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2008年10月17日(金)更新

育成と選抜

●「Jリーグに選手を送り込むことだけが目標ではない。むしろ選手には、それが最終目標でサッカーをやってるんじゃない、と教えています」と語るのは、サッカー指導歴20年のA氏。

●Jリーガーになれる確率は、「1000人に1人いるかいないか」といいますが、その狭き門を潜り抜けてピッチに立つJリーガーたちは、アマチュアサッカー選手からみれば憧れの存在でしょう。しかし、それに憧れるのは結構なことですが、先のA氏の話にあるとおり、Jリーガーになることだけがサッカーをやる目的ではありません。

●A氏は、「サッカーを通じて健全な身体や心、それにチームプレイというものを指導していきたい。サッカーを一生のスポーツとして愛し、人生の重要な場面にはいつもサッカーがあるような関わり方をしていってほしい」と続けます。

企業の人材育成においても同様の視点が求められるはずです。それは、「選抜」と「育成」という二本柱です

「選抜」とは、ふるいにかけて優れたものを選び出すこと。
「育成」とは、選手を育て組織全体のレベルアップをはかることです。

この二つのうち、いずれが良いかという問題ではなく、両方が大切なのではないでしょうか
●能力主義型の人事制度の中には、単なる選抜主義だけのものが少なくありません。がんばった人に大きく報いるのは当然のことですが、その一方で、がんばっても結果が出なかった人や、何らかの事情によりがんばれなかった人に対するフォローのしくみが伴っていないとうまくいきません。

●組織の基礎となる育成のしくみを最初にきちんと作り込んだうえで、さらに選抜システムを付け足すのが理想でしょう。人材が豊富な大企業ならば、育成のしくみがある程度構築済みですので、そこに新たに選抜システムを組み込んで、あとは社員間の自由競争に任せるだけでいいですが、中小企業ではそうはいきません。まず育成のしくみを作ることがが必要なのです

最初にすべきことは、なぜ人材を育成するのかという「目的」を「育成理念」として明文化することです。社長が「立派な人材を育成したい」と思って教育に力を入れていても、社員に「どうせ会社の都合、社長のエゴと趣味で教えているんだろう」と思われていては何も伝わりません。

●戦前の日本には、世界から賞賛されていた「教育勅語」というものがありました。「教育勅語」は、人が学ぶ目的を明文化したものだったのですが、戦後になってから日本はそれを取り下げてしまいました。そのときから、教育の理想がなくなってしまい、日本の教育の混迷が始まったといえるのではないでしょうか。

●その事実を反面教師とし、私は企業にこそ「教育勅語」を制定する必要があると思います。経営者の思いと教育を受ける側との思いを一致させる「教育勅語」を制定し、それをベースにして、あなたの会社に育成と選抜のしくみを構築していきましょう

2008年09月29日(月)更新

専務号泣

●ある日のことです。住宅資材商社であるM社の経営方針発表会に参加しました。
M社のM専務は、私が開催した経営セミナーの修了生で、彼の会社の成長ぶりには以前から関心があったので、喜んで出席することにしたのです。

●このM専務(33)には、同社の社長でもある父がいます。見たところ大変若く、あとで65歳と聞いてびっくりしたのですが、人をそらさぬ見事な人格者のようでした。また、これまでは業界の成長とともに、父の代で会社を大きくしてきたのですが、そろそろ専務体制にシフトしていきたいという様子もうかがえました。


●M専務は入社5年目で、それ以前はハウスメーカーで営業の仕事をしていました。弁舌さわやかで勉強熱心な人ですが、若さと社歴の浅さからか、まだまだ社内のベテラン職人さんたちを率いていく力が空回りしているようにみえました。

●そのような状況の中、今年の発表会では、初めてM専務が一人で作り上げた経営方針書を発表するというのです。はたしてどの程度受け入れられるのか、あるいは総スカンを食ってしまうのか、私もドキドキしながら席につきました。

事業承継をするときは、新しいリーダーと従業員の間で信頼関係を築き上げることができ、社内が一丸となって目指す方向に進んでいけるかどうかが、非常に重要です。おそらく、この経営方針発表会でM専務の力量を試すことも、社長にとって目的の一つだったのでしょう。
●名古屋市内の某ホテルで行なわれた発表会の参加者は、全従業員10数名と来賓数名。司会はM専務の奥様でもある総務部長です。社長あいさつ、来賓の紹介と進み、いよいよM専務による方針の発表がはじまりました。

