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2011年09月09日(金)更新

相づちを我慢せよ

●相手を黙らせたかったらずっと無視するか、あるいはその逆に、「うん、そうそう」とヤケに軽く相づちを連発すれば良い。そうすれば、相手はやがて話をするのをやめるでしょう。
 
●営業の現場でも同じです。相手のお客さんから断られたければ、何を言われても関心なさそうに無視しているか、何を言われても「はい、はい、はい」と言いながら軽く相づちを打っていればよいのです。
 
●某月某日、ある社長から寿司屋にさそわれました。部下を連れています。
 
社長は私にこう言いました。
 
「武沢さん、ここにいるA君は私にとって期待の新人だ。新人とはいっても年はいってるがね。今年30かな。今日は武沢さんから直接仕込んでやってほしい。酒に説教に、両方ガンガンやってほしい」
 
●「へぇ、そうなの」と言いながら、自然なかたちで営業の話をはじめました。
 
A君が営業先で一番心がけていることは、お客様の話をとことん聞くことだそうです。それは間違ってはいません。
しかし私は、A君がウソを言っていると思いました。彼はお客さんの話をとことん聞くような人間には見えなかったのです。それどころか、お客さんのことなどあまり関心がないように思えたのです。
 
●その証拠は、相づちの軽さ。
 
私がまだ話しはじめたばかりなのに、「ええ、はい。はい。ええ」と、さかんに相づちを連発するのです。
「本当にあなたわかっているの?」と念を押そうとすると、私の言葉が消え去る前から「はい」と即答します。
 
これはきっと彼の「癖」なのでしょうが、まるで話をさえぎられたように思えるのです。これでは営業がうまくいくわけがありません。
 
●私は "新人君" にショック療法を試みました。
 
「ねぇ、あなた。仕事の話はもうよしましょう。握り(寿司)も出てきたことだし、あなたは仕事の話より食べることの方がいまは先決でしょ」
 
彼は、キョトンとしながらも
「え、そんなことはありません。お話しをうかがいたいです」といいます。
 
●そこで私は彼にこう忠告しました。
 
「あなたの聞く姿勢は、話を聞きたい人の態度ではない。人の話を全身全霊込めて聞く練習をすべきですよ。相手の話が終わるまで注意深く聞くこと。決して話の途中で意味を早合点してはいけないし、 "はい"とも "いいえ" とも言ってはならない。それどころか、同意を求められてもいないのに、話の途中でうなづくのもやめるべきだ」
 
● "新人君" は、その瞬間凍り付いたように固まりました。笑みも消えさりました。
 
私は続けました。
 
「相手のお客さんは、一人一人が固有の存在です。だから過去にあったどのお客さんとも人間とも違う人なのです。だからどのような考え・要望・問題をもっているのかは、あなたの過去の記憶のデータベースにはないと思うべきです。当然ながら、真剣に真剣に相手の話しを聞かねばならない」
 
●彼はさっきまでとはうって変わって相づちもなく私の話を最後まで聞いてくれました。たったそれだけのことで彼の好感度は倍増したのです。
 
「私の話を真剣に聞いてくれている」と私は感じるようになりました。
 
気分がよくなってきた私は、調子に乗って彼に助言をおくり続ける。
 
「会食中の話し合いだから大っぴらにノートをとるのは野暮だが、アドバイスをもらいながら何一つメモをとらないのは野暮以上の"失礼"にあたる。そんな時は、ポストイットか何かの小さいメモ用紙にメモするか、お手元袋の裏にメモするんだ。とにかくメモしていれば、相手はドンドンしゃべってくれる。相手が饒舌になればセールスは必定、うまくいく」
 
●彼は相づちと返事を我慢するというその一点だけで好感度が上がったのです。あなたの会社の営業マンはどうでしょうか?
 
