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2012年04月13日(金)更新

社長の癖が会社の癖

●「経営体質が良い」とか「財務体質が強い」などと表現することがあります。先日もセミナーでそんなお話をしたところ、ある経営者から「"体質"ってなんですか?」と聞かれました。
かしこまってそう聞かれると言葉を失いそうでしたが、私はそのとき「時間をかけてできあがった『癖』のようなものです」とご説明しました。
 
●「癖」とは、積極的に選んでそうしている場合もあれば、何となくそれを続けるうちに癖になってしまったものもあるでしょう。朝寝坊や深酒のように、直したいと思いつつも、なかなか直らない癖だってあるでしょう。
浪費癖、遅刻癖、怠け癖、寝坊癖、散らかし癖などネガティブなものもあれば、努力癖、読書癖、勉強癖、売り癖、儲け癖、掃除癖、節約癖、貯蓄癖など好ましいものもあります。
 
●よい会社を作っていくということは、社員によい癖を作らせていくということでもあります。「よい癖とはどういうものか、悪い癖とはなにか」を教え、みなでそれを実行していくことが会社全体の癖になり、風土になり、体質になるのです。
 
●船井総研の船井幸雄さんは、社長には次の四つの癖が必要だと雑誌のコラムに書いておられました。
それは、
(1)働き癖
(2)学び癖
(3)節約癖
(4)儲け癖
の四つでした。
 
●私はそれを読んで「なるほどなぁ」と思うと同時に、その中でも「儲け癖」が一番大事なのではないかと思いました。なぜなら、他の三つにくらべてマスターするのが難しいからです。むしろ「儲け癖」の反対の「損癖」の方が一度でもついてしまうと、少し儲けが出ただけですぐに舞い上がったりお金を使ってしまったりすることが多いからです。
 
●「儲け癖」を養う一番てっとり早い方法は、「儲け癖」がある人と一緒にビジネスをすることです。しかし、現実にはなかなかそうした機会には遭遇しません。そこで、「儲け癖」がある経営者が書いた本を読むか、セミナーを受けるなどして儲け癖の心をあなたのなかに養っていくことが大切です。そして、その思いや決意を経営計画書にきっぱりと明記していくのです。
 
 

2012年04月02日(月)更新

妥協した理念

●就職活動している学生たちは何を基準に企業選びをしているのでしょうか。
 
好きな職種に就きたい、社風が良いところ、学校の先生や先輩から奨められたところ、夢が感じられる会社などと並んで多いのが「経営理念がしっかりしているところ」だそうです。
 
昭和の時には「理念なんかでメシが喰えるか」と理念を軽視する社長が少なくありませんでしたが、最近はそうした”豪傑”は減ってきて、皆さん理念が大事だとおっしゃいます。
 
●「理念を曲げちゃならんのです」と京セラ創業者の稲盛和夫さん。以前に見た NHK教育テレビの番組『知るを楽しむ』での一コマでした。
NHKの女子アナが稲盛さんに食い下がります。この女子アナ、もの分かりが悪いのか、それとももの分かりが良いのに番組の進行上あえて食い下がっているのか分かりませんが、このしつこさがちょうど良かった。
 
●女子アナ:「会社を守るためには少しくらい妥協しなくちゃいけない時があると思うのです。もし理念を守ることで会社がつぶれそうになった場合はどうするのですか?」
稲盛さんは即答しました。
「その時はつぶすのです。理念も哲学もない会社が生き残っても意味がないのです」と続けました。
 
●女子アナは粘ります。
「社員や会社を守るためだったら、少しくらいの妥協は許されるのではないでしょうか」
「いや、決して妥協してはならんのです。妥協した瞬間、社員のためにも社会のためにも必要がない会社になるのです」と稲盛さん。
 
●稲盛さん曰く、少しくらいという気持ちで一度妥協すると、今度は妥協したところが新しい判断基準になる。次には、その基準からまた妥協していって、どんどん基準が緩んでいく。本人たちは「うちの会社には理念が存在する」と思っているが、実際にはそうした妥協だらけの会社には理念が存在しないも同じなのです、ということでした。
 