●私は来賓なのになぜか最前列の真正面だったので、彼の息づかいの様子が手にとるようにわかったのですが、彼は最初こそ緊張していたものの、やがて落ち着いていきました。
そして10分もしないうちに、緊張がとけてふだんの彼になり、徐々に興奮気味になっていきました。「うちの会社は変わらねばならないんだ~」と最後の方は、完全にハイテンションでした。

●そして、いよいよラストの締めくくり、という段階になって異変がおきました。
「最後になりますが…。ああ、ごめんなさい…。ちょ、ちょっと失礼。あ、ダメだ。…フー。どうしたんだろ…。あ、ごめんなさい。」

やがて、M専務は天井を見上げました。そして両方の目尻からスルスルと涙がこぼれ、頬を伝いました。やがて、声をあげて号泣しはじめました。
あまりに突然のことで、周囲も私も最初はきょとんとしていましたが、30秒、1分と彼の泣き顔をみているうちにこちらまで感極まってきました。

●彼はついに結びの言葉を言うことができず、お辞儀だけで発表を締めくくりました。そして、来賓の言葉ということで私の出番になったのですが、こちらももらい泣きしてしまっていたので、自分でも何をお話ししたのか覚えていません。

●懇親会のときM専務は私にこう言いました。

とにかく、社員のみんなにお礼を言いたかった。『ふだんから出来の悪い自分をカバーしてくれてありがとう。それに、ふだん足を引っぱっている自分が、前で偉そうなことを言って申し訳ないという気持ちと、うちの会社を辞めず、毎日朝早くから夜遅くまで働いてくれて本当にありがとう』という気持ちが入り混じって、みなさんに無様な格好をお見せしてしまいました」

●あれから数年経ちました。彼の会社は今完全にM専務体制になり、新しいリーダーのもとで社内が一丸となってとてもムードが良いそうです。こういう誠実な姿勢が言葉を越えて互いの信頼関係を作っていくのだと思います

2008年09月12日(金)更新

誤った能力主義

●それぞれが自己紹介するのではなく、相手のことについてお互いが質問して理解しあうことで、かえってメンバー同士の理解が進むということがあります。これを他己紹介というのですが、初対面ばかりの会合でもこれをやると意外に盛り上がります。

●また、私たちは自分だけのためにがんばるよりも、相手や他人、あるいはチームのためにがんばる、というモチベーションのほうがより強く働くようです。当然、企業の人事評価制度においても、そうした心理をふまえることが望ましいのですが、個人単位の成果主義にして失敗する会社が、まだまだあとを絶ちません。最近もこんなことがありました。

●ある社長から、「武沢さん、当社も去年から能力主義型賃金にしたのだけど、どうもうまくいっていない。どこがいけないのだろうか?」と相談されました。この会社は子供服専門のお店を4店舗ほど経営しており、正社員やアルバイトなど、あわせて40名近いスタッフが働いています。

●実は、この会社は最近になって業績が急激に低迷し、二年前に初めて赤字転落して以来、毎月赤字が続いているそうです。でも、その割に社員に危機感が見られず、目標意識も希薄だということでした。
●「創業以来、ずっと仲良し集団でやってきた弊害がここにきて出始めている」と社長は思ったそうです。そこで昨年、「能力主義型賃金制度」を思い切って導入し、全社一丸でこのピンチを乗り切ろうとしました。

●この制度を導入するにあたり、社長は書店や図書館に足繁く通い、何冊もの賃金設計の本を読み込んで、独自の評価・賃金制度を設計したというのですから大したものです。『キャスティング・プラン』というしゃれた名前をもつこの制度は、社員一人ひとりの販売額をポイントに換算して合計し、1点に付きいくらというかたちで給与に加算するというものでした。

●つまり、基本給を大幅に下げ、歩合給の要素を相対的に大きくしたのです。また、お互いの販売額を競わせるため、店長室には個人ごとの目標達成度合いを表す棒グラフを貼りだしました。

●ですが、この評価制度を導入して一年近く経っても業績は全然伸びず、逆に社員からはブーイングが浴びせられています。とくに、若い女性スタッフが多いこの会社では、「こんな個人競争はいやです」と言われているそうです。