質問上手になろうと、たくさんの質問をするのは結構ですが、答えを聞く姿勢がなっていません。人の話を真剣に聞く術(すべ)をもっと磨こうではありませんか。

 

2011年09月02日(金)更新

“脳”を良くする習慣

●少しずつ脳のメカニズムが明らかにされつつあります。それにつれて、私たちも脳(つまり自分自身)と上手に付き合っていく術がわかってきました。
 
「頭が良いという状態ではなく、脳が良いという状態をめざしたい。脳が良いと、知的能力だけでなく、運動能力や健康維持能力も高まるからだ。そのためのちょっとした習慣や考え方を利用すれば、誰だって何才からだって簡単に脳の良い人になれる」と説くのは、『バカはなおせる』の著者、久保田競教授です。
 
●著者によれば、脳にとって良い習慣と悪い習慣というものがあるそうです。脳幹のなかには腹側被蓋野(ふくそくひがいや)という大変重要な領域があり、ここが働くと「脳内麻薬」とも「やる気の源」とも言われる「ドーパミン」が分泌される。つまり腹側被蓋野が活発に働くようになるそうです。それが脳に良い習慣であり、その逆が悪い習慣となるというのです。
 
●昔からドーパミンは "やる気ホルモン" として注目されてきましたが、その好影響はそれだけでは済まないこともわかってきました。ドーパミンは、運動時のスピード、力、手足の器用さや俊敏さ、考える力や集中力、決断力、記憶力にまで良い影響を及ぼすことがわかってきたというのです。
 
●問題は、どのようにすればその腹側被蓋野がよく働くようになるかです。その答えが実にシンプルでうれしいものだ。
 
「快感を起こす刺激は全部脳に良い」というのです。
 
●サルを使った実験では、おいしいものを食べることが最高に脳に良いという結果がでたそうです。サルにとっての最高の報酬は食べ物ですが、人間にとって最高の報酬はお金ではないかと著者は指摘しています。
 
●また、スポーツの後、シャワーで汗をながしているときの爽快感はたまりませんが、実は、"何か行動をする"だけでも腹側被蓋野は働きだすともいいます。運動すること自体が脳にとても良いというのも新発見ですね。
 
●最新の脳科学原則による結論その1は、
「お金を得ておいしいものを食べて気持ちよいと感じることをやりまくる」ということが、脳が発達し、知力も運動能力も高まるという結論です。
 
●ではその逆の生活をおくるとどうなるか。
たとえば禁欲生活する。断食し座禅瞑想して頭も身体も動かさない、といったライフスタイルをおくると脳に良くないそうです。しかし、禁欲や断食によってかえって腹側被蓋野が働いて気持ちよくなる人もいるので、個人差があるのかも知れません。
 
●ここで、久保田教授は興味深い実験結果を紹介している。
 
サルに対して、キーを叩いたごほうびとして、腹側被蓋野を電気刺激してやる。サルはやる気が出て気持ちよいことだろう。そうしておいて、サルが空腹になる時間にエサや水をやる。その時、サルはどうするか? エサや水をとるか、はたまたキーを叩き続けるか?
 
「サルは、エサや水に見向きもせず、キーを叩き続ける」という結果がでました。
 
●一日に何万回もキーを叩き続け、空腹のはずなのに食べ物には興味も示さないという。サルにとって最高の報酬であるはずだった「食べ物」よりも上位次元にくる歓びがあったとは驚くばかりの結果ではありませんか。
 
●結論その2.
好きなことをやることと、体を動かすことをふだんの生活に取り入れること。
 
●結論その3.
生活習慣病は脳にひどく悪いダメージが及ぶ。脂肪が気になりだしたら低カロリー食をおいしく食べ、軽いジョギングなどの運動習慣を取り入れよう。それが脳をリフレッシュさせるといいます。

 

2011年08月26日(金)更新

師から弟子に

●江戸時代後半、明治維新の原動力となる若ものたちが各地で育ちました。各藩の公式学校とでもいうべき藩校はもちろん、私塾も人気でした。吉田松陰の「松下村塾」、緒方洪庵の「適塾」などが有名です。
 
