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2013年05月17日(金)更新

三畏(さんい)

●小学生が、「織田く~ん、おださ~ん、オダちゃ~ん」とさけんでいる。人気俳優・織田裕二への歓声ではなく、なんと織田信長への歓声なのだ。
 
毎年10月22日は京都三大祭のひとつ、「時代祭」の日である。友人にお願いし手に入れておいた指定席に着座した。ちょうど行列ごしの反対側に小学生たちが座っていた。有名な英雄が通るたびに、「西郷(隆盛)さ~ん」とか「しんさく~ぅ(高杉)、こっち見て」などのかけ声が飛ぶ。まるで歌舞伎役者のようだ。
 
●明治維新から始まって江戸時代、安土桃山時代という順に歴史をさかのぼっていく。専門家が時代考証・衣装考証しているという本格的な時代ファッションショー的な色合いもあり、とにかく美しい。当然、外国人観光客も多く、興奮している。
 
●日本史上の有名人がたくさん登場するのだが、意外な大物がこの行列に登場しない。たとえば、信長・秀吉が出るのに徳川家康が出ない。西郷や坂本、桂、高杉が出るのに、大久保利通が出ない、など不思議な点もあるがそこまで詮索するのはよそう。
 
●そんな中、一番人気はやっぱり信長。冒頭にご紹介した小学生のかけ声がひときわ大きくて熱い。ヒーロー、ヒロインは子ども達のあこがれであり、心のなかでメンターであり続けるのだろう。
 
●そうした意味で、私はダウンタウンというお笑いコンビが嫌いだ。というより、彼らが司会する番組の多くに問題があると思っている。
すでに放送は終了したが、「HEY!HEY!HEY!」や「ジャンクスポーツ」などでは、歌謡やスポーツのヒーロー・ヒロインを登場させ、それをこき下ろして遊んでいる。あれでは青少年の情操教育にすこぶる悪い影響を与えると思うのだ。
 
●「スターを身近に感じてもらう」という彼らなりの言い分もあるのだろうが、孔子がこんな言葉を語っているのを番組制作者たちは思い出してほしいものだ。
「君子に三畏(さんい)あり。天命を畏(おそ)れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして畏れざるなり。大人に狎(な)れ、聖人の言を侮(あなど)る」
 
●その意味はこうだ。「リーダーは、三つのものを畏れる(尊重す)べきである。一つは天命を畏れ、大人(優れた徳のそなわった人)を畏れ、聖人の言葉を畏れる。
その逆に、つまらない人物は、その三つのものを大切にしない。つまり、天命(天から与えられた使命)を知ろうともせず、わがままに振る舞い、尊敬すべき人になれなれしく接し、聖人の言葉を馬鹿にする」
 
●「HEY!HEY!HEY!」などの番組から受ける嫌悪感は、大人に狎れる(なれなれしい)子供を育成しかねない危機感からくるものだ。
私はお笑い番組を否定するものではない。むしろお笑い番組が大好きである。いつでも明るく振る舞うタレントをある面では尊敬もしている。だが、笑いの質と影響を考えねばならない。お笑いタレントとして天命をもち、勉強してほしいと願う。
 
●子供たちの先輩のなかに、ヒーロー・ヒロインを持たせることは、教育上とても大切なことなのである。
 
 

2013年04月26日(金)更新

武士道

●ある日、三島由紀夫を題材にした映画を観た。たいへん重くて複雑な気分になる映画だったが、もっと彼の心の奥が知りたくなって『葉隠入門』(三島由紀夫著)を読んでみた。そのなかにこんな一節を見つけた。
 
・・・
なによりもまず外見的に、武士はしおたれてはならず、くたびれてはならない。人間であるからたまにはしおたれることも、くたびれることも当然で、武士といえども例外ではない。しかし、モラルはできないことをできるように要求するのが本質である。
そして、武士道というものは、そのしおれた、くたびれたものを、表へ出さぬようにと自制する心の政治学であった。健康であることよりも健康に見えることを重要と考え、勇敢であることよりも勇敢に見えることを大切に考える、このような道徳観は、男性特有の虚栄心に生理的基礎を置いている点で、もっとも男性的な道徳観といえるかもしれない。
・・・
 
