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2011年07月01日(金)更新

捨てる

●司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』の主人公は、秋山好古・真之の兄弟と正岡子規。いずれも松山出身の若者たちで、彼らがある分野で近代国家・日本を切りひらいていく明治時代の物語である。
 
●子規は若くして結核にたおれたが、近代俳句の世界を切りひらいた。
また、秋山兄弟は兄が陸軍で栄達し、日本騎兵の父といわれるにいたった。弟・真之は海軍の連合艦隊の作戦参謀として東郷平八郎に仕え、ロシアのバルチック艦隊をやぶる作戦を考案した。
 
●兄の好古はいつも身のまわりを簡素に保った。
それは、一大事があったとき身のまわりが複雑であっては行動がにぶくなる。
ひとり暮らしをしていた兄を訪ねた真之は、一緒にごはんを食べたくても茶碗がひとつしかないことに閉口する。兄がその茶碗で酒を飲み干すのを待ってからメシを茶碗によそって食う。弟がメシを食い終わるのを待ってその茶碗で兄が酒を飲む。
 
●そうしたエピソードをたくさんもつほど、兄はシンプルにこだわった。
 
「家を出て出家するのはむずかしいことではない。むずかしいのは、出家したあと寺を出ることだ」と江戸時代の僧侶:慧薫風外(えくんふうがい)は語った。
 
●修行僧(雲水)は、師を求めて寺を渡り歩く。「これぞ!」という師に巡りあうことができれば、そこで修行を続ける。
あいにく悟りが得られないまま師に見限られてしまえば、別の師をもとめて旅に出ねばならない。こちら側で師を見限るときだってある。そんな時もやっぱり旅にでる。
 
●ところが、一度入った寺を出るのがなかなか大変らしい。悟りもひらけず、師を見限ることもできないまま、人間関係と義理人情がからんで、思い切り悪くひとつの寺に居つづけてしまいがちだという。
 
●私はこの話を聞いて、ビジネスも一緒だと思った。慧薫禅師の言葉をビジネスに応用すれば、こうなる。
 
「起業するのは難しくない。難しいのは、起業したあとでも会社を起業的に保つことだ」
「会社を軌道に乗せるのは難しくない。難しいのは、軌道に乗せた仕事をさらに発展させることだ」
 
●シンプルかつ身軽でいることが一番である。余分なものは捨てなければならない。目的を決して忘れず、目的に関係しないものは潔く捨てるのだ。
 
それは目にみえるものだけでなく、義理人情のたぐいの人間関係のしがらみもなるべくシンプルに保っておこう。
 
 

2011年06月24日(金)更新

龍樹というひと

●むかしむかし龍樹(りゅうじゅ)というインドの若者がいました。
彼は大変に煩悩の強い人で「愛欲が人生の一番のよろこびだ。だからたくさんの女性と交わることこそ人生の幸福だ」と考えました。いや、考えただけでなく龍樹はそれを実行したのでした。
 
●大変頭が良かった龍樹は秘術をマスターし、みずからの身を隠す術を覚えました。そして王が暮らす宮廷に忍び入り、夜な夜な愛欲のかぎりをつくし、宮女たちを妊娠させていきました。
やがてそれが発覚し、龍樹の仲間は殺されてしまいました。龍樹ひとり命からがら宮廷を脱出したという話が仏典のなかに出てくるそうです。
 
●要するに龍樹とは愛欲におぼれる若者だったのですが、そんな彼が後に、ものすごく立派な仕事をなしとげ、仏教史に名を残すのですから人間は分からないものです。
 
龍樹(りゅうじゅ)とは、煩悩、とくに愛欲や性欲が強いゆえにそれにおぼれ、苦しみました。その苦しみから逃れたくて仏教に興味をもち、やがてその龍樹が「空」(くう)を生みだし「大乗(仏教)八宗の祖」とまで言われるようになるのです。
 
●ちょっと考えてみたいのですが、「性欲は強いが食欲は乏しい」とか、「物欲は盛んなのだが性欲はない」というようなことは、本来、矛盾した話でしょう。
「性欲」とか「食欲」とか「物欲」など、それぞれの欲がどこかで単独で存在するのではなく、どんな欲だろうが源は「生命エネルギー」ひとつだといわれています。ただ、エネルギーのはけ口が違うだけなのです。つまり我欲や煩悩がつよい人は、エネルギーが強いわけですからそれを上手にいかせばよいのです。
 