●「あ、なるほど」とすぐに分かったフリをしてしまうのではなく、とことん分かるまで質問することの大事さを教えられる場面でした。
 
あなたの会社の理念についても同様に、社員から粘り強く質問されてみてはどうでしょう。
 
 

2012年03月26日(月)更新

発心(ほっしん)

●室町時代に活躍した雪舟(岡山県総社市生まれ)は、幼いころ近所の寺に入れられました。お経を読まずに絵ばかり描いている雪舟をみて、ある日、寺の坊さんがお仕置きをしました。仏堂の柱にしばりつけてしまったのです。床に落ちた涙を足の指につけ、鼠の画を描く雪舟。今にも動き出しそうなその鼠をみて坊さんがいたく感心し、ついに彼に絵を描くことを許したというエピソードは有名です。
 
●その雪舟はのちに、水墨画家としても有名になるのですが、彼の本職は禅僧です。6点の国宝を含む多数の水墨作品を残していますが、禅にまつわる作品もとても多いのはそのためです。
そのうちの一つに、斎年寺(愛知県常滑市)が所有する「恵可断臂図(えか だんぴず)」という国宝作品があるのをご存知でしょうか。
 
●雪舟77才の時のこの画は、禅宗が始まる瞬間を切り取ったものでもあります。
 
★「恵可断臂図」
http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kaiga/suibokuga/item06.html 
 
「面壁九年」ということばがあるように、壁に向かって何年ものあいだ坐禅を組む菩提達磨(ぼだいだるま)と、彼に弟子入りを願う若き修行僧とのやりとりの場面です。
 
●修行僧の名は神光(じんこう)。40年間書物を読み、出家し修行をしてきたのにいまだに悟りに到達できないでいました。当時、中国全土に名をとどろかせていた達磨に会いにきたのですが、門前払いがつづきます。
 
やがて冬になりました。雪中に立ちつくして教えを乞う神光に対し、ついに達磨が口をひらいてくれました。
 
達磨:何を求めて雪中に立ち続けておるのか
神光:なにとぞ、なにとぞお願い申し上げます。この迷える者にどうか甘露の門を開きたまえ!
達磨:諸仏無上の真理の道を得たいのか
神光:はい!
達磨:それでは小智 小徳 軽心 慢心をもってしては勤苦を労するぞ。真理を得るには行じ難きを行じ、忍じ難きを忍じなければならぬ
神光:はい、・・・
 
●次の瞬間、自らの決心を表すために神光がとった行動!
 
それは自らの左腕の切断でした。それを達磨に差し出しながら、「これが私の発心です」と神光。
 
●「その心、今後も決して忘れるな」と弟子入りを許可した達磨。
この瞬間こそが、禅宗の開祖者・達磨と第二祖、恵可(慧可とも書く)誕生の瞬間だったのです。真理を得るためには身命さえかえりみない禅の姿勢がみてとれます。
 
●「発心」(ほっしん)とは元来が仏教用語で「悟りを得ようと心を起こすこと」とか「菩提心(ぼだいしん)を起こすこと」という意味です。のちになって一般的にもつかわれるようになり、「物事を始めようと思い立つこと」をそう呼ぶようになりました。
 
 
●間もなく3月決算。そして新しい事業年度がスタートします。実質上のお正月が4月から始まるという組織も多いはず。今年度もがんばるぞ!というその「発心」を大切にしたいものです。
 
自らの左腕を差し出すほどの「発心」があるかと問われてあなたは何と返すことができるでしょうか。
 
 

2012年03月09日(金)更新

社長だから正しい

●「社内の人間関係がうまくいっていないので、一度ミーティングの様子を見にきてほしい」と知人からメールが入りました。その方はエステサロンを経営される女性社長で最近起業されたばかりです。
 