●蘭(オランダ)医者だった緒方洪庵が大坂でひらいた「適塾」には12箇条よりなる訓戒がありました。その一条めが次のように、まことに厳しい。
 
「医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。ただただ自分をすてよ。そして人を救うことだけを考えよ」
 
●250通以上残っている洪庵の手紙の多くにも「道のため、人のため」と結ばれています。
 
もともと医師を志す若者を集めていたのでこのような訓戒が真っ先にきているのですが、やがて「適塾」の評判は日本中に広まりました。
なにしろ西洋学を志す人材が全国から1,000人も集まるようになっていくのですからネット社会の今ならケタ違いの数字になるはずです。
記録をみるだけでも、橋本左内、大村益次郎、箕作秋坪、大鳥圭介、福沢諭吉などなど、そうそうたる人材が適塾で育っていったわけです。
 
●「適塾」がなぜこれほどまでに人気を集めたのでしょうか。
 
人間・緒方洪庵の徳の高さもありますが、自由競争の魅力が若者を刺激したとも言われています。
「門閥制度は親の敵(かたき)でござる」と福沢が言い続けたように、身分や家柄を大事にする江戸時代にあって、「適塾」には身分などまったく関係ありません。自由な空気にあふれ、学問の実力だけが問われました。塾生たちは、喜びと興奮をもって学問を楽しんだことでしょう。
 
●「適塾」の新人塾生は、まず8級からスタートします。最初は語学(オランダ語)を学び、月に6回、「会読」と言って何人かが集まって蘭書を訳します。その出来不出来で学力を競い合い、等級がつけられるのです。
 
一級が一番上なのですが、各級ごとに「会頭」が設けられ、塾生全部を代表して「塾頭」を設けていました。実力が一目瞭然に分かる仕組みが若者を刺激したことでしょう。
 
●「適塾」は幸いにも現存します。
大阪市中央区北浜三丁目に重要文化財として公開されているのです。「適塾」はその後、発展解消して今の大阪大学になりました。
 
●「これ以上できないというほどに勉強もした。目が覚めれば本を読むという暮らしだから、まくらというものをしたことがない」と明治になって福沢諭吉が語っています。
 
入塾した年、諭吉はひどい腸チフスにかかって高熱にうなされました。命取りにもなりかねない症状だったのを見かねた洪庵は、「俺はお前の病気をきっと診てやる」と多忙な合間をぬって、毎日診察しました。これは諭吉青年にとって終生の思い出として語られることになります。
 
●洪庵にとって「道のため、人のため」は単なるスローガンではなかったようです。
生きた実践哲学ともいえるもので、弟子の高熱を治すために真剣に診療する洪庵の姿をみながら、諭吉たちも「道のため、人のため」を学問の目的にしようと固く決心したに違い
ありません。
 
師から弟子へ、親から子へ、上司から部下へ、経営者から社員へ・・。
 
受け継がれていくべき精神とはこういうものではないでしょうか。
 
★適塾 http://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/about/tekijuku
    http://www.geocities.jp/general_sasaki/tekijuku-ni.html

 

2011年08月12日(金)更新

三人のコーチ

●某月某日、オフィスでビールを飲んでいました。
 
18時から21時まで、アポ不要。自分のアルコールかソフトドリンクとおつまみをご持参ください、というオープンオフィスイベントの日なのです。
 
●始まって間もないころ、ある販売会社のA社長が来られました。
 
「武沢さん、ちょっとご相談があるのですが、今よろしいですか?」
 
私は他の来客者にも目で確認しながら、「はい、この状況でもよろしければどうぞ」と言いました。
 
A社長はウーロン茶で口を潤し、おもむろに話し始めました。
 
●偶然ですが、同席したのはマーケティング関係のコンサルタントばかり3人。皆、だまってA社長の長い長いお話を最後まで口を挟まず聞きました。
 
彼の、相談というより状況説明は15分ほど続いたでしょうか。コンサルタントは我慢強く、表情も変えずに、相手に最後まで気持ちよく語ってもらう仕事です。とは言え、相談内容がどこにあるのか分かりづらい話を15分聞くのは相当な辛抱が必要でした。
 
