎて責任をもつのは「顔」だけではないと思います。自分の身の回りに起きていることのすべてに責任を負うのがこの年代です。まして、あなたが経営者ならば言い訳は一切できません。しかし、
「あなたは宮仕えの身ですか?」と突っ込みたくなるほど言い訳がましい社長がいるのも、また事実です。
・私は忙しすぎて○○する時間がとれない
・こういう事情だから、私の会社は自分の思うようにならない
・私は若すぎる(あるいは年をとりすぎた)
・私は数字(営業、経理など)に弱い
・私はかつて○○にだまされた
・あのとき、私はこうすべきだった
まるで、自分はなにかの“被害者”か“悲運の人”のように思っているのではないでしょうか。このような社長は、たいていが「いい顔」をしていません。
●あるとき、愛知県の社長の集まりで講演した際、私は「偉大ゾーンで勝負して下さい」と言いました。偉大ゾーンとは、「情熱がわく仕事」「得意な仕事」「利益が得られる仕事」の3つの条件がすべて合致する仕事のことです。
●その会場のなかにすごい社長が混じっていました。仮にA社長としておきますが、彼の会社は、50年間傘の製造一筋でやってきているのですが、一度だけ赤字を出したことがあるものの、それ以外は毎年
4,000万円以上の経常利益を出してきたというのです。
●「50年間傘一筋というのはすごいですね」と申し上げると、A社長は次のようにいいました。
「今までに、銀行さんをはじめとしていろんな事業提案が持ちかけられてきましたが、やろうと思ったことがありません。傘の製造業は私にとってもわが社にとっても『偉大ゾーン』だし、さらにそれを進化(深化)させるためにやるべきことが山ほどある。昨年は中国へ工場を進出させることでコストダウンをはかったし、今は、化学技術を強化して従来とはまったく違う傘を作る研究をしているのです」
今年還暦になられたA社長ですが、その話をしている彼の目は子どものように輝いていました。
●Aさんのように、今やっている仕事がズバリ「偉大ゾーン」に当てはまっている場合は幸福です。しかし、そうでない場合はどうしたらいいでしょうか。それには、2つの方法があると思います。
・より偉大ゾーンに近い仕事に参入する
・今やっている仕事を偉大ゾーンに近づくように変えていく
いずれにしても、偉大ゾーンで仕事をしている社長は必ず「いい顔」をしているものなのです。
2008年12月05日(金)更新
理念不在がどうした!
●最近でこそ、中小企業の経営者で本を読む人が多くなりましたが、昔は本を読まないどころか人の話すらまともに聞かない頑固な経営者も、少なからずいました。本やセミナーで勉強したこともなく、自分の経験と勘と度胸(頭文字をとってKKD)しか信用しない社長がたくさんいたのです。
●私が新米コンサルタントだったころ、そのようなKKD社長に「社員のためにも経営理念を作りましょう」と提案したこともありますが、「そんなもんでメシが喰えるか」と一喝されてオシマイのケースがほとんどでした。自分の経験からくる揺るぎない信念と哲学をもとに「経営理念なんていらない」と言われたら、何も言い返せなかったのです。
●ところが最近は、ほとんどの経営者が経営理念の必要性に異議を唱えません。それどころか、何の疑いもなく「理念が必要だ」と言います。
●しかし、経営理念というものは、すべての会社が今すぐ必要とするものでもありません。理念がなくても経営はできますし、そんなややこしい事にうつつを抜かしているヒマがあれば、今すぐ外へ飛び出して顧客の話を聞いてきた方が参考になる、という時期もあるのです。
●特に、従業員が30人未満のベンチャーのような会社では、社長の言動自体が経営理念そのものです。社長がいつも社員に向かって思いの丈を熱く語れば、それが経営理念の役割を果たすので、それで充分ではないでしょうか。
●そのような段階で経営理念の作成よりも先決すべき課題は、業績の安定です。大口の得意先や企業系列に依存しないで顧客を引っぱれるようになること。また、業績管理を徹底して目標と数字データに基づく計画経営を行うことが大事です。
●業績が安定し、社長も社員も安心してご飯が食べられるようになったら、次のステップではじめて経営理念や経営ビジョンを制定する必要が出てくるのです。