●『葉隠』というと有名な一節がある。それは、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」というものだが、そのフレーズだけを聞いて『葉隠』を腹切りのススメと解釈してはいけない。三島に言わせれば、『葉隠』は武士の自由と情熱を説いた本らしい。私はこの本から自由と情熱を感じるまでには至っていないが、現代人にも通用する道徳書だと思った。
 
●「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という印象的な一節がひとり歩きしているが、古来、武士はたえず自らの死に場所と死に様を想像し、覚悟しておくことが必要だった。それによってはじめて潔い生き方ができると考えていたのだ。生き様と死に様は表裏一体のものであるというわけだ。
 
●平成の今日、昔にくらべて平和な世の中になったことは好ましいことだが、現代人が死ぬ時は、事故か病気。
死に場所は病院か自宅のベッドの上である確率が高い。価値あるものにこの命を捧げたいという願望はあっても、結局はベッドの上が平和なのだろう。死に場所が決まっているのなら、この価値ある命を日常の生活や仕事のために燃焼させよう。
 
●まとまりがつかなくなったので、三島由紀夫の訳を参考に『葉隠』を少しつまみ食いしてみよう。
 
○仕事に関しては、大高慢で死に狂いするくらいがいい。雑務方は、知らぬがよし。武士である以上、武勇に関しては大高慢で、死に狂いするくらいの覚悟が必要である。つね日ごろの考え方、ものの言いよう、身のこなしなど、すべて綺麗にしようと心がけて、つねにつつしむべきである。一生の仕事は、人のためになることばかりを考え、よけいなことは知らないほうがよい。
 
<武沢意訳>武勇に関しては高慢・・・自分の仕事に関してはもっと胸を張って威張れるようになれ。必要以上にへりくだるな! 武士ならば、雑学やうんちくは語るな!
 
○自分の目的の障害になるのなら、神仏に嫌われてもかまわない。神はけがれを嫌うが、戦場で血を浴びたり死人を足げにして働いているときの武運長久を祈るために信心を大切にせよ。けがれが身についているとそっぽを向いてしまうような神仏であったら、それも仕方のないこと。自分のけがれのいかんにかかわらず、神仏を礼拝しよう。
 
<武沢意訳>「神仏よりも職務の遂行」。もちろん正しい理想と理念があってのこと。
 
○成り上がり者を馬鹿にしないこと奉公人も下賤から身を起こして高い身分にまでなった人というのはその人なりの徳や能力が備わっていたから立派なこと。はじめからその地位にあった人よりは、下々からのぼってその地位についた人を我々は尊敬しなければならない。
 
<武沢意訳>セレブの子息よりも成り上がり者と付き合え!
 
★『葉隠入門』(三島由紀夫著)新潮文庫より
 
 
 

2013年04月12日(金)更新

酒を贈る

●久しぶりにお目にかかった関西のG社長(40才)が、ちょっと相談があるという。酒癖がわるい営業部長(58才)の処遇をどうすべきか悩んでいるらしい。創業者の父が急逝し、急きょG氏が実家に戻って社長に就任して今年で4年目。
 
●G社長は営業部長の酒癖が悪いということをウワサで知ってはいたが、酒席をともにすることがないまま4年を経過していた。だが、今年から社員と会食する機会を増やしているG社長。当然、営業部長との酒席も増えたことから、聞きしにまさる酒乱ぶりをまのあたりにすることとなる。
 
●先日も部下の営業マンにからんだ。
「おい、山田。お前の大ボラは聞き飽きた。いつだって発表した目標の半分しかやれないじゃないか君は。社内でみんな、お前のことを何て呼んでるか知ってるか? え? 知らない、教えてやろう、『狼少年』だ、ダーッハッハッハ! 言い得て妙だ、悔しかったら目標どおりやってみろっつうの」
最初は適当にあしらっていた山田君も、あまりにしつこいので反論・抗議すると場はますます炎上するという。
 