●約束の時間にお店へ入っていくと、いきなり奧の方からけんか腰のやりとりが聞こえてきました。どうやら私のことに気づいていない様子です。
 
「ちょっとあなたさぁ、さっきから聞いてると何様のつもり? 社長は誰だと思ってるの。あなたじゃなくて私なのよ」
「ええ、わかってますよ、そんなこと」
「だったら社長に対する口のききかたってものがあるでしょうよ」
「社長社長って社長風をふかさないでください。私は自分の気持ちを正直にしゃべっただけなんですから」
「ここでは私が最終責任者なんだから、ちゃんと決めたことは守ってもらわないと困ります!」
「ああ、そうですか。今日はこれで帰ります」
「ちょっと、今からみんなでミーティングよ。コンサルタントの先生もお呼びしてあるんだから」
「私には関係ありません。じゃあ失礼します」
「・・・・・」
 
●他のスタッフもその場にいましたが、結局この日のミーティングは中止され、このスタッフはこれをかぎりに退職しました。
 
スタッフルームの壁面には、『お客さまの美しさと笑顔が私たちの喜びです。私たちはお客さまのために専門的サービスを提供するプロフェッショナル集団です』と額が掲げてありました。
エステの技術は高くても、店舗運営やコミュニケーションの技術はあまりお上手ではないようです。
しばしばスタッフと意見の衝突があるそうで、この日のトラブルもお客さまに対してシャンプーなどの商品販売のノルマを課そうとする社長と、それを嫌がるスタッフとの対立だったそうです。
 
●会議の原則は「衆議独裁」。つまり、全員で議論を尽くし、最終的に意志決定するのはリーダーという意味で、衆議をつくしたあとは多数決ではなく独裁で決めるのです。会議やミーティングの場で全員の意見をひとつにまとめようとして時間を浪費させるわけにもいきません。
 
●しかし「私が社長よ」というスタンスには問題があります。それをやり過ぎるとパワーハラスメントになってしまいます。
誰が社長かは言われなくてもみんなわかっています。そんなことが問題の本質なのではなく、「誰が正しいか、ではなく、何が正しいか」で議論されることが大切なのです。
 
社長だから、役員だから、スタッフだから、アルバイトだから・・という立場の違いを持ちだすようではいけません。
「経営理念や企業目標と照らし合わせたとき、何が正しいのか」を皆で論じたいものです。そうした組織の秩序を作っていくことは良い会社を作っていく重要なインフラなのです。
 
 

2012年03月02日(金)更新

起承転結というもの

●「武沢さんはいつ文章を学びましたか?」と聞かれることがあります。たしかにメルマガやブログ、著書などでたくさん文章を書いてますから、どこかで教わってきたのかと思われるのかもしれませんが、実際はすべて我流です。
学生のころから文章を書く機会が比較的多かったのは事実で、たくさん駄文を人目にさらしてきたことで面の皮も厚くなったのだと思います。
 
●ただ中学生のころ、今思い返せば大変貴重な経験をしました。たぶん同じ経験は二度とできないでしょう。それは、「文通」の経験です。たしか雑誌『中1コース』で文通仲間(ペンパル)を募集している読者欄があり、そのなかの何人かと文通した経験があります。どこのどなたとも分からない相手と手紙のやりとりをする。それはドキドキする経験でした。
また、高校生のころになってふとしたことから遠隔地の女性と仲良くなり、文通と恋文の中間のような手紙のやりとりをしたこともあります。
 
●そのころ、毎日のように手紙を書き、そして読みました。
今のようにパソコンもワープロもありませんからすべてペンの手書き。たった便せん2~3枚の手紙を書くのに夜遅くまでかかり、便せん1冊を使い切ってしまったこともあります。字の下手さに苦労した以上に、文章作りの悩ましさに格闘しました。
こうした、お金では買えない文章経験が書くことを苦にしない基礎になっているのは間違いないことでしょう。
 
●文章術に関する本もたくさん読みました。その中にこんな文例がありました。
 
・・・
本所横丁の糸屋の娘 
姉は十八 妹は十六 
諸国諸大名は弓矢で殺す 
糸屋の娘は目で殺す 
・・・
 
●糸屋の娘さんはすごくきれいだよ、というだけの話なのですが、このような文章で表現されたらインパクトは絶大です。話の「起承転結」というものを人に教える際に持ち出される文例でもあるそうです。
 