●ということは、欲とのつきあい方を再検討していく必要がありそうです。
 
どのような欲(煩悩)であろうとも、それを打ち消そうとするのが小乗仏教の考え方で、初期の仏教(小乗仏教)では煩悩を断ち切るための修業や隠遁生活をしました。
 
●しかし、本人の独りよがりでおわってしまう小乗仏教ではなく、悟りを世に広め、人を救うために修行しよう。その結果、自らも救われるという大乗仏教がおこりました。その創始者が龍樹なのです。
 
●そこで考案されたのが「六波羅蜜」(ろくはらみつ)の教えでした。生命エネルギーをしぼませることなく、積極的に意味あるものに使おうという教えでもあります。
六波羅蜜とは六つのことを自分に課すものです。
 
それは、
1.布施(ふせ)
2.持戒(じかい)
3.忍辱(にんにく)
4.精進(しょうじん)
5.禅定(ぜんじょう)
6.智慧(ちえ)
 
の六つです。
 
●「布施」とは、人に施すこと、「持戒」とは、戒律を守って生活をすること、「忍辱」とはたえしのぶこと、「精進」とは努力を惜しまぬこと、「禅定」とは座禅を組むこと、「智慧」とは自分の頭ではなく仏の教えに導かれて行動すること。
 
●とくに我欲の強い人は積極的に人に「布施」することによって執着から離れようとトレーニングします。
誘惑に負けやすい人は、「持戒」つまり、戒律を守ることを自分に課して気分に流されない自分を作っていきます。怠けやすい人は「精進」つまり、仕事に励むことによって怠け心に打ち勝ちます。
 
●個人でも会社でも目標を作ることは簡単なことです。しかし、その実現にむけて自らを律していくことは簡単ではありません。
 
だからこそ、「六波羅蜜」のようなシンプルなトレーニングを課して自己成長をはかり、目標を手に入れるにふさわしい自分をつくっていけば、おのずと目標が向こうからあなたの方に近寄ってくるということなのでしょう。

 

2011年06月17日(金)更新

目指せ! 辛勝

●今年の日本ダービーはオルフェーヴルが優勝し、皐月賞とあわせて二冠に輝きました。
秋の菊花賞とあわせて三冠馬の夢がひろがり競馬ファンの気持ちは早くも秋に向かっているのかもしれません。
 
●私は馬券を買いませんが、G1レースの中でも大きいレースはテレビ放送をチェックします。たくさんの馬をみていて分かることは、本当に強い馬はかなり多彩な勝ちパターンを持っているということ。たとえば、圧勝したかとおもうと次のレースでは辛勝したりします。早めに仕掛けて勝ったり、ギリギリまで我慢して後方一気に追い込んで勝ってみたりもします。内枠で勝ったり外枠でも勝ったり、短距離で勝ったり長距離で勝ったり。
要するに特定の勝ちパターンにこだわらないのが本当に強い馬の条件なのかもしれません。
 
日本ダービーでの勝ち方を見ていて、オフフェーヴルもそんな馬になる可能性があります。
 
●「勝ち方」といえば、かつて私は山梨に旅行した際、こんな石碑をみつけました。
 
その石碑は、「武田信玄公訓言」と題されていました。
 
・・・
凡そ、軍勝五分をもって上となし、七分を中とし、十分をもって下と為す。その故は、五分は励を生し、七分は怠を生し、十分は驕を生するが故、たとえ戦に十分の勝を得るとも驕を生すれば次には必ず敗るるものなり。すべて戦に限らず世の中のこと、其の心がけ肝要奈利。
(山梨県甲州市塩山「恵林寺」の石碑より抜き書き)
・・・
 
●軍勢は敵方と五分五分が良いというのです。信玄公のこの言葉をみつけたとき、最初はエッ?と疑問を感じたものです。豊臣秀吉の場合は、いつも敵の二倍の勢力を確保して
"もう、これで負けない"と思うようにしてから戦に挑んだ、と聞いていたからです。
 
●資金があり、人材もある。そんな会社は敵の2倍の兵力を投入し物量作戦で勝利できるのは理屈で分かります。しかし現実は、そんな余裕がないことのほうが多いでしょう。特に中小企業はいつもギリギリの人材と資金のなかで経営しています。
 
●そんな時には、信玄公の教えのほうが適切なのかもしれません。
 
「ギリギリ粘って勝った」とか、「達成できるかどうか分からない目標に挑んでどうにか達成できた」というような経験が実力アップにつながり、チームに勢いをつけるのです。
 
 