●デミング賞でおなじみのデミング博士は、「一年に1~2回、伝統的に行なわれる個人業績評価は、かえってチームワークを損なう」と言っています。進学校の受験競争のような、「あなたは○○人中△△番目の結果です」と言わんばかりの評価制度は有害であり、組織の雰囲気を破壊しかねないというのです。

●業績連動型の賃金にするのは結構なことでしょう。ただし、それはもっと緩やかなかたちで導入すべきです。たとえば、店舗全体の業績に対し、チームメンバーは全員連帯責任を負う。しかし、「信賞必罰」はすべて賃金に反映させるのではなく、社員旅行や食事会の予算にはねかえってくるなど、チーム全体が盛り上がるような方法を模索した方がいいのではないでしょうか。

2008年09月01日(月)更新

誰よりも常識的でありたい

古今東西、成功した人はそのキャラクター性の一部として、「熱」とか「狂」という要素を持ち合わせていました。それは、次のような名言にみることができます。

・「思想を維持する精神は狂気でなければならない」(吉田松陰)
・「熱狂せずに作られた偉大なものは何もない」(エマーソン)
・「結果というものにたどり着けるのは偏執狂だけである」(アインシュタイン)
・「大切なのは熱狂的状況を作ることである」(ピカソ)

●我々はこうした名言を100でも200でも探してくることができるでしょう。ですから私は、過去に「狂気を持とう」「熱を帯びよう」という話を何度もしてきました。その必要性をますます感じる今日この頃ですが、なかには誤解もあるようです。

●最近、ソフト開発会社を経営している人にこう言われました。
「武沢さん、うちには挨拶とかマナーとかが苦手な社員が多いのです。たとえば服装ひとつをみても、カジュアルを通り越してだんだんだらしない雰囲気になりつつあり、何度注意をしてもすぐに崩れてしまいます。ですが、そんな彼らも仕事の面ではすごく有能だし、付き合ってみれば楽しい仲間なので、しつけは諦めるしかないかなと思ってしまうのです」

「え、諦めちゃうのですか?」

「だってかわいそうだもの。最近の『がんばれ社長!』でも狂気とか熱狂が大事とありますし、別に挨拶くらいできなくても仕事が人一倍できればそれでいいか、と自分に言い聞かせているのですよ」
●残念ながらこの社長は勘違いしておられるようです。
「狂気」とか「熱狂」とは言っても、それはあくまで仕事ぶりの話であって、決して人間性の話ではありません。マナーが悪いとかルールを守れないということは人間として常識をわきまえていないということです。これを許してはなりません。

●「思想を維持する精神は狂気でなければならない」と最も自分に狂気性を求めていた吉田松陰ですら、「他人から見てどんな人間でありたいか?」と友人に聞かれたときには「誰よりも常識的で、むしろ貴婦人のように慎ましやかでありたい」と答えています。

「狂気」や「熱狂」が大切なのは、その思想・アイデア・行動のことであり、態度や立ち居振る舞いのことではないのです

2008年05月09日(金)更新

執行責任者制の意義

●先日、ある方からご相談を受けました。

武沢さん、うちも新年度から、CEOとかCOOとかいうポストを導入しようと考えているのですが、どう思いますか?
「ほー、なるほど。その狙いは何ですか?」
「何となくカッコイイじゃないですか」
「カッコいい? それだけの理由ですか……」
「若手社員の動機づけにもなるかと」

●本来は「カッコイイ」とか、「社員の動機づけ」を目的に役職名称を決めるものではありません。しかし、最近はこうしたカタカナ名称の名刺をもらう機会が増えており、間違いなく日本の中小企業にも浸透しつつあるようですので、少しおさらいしておきましょう。

☆ CEO(chief executive officer)…… 最高経営責任者
☆ COO(chief operating officer)…… 最高執行責任者
☆ CFO(chief financial officer)…… 最高財務責任者
☆ CIO(chief information officer)…… 最高情報責任者
☆ CTO(chief technology officer)…… 最高技術責任者

