武沢信行の「社長の学校・事始め」 | 経営者会報 (社長ブログ)
社長業を極めるためのカリキュラムについて、「日本的経営のリニューアル」という視点から紹介します
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2010年06月11日(金)更新
藤樹先生
●藤樹は、1608年生まれ。江戸時代が始まって5年後の生まれで、侍は武芸に励むのが常識とされた時代にあって、学者・教育者の道を歩みます。
のちに「日本の陽明学の祖」、「近江聖人」と言われるにいたるきっかけは幼少時の読書にありました。
●藤樹少年は単なる早熟な子供ではありませんでした。その後の成長ぶりがまたすさまじいのです。
そのあたりを物語る逸話として、内村鑑三著『代表的日本人』にあるエピソードからご紹介しましょう。
●脱藩して親孝行した藤樹
27才のとき、生家の母への孝養を名目に帰国を願い出るが許されず脱藩。藩主よりも母に尽くす道を選ぶにあたっては、相当悩んだようで家老に次のような手紙を書いています。
「二つの道のいずれをとるべきか、心の中で慎重にはかりました。主君は、私のような家来なら手当を出すことで、だれでも召し抱えることができます。しかし、私の老母は、こんな私以外にはだれも頼る者がいないのでございます。」
●母のもとにあって藤樹は心安らかではありましたが、母を慰めるものはなにもなかったといいます。家に帰り着いたとき藤樹がもっていたお金は百文でした。
(武沢註:4,000文が一両、一両が8万円とすると、藤樹が持っていた百文とは今の価値でわずか2,000円となります)
●その金で少しの酒を仕入れ、みずから行商人となってそれを売り歩いてわずかな日銭を手にしたといいます。また、「武士の魂」といわれた刀まで売って銀10枚を手にし、その金を村人に貸してわずかな利子でつつましく生計を維持したというから涙ぐましいですね。
しかも藤樹の金貸しは高利貸しではなく、人助けの低利貸しだったと言いますから「聖人たらん」という志の実践者といえましょう。
●翌年28才になって江戸時代の最初の私塾ともいわれる学校を開設しています。真の学者とはどういう人かと聞かれて藤樹はこう答えています。
「“学者”とは、徳によって与えられる名であって、学識によるのではない。学識は学才であって、生まれつきその才能をもつ人が、学者になることは困難ではない。しかし、いかに学識に秀でていても、徳を欠くなら学者ではない。学識があるだけではただの人である。無学の人でも徳を具えた人は、ただの人ではない。学識はないが学者である。」
●学者とは学識がある人ではなく徳がある人のことである、とは、まさしく卓見です。
学識経験者や学校エリートが国や行政を動かしていてはうまくいきません。藤樹が言う
"学者"が政治や経済のリーダーになる世の中を作りたいものです。
●ちょうど日本の政治も新しいリーダーを担いだばかり。
今の政治家の中に藤樹先生が認める"学者"が果たして何人いるか、ということです。それを嘆くだけなら誰でもできますが、自らが学者たらんと決心し、行動することの方が大切であることは言うまでもありません。
2010年06月04日(金)更新
修羅場をくぐる
●救急車で運び込まれたのは循環器系では日本有数の病院でした。しかも当直医が循環器の医師でした。適切な処置がすぐになされたため、初日のヤマは越えました。ですが予断を許しませんでした。
●その後、実に12日間にわたって昏睡状態が続きました。その間、妻や長男が病院に呼ばれ、海外に留学していた次男も緊急帰国しました。
集中治療室の照明のまわりに蝶々がとんでいます。
ぼんやりとした意識の中で、「へぇ、最近の病院は顧客満足のためにこんなサービスもはじめたんだ」と思いました。幻覚をみながらそんなことを考えるのがS社長らしいところです。
●12日後、意識が戻ったとき看護士さんがベッド脇で歓声をあげました。
「あ!生きてる、奇跡だ」
かけつけた担当医までもが、
「よく助かったなぁ」
と言っています。
そんな会話が聞こえるということは、どうやら助かったらしいのです。
●話したいことがある、聞きたいことがある、ですが、すぐには会話ができませんでした。家族や医師と会話するための文字板を押そうとしても目的の文字を指せず、自分の親指ばかりを押しています。筋肉が弱っていて反応してくれないのです。