●ところがこの営業部長、日ごろは真面目で仕事はできる。むしろ、まったく別人であるかのように大人しく、コツコツと実績を積み上げていくタイプだという。
 
●G社長も思いあぐねたが、思い切って昼間に二人で喫茶店へ行った。「部長、酒席も仕事の一部だと思ってください。酒に酔っているとは言え、部下をおとしめるようなことはあなたらしくない。二度とあのような発言はしないようにしてほしい。どうしても部下に指導したいことがあれば、昼間に会社でやって下さい」と忠告をあたえた。
 
●営業部長は深々とお辞儀し、「はい、そのような失言を発したことを他の者からお聞きして恥じ入っております。実は憶えがないのです。大変失礼をいたしました。二度とかような失態がないよう、慎みます」と、ものすごく反省している様子。
 
●だが、その後も酒席があるたびに営業部長の乱心が続くので、G社長は、降格または解雇も辞さない構えでいるという。だが、たとえ降格しようが解雇しようが、彼自身の酒癖を直さないことには彼に一生、酒の失態がついてまわる。
 
●だから「リーダーとしてどうすべきか?」というのがG社長の相談内容だった。
 
●私はその時、ある逸話を思い出した。南北戦争当時、リンカーンがグラントを最高司令官に任命したとき、グラント将軍の酒好きを危惧する部下がいた。「あの酒飲みに最高司令官がつとまるのか?」というのだ。グラントの酒好きを聞いたリンカーンは、「この国家非常事態のときくらい酒はやめてほしい」なんて野暮なことは言わない。むしろその逆にこう言ったのだ。「銘柄をしらべて贈りなさい」
 
●そして、グラントを最高司令官に任命したことが南北戦争のターニングポイントとなっていく。酒好きという人間の弱みの部分ではなく、戦上手という仕事の強みにもとづいて人事を行うのがリンカーン流だった。
 
●弱みに基づいて人事を行えば、社内に誰もいなくなる。強みに基づいて人事を行うのが大原則である。ただし、強みをも帳消しにしかねない弱みについては、本人と一緒になって克服プログラムを作り、実際に克服させていくのが中小企業における社長のリーダーシップだと思う。
 
●その後、G社長は営業部長にどのような対処をされたのかは聞いていない。自宅に部長好みの焼酎をドーンと贈ってあげるくらいの度量があれば良いのだが・・・。
 
 

2013年03月15日(金)更新

なにが幸運か

●小学生になる息子とデパートに買い物に出かけたお父さん。ネクタイを品定めをしていると、息子が公衆電話のところでしゃがんでいる。
「気分でも悪いのか」と思って駆けよってみたら、「お父さん、これが落ちてたよ」と一万円札を見せた。どうやら拾ったらしい。
 
●周囲を見回したが、近くに人はいない。
「お父さん、交番に届けようと」と息子。お父さんは言った。
「わかった。今から行こう。でもここはデパートなので交番ではなくて、落とし物係の人に届けよう」
 
●書類を書いて一切の謝礼の権利も放棄し、ふたたび売場にもどって買い物を続けた親子。
 
私はその話を聞かされて痛く関心した。そして、「なぜそうしたのですか?」と聞いてみた。するとまったく予期しない答えが返ってきた。
 
●「武沢さん、もしうちの息子に拾ったお金で得するところを見せたら、子供にとって一生の不幸でしょう。本当にツイている人はお金を拾っても着服しないし、謝礼も受け取らないものだということを教えたかったのです」
 
●立派な考えだと思う。
告白するが、その2年ほど前に道路に落ちていた5千円札を息子が拾って二人で交番に届けたことがあった。それから1年経っても落とし主が現れなかったので、我々はそれを頂戴して帰り道にゲームを買ったのだった。
 
・財布を拾う
・万馬券を当てる
・パチンコで大儲けする
 
などはよほどお金にツキのない人間に起こりうることだと『ツキの大原則』(西田文郎著、現代書林)に書いてあったのを思い出す。
 
●私の友人のある経営者もツキに関しては独特の哲学をもっている。
ある日のこと、その友人がマカオのカジノで大金を稼いだ。中国人が大好きなバカラを一晩中やったらしい。
 