●私が影響を受けた本である『ビジョナリー・カンパニー』の中にも、こんな一節が出てきます。
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ビジョナリー・カンパニーのすべてが、設立当初から基本理念をしっかりした文書にしていたわけではない。そうした企業はごく一部である。
理念を文書にしたのは多くの場合、設立から10年前後たったころだが、おおむね大企業に成長する前である。ビジョナリーカンパニーのほとんどが、設立当初は会社を軌道に乗せ、成功させるために必死だった。
はっきりした理念を掲げるようになったのは、会社が発展したからだ。
だから、基本理念を文書にしていなくても問題ない。しかし、早ければ早いほどよい。この本を読む時間があるのだから、読書をしばらく中断して、いますぐ基本理念を書き上げるべきだ。
(『ビジョナリー・カンパニー』ジェームズ・C・コリンズ/ジェリー・I・ポラス著
日経BP社刊 129ページより抜粋)
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●わかりやすくするために、会社のレベルを次の4つに分類して考えましょう。
・第一レベル 「悪い」
・第二レベル 「普通」
・第三レベル 「良い」
・第四レベル 「偉大」
「悪い」から「普通」へ、「普通」から「良い」の段階に移行するには、経営理念よりも、顧客創造の力が問われます。いかにして利益を出し、キャッシュフローを良くするかという格闘です。この段階では、経営理念はさほど大きな意味を持ちません。
●しかし、それ以上の段階である「偉大」の高みに登ろうとしたときにはじめて、人材力・組織力・管理力などが醸し出す企業文化や、企業のブランドイメージが問われるようになります。その段階でこそ、経営理念とその浸透力が、極めて大切な要素になってくるのです。
2008年11月28日(金)更新
掛け替えのない存在になる
●禁止されていることを守るのは、人間にとってなかなか困難なことです。ところが、ビジネスでは禁止されている事柄がたくさんあります。遅刻厳禁、納期に遅れてはいけない、ウソはつくな……etc.
●私たちは悪いことをしないために生まれてきたのではなく、なにか意味あることをするために生まれてきたはずです。なのに世間では、「悪いことはするな」と強調こそすれ、「何か意味あることをしろ」とはあまり言いません。
●大切なのは消極的禁欲ではなく、積極的禁欲です。言いかえれば、行動的かつ能動的な目標が必要なのだということです。
●初対面の人から信用され、評価され、やがて掛け替え(かけがえ)のない人物として扱われるために、人はどのようなプロセスをたどるでしょうか。たしかに、時間を守ることやマナーの遵守など、悪いことをしないのは大切ですが、それは必要条件であっても十分条件ではありません。
大きく分けると、
1.不安・不信・不満・不快を与えない。
2.期待に応えつづける
3.期待を上回りつづける
この三段階を経ていくものだと思います。
●まずは悪いことをしない人だという印象をあたえてから、善いことを行う人なんだという印象を経て、最終的に他には替えられない人なのだという立場になるのです。
●悪いことをしないのは第一ステップにすぎず、その先が大切です。それは、どのように良いことをしてくれる人なのかが相手に伝わることなのです。これは個人でも企業でもまったく同じことではないでしょうか。
2008年11月25日(火)更新
どれになさいますか?
●多くの経営者はそこで立ち止まってしまい、何もしません。次に来るであろう、何かの機会を待ってしまうのです。しかし、次に何かがくることはありません。新しい行動の扉は、こちら側にしか取っ手がないのです。
●思えば私たちは、子供のころからすでに用意されているお膳立ての中から選択するという生き方をしてきました。
・レストランで出されたメニューの中から食事を注文する
・パックツアーのカタログを見てどの旅行にするか決める
・「MBAホルダーが読んでいるビジネス書100」などの本から次に読む本を選ぶ
・学校の先生が紹介してくれた学校や企業から次の進路を選ぶ
・幹部社員やコンサルタントが提案した中から次の戦略を選ぶ ……etc.