●「床ずれ」もひどい。皮膚の表面はカサカサに乾燥し、ベッドで足をトンとさせただけでそこから出血します。
人間の体って、食べることと運動することで維持できていたことを今さらながらに思い知りました。
●翌月になってS社長は退院し、長男の結婚式にも間に合いました。
本当に奇跡的な生還と退院でした。その病院で一年に一度使うことがあるかどうか、といわれる人口心肺機をつかいましたが、この装置をつかって退院できる人は少ないらしいのです。
●見舞いに訪れた私に向かってS社長はこうつぶやきました。
「たけちゃん、もう10年前になるかなぁ、あなたに言われて新卒の学生を採用しはじめたが、今、彼らが居てくれるから会社は支障なくやれている。彼らとかみさんのおかげだ。今ごろになって感謝しているようじゃ遅いけどね、ハハ。ぼくは信仰心は薄いほうだが、今回の件では、自分が助かったというよりは、何かに助けられたとしか思えないんだ。この命のつかいみちがまだあるのだぞ、と教えられた気分だよ」
●大好きな酒もゴルフもやれなくなったS社長ですが、生きるということの価値と重みを実感する毎日が始まっています。
修羅場をくぐった人は強い。
経営者を大きくさせる要素に、倒産(の危機)、入獄(の危機)、死(の危機)の三つがあると言われています。
闇から出てきて光のありがたさを知ったS社長の新たな経営者人生がスタートしたのです。
●以前から読書好きなS社長でしたが、今回の出来事があってから読書量は10倍になったそうです。
私がプレンゼントした吉川英治の『三国志』(講談社文庫)全八巻もわずか二日で読んでしまうのですから、以前より集中力が増したのかもしれません。
2010年05月28日(金)更新
知恵のみを追う
小さい志ではなくて、大きな志をもつことをクラーク博士は説きました。クラークさんに言われるまでもなく、日本でも江戸時代の儒学者・貝原益軒は次のように述べています。
「志を立つるは大にして高きを欲し、小にして低きを欲せず」
●洋の東西を問わず、先人たちは後輩にむかって「大きな志を持て」と教えるのはなぜでしょうか?
それは困難なことだからです。むしろ、けがれの少ない若者こそ大志は抱けるが、大人や老人になるとだんだんそれができにくくなるのかもしれません。
●ルソーにいたっては、人間の欲望はいつまでたっても肉欲だと次のように皮肉っています。
「十歳にしては菓子に動かされ、二十歳にしては恋人に、三十歳にしては快楽に、四十歳にしては野心に、五十歳にしては貪欲に動かされる。いつになったら、人はただ知恵のみを追うて進むのであろう」
●大きい志とは、"業界初"とか、"日本一"とか、"世界一" などの相対的なものであってはならないでしょう。ライバルが失敗すれば自社が得するような目標や志であってはうまくいきません。
ルソーが言う「知恵」のみを追う生き方をしたいものです。知識ではなく知恵を求める行為には合格もなければ終わりもないのです。
●会社経営にとっての「知恵」とは何でしょうか?
最近は品質問題で叩かれ、社長自ら米国の公聴会によばれたトヨタ。途中、きびしく追及される場面もありましたが、委員長自ら「あなたが自分から進んで来たという事実に私が感銘を受けたということを知ってほしい」と述べ、日本の自動車メーカーのトップに敬意を払いました。
企業の責任を負うためには真実を明らかにせねばならない。そのためならば、世界中どこへでも出かけていくという経営者の姿勢が功を奏したようです。
●そのトヨタから国民の大衆車の定番・カローラが出たのはまだ40年ほど前のこと。当時のトヨタは、収益でも財務でも人材でもノウハウでもとても世界の自動車メーカーと太刀打ちできるほどの会社ではありませんでした。
その後、半世紀にも満たない年月で世界有数の企業になった原因は、会社全体が知恵を求めたからではないでしょうか。野心でも貪欲でもなく知恵を求めたから、カイゼンがくり返され、世界屈指の自動車メーカーになったのだと思います。
●企業にとって知恵を追う生き方とは、経営理念や経営哲学を追求する生き方であり、それが、業績面にも直結してくることを社員に教えるのが経営者の大切な仕事なのです。
業績や結果ではなく、知恵を求めましょう!