●「・・・・・・・という訳ですので、ご意見をお聞きしたいのですが」とA社長。
 
要するに、ある輸入製品を売りたいのだが日本ではまだ市場がない。しかも自社は代理店の下の位の販売店という立場。できれば正規代理店になってメーカーと直接取り引きもしたい。だが、今の代理店とケンカはしたくない。どのような優先順位で行動すべきだろうか?ということのようです。
 
●この話を聞いていた3人が順に意見を述べていきました。
面白いことに全員の意見が異なっていたのです。
 
・一人目の意見。
あなたの「絶対成功する」という信念は大切だが、特定商品への思い入れだけが強いのは危険だ。
"市場に聞け"ということばがあるように、まずは営業活動に出向くことだ。その製品で売上げや利益を確保できるという見通しが持てるようになることが最優先の課題ではないだろうか。結果次第では、その製品ではダメだと結論づける事だってあり得る。決めるのはお客だ。
 
・二人目の意見。
気の毒だが日本での成功は大変むずかしい製品だと思う。今のあなたの話を聞いて、私自身が消費者になりたいとは思えなかった。お客のゴリヤクが何なのかを分かりやすく語れるようになることが、あなたの一番の優先順位ではないだろうか。また、今まで日本でこの製品がなぜ売れてこなかったのかをもっと調べることも大切だ。もっと冷静になって、あなたにふさわしい他の製品をさがした方がよいと思う。
 
・三人目の意見。
ユニークという意味でとても面白い製品を見つけてきたと思う。簡単に売れるとは思わないが、ある程度の市場が日本にもあるように思う。僕だったら、すぐにそのメーカーにアポをとって外国に飛ぶ。そして、こちら側の熱意とか希望を伝えに行く。メーカーの熱意も聞いてみたい。そして、安心して日本国内での販売活動が続けられるような供給体制やアフターサービスなどを確認し、販売計画をメーカーと共有してくる。
 
●三人目は売れると言い、二人目は売れないと言い、一人目は市場(お客)に聞けと、それぞれが違うことを述べています。
未知の商品だけに悩ましいところですが、私はこのときのAさんの態度が相談者として好ましいものではなかったと感じました。
 
●助言に対して議論してしまうのです。Aさんはこの製品を愛しているのでしょうが、自分にとって好ましい意見には耳を傾け、好ましくないものには反論する、という態度では他人の助言を冷静に聞くことができなくなります。
 
●しかしコンサルタントの三人はコーチング的なメソッドを持ち合わせていました。
 
誰一人感情的にならず、最後には彼が明日から何をすべきかを焦点を絞るための質問を発していったのです。
売れると思うか、売れないと思うか、という相談には主観で回答するしかありませんが、明日からどうすべきかという相談であれば質問で回答できるのです。
 
質問に答えながらA社長が自分で自分のことが分かってくる、それがコーチング的なメソッドなのでしょう。A社長にとって、お得な30分になったはずです。
 
 
 

2011年08月05日(金)更新

インディの銃

●ひとたびメガフォンを持てば子供のように無邪気に映画撮影に興じた黒澤明監督も撮影現場に行くまでは布団から抜け出るのが苦手だったようです。
 
「やる気が起こらない、サボりたい、なんて誰でも思うことさ」という言葉を残しているのです。しかもこんな言葉まで。
 
「ロケ先の宿屋で朝起きるとカーテンから首を出して "雨降ってたらいいな" なんてしょっちゅう思うよ。でも否が応でも現場に行けば、夢中になっちゃう、そんなもんだよ」
 
●この夏は節電の影響でどこもエアコンの設定温度が高くなっていますが、あなたは夏バテしていませんか。もし体調が悪ければ、無理してでもがんばろうとせず、思い切って臨時休養するか、もしくは体調が悪いなりの仕事をしたほうがよいでしょう。
 