最初の行が「起」で、場所と登場人物を述べています。次の行が「承」で、登場人物の情報を詳しく説明しています。次が「転」で、話ががらりと変わって物語が展開し、最後の行「結」で話を締めくくっています。最後まできて、オチ(結論)がわかるという寸法です。
 
●童謡で「起承転結」を教える場合もあります。
 
起→どんぐりころころどんぶりこ
承→おいけにはまってさあたいへん
転→どじょうがでてきてこんにちは
結→ぼっちゃんいっしょにあそびましょ
 
●朝刊や漫画週刊誌でおなじみの四コマ漫画も起承転結のお手本のようなものでしょう。
 
このように、起承転結は文章やスピーチの基本型であり、ビジネスにおけるコミュニケーションではこの原則をおさえた上で応用編が編み出されます。プロ野球でも奇襲作戦があるように、「起承転結」の順番ではなくいきなり「結」を最初にもってくることもあるのです。
 
●「起承転結」以外に、こんなテクニックもあります。
 
昭和28年、話し方にコンプレックスをもつ日本人のために話し方教室を日本で最初に立ちあげた故・江川ひろし先生は、著書の中で次のように書いておられます。
 
・・・私たちは話をまとめすぎることによって、本来ならとても興味深い話になるものを勝手に自分でつまらなくしてしまっています。
一例をあげますと、
<ある寒い日に、小さな子どもたちがみるからに寒そうなかっこうをして表で遊んでいました>というような話でもそうです。ある寒い日とはどういう日なのでしょうか。<寒い日>の中には、"空がうす暗く曇り、北風がビュービュー吹く" 寒い日もあれば、"つららが軒先から30センチも下がるような" 寒い日もあれば、 霜が真っ白に庭に立った" 寒い日もあれば、 "地面に撒いた水がカチンカチンに凍っている" 寒い日もあるように、いろいろあるはずです。(後略)
・・・
として、話を白黒からカラーへ、ラジオからテレビへ、平面から立体へ持ってゆくための技法を公開しています。
 
話が下手、文章が下手となげいているヒマがあればメールフレンドを見つけて迫真の文章を送るという手はいかがでしょう。もっとも経営者なら部下や取引先全員が最強のメールフレンドですから上達する機会には充分恵まれているはずです。

 

2012年02月17日(金)更新

入社するのが難しい会社

●昔、相手の人から携帯電話の番号を聞き出すことは友人の仲間入りを許されたことを意味しました。それが今では名刺や履歴書にも書く時代。近ごろでは、Facebook、携帯番号を載せている人もいるほどです。
直接本人につながるので便利になったわけですが、その逆に「不便になったなぁ」と思うものがあります。
それは履歴書。以前はかならず記入欄があった「国籍」、「家族構成」、「親の職業記載欄」などがなくなりました。長男(女)なのか、次男(女)なのか、会って聞かないかぎり分かりません。こんな不自由な履歴書は、被雇用者保護の精神で作られたそうですが、雇用する側だって真剣に相手を選ぶ義務と権利があるのです。
 
●したがって履歴書一枚で相手を判断するのではなく、もっと詳細にその人のことが分かるような書類を用意する必要があるかもしれません。
米国の警備保障会社『ガーズマーク社』のガードマンになることは、警察官になるよりもむずかしいとアメリカで言われているそうです。トム・ピーターズの『自由奔放のマネジメント』にそのあたりのことが詳しく書かれています。
 
●ガーズマーク社は、"セキュリティ(警備保障)事業のティファニー"をめざし、警備員の質が最大の決め手になると考えてきました。従来の米国における警備員は、「従業者の一割以上が刑法犯罪の前歴があり、ドラッグを常用する者の比率も極めて高い」という状況だったそうです。
 