●その他にも、最高知識責任者(CKO)、最高個人情報保護責任者(CPO)、最高顧客市場分析調査責任者(CMO)などもあります。そんなに新しい肩書きをつくってどうするのだろうと思いますが、大企業ではそれでもまだ足りないほど経営の守備範囲が広くなっているようです。
●日本の商法では、「代表取締役」が株式会社の最高責任者とみなされているだけで、これらカタカナ名称は非公式の社内ポストに過ぎません。ソニーが1976年にこの名称を採用したのが第一号となっており、徐々に国内ビジネスでもこの執行責任者の名称を使うケースが増えているようです。キヤノンやシャープのように従来からの漢字名称をそのまま使っている会社もありますが、海外ビジネスではむしろカタカナ名称が一般的です。

・ソニー
   会長兼CEO ハワード・ストリンガー
   社長兼エレクトロニクスCEO 中鉢良治
   副社長、コンスーマープロダクツグループ担当 井原勝美

・ユニクロ
   代表取締役会長兼社長 柳井正
   取締役兼常務執行役員COO 大笘直樹
   社外取締役 松下正

●このように、世界企業の一部ではごく自然にカタカナ名称が使われています。もちろん、カッコ良さの問題ではなく、経営戦略上の確固たる意味があってのことです。

●経営の4大役割である「ビジョン」「戦略」「執行」「戦術」の各々について、一人で何役もこなせるほど今の経営環境は甘くありません。CEOはビジョンと戦略を、COOは執行と戦術を分担しようというような狙いがそこにあるのです

●「カッコイイから」「社員のモチベーションのため」という理由ではなく、経営の役割を分担するのであればカタカナ名称の役員チームにすることも充分な意義があるはずです

2008年03月28日(金)更新

立案力と遂行力

●ある日のことです。世界的カメラメーカーで15年間修業し、最近になって父親が経営するK精密に入社したK専務が相談に来られました。

●内容は社員のレベルが違いすぎるため、今まで経験してきたことの大半が役に立たないということでした。K氏が以前勤めていたのは一部上場企業であったため、社員教育制度も充実し、ビジネススキルやコミュニケーション能力もあるエリートが入社してくる会社でした。

●しかし、K精密は社員数約30名の部品メーカーで、社員全員が中途採用。それも、全員が基礎研修などを受けたことがあるわけではなく、中には職人気質の現場社員やコミュニケーションを満足に取れないスタッフもいるとのことでした。

●K氏はこう嘆いていました。「武沢さん、私が前の会社で培ってきたやり方が通用しないんですよ。前職では、大まかな方向性さえ指示しておけば、部下が自分で目標や行動計画を設定して動いてくれました。でも今いる会社では、方向性を示すだけでは足りず、具体的な作業指示も出してやらないと社員が動かないのです
●K氏が前職と現職のギャップに悩み、嘆く気持ちもわからないではありませんが、嘆いていても始まりません。

●大企業は人員も多く、社員の質も粒ぞろいなので「私は決定する人、あなたは実行する人」というように、役割分担ができます。しかし、中小零細企業の経営者は、決定するだけではなく、現場の陣頭指揮もとれる人でなければならないのです。その意味でいうと、中小企業の経営者は、大企業の経営者より有能な人材でなければ務まらないのです

経営力とは「立案力」と「遂行力」の和のことです。中小企業を経営するには、社員のレベルの低さを嘆く前にまず、自分の立案力と遂行力の向上をはかりましょう。ついでにそのとき、「すべての責任は我にあり」くらいに考えた方が、精神的なストレスも少なくなるでしょう。

2008年02月29日(金)更新

ギュッと締める力

●最近、「重役」という意味合いでよく使われている「エグゼクティブ(executive)」という言葉がありますが、これはエグゼキュート(execute)が語源といわれています。executeとは、「実行する・遂行する」という意味のほか、(刑を)執行するとか、(ニワトリなどを)ギュッと締める、という意味でも使われます。

ですから本来のエグゼクティブとは、まさに「実行する人」であり、部下を「ギュッと締める」ことができる人なのです。会社組織で誰よりも実行力を要求されるという点において、頂点に立つのが社長であることは、言わずもがなでしょう。