●これでは何かに依存しすぎではないでしょうか。メニューの中から選ぶのは確かに楽です。しかし、会社を経営するにあたり、メニュー表が差し出されることはまずありません。
●数年前、私が主催する中国視察旅行に参加した、名古屋のある屋根瓦販売会社があります。そこのM専務は、現地に「チャンスがある」と思い、翌月は単身で上海、北京、広州などの主要都市を回りました。
●さらに、その半年後には中国人アルバイトを採用し、現地の住宅会社にメールと電話で営業をかけ、また半年が経過したころには中国との取引をはじめました。当時はまだ若かったM専務(現在は社長)の、メニュー表をアテにしない行動力には感服しました。
●将来に備えて視察や研究をするのは大変結構ですが、帰ってきて何も行動しなかったら視察や研究はムダになりかねません。帰ってきて、もう少し主体的に行動してみることで、初めて視察や研究の成果が活かされるのです。
●誰にでも当てはまる成功公式は本やセミナーで学べますが、あなたの会社にしか当てはまらない正解は、あなたが行動してみないと見つけられません。
●当然、それはメニュー表として差し出されるものではない、いうことを覚悟しておきましょう。
2008年11月14日(金)更新
昔? 今を見てくれ
「武沢さん、人間も50歳を超えるともう若くない。だから肉体トレーニングなどほどほどにして、体調を整える程度の運動にしておいたほうが身のためだよ」
「武沢さん、最近の理論では筋肉を鍛えるのに年は関係ないそうだ。いくつになっても鍛えたら丈夫になるのが人間の肉体らしいから、守りに入らずどんどん鍛えなさいよ。私もトレーニングジムに通って鍛えているけど、胸囲が2センチ厚くなった」
まったく正反対の忠告であり、どちらの考えも理解できるのですが、私は後者の方が気に入っています。
●日本人の平均寿命は80歳とか85歳だそうです。その中間地点にあたる40歳前後は、人生の折り返し地点にあたり、それ以降は後半戦という考え方もありますが、私はそのような考え方はあまり好きになれません。
●野球の試合にたとえて1イニング=10年と見ると、54歳の私は5回表を戦っている状態に相当します。そして野球が一番盛り上がるのは7回から9回にかけて。この理屈でいうと、私の人生も70歳から90歳が一番おもしろくなるのでしょう。そう考えると、若い頃の思い出にふけりながら後半の人生を生きるのは、私の性に合いません。
●“昔の名前で出ています”ではないですが、昔のヒット曲を後生大事にし、今でも歌っている歌手がいる一方で、デビュー当時のヒット曲は一切歌わない歌手もいます。
●ローリングストーンズのミック・ジャガー(65歳)は、ある日「サティスファクション? 俺たちゃ、あんな古い曲を歌うために活動してるんじゃねぇよ」と言い放ち、今後この大ヒット曲を歌わないと誓ったそうです。と言いつつも最近歌っていましたが、あれは懐メロとして歌ったのではなく、今の時代へのメッセージをこめて歌ったものなのだと私は解釈しています。
●他の例も見てみましょう。年を感じさせない日本人歌手の代表格である桑田佳祐(52歳)が、「あんな60歳いるかい?」と評したポール・マッカートニー(66歳)。日本の音楽教科書にも載るほど世界中から受け入れられ、富と名声を集め尽くしたポールが、今なおミュージシャンとしてみずみずしいのはなぜでしょうか? たしかに、ミックもポールも外見上は老いました。しかし、そのあくなき挑戦者魂と全身から発散するオーラは、実際の年齢を超越しています。
●同様に、桑田が「すごい好きだった」と語っているエリック・クラプトンは63歳。日本人の高年齢歌手でも、矢沢永吉(59歳)や井上陽水(60歳)などがおり、陽水なんかはこのように語っています。
「20代のころの自分のレコードをときどき聞くけど、自分では今の声のほうが断然気に入っている」