バカラとは、「大」か「小」かを当てるだけのいたって単純かつ単調なカードゲームのこと。そのくり返しだけで彼は数百万円稼いだという。彼いわく、
「マカオの場合はラスベガスより稼ぎやすいですね。ディーラーも他のお客もアマチュアが多いので隙だらけですよ」と前置きし、「要はツイている人に乗り、ツイてない人の逆をやる。たったそれだけです」と。
 
●そして自分の方に好調のリズムが乗りうつってきたとき、大きく賭けて大きく稼ぐ。このとき、金銭感覚をマヒさせてしまわないことだ。目的は遊ぶことなのか、勝つことなのかをよくわきまえないと、最後にはゼロにしてしまう。好調の潮が引いたら休むのだ。
 
ドリンクを飲みながらショーでも観ることによって脳をリフレッシュさせ、勘を取り戻す。
こうして元金数万円で始めたバカラゲームは12時間で百倍に膨らんだという。
 
●大切なことは、カジノで稼いだツキで本業のツキまでもって行かれないことだとか。だから、そのお金をきれいさっぱり忘れることが大切だ。
従って知人の会社に投資し、儲けたお金のことを忘れてしまう。
 
●本業以外のことで儲かった余韻に浸っていると、本業がダメになる。
 
ツキとはなにか、それは私たちが一見幸運だと思うことをむやみにありがたがらないこと。同時に、不運に思えることを幸運につなげるしたたかさを忘れないことだ。
 
 

2013年03月08日(金)更新

大きなテーマ、大きな疑問符

●考えても考えても答えがみつからない。そんなテーマをあなたはお持ちだろうか。
たとえば、ビジネス目標。是が非でもこの目標を達成したい。だが、どうやったらそれができるのか分からない。だからこそ、学ぶのであり人の話を聞くのである。
だが、やり方が分からない目標を考えるのが面倒くさいのか、やれそうなことしか目標にしない会社が多いのはもったいない話である。
 
●私たちのビジネスや人生でブレイクスルーを起こすためには、心にいつも大きな疑問符を灯しつづけることが大切だ。スケールを大きく考えて、ノーベル賞を取れるくらいの大きな社会変革を起こそうではないか。
ひとつのテーマに対してひとつのアイデアだけで終わらせず、あらゆる角度からアプローチした答えを用意する。しかもひたすら掘りさげて掘りさげて、心の芯に届くまで考えぬきフィールドで検証していく。
 
●そもそもノーベル賞をとるような学者の多くは、先人の業績を尊重し学びながらも同時に、その上にさらに新しいことを積み上げようとするものである。日本では京都にそうした気性のもちぬしが多いのだろうか、自然科学分野における日本人のノーベル賞受賞者15名のうち、なんと5名が京都大学出身者(旧帝大含む)なのだ。
ゆかりのある人も加えると倍になるだろう。
 
●京都大学出身のノーベル賞受賞者(自然科学部門)
 
<物理学賞>
湯川秀樹氏
朝永振一郎氏
<化学賞>
福井謙一氏
野依良治氏
<医学生理学賞>
利根川進氏
 
●そのあたり、元・京大総長の平澤興氏は『現代の覚者たち』(致知出版社)で次のように話す。
 
・・・湯川、朝永、江崎の三氏は物理学での受賞です。これにはいろいろの原因があり、京都の自然とか、京大の個性を尊ぶ自由の空気なども関係しているでしょう。しかし京都の三高に物理学の先生で、森総之助という素晴らしい独創的な物理学の先生がおられたんです。この三氏は、森先生の教え子です。つまり、ノーベル賞のもとは森総之助なんです。で、湯川君なんかは頭の回転の早い、いわゆる頭のいい人じゃなかったようです。大体、頭がいいとか悪いということが、実際どういうことなのか私にもよくわかりませんが、湯川君なんかは、すぐわかったような気持ちになる粗末な頭ではなく、わかるまで徹底的に考えぬく、限りない深さをもった頭ですね。(後略)
・・・
 
※『現代の覚者たち』(致知出版社)
 
 
●偶然かどうか、私が京都で定例勉強会をひらいていたころ、講義のあとにかならず議論を吹きかけてくる若者がいた。「武沢さんの講演を聞いてどうにも納得できない箇所があるのでお尋ねしたい」と二次会の宴席になって執拗にくいさがってくる好青年・T君もたしか京都大学の理工系出身者だったことを思い出す。
 