●映画スターだって風邪をひきます。高熱で寝込んでしまうときもあるでしょう。そんなとき、ロケ地ではどうしているのでしょうか。
 
『インディ・ジョーンズ/失われたアーク』でハリソン・フォード演じるインディが、カイロの街中で恋人を追う場面があります。この収録の日、実は主演のハリソンはウィルス性胃腸炎にかかっていて、体調は絶不調だったそうです。
 
●監督のスピルバーグは迷いました。
「どうしよう。ハリソンを休ませるべきか? でも撮影を遅らせたくない」
 
その日の収録は、ハイライトシーンの一つとなる場面が撮られる予定でした。台本ではインディがムチを駆使して大刀を持つ敵と激しくバトルすることになっていたのです。
クレイジーな表情で大刀を振り回しながら迫ってくる悪漢。しかし、我らがインディには有名なムチがあります。だれが観ても、大刀対ムチの壮絶なバトルを予想する場面です。
 
●ところが肝心のハリソンの体調が悪いことから、スピルバーグは現場で急きょ台本を変えました。
体調に配慮してバトルをやめさせ、拳銃で相手を撃たせることにした。これがかえって観客の期待をはぐらす名場面として映画の評判を高めることにもなったそうです。
 
●できるものなら、いつも心身ともにベストコンディションで仕事をしたいもの。しかし、そうでない時だってあります。そんな時にはそんな時のやり方をみつけるのがプロなのでしょう。インディがムチではなく、珍しく銃で相手をやっつけたことから「インディの銃」としてこの教訓を胸にしまっておきましょう。

 

2011年07月29日(金)更新

良寛さんが嫌ったもの

●「ステレオタイプ」(英: Stereotype)は社会学の用語で、「紋切型態度」と訳される。印刷のステロ版(鉛版)印刷術が語源で、判で押したように同じ考えや態度や見方が、多くの人に浸透している状態を言う。
 
●「お前も悪よの~」という代官はいかにも狡猾な悪代官のイメージがあるし、そう言われて声をかみ殺して卑劣に笑う悪徳商人にも特有のイメージがある。
 
白衣を着せたら医者か学者らしくみえるし、年輩の女性にヒョウ柄か虎柄のシャツを着てもらい、飴でもなめてもらったら、不思議なことに関西のおばちゃんらしくみえてくる。
こういうのを「ステレオタイプ」とか「紋切り型」という。
 
●江戸時代の僧侶・良寛(りょうかん)は「紋切り型」なものとして、次のものをあげ、いずれも大いに嫌った。
 
・詩人がつくる詩
・書家がかく書
・料理人がつくる料理
 
●さらに良寛は、次のものも嫌った。
 
悟りくさき話、学者くさき話、茶人くさき話、風雅くさき話、作為的な香りがするもの、もっともらしいもの、など。
今風にいえば、ウンチク話や教訓めいた話、説教などを嫌ったのだろう。
 
●「おいしいね、このワイン」といえばそれで充分なのに、
 
「さすがボルドーのビンテージだね。特にこれはカベルネ・フランの方だから、ソービニヨンより丸みと繊細さが同居してるのが分かるよねぇ。特に2000年のボルドーは当たり年でね、ちょうどその年に僕は友人を誘ってブルゴーニュからボルドーのワイナリーを回ってた時なんだよ。それでね・・・。」
などとやられた日には、せっかくのワインがまずくなる。
 
●「ステレオタイプ」「紋切り型」「もっともらしい」ものはまだまだたくさんある。
 
・講演家の講演
・ギタリストのギター
・プログラマーのプログラム
・建築家の建築
・マンガ家のマンガ
・デザイナーのデザイン
・コンサルタントのコンサルティング
・MBA理論の経営
 
・・・etc.
 