●音楽に限らず、大切なことは個人であれ企業であれ、「昔より今のほうがすごいぜ」と胸を張って言えるような状況を作っていくことではないでしょうか。だから私も、高校生の息子を誘ってトレーニングジムに通うのです。
2008年11月10日(月)更新
アンチ・カリスマ
「え、私が凡人ですか。日ごろは非凡でありたいと思っているのですが、こうして面とむかってハッキリ言われると、何だかイヤミには思えませんね」
●上記は、先日ある人と夕食をともにしたときに言われた内容です。昔は私も「カリスマコンサルタント」を目指していましたが、今ではそんな気持ちはありません。そもそもカリスマ俳優、カリスマ美容師などといった、「カリスマ」という言葉がもてはやされたのは20世紀の話です。
●思えば、映画でも石原裕次郎や高倉健などの二枚目俳優は、どれだけカリスマ性を打ち出せるかでしのぎを削っていた感があります。そういう意味でカリスマとは、格好良さと勝ち組の代名詞でもあり、有名な俳優やスポーツ選手などは決してバラエティ番組には登場しませんでした。
●しかし21世紀になった今、カリスマとは別のものが求められる時代です。その新しい基準になるのが、「等身大であること」ではないでしょうか。あるいは、「すごい人」「格好良い人」ではなく、「愛される人」「普通の人」と言ってもいいでしょう。お笑い芸人がバラエティ番組からニュース番組、スポーツニュースなど、いろんなところに進出しているのも、等身大で振舞うところがウケているのでしょう。
●「等身大」とは、以下に示すように「カリスマ」へのアンチテーゼでもあります。
・失敗や挫折が当たり前
・カッコ悪いことや、世間の評判を気にしない
・判断基準は、損得や格好ではなく、面白いか面白くないか
・飽きっぽい大衆にあわせていつも新しいことに挑戦し、
その結果、常に進歩・進化しつづける
・人間は人間の値打ちを計るとき、どれだけ優秀かと同時に、
どれだけバカ(凡人)になれるかを同時に観ている。 etc.
●自分らしく等身大に、それが今の時代のテーマです。当然、経営に求められるものも変わってきています。
●巨大企業や有名企業を目指すより、自分らしい企業づくりをしていきましょう。あなたらしい等身大の経営を作り上げるのです。
2008年10月24日(金)更新
凡人が勝つ
「最後に笑うのは凡人なんだ。だから自分がエリートじゃないことを卑下してはいけない。勝つのは凡人の方だ。なぜならば…」
と、禅の大師、鈴木大拙氏の教えを引用しつつ、熱く語っていました。
●講演終了後、現役の京都大学生のA君が名刺交換にやってきました。彼は一通りの挨拶を終えると、即座に反論を語り始めました。彼の反論の趣旨はこのようなものです。
「たしかに凡人でも勝てるという話は勇気がでたが、『凡人がエリートより勝っている』という根拠がわからない。『凡人が勝つのではなく、凡人でも勝てる』というのが正しい表現ではないか。エリートが凡人より劣っているなどとは思えないにも関わらず、武沢さんの話からは、凡人のほうが優れているように受け取れた」
●しかし、私の意見はあくまで「凡人“でも”勝つ」ではなく、「凡人“が”勝つ」です。エリートではいけません。世間一般で用いるエリートとは、先生から教えられたことを理解し、暗記する才能に富んだ人です。しかし、実社会において勝つのは凡人であって、学校教育のエリートではありません。もっとも、「凡人が勝つ」とは言っても、並の凡人ではなく、大いなる凡人でなければなりません。
●私は発明王である「トーマス・エジソン」の幼少時代のエピソードに、凡人とエリートの論争へのメッセージがあるような気します。エジソンは「天才とは、99パーセントの努力と1パーセントのひらめきである」という言葉でも有名ですが、彼の母親の存在を抜きにしては、かの天才は世に出なかったでしょう。