●安易にわかったようなふりをしないことが学ぶ上では大切なことだ。だからといって、錯覚してはならないことがある。わかったふりをしないとは言っても、熱心に聞くことが大切なのは言うまでもない。聞く姿勢まで懐疑的・批判的・傍観者的であってはならないのだ。
 
●そのためには、最前列正面に腰かけるのが良い。それができなければ、少なくとも前から3列目までに腰かけることが重要だ。そうした学習者に対しては講師としても真剣に接しようという気になる。そもそも後方で聞くと、それだけで人間心理として講師や会に対して傍観者的になってしまうものである。
そんなもったいない聴き方にならないためにも、まずは大きなテーマをもつことである。そのテーマに関するヒントを求めて人の話を聞こうとする。そうすればおのずと前の方に座りたくなるものである。
 
 

2013年03月01日(金)更新

独自の世界

●好きなことと得意なことをかけ算すると、世の中に存在しない独自の世界を作ることができる。
 
社会保険労務士の K さんは、中小企業の賃金制度に関する第一人者としてのブランドを築いてきた。それを武器に、社労士として多数の企業と顧問契約をむすび、経営を安定させてもきた。
その K さんがある年、戦国武将物の本を著した。それを聞いて驚いていたら、あれよあれよと大ヒットになってしまった。
 
●K さんは 子供の頃から大の信長フリークだったそうで、いつかは自分の本業からみた信長の天才ぶりを書いてみたいと思っていたそうだ。
ある日、K さんが Google 検索をつかって「織田信長」を調べてみたところ、なんと170万サイトもヒットしたという。ライバルは多い、と思ったそうだ。
しかし「織田信長 労務」で検索すると一挙に8万サイトに減った。20分の1になってしまったのだ。
さらに「織田信長 労務 賃金」にすると1,190サイトになった。実は、その1,190サイトはすべて K さんとその仲間のサイトばかりなのだ。つまり、織田信長という大人気キーワードを使っても、ライバル不在のマーケットがそこにあった、ということだ。
 
●専門分野は「人事 労務 賃金」
得意技術は「書くこと」
好きな分野は「織田信長」
その三つをかけたのが K さんの著作であり、世界に一冊しかないライバル不在の本なのである。
 
「専門分野×得意技術×好きな分野=独自の世界」というわけだ。
 
●私の友人の T さんがやっているブログもそうだ。
 
専門分野「インターネット 英語 アメリカ事情」×得意技術「書くこと」×好きな分野「発想法 アイデア 楽しいこと」=『彼の世界』となる。
 
●また私が尊敬している経営者の T さんは、
専門分野「建築設計 デザイン 特定業界の建築事情」×得意技術「書くこと」×好きな分野「会社経営 旅 時事問題 志」=『彼の世界』になった。
 
 
●「得意分野×得意技術×好きな分野」=独自の世界
 
あとは、それをどのようにしてビジネスにつなげるかを考えるだけだ。だが、そちらは大してむずかしい問題ではないように思う。
まず大切なことは、あなたが今以上に独自の世界を作れるということに気づくことである。

 

2013年02月22日(金)更新

一日一枚書く

●文学の世界で「文豪」などとよばれる人は、多作家の人が多いようだ。たくさん書く、そのためにはたくさん読む。多読家、多作家が文豪の条件なのかもしれない。
今の日本ペンクラブの会長は浅田次郎氏だが、氏も「毎日午後には本を読むことしかやることがない。ヒマだから本でも読むというのは読書の王道である」と何かのエッセイで告白していた。
 
●山岡鉄舟は、書、剣、禅を極めた人だが、中でも書の力量には驚くばかりである。
晩年は胃ガンを患って医師の勧めで絶筆したが、絶筆前の5ヶ月に書いた扇子文字が4万本(一日あたり270本ペース)。
 
●一本を1分で書き上げるとしても270本書くためには4時間半かかる。
その間、休憩や食事、トイレなどがあるからあっというまに6時間、7時間になってしまう。
その前の年には大蔵経(だいぞうきょう)という長いお経(全126巻)の筆写を思い立ち、毎晩午前2時まで写経に励んで見事完成させている。
 