2011年06月10日(金)更新

ちょいワルと日々好日

●ある夕食会で隣にすわった若い経営者に「理想とする経営者像」をたずねてみました。
 
すると彼は、「う~ん、そうですね。ちょい不良(わる)オヤジになりたいです」という答えが返ってきました。
 
「エッ?」と聞き返す私に向かって、もう一度彼は、「ちょい不良オヤジって知りませんか? 例えば、タレントのジローラモとか中尾彬なんかがその例だと思うのですが、不良中年という感じで格好良いですよね」
 
「それが理想像なの?」
 
「はい、彼らのような中年男になりたいです」
 
●結局、彼が語ってくれた理想の自分像というのは、外見のことばかりでした。
 
いかにも中味が乏しい将来像ではありませんか。そこで私はちょっと意地悪な質問をしてみました。
 
「じゃあ、"ちょい不良オヤジ"と"不良オヤジ"の違いは? ちょい不良がよくて、不良がダメな理由は?」
 
●彼曰く、「そこそこ不良でそこそこ良い人」というのは「ちょい不良」の定義だそうです。不良までいってしまうと悪人なので、根は善人のちょい不良ぐらいが自分に合っているというのです。
 
それでは中途半端! と私は彼に言いました。思いっきり不良、もしくは思いっきり善人、その両極が同じ人に同居しているほうが人間の幅が広くて面白いではありませんか。そっちの男を目指そうよ、という話をしました。中庸とは足して二で割った答えではなく、両極を知っていてこそ中庸が選べるのです。
 
●同じような例として、
「日々是好日(ひびこれこうじつ)」とか「晴耕雨読」などを将来の理想像として掲げる人もありますが、それらの言葉の意味にも誤解があるようです。
 
●「日々是好日」とは、毎日毎日が良き日でありますように、という願望を表した生やさしい言葉なのではないのです。本来は、厳しく激しい決意表明の言葉なのです。
 
●日々是好日の本来の意味は、
「私は毎日毎日を良き日にしてみせます。そのためには、今この瞬間瞬間に全身全霊を傾けて命を完全燃焼します」という覚悟と決意を表したものなのです。
 
●同じく、晴耕雨読だってそうです。
なまけ者がこの言葉を使うときは、
「晴れたら田んぼでも耕し、雨が降ればのんびり本を読む。そんな自然まかせの悠々自適な生き方も悪くない」となります。
 
ですが、賢者がこの言葉を使うときはこうなります。
「晴れたら野良仕事に精をだし、雨が降れば読書を全力でやる。いつだってどこだって私は全力で今を生きる」
となります。
 
●「ちょい不良オヤジ」「日々是好日」「晴耕雨読」に限らず言葉には表面的な意味と真意との二つがあります。人と会話するときには、言葉の意味を理解しながら会話したいものです。
 
 

2011年05月31日(火)更新

お金より価値あるもの

●「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」とか、「論語と算盤(そろばん)の両立が大切」などを説いた渋沢栄一翁。
 
氏は、西洋渡来の資本主義に東洋思想の味付けをし、日本独自の資本主義や日本的経営とよばれるものの原型をつくりあげた人です。
 
「経営者は利益を上げなければならない」とする西洋の考え方にプラスして、「経営者は志をもち、道を究める人でなければならない」という考えも付け加えたと言えましょう。
 
●ついこの前まで士農工商の士分にいた渋沢たちが、そこいらの商人と一緒にされてはたまらないという誇りのような気分が混じっていたのかもしれません。
 
それによって日本の経営者は、ビジネスで利益を上げるだけでなく、道を究める人でもあらねばならなくなったわけで、考えようによってはずいぶんハードルがあがってしまいました。しかし、それは実に取り組み甲斐のある挑戦なのです。
 
●「士」の誇りと「商」の才覚の融合こそ日本的経営。
 
・理想とする企業を作ること
・理想とする経営者になること
・理想とする経営環境を作ること
 
その「理想」を明文化する必要が私たちにはあります。当然、その「理想」は借り物ではいけません。自らの言葉で理想を語り、その実現策も語りましょう。
 
それこそが、かねてより申し上げている「経営マニフェスト」というものの本質だと思うのです。


 

2011年05月06日(金)更新

同じことをくり返す

●かつて「世界一受けたい授業」(テレビ番組)にメジャーリーグで活躍している松井秀喜選手が登場しました。彼の授業テーマは、"どのようにしたら緊張せずに、普段通りの力が発揮できるか"というテーマでした。授業の内容は記憶に残らなかったのですが、その後のちょっとしたパフォーマンスが素晴らしかった。
 