●母親の名前はナンシーといいます。のちに天才と称されるエジソンですが、実は幼少期はまともに読書もできないほどのADHD(注意欠陥・多動性障害)であったといいます。それだけではなく、異常なまでに好奇心と探究心が強かったエジソンは、周囲に対して「なぜ~なの?」と大人たちを悩ませる質問ばかりを発していたそうです。
●小学校の教師は、「1+1=2」に対して異議を唱える彼を、「頭が腐っている」とまで評しました。
・1杯の水にもう1杯の水を足しても、やっぱり1杯ではないか
・1個の粘土にもう1個の粘土を加えても、やっぱり1個になるではないか
一事が万事こんな調子で異議を唱えられては、学校の先生が困るのは無理もありません。
●さらにエジソンは、「火とは何か。なぜ炎が燃え立つのかを自分で確かめたかった」という理由で、製材所を営んでいた父親の倉庫を燃やしたこともあります。その他にも、ニワトリの卵を自分で温めてヒナをかえそうするなどの奇行を目の当たりにした父は、とうとうエジソンを見放しました。当然、学校も彼を見放し、事実上は小学校を退学になっています。
●しかし、ナンシーはエジソンの真の可能性を見抜き、自らエジソンを教育しようと決心しました。他人が見れば単なる問題児ですが、真理や真実を知ろうとする好奇心・探求心を、母だけが評価していたのです。
●国語、算数、歴史、文学、物理、化学、と教えていったナンシーですが、とりわけエジソンに科学の才能があったため、自宅の地下室で好きに実験できるように、環境を整えました。そこで、大好きな実験と研究を通じて湧き出る疑問の答えをみずから導きだしていくことができたから、発明の天才が生まれたのでしょう。
●私たちは他人を評価するとき、何をもって優秀か否かを決めているでしょうか? エリートと凡人の違いって何だろうか、を考えてみる必要がありはしないでしょうか。
●人よりもはるかに劣る弱点をもち、失敗と挫折を経験しているエジソンのような凡人が勝つのです。そのためには、自分が没頭でき、得意と思える一点に集中する必要があります。そんな凡人だけが、偉大な仕事ができるのです。
2008年10月17日(金)更新
育成と選抜
●Jリーガーになれる確率は、「1000人に1人いるかいないか」といいますが、その狭き門を潜り抜けてピッチに立つJリーガーたちは、アマチュアサッカー選手からみれば憧れの存在でしょう。しかし、それに憧れるのは結構なことですが、先のA氏の話にあるとおり、Jリーガーになることだけがサッカーをやる目的ではありません。
●A氏は、「サッカーを通じて健全な身体や心、それにチームプレイというものを指導していきたい。サッカーを一生のスポーツとして愛し、人生の重要な場面にはいつもサッカーがあるような関わり方をしていってほしい」と続けます。
●企業の人材育成においても同様の視点が求められるはずです。それは、「選抜」と「育成」という二本柱です。
「選抜」とは、ふるいにかけて優れたものを選び出すこと。
「育成」とは、選手を育て組織全体のレベルアップをはかることです。
この二つのうち、いずれが良いかという問題ではなく、両方が大切なのではないでしょうか。
●能力主義型の人事制度の中には、単なる選抜主義だけのものが少なくありません。がんばった人に大きく報いるのは当然のことですが、その一方で、がんばっても結果が出なかった人や、何らかの事情によりがんばれなかった人に対するフォローのしくみが伴っていないとうまくいきません。
●組織の基礎となる育成のしくみを最初にきちんと作り込んだうえで、さらに選抜システムを付け足すのが理想でしょう。人材が豊富な大企業ならば、育成のしくみがある程度構築済みですので、そこに新たに選抜システムを組み込んで、あとは社員間の自由競争に任せるだけでいいですが、中小企業ではそうはいきません。まず育成のしくみを作ることがが必要なのです。