●そうした業界の暗部を一掃すべく、ガーズマーク社では次のような厳しい選考過程を経てガードマンが人選されているのです。
 
・入社申込書は24ページにおよび、過去10年間の職歴、居住歴、医療面での生涯記録の記載が要求される
・職歴で30日以上の空白がある場合は、しっかりした説明が要求される
・過去10年までさかのぼって、応募者の前雇用主すべてと接触し、職歴や仕事の適格性を照会する
・応募者の現居住地か過去の居住地の隣人とも連絡をとり、人物照会する
・すべての応募者に対して法律の範囲内で犯罪歴をチェックし、指紋も採る。
・法律の許すかぎり、全従業員に対して嘘発見器にかけて質問回答することを義務づけている
 
●こうした選考過程を経ると、応募者のうち通過できる者は2パーセントほどになってしまうそうです。だからこそ、「どこでも見かけるような警察官になるよりもガーズマーク社の警備員になるほうがむずかしい」と言われるのでしょう。
 
●"セキュリティ(警備保障)事業のティファニーをめざす”というビジョンのためには一切妥協をしない。入社してからもさらに厳しいチェックが続きます。
 
・入社時に配られる113ページからなる研修マニュアルを完璧にマスターすることを要求される
・全ガードマンは毎月、最低でも4回は定期講習会に出席しなければならない
 
入社後も、警備のプロフェッショナルとして質の高い仕事が期待されるのです。しかし、それに見合った給与水準のせいか、転職率は業界平均の4分の1に押さえられているのもお見事ですね。
 
●誰もが知っている大企業に就職するより、無名の中小企業に就職する方が難しいことがあります。そんな会社を作っていきたいものです。
 
 

2012年02月10日(金)更新

お世話になっている社長だけに・・・

●主力の販売先をこちらから切る。しかもその取引先の社長には昔から大変お世話になり結婚式の仲人までお願いしました。今でも家族ぐるみのおつきあいで、とても尊敬しています。しかしその会社が今、資金難で支払いが1年間滞ったまま、ずるずると取引だけが続いてきました。
 
「武沢さん、どうしましょう?取引を続けるべきですか?」と相談を受けました。
 
●試算表を拝見したのち、「まず社長に会いにいくべきです」と回答しました。
 
先方に再建の意欲と見通しがきちんとあれば応援してあげるべきですし、それがなければ残念ながら取引を即刻中断すべきです。お世話になったことや尊敬していることは私情。ビジネスに私情を持ち込むのも結構ですが程度問題。1年間も支払ってもらえないのはすでに度を超しています。このままでは、連鎖倒産の危険を感じますよ」と申し上げました。
 
●あれから1年たち、その出来事を私はすっかり忘れかけていました。
そんなある日、一通のメールが舞い込みました。「うれしい報告がある」とその社長。
 
・お世話になった社長に会いに行ったが、すっかり意欲をなくしておられたので残念ながら取引を中止
 した。当社としても売上げの3分の1を失うのは痛かったが、緊張感が生まれたおかげで客先の新規
 開拓を始めるようになった。
・業績面では結局、売上げは微減にとどまったし、コストダウンのおかげで経常利益は500万円(も)
 出た。史上二番目の好業績だった。
・結局、その主力取引先は倒産した。お世話になった社長には今、「顧問料」をお支払いしつつ会社の
 顧問としてお知恵を拝借している。
 
●彼の会社にはアルバイトが二人いるそうですが、実質的には社長一人の個人企業。
自分の年収を確保しながら二人のスタッフを雇い、500万円の利益を出せたのは立派だと思います。私はかねがね、1,000万円未満では法人の利益と言えない。社長の給料を1,000万円確保したうえで、なおかつ1,000万円以上出ているのが本当の経常利益だ、と申し上げてきました。しかし彼のような個人経営で500万円の利益は立派です。
 
●メールには、次のような文面が綴られていました。
 
「武沢さん、不思議なものです。やろうとしながらも後回しにしてきたことを一つ二つ片づけたおかげで、一気にいろんなことが出来るようになりました。業績と資金繰りがよくなったせいもありますが、自分の一存で出来ることがこれだけたくさんあるのかと驚いています。懸案だった夫婦での沖縄旅行にも行けたし、パラオでスキューバーのライセンスを取得するという目標も新たに作りました」
 