●日米通算で500本近い数のホームランを打っている松井選手ですが、そのすべてのホームランを覚えているというのです。そこで実験として出演者が「じゃあ、72本目は?」などと聞く。それに対して松井選手は、
「ん~、たしか広島市民球場で○○投手から直球を打ったホームラン」
 
と返答していくのです。
 
●全部正解しているので司会者が、「松井さんは覚えようと努力しているのですか?」と聞くと「いいえ、自然に覚えました」と。
毎打席終わるたびにベンチでバッティングを修正してきた証拠でしょう。きっと夜、自宅に戻ってからも日記などに記録を付けているに違いありません。
 
●そういえば、将棋でも囲碁でも試合後の感想戦で、今の対局をそのまま再現できるのはもちろん、ずっと以前の棋譜までを記憶のデータベースに格納し、それらを参照しながら今の対局に臨んでいるといいます。
 
恐るべし、プロの記憶力。
 
●「武沢さん、あなたはメルマガの1000号記念で何を書いたの?」と聞かれたら、私の場合は絶句してしまいます。
正直言って、いつ1000号に到達したのかも覚えていません。
 
●松井選手みたく、
「1000号目のメルマガ記事は?」と聞かれ、『不人気メルマガも悪くない』とスラスラ答えたいものです。
ですが、それらのことを覚えていることに価値があるのではないはずです。
 
毎回の体験を次に活かすために整理し、修正していくからこそ自然に覚えられるものなのでしょう。だから、自らの体験をふり返り、整理することに意味があると思います。
 
●高野山専修学院の添田隆俊大僧正は、「同じことをくり返すことが一番大切な修業である」と次のような主旨のことを語っておられました。
 
・・・
熱があろうが風邪をひいていようが、朝のお勤めを365日果たす。それを50年くらい厳粛にする。
修行するということは、水をかぶったり断食したりすることではない。
そんなのは、特別な人がやることであって、大切なのは誰でもできるものでなければ修行にならない。
だから、同じことをくり返すということが一番大切な修行の信心だ。
何を信心するかというと、同じことをくり返すこと、なのだ。
・・・
 
●どれだけ上手くできようが浮かれず、奢らず。また、どれだけミスし、失敗しようが決してくじけない。ただ淡々と自らの体験から学習し、他人の体験からもヒントや教訓をもらい、次に活かす。自らのテーマを決めてくり返す。真理はそんなシンプルなことのようですが、それに倦くことがあってはいけません。

 

2011年04月25日(月)更新

唖然とする医師

●「人間は80歳まで強くなれる!」というキャッチコピーに惹かれて『武道の力』(時津賢児著 大和書房)という本を読みました。
 
●この本は、
野球でも相撲でも、サッカー、スキー、マラソン、格闘技など何でもが、20代や30代の若手選手が優勝する。つまりその年齢で選手としてのピークを迎え、それ以降は衰えていくばかりのスポーツの現状に対し、警鐘を鳴らしているのです。
 
●例外は剣道。剣道だけは、若手がハァハァと息を乱していても古老の剣士は微動だにせず勝つ。
このように、鍛え方次第でスポーツは80歳まで強くなれるということを教えてくれる本です。
また、それはスポーツだけではなく、人間の脳の働きも80歳までは強化できると著者は主張しているのです。
 
●単なる理論の書ではありません。著者が今なお実践中のことだけに大いに迫力があります。
 
身体というものは、鍛えないと弱っていく一方です。それにつれて脳まで弱っていくのがやっかいです。
情熱や欲望、闘争心、集中力、根気などといった精神力は、脳の働きに負うところが大きいわけですから、身体と脳は鍛えなければならないのです。
 
●また、かつて合気道・大東流の佐川幸義師範の弟子で、筑波大学の数学教授・木村達雄氏が、オリンピック候補になっていた柔道選手を片っ端から投げ飛ばし、全員を自信喪失にさせてしまったことがありました。
 