●親鸞がまだ松若丸と呼ばれていた9歳のとき、慈円和尚に弟子入り志願したものの断られ、次のような歌を詠みました。

 「明日ありと 思ふ心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」

「今この瞬間に事をなし遂げないと、明日があるという保証は何もないんだ」、という若き親鸞の緊張感が伝わってくる名句ではないでしょうか。

●会社経営にとって「明日はない」という緊張感は大切です。実際には明日も明後日もあるでしょうが、「明日」と「今日考えている明日」は同じではなく、「来年」は「今と同じ環境の来年」ではありません。経営はいつも「今」しかないのです。
●たとえば、「5か年経営ビジョン」を作ったら、その達成の命運は今期、いや今月にかかっているんだ、という気迫を大切にしなければなりません。そうした会社だけが長期ビジョンを実現できるのです。これは、ギュッと締める人が社内にいるからです。

●新しいことに挑戦しようとすると、面白いアイデアはどこの会社でもでてきます。ところが、そこで締める力がないと、アイデアを実行に移せません。往々にして、「そういえば、あの件どうなったの?」「さあ、どうでしょう…」と中途半端になってしまい、はたしてアイデアが良かったのか悪かったのか、評価不能になってしまいます。

●逆に、社内をギュッと締める力がある会社では曖昧なことは起こりません。これは、「しつけ」の差です。リーダーに組織を締めるだけの力があれば、部下もおのずと引き締まった仕事をするのです

●これからは、エグゼクティブとか重役という単語を聞くたびに「ギュッと締める力」の重要性を思い出していきたいものです。

2008年02月15日(金)更新

困ったらあかん

●東京に本社のある松下電送(現・パナソニック コミュニケーションズ)がファクシミリをつくり始めた頃の話です。社長の木野親之氏が松下幸之助氏から呼ばれて、大阪の門真にある松下電器本社をたずねました。

●そして幸之助翁に「君、何か困ったことはあるか?」と問われ、木野氏はとっさに「はい、問題はいろいろありますが頑張っています」と答えたそうです。

●そうしたやりとりの後、幸之助翁は最後に「困っても困ったらあかんで」と言われたそうです。それを聞いた木野社長は、帰りの飛行機のなかで心が晴ればれとして、やる気がみなぎってきたとか。

●このやりとり自体は禅問答のようなものだと思います。しかし、ファクシミリという新しい商品を世に送り出し、事業として軌道に乗せることは、決して容易なことではなかったはずです。新規商品の開発につきものの問題があちこちで発生し、困ったことばかりだったのでしょう。

●当然そのことは、幸之助翁も知り抜いていたはず。その上で翁はこう言いたかったのではないでしょうか。
「困るような事はいっぱいあるやろうが、しかしそれは外的なことや。けど、そのせいで君の心までもが困ったらあかんのや」と。
木野社長をわざわざ来阪させたのは、そのメッセージを伝えるためだったのかもしれません。

●また、幸之助翁は別の場所でこんなことも語っています。
「心配するのが社長の仕事や。社長が心配するのが嫌になってしまったら、それは社長を辞めるときや」
心配し、心まで困り果てるのが社長の仕事。ナンバー2以下はその必要なしということでしょう。トップらしい、潔い心意気ではないでしょうか。

2008年02月08日(金)更新

間接的リーダーシップ

●ある学習塾の社長の話です。彼は毎日毎日、何時間も生徒の送迎バスの運転をしていました。

●「こんな大切な仕事を部下に任せるわけにはいかない」というのがその理由です。そのうち、この学習塾が地域で評判になり、生徒数がついに500名を超える規模になっても、彼はハンドルを離しませんでした。

●もちろん仕事は送迎だけではありません。授業も教えていることからフル稼働の日が続き、しまいには糖尿病が原因の高血圧で入院までしてしまい、事業を縮小せざるをえなくなりました。

●会社は社長の器より大きくならないといいます。例外的に大きくなってしまう場合もあるでしょうが、長いスパンでみれば社長の器以上にはなりません。ですから社長は、会社を経営しながら自らの器を広げていかねばならないのです。そこで、社長の器とはどのようにして広げていくべきなのか、三つの段階に分けて考えてみましょう。
●最初は「兵たる器」という段階です。まずは兵として優秀である状態をめざしましょう。肩書きこそ「代表取締役社長」であったとしても、現実には一人で営業活動から納品、請求書発行、代金回収、クレーム処理などすべて処理しなければなりません。だから、まず兵として優秀な状態を目指すのです。

●その次は「兵の将たる器」という段階です。従業員を採用し、社長はプレイングマネージャーとなって指揮をとりながら、率先して動きます。この段階になると、社長は「兵」としての強さだけでなく、部下を指揮して戦いに勝利できるリーダーシップを学ぶのです。