●気になっていることから逃げずに、いますぐ直面しよう。
 
 

2012年01月27日(金)更新

攻略ノート

●昭和30年代後半、大手スーパーの経営者や人事担当者は、狙った学校の正門前で下校時にビラを配ったそうです。
「ちょっと君、パフェをおごるから話を聞いてくれないか」
学生を誘って喫茶店に入り、自社のビジョンを語って求人活動をしたのです。しかも交通費は全額負担して会社見学などをさせ、熱心に学生を口説き落としていったといいますから、涙ぐましい努力です。「大学卒業生が行く業界ではない」と見られていた業界ですから、そこまでする必要があったのです。
 
●「うちのような会社にはヤンキーとニートと引きこもりとオタクのような奴しか入社してこない」と自虐的に嘆く社長がいます。たとえば、どこにでもあるような町工場で典型的な3K産業(キツイ、キタナイ、キケン)の場合、普通の求人活動だけではよい人材が入ってこないのは当然でしょう。
どのようにしたら、優秀な学生が入社してくれるか?という設問を掲げ、真剣に知恵を絞りたいものです。
 
●学生の側でも、ものすごい努力をしているケースがたくさんあります。私が実際に出会った Y 君のような努力をすれば、就職難なんて全然こわくないでしょう。
 
Y 君は三年生になってすぐに自分の進路を決めました。製菓会社の「A」、家庭用品会社の「B」、食品会社の「C」の三社を受験すると決めたのです。それ以外の会社には行くつもりはなかったし、実際この三社しか受験しませんでした。
「この三社のいずれかで営業をやる」と心に決め、それぞれの企業ごとに一冊の「企業攻略ノート」を作りました。
 
●その「企業攻略ノート」には、企業情報、株価、マスコミ記事、OB訪問メモ、などその企業に関する情報すべてを書き込み、貼り付けていきました。その企業に対する自分の思いもそのノートに書きつづったのです。
 
そうした活動を一年以上にわたって続けた結果、社員よりもその会社に詳しくなったそうです。
 
●こうしたノートを持参し企業訪問にのぞむ Y 君 をみて、驚かない人事担当者はいませんでした。彼はこの三社すべてから内定が出ました。もちろん、順番は決まっていて、迷うことなく「A」を選んだのです。
 
●Y 君はどこからみてもエリートという感じではありません。外見はまったく普通の学生です。しかし熱意と努力は誰にも負けないものをもっていたのです。そんな彼を見て、「うちの社員も見習ってほしい」と思う経営者は多いはず。しかし、本当に見習うべきなのは経営者の方だと私は思います。「優秀な人材がこない」と嘆いているばかりでなく、彼の逆をやればよいのです。
 
●「人材攻略ノート」を作り、望む人材のプロフィールを明らかにしましょう。
「優秀な人材」とはどういう人を言うのか定義するのです。そうした人材を採用するためには、どのような会社になるべきか、また、今すぐ行動できることは何なのかを決め、実際に行動しましょう。
 
●本当に人材がほしいなら、校門の前で変な目で見られながらも狙った学生をカフェに誘うでしょう。そうした気構えがあれば、今すぐできることはかなりあるはずです。大切なのは心の底から人材が欲しいと思い、行動を開始することです。事実、人材が会社を変えるのですから。
 
 
 

2012年01月20日(金)更新

ある地方都市にて

子供のころ、戦国の英雄ものがたり『真田十勇士』を読んで興奮したことを覚えています。真田幸村につかえる十人の勇士のものがたり。

猿飛佐助、服部半蔵(皇居、半蔵門の由来となった)、霧隠才蔵、三好晴海入道、祢津甚八など、個性派揃いのキャラクターはいずれもが子供たちのスーパースターでした。

 