その木村氏が書いた本に、ビックリするエピソードが紹介されています。
 
・・・佐川先生は十七歳で合気の極意をつかんでしまった。それを強化するためにいろいろ鍛錬を考えているので、最初から普通の人と考え方もやり方も違っている。(中略)
そして何十年と今でも休みなく鍛錬を続けているのである。なお筆者は、最近先生が使っておられる鉄ゲタ、鉄槌、鉄棒、鉄パイプの槍を見せていただいたが、その重さに驚いた。筆者が実際にこれを持ってみて、これをいきなり使ったら腕をこわしてしまうと思った。
(中略)
佐川先生が九十歳の頃、東大病院に念のための再検査を受けに行ったことがある。医師が運動心電図を計るので何か運動してほしいというと、先生はすぐさま百五十回腕立て伏せをやってしまい、医師を唖然とさせた。
・・・
 
●これを読んだとき、私はすごいと思いました。
 
"継続は力なり"とは言いますが、そんな生やさしい表現ではもどかしい。
鍛えるという行為を継続するとミラクルが起きます。
 
●この佐川先生も、若いころは逆三角形の見事な筋肉質の肉体を作っていたらしいですが、その割に技に効果がないという理由で、考え方と鍛錬法を変えたそうです。
 
●身体も頭脳も80歳までは進化することが分かっただけで、やる気が出てくるではないですか。自分にあった鍛え方を見つけていきましょう。
 
★『武道の力』時津賢児著、大和書房
 → http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4479791108/

 

2011年04月15日(金)更新

彼の流儀

●一定の年齢になると、自分独自のスタイルや流儀をもつように心がけたいものです。
 
私の場合は、平日は毎日メルマガなどの原稿を2~3本書き、ブログやFacebookでそれらを外部に発信しています。1本のメルマガ作成に要する時間はおおむね2時間です。原則として書き溜めをしません。その日のメッセージはその日に書くのが好きだからそうしています。従って、月曜日から金曜日まで毎朝最低でも3~4時間は原稿を書くのが私の10年来の日課になっています。
 
●そんなお話しをある所でしたところ、懇親会である経営者からこんな助言をいただきました。
 
「武沢さん、私もメルマガを発行していますが、基本的にはすきま時間を見つけてやっています。仕事に支障が出ないやり方があると思いますので、武沢さんももっとすきま時間を活用して書いてみられてはどうですか?」
 
●助言は大変ありがたいのですが、価値観や流儀が違うのです。
 
私の場合は、メルマガ発行が大切な仕事です。メインの仕事と言っても構いません。ですから、すきま時間でやることではないのです。
これが私の流儀です。流儀とは価値観を反映させたもの。こだわりのようなものです。
 
●ある経営者は、経営会議の時間の半分はメモをとっています。何をそんなに書いているのか尋ねると、
「部下の発言内容をメモるときもあるが、それから触発される自分のアイデアをメモることが多い。一回の会議で10頁以上のメモ量になることもある」ということでした。
 
これが彼の流儀です。
 
●ベートーベンは膨大な数の楽譜メモ断片を残していますが、作曲中にはそれらのメモを見ることはなかったといいます。「なぜそうするのか?」と尋ねられたベートーベンは、「一度書かないと忘れるが、一度書けば忘れない。だからもう見る必要はない」と答えたといいます。
 
これが彼の流儀です。
 
●自分が話すのを自分が聞いて学ぶ人もいます。GMの中興の祖とも言われるアルフレッド・スローンもその一人で、会議中には一切メモをとらなかった。部下の発言で、重要なものがあればスローンは自分の言葉でもう一度同じことを語り、その場で咀嚼してしまう人だったのでしょう。
 
これが彼の流儀です。
 
●このように人それぞれに仕事の流儀というものがあって、正解は一つではありません。自分にとって最も高い成果が得られるスタイルを見つけ、自覚し、磨き、貫きましょう。
 
なぜなら、会社経営とは流儀のかたまりのようなものだからです。

 

2011年03月04日(金)更新

ワーク・ライフ・アンバランス

●昨年か一昨年あたりから「ワーク・ライフ・バランス」という言葉をよく聞くようになりました。仕事と個人生活のバランスを取りましょう、ということでしょうが、私はそれを若い経営者に言ってほしくないと思います。

●最近もある若手社長がこう言っていました。

「武沢さん、経営者にはバランス感覚が大切だと思う。極端な攻めや極端な守りにならないようにバランスを注意しています。いわゆる"中庸"というやつですね。会社経営しながらも子供を毎日風呂に入れてやるのもワーク・ライフ・バランスの経営なんじゃないですか」と。

●たしかにバランスは大切ですが、バランスのとりかたはひとつではありません。右か左かの中間で均衡を保つことだけが「バランス」ではなく、両極端を行き来して、一番居心地のよい場所を見つけられる能力が「バランス」だと思うのです。