●鉄舟に向かって「大変なことですなぁ」と声をかけると、鉄舟はいつもこう答えたそうだ。
「なあに、ただ毎日一枚書くだけだと思っておりますから、なんの造作もありません」
 
●ここで私はお恥ずかしい話を告白せねばならない。
最近ある社長が私の本を100冊買いたいと言ってこられた。もちろん大歓迎したのだが、「ついては全部にサインしていただけないか」とおっしゃる。
「いいですよ」とお答えしたのはよいが、ザッと計算して青くなった。
私のサインは、筆をつかって手間をかけて行うもので、一冊あたり最低でも3分はかかる。つまり100冊で最低300分(5時間)かかるわけで、その時間をどう捻出するか考え込んでしまった。納期は一週間しかない。
 
●そのとき、目の前にアルバイト君がいた。
私は悪魔の誘惑に負けて「ねぇ、君。今から僕のサインをそっくりそのままマネしてみてよ」とお願いしてみた。彼はふたつ返事で引き受けてくれたのだが、なかなか良く出来たサインだった。ひょっとしたら、私よりも上手い。
 
●近くにいた家内に、どちらが私のサインだと思うか聞いてみたら、なんとアルバイト君の作品を指さした。
 
「よし決まりだ! 君、明日までに100冊サイン書いてよ」と半分冗談で言ったのだが、家内にピシリと叱られた。「ダメです。そんな失礼なことをして誰が喜びますか? 上手い下手の問題じゃなく読んで下さる方への思いやりがあるかどうかじゃないのですか」
私はうなだれた。
 
●生産性や効率も重要な指標だが、それだけに心を奪われると本質を見失う。
どれだけ心を込めてその仕事をしているか、その姿勢は指標には表れない。だが、お客はわかる。何よりももう一人の自分がわかっているはずだ。
 
●早く書こう、たくさん書こうという気持ちよりも、今日も心をこめて一枚書く。それを継続することが何より大切なことかもしれない。
 
そこのところが、現時点の私と鉄舟さんの差なんだろう。

 

2012年11月22日(木)更新

真壁の平四郎

●今日は講談でもおなじみ「真壁の平四郎」(まかべのへいしろう)について書いてみようと思います。
 
時は本能寺で信長が討たれた天正年間。そんな騒ぎも遠くのこと、東北の小藩主・真壁の時幹(ときもと)の下僕、平四郎のお話。
 
ある冬、凍てつくような寒い雪の日のこと、平四郎は真壁時幹のお伴をして侍屋敷に出向いた。
よほど困難な案件だったのだろうか、なかなか時幹は戻ってこない。
東北独特のしばれるような寒さの中で、「時幹様のお履物が凍てついてしまったら大変だ。お帰り道にお困りになる」とばかり、身を切る寒さの中で平四郎は、時幹の下駄を自分の懐の奥深くに仕舞いこむ。ただでさえ震えるように寒い玄関口で、我が体温を主人の履物に送り、温める平四郎であった。
 
●何時かが過ぎ、
「郡主殿、お玄関、御出まし~!」の相図で、素早く温かい履物を玄関口にお揃えする平四郎。手柄を誇るつもりはなかったが、少なくとも喜んでほしかったことだろう。
 
下駄に冷え切った足をすっと入れる時幹。その瞬間、鋭敏な時幹は足裏につたわる暖かさに気づく。それと同時に時幹は、「おのれ平四郎、わが下駄を尻にでも敷くとはけしからん。これへ参れ!」と命じた。
 
●全く思いもかけぬことに、時幹は平四郎の労をねぎらうどころか、「私の下駄を腰掛にしよって、今の今まで横着にも休憩していたに違いあるまい」と曲解し、「こんな汚れた下駄が履けるものか」と、下駄を手に取りあげ、平四郎の頭上めがけて有無を言わせず何回となく打ちすえた。
平四郎の頭は割れ裂け、周囲の雪面に赤い鮮血が散らばった。噴出する血を手で抑えもせず、平四郎は頭を垂れてなされるがまま立ちつくすほかない。
 