真田幸隆、昌幸、信之、そして幸村が実際に活躍したのは、信玄、謙信、信長、秀吉、家康などが覇権を争った戦国時代のことです。地方大名として誰に味方するか、誰に弓引くかは、そのままお家の存亡にかかわる意志決定でした。そうした中、誰が天下を取ろうが関係なく見事に泳ぎ切り、家名を守り抜いた真田一族の才覚は「したたか」そのものといえましょう。

 

戦国の真田家と同じようなしたたかさで、現代の「食品スーパー戦国時代」を生き抜く地方会社があります。

 

幸い、その会社の社長とも親しくさせていただいていますが、許可を得ていないので実名は伏せてご紹介しましょう。この食品スーパーの本社は人口数万人の地方都市。こんな小さな街にも大手スーパーの乱入が始まって15年になります。しかし、この『F』(仮名)は、「したたか」に戦い勝ち目がないと見た相手は次々に徹退していくのです。

 

「体力(資本)勝負に持ち込めば大手の全国チェーンに必ず負ける。であれば、知恵と知識と情報を武器にして、お客様にどちらが近いかという接近戦に持ちこもう」と考え、様々な施策を打ち出してきました。

 

・戦略会計の導入

・MG(マネジメントゲームの社内開催)

・計数知識に関する全社員対象の社内テスト(定期開催)

・FSPの導入

 FSPとは

  http://www.jmrlsi.co.jp/menu/yougo/my08/my0811.html 

・MY法による計画経営の導入

 MY法とは http://www.myhou.co.jp/ 

 

矢継ぎ早の経営改革。

 

経営陣も社員も猛烈に働き、猛烈に勉強したそうです。昌幸と幸村の真田一族のように、スーパー『F』でも社長を支えようと二人の息子が経営に馳せ参じ、中心的役割を果たしました。

 

経営改革の途上、こんなエピソードがあったそうです。

 

ある中堅社員は仕事ぶりはまじめなのですが、計数にあまりに弱い。毎回の数字テストの点数がとても低いのです。彼を育てようと、社長自身が深夜にまで及ぶ個人補講を行ったのですが、その甲斐なく、泣く泣く彼を更迭人事しました。そのショックから彼は退職してしまったというのです。社長もその幹部も互いに大いに悲しんだことでしょう。

「こんな方針で良いのだろうか」と社長は自らの信念が揺らいだこともあるそうです。しかし、そこに活路を求めた限りは、決めたことは断固やり抜きました。

 

社員全員が個人商店のオーナー並に経営とビジネスに精通し、数字と情報をマネジメントできるようになりました。間もなく50回目の決算をむかえる『F』は、創業二年目から一度も赤字を出していないそうです。

 

そうした自信がなせるワザでしょうか、10年近く前には社運を賭ける意志決定をしました。

それは、新しい店舗をオープンするのに約5億円かかるなか、それを見送って、ほぼ同金額をコンピュータ投資にふりむけたのです。

そしてどこにもマネできないFSPシステムを構築し、チラシ投入をゼロにし、それ以上の成果をあげる作戦を始めたのです。

 

FSPの目玉は独自のポイントカードです。徹底した地域密着と顧客指向のプログラムによって、社員はお客様の顔と名前を覚える必要が生じました。それをやり抜いた結果、びっくりするほどの結果が出始めたのです。

 

ところで、あなたは、一人の売り場担当者がクリスマスケーキを年末に何個売るか想像がつくでしょうか?

 

彼女の一声で予約申込書にサインした人の数は、なんと「400人!」

 

クリスマスケーキは必ずどこかで買うもの。だったら、あの人から買おうということになるのです。

 

「鈴木さん、本タラバ(蟹)の良いのが今入りましたが今日のご夕食にいかがですか」などと電話を入れるのです。当然、その場で予約が入って売れていきます。

この商品だったらあの人に・・・、そんな連想ができる八百屋感覚のスーパーなのです。コンピュータによって、ベテラン八百屋店主の才覚を全社員が持てるようにしたのですから大型スーパーだって叶いません。

 

「かつてほど利益が出にくくなった」とはいうものの、本当の企業力によって生み出している今の利益は明日につながります。

 

がんばれ地方企業! がんばれ小企業!