●最初にすべきことは、なぜ人材を育成するのかという「目的」を「育成理念」として明文化することです。社長が「立派な人材を育成したい」と思って教育に力を入れていても、社員に「どうせ会社の都合、社長のエゴと趣味で教えているんだろう」と思われていては何も伝わりません。
●戦前の日本には、世界から賞賛されていた「教育勅語」というものがありました。「教育勅語」は、人が学ぶ目的を明文化したものだったのですが、戦後になってから日本はそれを取り下げてしまいました。そのときから、教育の理想がなくなってしまい、日本の教育の混迷が始まったといえるのではないでしょうか。
●その事実を反面教師とし、私は企業にこそ「教育勅語」を制定する必要があると思います。経営者の思いと教育を受ける側との思いを一致させる「教育勅語」を制定し、それをベースにして、あなたの会社に育成と選抜のしくみを構築していきましょう。
2008年10月03日(金)更新
書斎を持とう
私が10年以上前から持ち続けている願望です。最近、その思いがますます強くなり、敬愛する司馬遼太郎さんの記念館に行ってきました。二年ぶり二度目の見学なのですが、前回は司馬さんの一ファンとして足を運び、今回は作家になったつもりで、蔵書や書斎がどのようになっているのかに焦点を絞っての見学です。
●司馬さんは一冊の本を書くのに何百冊、何千冊の本や史料、資料を読破し、その中から一滴、二滴としずくを搾りだすように文章を書いていったそうです。それを裏付けるように、司馬さんの蔵書は5万冊とも6万冊とも言われており、記念館にあった2万冊の展示も実に圧巻でした。
●私のオフィスにある書棚は1000冊くらいで一杯になってしまいます。そのほとんどが300ページ以内の薄い本です。もちろん、この程度では収まりきらないので、2~3か月に一度は書棚のメンテナンスをして不要な本を処分しています。
●オフィスも自宅もスペースに限りがありますので、それ以上の蔵書は持たないようにしてきたのですが、ついにこの秋、書棚を増設することにしました。司馬さんに影響されたのもありますが、やはり1000冊では少なすぎます。今回の増設で2000冊程度なら収められるようになりましたが、それでも焼け石に水かもしれません。
●整理術の基本は「いつでも手に入るものは手元に持たない」だそうですが、蔵書はそういう訳にはいきません。書きたいときに参照する本が手元にないと困ることが多いのです。
●経営者も読書好きであってほしいと思います。ビジネス分野はもちろん、あらゆる分野の本を読むことが、人間としての幅や厚みを持たせてくれる元になります。そして、読んだ内容を整理し、自分や自社に当てはめて考える。そうした思索のためにも、本を保管するスペースが経営者には必要ではないでしょうか。
●そこで、私は経営者のみなさんに提案します。
「本を読もう」「大きい書棚をもとう」「書斎をもとう」と。
●ところが私たちの多くは、結婚と同時に書斎や書棚どころか、一人になれるスペースをも失います。“結婚は知的退化の始まり”という評論家もいますが、仮にも経営者たる者が自宅にもオフィスにも書棚がないとか、ゆっくり本を読める場所をもっていないというのは大問題ではないでしょうか。
●『書斎の造りかた』(光文社)を書いた林望さんは、書斎確保のためには家庭内別居も必要だと説いていますが、そこまではしなくとも、狭くても良いので一人になれるスペースを確保したいものです。そこを読書や沈思黙考の拠点として、明日のビジョンや経営方針について考える知的生産に励みましょう。
●多くの企業では“社長は穴熊になってはいけない”として、社長室を取り壊してきた歴史があります。一理はあるのですが、社長室と同時に社長が本来行なうべき知的生産活動を放棄してしまっては本末転倒です。
●ブースで仕切るだけではダメ。行きつけの喫茶店でもダメ。内から施錠できる物理的空間をオフィスに確保しましょう。それを「社長の知的生産工場」にするのです。
●取り戻せ、社長室! 新設しよう、社長室!! 作れ、書斎!!!