「おのれトキモト、この恨み晴らさずにはおられまい。きっと、きっと、きっとこの平四郎に向かって平伏させてやる」と腹を固める平四郎。
 
●時幹のもとを飛び出し、平四郎が目指した場所はなんと中国(宋の時代)だった。
 
主人に対して単純な報復をしても始まらない。平伏させ、平謝りさせる方法をいろいろと考えた結果、平四郎は僧として大成する道を選んだ。立派な僧侶になれば、殿様といえども頭を下げさせることができる。
 
●中国で高名な径山(けいざん)の無準禅師のもとを訪ねた平四郎。中国語がさっぱり分からない。おまけに仏教用語もわからない。ダブルで分からないので、皆目見当もつかない中での修行スタートが始まった。
無準禅師が書いてくれた「丁」の文字を連日ながめながら座禅と修行の生活に入る平四郎。
 
●「丁」ってなんだ???
わからない、いくら考えてもわからない。やがて、わからないこともわからなくなるほど、わからなくなっていった。やがて考えることをやめ、ひたすら目の前のことに一意専心するようになる。
こうして時は移り、九年たったある日、ついに平四郎は大悟し、悟りを極める。無準禅師から法身性才禅師と名づけられるほど、堂々たる禅師になっていたのだ。
 
●勇躍帰国し、大殿様・伊達政宗候の帰依を得て瑞巌円福寺を再興させた法身性才禅師。おみごと!平四郎。
 
ある日、政宗候とともに瑞巌円福寺に招きを受けた小藩・真壁の郡主時幹は、床に飾ってある下駄をみてけげんな表情を見せる。
 
その様子を見て、法身性才禅師こと平四郎は、
 
  「遠く径山に登りて帰りて開く円福の大道場、
   法身を透得すれば無一物。元是れ真壁の平四郎」
 
と唄うかのように叫ぶ。
 
●「あっ!」とおどろく元・主人の時幹。
 
「あの平四郎・・・」
「さよう、あの真壁の平四郎なり。あの下駄殴打を今すぐここで謝罪されたし」
などと野暮なことは言わない。
平四郎が時幹に言った言葉は意外にもこんなものだった。
「ご主人様のあの下駄のお陰で、今日瑞巌円福寺が再興を果たせたのでございます」と当時の郡主に頭を下げ、心からなる御礼を申しのべたというのだ。
 
●「主人を平伏させる」という復讐心で中国に渡った平四郎だが、道を究める過程で復讐心が感謝心にスイッチされたのだろう。
 
中国で「丁」の文字をながめるうちに、
丁稚(でっち)奉公の「丁」、甲、乙、丙、丁の「丁」であることに気づいたのかもしれない。
 
「元是れ真壁の平四郎」
大成したのち、誰かにこんなことを言ってみたいが、そんなことより、恨みの感情を感謝に変える達人の生き方から学びたいものである。
 
 

2012年09月28日(金)更新

随所に主となる

●5年前にご主人を、2年前に父親を亡くされたご婦人が相談に来られました。膨大な土地や建物、株券、預金を相続したのですが相談相手がいない。毎日のように様々な業者から営業アプローチを受けて頭は混乱。その上、相続税や固定資産税の取り立てにあううちに、軽いウツ状態になってしまったそうです。他人がみたらうらやむような金満家でも、ひとたび防戦一方になると辛いそうです。
 
●防戦一方から攻撃に転じましょう。金満であろうが、金欠であろうが関係ない。大切なことはあなたにとって価値ある目標をもち、それを実現する計画があり、今日もそれに向けてベストを尽くすことができたという事実。そのくり返しが、あなたをあなたらしくしていくのです。
 
●東京エレクトロン(東証一部)の元副社長・風間善樹氏は、若い社員に向かって「どうしてもダメなら会社を辞めて、ラーメン屋でもトラックの運転手でもやったほうがいい。そのほうがいい人生を送れるぞ」とハッパをかけてきたそうです。社員の一部はそれを実行し、本当に植木屋や印刷屋、ラーメン屋になって生き甲斐ある日々を送るようになった人がかなりいると本に書いておられます。
 