プロといわれるものの多くは、自然と紋切り型になりがちだ。
 
●これらはすべて良寛さんなら嫌うだろう。あえて、「らしくない」ものを目指そう。
本質的なものは形にとらわれない。常識に固まらない。スタイルを固定しない。
 
 

2011年07月22日(金)更新

寧静致遠

●北京、紫禁城(しきんじょう)。
中国の歴代皇帝がこの広大な敷地と膨大な数の建物群を住処とし政務を執り行い、ラストエンペラー溥儀(ふぎ)の代まで使われてきました。
その後、故宮(こきゅう)と名を改め、天安門をくぐって入る北京屈指の観光名所になっています。
 
●あるときここを訪れた私は、紫禁城内のイベントコーナーで書家の方々のパフォーマンスに出くわしました。希望すれば好きな言葉をその場で書いてくれ、掛け軸などに表装してくれるサービスもあるのです(二万円程度)。
 
●私もさっそくお願いしてみました。どんな言葉を書いてもらおうか、いろいろ迷ったあげく、「寧静致遠」をリクエストしました。"ねいせいちえん"と読みます。
 
これは、かの諸葛亮孔明が息子に書き残したことばです
 
「澹泊明志 寧静致遠」(たんぱくめいし ねいせいちえん)というもので、正確には次のとおり。
 
・・・
誡子書
 
夫君子之行 静以修身 倹以養徳
非澹泊無以明志 非寧静無以致遠
夫学須静也 才須学也
非学無以広才 非志無以成学
滔慢則不能励精 險躁則不能冶性
年與時馳 意與歳去 遂成枯落
多不接世 悲守窮盧 将復何及!
・・・
 
「それ君子の行ひは、静を以て身を修め、倹を以て徳を養ふ。澹泊(たんぱく)にあらざれば、以て志を明らかにすることなく、寧静にあらざれば、以て遠きを致すことなし。それ学は須く静なるべく、才は須く学ぶべし。学ぶにあらざれば、以て才を広むるなく、志あるにあらざれば以て学を成すなし。
滔慢なれば則ち精を励ますこと能はず、険躁なれば則ち性を治むること能はず。年は時と与に馳せ、意は日と与に去り、遂に枯落を成し、多く世に接せず。窮盧を悲しみ守るも、将た復た何ぞ及ばん。」 
 
●「澹泊明志 寧静致遠」
 
「我欲が強くては志を保つことはできない。一心に努力しないと遠大な所には到達できない」という意味になります。
 
この書を額装し、掛け軸にしてもらいました。今、私のオフィスにこれが掲げられ、私を見張ってくれています。
 
 
 

2011年07月15日(金)更新

熱狂する社員

●給湯室で社員同士がおしゃべり。
 
A子:「ねぇねぇ、夕べのあのドラマ見た?」
B子:「あ、あれでしょ、見たよ。すごいねえ。あれってさあ・・・」
たまたまそこに通りかかったC課長が、「君たち、何してるの。さっき休憩時間が終わったばかりじゃないか。勤務中の私語は慎みなさい!」
 
A子、B子:「は~い、すみません」
こんな様子で仕事にもどったとしても良い仕事ができるとは思えません。いついかなるときでも「私語や勝手な休憩は禁止」で良いのでしょうか。
 
●昔、私は人事部で働いていたことがあります。先輩にむかって「これからは社員のモティベーションを高めることが重要だと思います」というようなこと言ったときでした。
 
先輩はこう言いました。
 
「いいか、武沢。そもそも企業というところは社員のモティベーションに期待するようではいけないんだ。モティベーションが高かろうが低かろうが、誰がやっても同じような仕事ができて、同じような結果が出るようにすることが仕組みの力だ。これからは仕組みの勝負なんだ」
 
●「じゃあ人事部は何をするところですか?」と聞いても先輩は口ごもって教えてくれませんでした。
たしかに先輩が言うことにも一理あるとは思います。もともとやる気には個人差があり、個人差があるものに依存していては一定の成果が出ません。最初からそれに依存しないほうが良い、というのも分からぬでもありません。
 
●しかし、今や画一的な生産やサービスが行われれば良い時代は終わりました。一人一人の仕事が高度化し、高いコミュニケーション力や臨機応変の対応力が問われる時代なのです。社員の仕事はプロ化し、モティベーションは高くなければならないのです。
 