●社長が子供を風呂に入れてやるのは週に一回か二回で充分で、会社を伸ばし、社員にはそのような親子で過ごす時間をつくってあげるのが社長の本来の役目ではないでしょうか。

●「“足して2で割る”案は最悪になる」 とオリエンタルランドの加賀見俊夫さんが言っていますが、真のバランスと単なる折衷案とは別物なのでしょう。

ましてやこれから世の中に打って出ようという若々しい会社の場合、信長の桶狭間のように一点突破しなければならない時だってあります。そんなときはバランスなんてクソ喰らえで、思いきったアンバランスこそ勝利の鍵という時もあるのです。

●ですから、「ワーク・ライフ・アンバランス」が正しいこともあると考えておきましょう。

それは風呂の入り方と同じです。
熱い湯とぬるい湯、人それぞれバランスの良い湯加減に好みがあります。
熱い湯にサッと浸かって出る人もいれば、ぬるい湯に長時間浸かるのが好きな人がいます。
同じ人でもそれを使い分けるでしょう。
時には、高温サウナと冷水浴を交互に繰り返すことで体調を整えることもあるのです。

●京セラ創業者の稲盛和夫さんは「位相」という言葉をつかっています。

打ち上げられたロケットは、大気圏を突破するまでの間はものすごいパワーを必要とします。しかし、一端、大気圏を突破してしまえば、ほとんどエネルギーを必要としない宇宙空間に入ることができます。そこでは、大気圏よりも早いスピードで地球の周りをまわっているのですが、エネルギーは必要としない。
経営もそれと同じです。「位相」に至るまでのエネルギーがずっといつまでも必要なのではありません。逆からいえば、「位相」に至るまでの間はエネルギー量を決して下げてはならないという教えでもあります。

経営者たる者、積極的に「ワーク・ライフ・アンバランス」で行くべき時もある、と考えておきたいものです。ただし、部下にそれを強要するのは賛成しません。

2011年02月25日(金)更新

ぜんざい屋

●歴史のifには興味が尽きません。

もし日本があのときアメリカと戦争していなかったら・・
もし織田信長が本能寺で討たれていなかったら・・
もし坂本竜馬が土佐を脱藩していなかったら・・
もし私が彼女(彼氏)と出会っていなかったら・・

まったく別の歴史になっていたことでしょう。

●もし松下幸之助氏が松下電器(パナソニック)を設立するのではなく、町のぜんざい屋でもやっていたらどうなっていたでしょう。
おそらく氏は、"経営の神様"と称されるほどの経営者になっていなかったはずです。
実は松下さんは、ぜんざい屋をやろうと真剣に考えていたときがあるのをご存知ですか。

●大阪電灯に入社してまもなく、氏は肺尖(はいせん)をわずらいました。兄も姉も結核で亡くなっていました。結核予備軍ともいわれる「肺尖」を言い渡されたとき、氏は「ついに自分も来るべきものがきた」と覚悟し、悲観したそうです。
「仕方ない。殺すなら殺せ」と開きなおり、それによって心が安定したそうです。やがて病気の進行も止まり、大阪電灯を退職して独立することを決意しました。

●「商売をやろう」という氏の動機は、体が弱かったからです。当時の電灯会社は日給制度。体の弱さのために会社を休んでいては収入が不足します。なにか小さい商売でもして、自分が休んでも家内がやってくれる商売が良いと考えたそうです。

「自分は酒は飲まないが、甘いものが好きなので、ぜんざい屋を家内とやろう。ぜんざいだったら夫婦でやれる」

●そんなころ松下さんは、二股ソケットを考案したのですが会社にそれが採用されず、自分で電気器具の製造をやろうと決断しました。退職金と貯金をはたいて大正7年、23才の時に独立。住居兼工場での旅立ちでした。それが今日のパナソニッックです。もし、すんなりぜんざい屋になっていたらどうなっていたことでしょう。

・もし松下さんの体が丈夫だったら?
・もし松下さんがぜんざい屋をやっていたら?
・もし松下さんが考案したソケットを大阪電灯が採用していたら?

歴史のifには興味が尽きません。

●あなたも今、歴史のど真ん中にいます。

あなたはいま「ぜんざい屋」をやっていませんか?
あなたはいま「大阪電灯」につとめていませんか?
あなたはいま「松下電器」を経営していますか?
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ボードメンバープロフィール

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武沢 信行氏

1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。

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