●最後は「将の将たる器」という段階。将の将、長の長として、今までとは次元が違う戦略的な仕事をこなさなければなりません。たとえば、組織の目的やビジョンを掲げることや組織づくり、人財育成に提携戦略など、明日に向けた仕事をする段階です。

言い換えれば、兵の将をやっている時は「直接的リーダーシップ」、将の将になると「間接的リーダーシップ」が求められると言えるでしょう

●直接的リーダーシップとは、「1+1はいくつですか?」と部下に聞かれたとき、「2」と即答してやるようなリーダーシップです。そうすることで感謝や尊敬されるでしょう。

●ところが「間接的リーダーシップ」は答えを言いません。足し算や引き算の解き方を教えたり、時計を作って見方を教えてやるのが仕事なのです。部下の誰もが「1+1=2」を解けるような教育・原則の作成、つまり社内環境の整備や方針づくりなどが求められます。それが「間接的リーダーシップ」なのです

●直接的と間接的、どちらのリーダーシップも同じように大切です。そして経営者とは、その両方を兼ね備えていなければならないのです。

2008年01月18日(金)更新

誰を選ぶべきか

●「優秀な人材が優秀な部門にいる」。会社ではよくある話です。ですが仮に、一番優秀な人材を一番問題のある部門に異動させたら、どうなるでしょうか

●こんな例があります。かの名著『ビジョナリー・カンパニー2』(ジェームズ・C・コリンズ著 山岡 洋一訳 日経BP社)でもたびたび対比して紹介されている、「キャメル」で有名なR・J・レイノルズ社と、「マルボロ」でおなじみのフリップ・モリス社の話です。

●両社とも世界的に有名なタバコ会社ですが、実は経営力における格差は相当あり、フィリップ・モリスのほうが格段に上のようです。

●1960年代の初頭の話です。両社ともに売上高の大部分は国内(アメリカ)事業部のみによるものでした。その頃は、R・J・レイノルズがフィリップ・モリスより勝っていたそうです。
●やがて、両社とも国際事業を展開していくことになったのですが、当時の経営陣の意思決定が未来の命運を決めることになります。

●R・J・レイノルズの経営者は、当時のビジネスウィーク誌のインタビューで「世界のどこかにいる外国人が『キャメル』を買いたいというのなら、電話をかけてくればいいんだ」と答えました。
●つまり「欲しいのなら買いに来い」という姿勢です。これはトップの発言だけにとどまりません。事実、同社はしばらくそういった経営姿勢にのっとった販売戦略を展開していました。

●一方、フィリップ・モリスのCEOだったカルマンはどうしたか。当時、まだ1%に満たない国際事業こそが長期的な成長の宝庫とみていた彼は、そのための戦略を考え続け、ついにある結論に達しました。戦略として「何をすべきか」を考えるのではなく、「責任者として誰を選ぶべきか」を決めることが、自分の役目だと気づいたのです

●カルマンは、社内でもっとも優秀だったジョージ・ワイスマンに白羽の矢を立てました。全売上のうち99%を占める国内事業の責任者だった彼に、国際事業部を任せる決断を下したのです。

●当時の国際事業部は、名ばかりの不採算部門でした。当然、そこへの異動が決まったワイスマンは、最初は左遷だ、降格だ、と社内外で騒ぎ立てられましたが、カルマンはワイスマンを支援し続けました。

●その後、国際事業部はフィリップ・モリスでもっとも高い成長率を記録。最大規模を誇る部門になるとともに、看板商品の「マルボロ」はアメリカ国内市場よりも3年早く、世界市場で首位に立ったのです。この頃には、件の人事も「天才的なものであった」と評価されるようになりました。

●フィリップ・モリス社の話は、問題部門やお荷物整理に優秀な人材をあてるのがよい、という単純な話ではありません。今は不振でも、将来的に成長の見込みが高い部門には優秀な人材を当てるのが良い、ということです

社長の決断には「何をすべきか」だけではなく、「誰を選ぶべきか」もとても重要なのです
(参考:『ビジョナリーカンパニー2』ジェームズ・C・コリンズ著 山岡 洋一訳 日経BP社)
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ボードメンバープロフィール

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武沢 信行氏

1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。

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