●『熱狂する社員』(デビッド・シロタ著、英治出版)という本があります。これは、情熱にあふれた社員を作るための本なのですが、それによれば、情熱的な社員が働く会社は調査全体の企業の13.8%に過ぎないそうです(1972年以降最近までの米国における調査)。
日本でも上場企業の20~30才代の4分の3が無気力を感じ、2分の1が潜在的な転職願望をもっているといいます(2005年野村総研調査)。
つまり、米国でも日本でも社員が情熱的な会社は少数しかないということでもあるのです。
 
●なぜそうなるのでしょうか。
 
会社も社員もそれを望んでいるはずなのに、なぜモティベーションが上がらないのか?
 
それは、無気力な社員が悪いのではなく、会社が社員をそのようにしてしまっていると考えられています。社員は一度でも「この会社を辞めたい」という選択肢が芽生えると、仕事中、時々その考えが思い起こされるようになり、やがて頭の片隅にいつもある状態になります。そうなってしまうと、仕事の成果はいちじるしく低下していきます。
 
●『熱狂する社員』では、モティベーションの三要素として、
 
・いかに公平感を感じるか
・いかに達成感を感じるか
・いかに連帯感を感じるか
 
をあげています。
「公平感」「達成感」「連帯感」。それぞれの要素でプラスになることや妨げになることは何なのかを考え、手を打っていく必要があるのです。
 

2011年07月01日(金)更新

捨てる

●司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』の主人公は、秋山好古・真之の兄弟と正岡子規。いずれも松山出身の若者たちで、彼らがある分野で近代国家・日本を切りひらいていく明治時代の物語である。
 
●子規は若くして結核にたおれたが、近代俳句の世界を切りひらいた。
また、秋山兄弟は兄が陸軍で栄達し、日本騎兵の父といわれるにいたった。弟・真之は海軍の連合艦隊の作戦参謀として東郷平八郎に仕え、ロシアのバルチック艦隊をやぶる作戦を考案した。
 
●兄の好古はいつも身のまわりを簡素に保った。
それは、一大事があったとき身のまわりが複雑であっては行動がにぶくなる。
ひとり暮らしをしていた兄を訪ねた真之は、一緒にごはんを食べたくても茶碗がひとつしかないことに閉口する。兄がその茶碗で酒を飲み干すのを待ってからメシを茶碗によそって食う。弟がメシを食い終わるのを待ってその茶碗で兄が酒を飲む。
 
●そうしたエピソードをたくさんもつほど、兄はシンプルにこだわった。
 
「家を出て出家するのはむずかしいことではない。むずかしいのは、出家したあと寺を出ることだ」と江戸時代の僧侶:慧薫風外(えくんふうがい)は語った。
 
●修行僧(雲水)は、師を求めて寺を渡り歩く。「これぞ!」という師に巡りあうことができれば、そこで修行を続ける。
あいにく悟りが得られないまま師に見限られてしまえば、別の師をもとめて旅に出ねばならない。こちら側で師を見限るときだってある。そんな時もやっぱり旅にでる。
 
●ところが、一度入った寺を出るのがなかなか大変らしい。悟りもひらけず、師を見限ることもできないまま、人間関係と義理人情がからんで、思い切り悪くひとつの寺に居つづけてしまいがちだという。
 
●私はこの話を聞いて、ビジネスも一緒だと思った。慧薫禅師の言葉をビジネスに応用すれば、こうなる。
 
「起業するのは難しくない。難しいのは、起業したあとでも会社を起業的に保つことだ」
「会社を軌道に乗せるのは難しくない。難しいのは、軌道に乗せた仕事をさらに発展させることだ」
 
●シンプルかつ身軽でいることが一番である。余分なものは捨てなければならない。目的を決して忘れず、目的に関係しないものは潔く捨てるのだ。
 
それは目にみえるものだけでなく、義理人情のたぐいの人間関係のしがらみもなるべくシンプルに保っておこう。
 
 