2008年09月29日(月)更新
専務号泣
M社のM専務は、私が開催した経営セミナーの修了生で、彼の会社の成長ぶりには以前から関心があったので、喜んで出席することにしたのです。
●このM専務(33)には、同社の社長でもある父がいます。見たところ大変若く、あとで65歳と聞いてびっくりしたのですが、人をそらさぬ見事な人格者のようでした。また、これまでは業界の成長とともに、父の代で会社を大きくしてきたのですが、そろそろ専務体制にシフトしていきたいという様子もうかがえました。
●M専務は入社5年目で、それ以前はハウスメーカーで営業の仕事をしていました。弁舌さわやかで勉強熱心な人ですが、若さと社歴の浅さからか、まだまだ社内のベテラン職人さんたちを率いていく力が空回りしているようにみえました。
●そのような状況の中、今年の発表会では、初めてM専務が一人で作り上げた経営方針書を発表するというのです。はたしてどの程度受け入れられるのか、あるいは総スカンを食ってしまうのか、私もドキドキしながら席につきました。
●事業承継をするときは、新しいリーダーと従業員の間で信頼関係を築き上げることができ、社内が一丸となって目指す方向に進んでいけるかどうかが、非常に重要です。おそらく、この経営方針発表会でM専務の力量を試すことも、社長にとって目的の一つだったのでしょう。
●名古屋市内の某ホテルで行なわれた発表会の参加者は、全従業員10数名と来賓数名。司会はM専務の奥様でもある総務部長です。社長あいさつ、来賓の紹介と進み、いよいよM専務による方針の発表がはじまりました。
●私は来賓なのになぜか最前列の真正面だったので、彼の息づかいの様子が手にとるようにわかったのですが、彼は最初こそ緊張していたものの、やがて落ち着いていきました。
そして10分もしないうちに、緊張がとけてふだんの彼になり、徐々に興奮気味になっていきました。「うちの会社は変わらねばならないんだ~」と最後の方は、完全にハイテンションでした。
●そして、いよいよラストの締めくくり、という段階になって異変がおきました。
「最後になりますが…。ああ、ごめんなさい…。ちょ、ちょっと失礼。あ、ダメだ。…フー。どうしたんだろ…。あ、ごめんなさい。」
やがて、M専務は天井を見上げました。そして両方の目尻からスルスルと涙がこぼれ、頬を伝いました。やがて、声をあげて号泣しはじめました。
あまりに突然のことで、周囲も私も最初はきょとんとしていましたが、30秒、1分と彼の泣き顔をみているうちにこちらまで感極まってきました。
●彼はついに結びの言葉を言うことができず、お辞儀だけで発表を締めくくりました。そして、来賓の言葉ということで私の出番になったのですが、こちらももらい泣きしてしまっていたので、自分でも何をお話ししたのか覚えていません。
●懇親会のときM専務は私にこう言いました。
「とにかく、社員のみんなにお礼を言いたかった。『ふだんから出来の悪い自分をカバーしてくれてありがとう。それに、ふだん足を引っぱっている自分が、前で偉そうなことを言って申し訳ないという気持ちと、うちの会社を辞めず、毎日朝早くから夜遅くまで働いてくれて本当にありがとう』という気持ちが入り混じって、みなさんに無様な格好をお見せしてしまいました」
●あれから数年経ちました。彼の会社は今完全にM専務体制になり、新しいリーダーのもとで社内が一丸となってとてもムードが良いそうです。こういう誠実な姿勢が言葉を越えて互いの信頼関係を作っていくのだと思います。
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ボードメンバープロフィール
武沢 信行氏
1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。
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