『考えるよりまず動け!』(風間善樹著、東洋経済)
 
 
●「球の表面はどこでも中心」と風間氏は説きます。たしかに、白い野球ボールにどこでも好きな場所にペンで点をつけてみよう。点をつけたその場所が球の中心になるのが分かります。
地球も玉のように丸いので、あなたはどこへ行っても立っている場所が地球の中心だということです。決してエゴイズムの自己中心ではなく、至る所にあなたが中心になれる場所があるということです。
 
●禅宗の教えに「随所に主となる」という言葉があります。「なんじ、すべからく、随所に主となれば、たちどころに皆真なり」というものです。これは、どこでも主人になれとか、どこでもリーダーシップを発揮せよという教えではありません。真の独立者(主体性を発揮して生きる人)は、どこに行っても周囲や環境と適合し、自然に調和してうまくやってゆける、という意味なのです。
 
●社員が主人公。社員が主となれるような会社、社員が好きなことに熱中できるような会社は、トップが「売上○○億」などと号令を発せずとも自然に伸びるのではないでしょうか。
 
 

2012年08月31日(金)更新

S社長の迷い

●「武沢さん、人の為(ため)と書いて偽り(いつわり)と読むように、会社経営もお客や社員のためにやっているようでは偽りのそしりを免れない。もっと正直に、"自分が儲けるためにやっている"と言い切ってしまえる勇気が必要だと思う」とS社長。
 
●持論を述べるのは結構なことだが、私が経営理念の重要性について語った講演会のあとでの質問がそれだ。下手をすれば講演会そのものがぶち壊しになりかねないタイミングでの発言だった。
私はつとめて冷静に「なぜそのように思うのですか」と理由を尋ねてみた。すると、S社長はつい先月まで「顧客第一主義」という経営理念を後生大事に守ってきたのだということがわかった。だが、いつまでたっても売上や利益が伸びない。だから迷っていた。
 
●そこで先日、S社長が尊敬している大物社長(財界の著名人)から直接教えを請う機会があったそうだ。最近の業績不振を相談したところ、「S君、まず儲かる会社を作ることが先決だ。それが出来てはじめて理念を論じるべきだ。順序というものがあるのだよ。ひょっとしたら、あなたの会社は理念の存在によって儲からない会社になっている可能性すらある。いったん、理念なんか捨ててしまったらどうだ」と。
 
●S社長が心酔している大物社長が言った「理念なんか捨ててしまえ」説。私が想像するに、それは一般論を語ったものではなく、今のS社長の状況を察しての発言だったと思う。
そこで私は、渋沢栄一翁の「道徳経済合一説」の話を切り出し、儲かる会社作りと道徳的にも立派な会社になることとは何一つ矛盾しないと説明した。
 
●すると、S社長はさらに粘った。
「その大物社長いわく、そもそも『道徳』なるものは時の権力者が大衆を治めるためにデッチあげたものである、という。だから、道徳=すばらしいもの、とも言えないと思う」
 
●道徳の否定まで飛び出し、議論は平行線をたどったが、私はS社長に自分自身の意見を述べてほしかった。
最近聞いたばかりの大物社長の言葉を受け売りし、まだ自分のものとして咀嚼していない段階で公開質問にのぞむなど稚拙な行為である。
それに、根掘り葉掘り聞けばその大物社長といえどもサラリーマン社長ではないか。一代で大企業を作った経営者ならいざしらず、組織を生きぬいて立身出生を遂げた者と、無名の中小企業を率いて会社を大きくしていこうとする者とでは生き方が違う。
もちろん尊敬すべきサラリーマン経営者もたくさんいるが、中小企業や零細企業、中堅企業、ベンチャー企業、自営業などなど、一国一城の主には、崇高な理想と理念がなくて何するものゾ、と申し上げたい。
「義を見て為さざるは、勇なきなり」(人として当然なさねばならなぬ正義と知りながら、自分の利害のみをはかって実行しないのは、真の勇気がないからである)という孔子のことばを忘れてはならないのだ。
 
 
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ボードメンバープロフィール

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武沢 信行氏

1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。

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