2011年06月24日(金)更新

龍樹というひと

●むかしむかし龍樹(りゅうじゅ)というインドの若者がいました。
彼は大変に煩悩の強い人で「愛欲が人生の一番のよろこびだ。だからたくさんの女性と交わることこそ人生の幸福だ」と考えました。いや、考えただけでなく龍樹はそれを実行したのでした。
 
●大変頭が良かった龍樹は秘術をマスターし、みずからの身を隠す術を覚えました。そして王が暮らす宮廷に忍び入り、夜な夜な愛欲のかぎりをつくし、宮女たちを妊娠させていきました。
やがてそれが発覚し、龍樹の仲間は殺されてしまいました。龍樹ひとり命からがら宮廷を脱出したという話が仏典のなかに出てくるそうです。
 
●要するに龍樹とは愛欲におぼれる若者だったのですが、そんな彼が後に、ものすごく立派な仕事をなしとげ、仏教史に名を残すのですから人間は分からないものです。
 
龍樹(りゅうじゅ)とは、煩悩、とくに愛欲や性欲が強いゆえにそれにおぼれ、苦しみました。その苦しみから逃れたくて仏教に興味をもち、やがてその龍樹が「空」(くう)を生みだし「大乗(仏教)八宗の祖」とまで言われるようになるのです。
 
●ちょっと考えてみたいのですが、「性欲は強いが食欲は乏しい」とか、「物欲は盛んなのだが性欲はない」というようなことは、本来、矛盾した話でしょう。
「性欲」とか「食欲」とか「物欲」など、それぞれの欲がどこかで単独で存在するのではなく、どんな欲だろうが源は「生命エネルギー」ひとつだといわれています。ただ、エネルギーのはけ口が違うだけなのです。つまり我欲や煩悩がつよい人は、エネルギーが強いわけですからそれを上手にいかせばよいのです。
 
●ということは、欲とのつきあい方を再検討していく必要がありそうです。
 
どのような欲(煩悩)であろうとも、それを打ち消そうとするのが小乗仏教の考え方で、初期の仏教(小乗仏教)では煩悩を断ち切るための修業や隠遁生活をしました。
 
●しかし、本人の独りよがりでおわってしまう小乗仏教ではなく、悟りを世に広め、人を救うために修行しよう。その結果、自らも救われるという大乗仏教がおこりました。その創始者が龍樹なのです。
 
●そこで考案されたのが「六波羅蜜」(ろくはらみつ)の教えでした。生命エネルギーをしぼませることなく、積極的に意味あるものに使おうという教えでもあります。
六波羅蜜とは六つのことを自分に課すものです。
 
それは、
1.布施(ふせ)
2.持戒(じかい)
3.忍辱(にんにく)
4.精進(しょうじん)
5.禅定(ぜんじょう)
6.智慧(ちえ)
 
の六つです。
 
●「布施」とは、人に施すこと、「持戒」とは、戒律を守って生活をすること、「忍辱」とはたえしのぶこと、「精進」とは努力を惜しまぬこと、「禅定」とは座禅を組むこと、「智慧」とは自分の頭ではなく仏の教えに導かれて行動すること。
 
●とくに我欲の強い人は積極的に人に「布施」することによって執着から離れようとトレーニングします。
誘惑に負けやすい人は、「持戒」つまり、戒律を守ることを自分に課して気分に流されない自分を作っていきます。怠けやすい人は「精進」つまり、仕事に励むことによって怠け心に打ち勝ちます。
 
●個人でも会社でも目標を作ることは簡単なことです。しかし、その実現にむけて自らを律していくことは簡単ではありません。
 
だからこそ、「六波羅蜜」のようなシンプルなトレーニングを課して自己成長をはかり、目標を手に入れるにふさわしい自分をつくっていけば、おのずと目標が向こうからあなたの方に近寄ってくるということなのでしょう。

 
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ボードメンバープロフィール

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武沢 信行氏

1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。

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