 

2011年12月22日(木)更新

新しい顧客サービスを

●米国メジャーリーグでは、ファンサービスの一環として人気選手の一人がユニホームにピンマイクを付けてプレイする日があります。選手の声はテレビの副音声でそのまま放送されるそうで、通常の放送とはひと味違う楽しみがあるそうです。
 
●かつて、新庄選手がメジャーでプレイしていたある日のこと、ヒットで出塁した新庄選手に、相手チームの一塁手が話しかけてきました。当然、相手選手も、この日は新庄がマイクを付けていることを知っています。
 
「やぁ、新庄。ナイスバッティング」
「おぉ久しぶり。ありがと、我ながら完璧だった」
「ところで、そろそろ日本へ帰るのだろう」
「いいや、帰らないよ」
「野球プレイヤーのあとは何をやるつもり」
「(ちょっと間があってから) ムービースター!」
「マジかよ?」
「ああ、マジだ」
 
こんな会話がライブで聞けるのだからファンにはたまりません。
 
●別の日、あるアメリカ人選手(外野手)は、味方投手が連打を浴びつづけ、なかなか守備時間がおわりません。そんなとき、
「なにやってんだよ、お前。早く終わらせろよ、俺の方まで調子がおかしくなるぜ」
「頼むから今日は俺の方へ打球を飛ばさないでくれ」
などと一人グチりつづけるのです。
試合内容がつまらなくても、こうしたアメリカンジョークが聞けて、最後まで楽しく放送が見られのです。実にファンを大切にする試みだと思いませんか。
 
●日本でもようやく試合中に監督インタビューを受け付けたり、審判の頭にカメラを付けたりと、新しいファンサービスを始めましたが、とても良いことだと思います。
日本球界のファンサービスのあり方に大きな影響を与えた人として、アマチュア野球「茨城ゴールデンゴールズ」の萩本欽一さんがいます。彼のおかげでアマチュア野球がとても熱くなりました。
 
●演歌歌手・山本譲二氏が設立した社会人野球チーム、山口きららマウントGが、萩本監督率いる茨城ゴールデンゴールズと、対戦したことがあります。
結果は、13-12という壮絶な打撃戦を制し、山本監督のチームに軍配があがりました。1回裏には茨城GGの女性先頭打者に対し、山本監督は、同じ女性の投手を起用したり、9回には自分も代打で出場し、長島選手ばりの空振り三振で約1万人のファンを喜ばせたりしました。
 
●欽ちゃんお得意のマイクパフォーマンスはもちろん、この日は、元ジャイアンツの宮本和知投手を助っ人登板させたり、歌手の森山直太朗がゲスト登場し、歌と笑いと真剣勝負を織りまぜた演出に、ファンはみな大満足で帰路についたと報じられました。
 
●「茨城ゴールデンゴールズ」の本拠地は、茨城県稲敷市(旧・桜川村)。大半が農村部です。選手らは稲敷市に住み込み、野球と農業の両立を目指しています。
 
「社会人野球チームが相次いで廃部の傾向にあることや、プロ野球も再編の波に押されるなど、野球界全体が揺れ動いているので、少しでも野球界の活性につながれば」とこのチームを結成することを決心したという欽ちゃん。
 
●専用球場には村民の1割にあたる約700人のファンが集まることもあります。
お正月などは駐車場で餅つきをするなどのお祭り騒ぎで、地元の警察署員も出動するほど。 欽ちゃん自身、朝10時から夕方5時まで、集まったファンすべてにサインします。どんなに時間がかかっても、時間の許す限りサインするのです。「だって、来てくださいって言ったのは僕だもん」と、ファンを大事にする欽ちゃんらしい言葉ではありませんか。
 
●ファンサービスを追究するこうした事例から学びましょう。それによって、あなたの会社の顧客サービスも今までとは違う視点がきっと見つかるはずです。
 
 
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ボードメンバープロフィール

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武沢 信行氏

1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。

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