2010年05月21日(金)更新
家康の強運
なにしろ相手が悪い。川中島で上杉謙信と幾たびも交戦し、戦上手この上ない日本を代表する屈強武田軍団なのですから。
とにかく家康は馬上で脱糞しながらも、ほうほうの体で逃げ伸びました。
●家臣にも笑われるほどの惨めな姿で城に戻った若き家康は、そのあとが立派でした。この敗戦を教訓にするため、自分のみじめな姿を絵師に描かせているのです。トップとして、なかなかできることではありません。
★家康敗戦の絵 http://www.hamamatsu-navi.jp/shiro/history/002.html
●この敗戦が忘れられぬ家康は、後々になっても「負けを知らない人はよろしくない。私の場合、三方原で・・・」というようなことを周囲に語っています。
余談ながら、家康はこの敗戦でかえって有名になります。天下の“赤具足”武田軍団に真っ向から立ち向かった若武者がいると全国にその名を轟かせるわけですが、家康という男はこのころから強運の持ち主だったのでしょう。
●さて、「運」といえば先日、数人で居酒屋に行きました。その中にいた初対面の20代後半とおぼしき男性ビジネスマンが私に向かってこう言いました。
「武沢さんって、経営の秘訣をメルマガに書いてるの? へぇ、どんなこと書いてるの? オレが思うに、経営者ってまず運が大切だと思うの。こう見えてオレも相当なツキ男。だって付き合ってるやつら、みんな明るくて幸せそうだし、自分的にもまずまずハッピーだし。ま、不運そうなやつが寄って来たらこっちから逃げるけどね、ハハハ。この前も失敗している同級生から電話がかかってきたけど居留守使っちゃったもの。たしか、松下幸之助さんも運の良い人と付き合えみたいなこと、言ってるじゃん」
●残念ながら、この人は運というものについて表面的な理解しかしていないように思います。まずは、そのタメグチを改めることが大切でしょう。
ともかく、負けや失敗を周囲から排除するから運がよくなるのではない、と私は思うのです。どれだけ沢山の失敗や挫折、それに不遇というものを知っていたり、体験しているかということが、人間の深みにつながるのではいでしょうか。
●成功しか知らない人(そんな人はいないと思いますが)や、成功することしか興味がない人(こういう人は多い)は、他人の感情や心の痛みが理解できなくなりがちです。そういう経営者では良い会社は作れないと思います。
●哲学者ヴィトゲンシュタインは、「人間の偉大さを測る尺度は、その仕事に支払った犠牲の多寡である」と述べています。この言葉を引用しつつ、評論家の森本哲郎氏はこう語っています。「犠牲を支払えばだれでも後悔するだろう。しかし、その後悔が偉大さを生むのだ。だから、私のモットーは宮本武蔵とは逆である。『我、事において、常に後悔す』」。
●家康の大敗戦に学ぶように、私たちも負け、失敗、犠牲、後悔、不運、不遇といったものを避けるのではなく、それらの上に成功や偉大さが成り立っていると考えみてはどうでしょうか。
2010年04月16日(金)更新
働きやすいとは
ともに働きやすさを追求しているという点でも共通しているそうで、ともに頭文字がRであることから「RからRへ」に転職や引き抜きが行われることもあるとか。
●ドラッカーが言うように、ホワイトカラーの時代のスタッフは、会社や上司に妥協や気兼ねして働くよりも、自由に働かせてくれるところを選ぶようになります。
当然、経営者は、給料や休日、勤務時間といったハード面だけでなく、仕事のシステムや会社の環境といったソフト面も含めて待遇改善を計っていく時代なのです。
●私の場合、ニューヨークやロサンゼルス、上海、香港といった活気がある街が好きで、そこに居るだけでテンションが上がってくるような気がします。実際、上海には4年ほどオフィスを借りて仕事をしたこともあります。そうした物理的環境も働きやすさに大きな影響を与えるでしょう。しかし最近は、空気の悪いアジアよりは東京の方が好みなのですが、ここでは余談。
●働きやすいということは生活しやすいということと密接な関係があるようです。米国のシリコンバレーのベンチャー企業では、人材こそが最高の経営資源であり、人材確保と定着が重要な経営課題にあげられます。一部の有名企業では、人もうらやむような環境が社員のために用意されています。
●「我社は、社員が働きやすい環境をつくります」という方針を掲げる企業では、それを具体化せねばなりません。
まずは、ハード面とソフト面から「働きやすい環境」というものを定義していきましょう。そのためには、今いる社員にフリーアンケートをとれば良いでしょう。
「将来こんな会社になったらいいなアンケート」というもので、自由に希望を書かせるのです。えっ!と驚くような奇抜な答えが含まれていることでしょう。
・24時間使えるジムを作ってほしい
・小さい子供を会社で預かってほしい
・会社でランドリーサービスの受付をつくってほしい
・シャワールームか風呂を作り、ロッカーも自分専用がほしい
・(酒を適量)飲みながら仕事したい
・本代はすべて会社経費でまかなってほしい
・社員食堂のメニュー充実と費用の無料化
・社内のドリンクやフルーツの無料化
・大学か大学院または専門学校やビジネススクールへ通わせてほしい
・勤続表彰は、3年単位で好きな国へ一人で行かせてほしい
・勤務時間内で自由研究の時間をとらせてほしい
・自分の配属先は自分で決めさせてほしい
・自分の上司(部下)は自分で決めたい
・・・etc.
そんな都合の良いことばかり並べ立てて…、と腹を立ててはなりません。これらは、どこかの会社で行われている実例ばかりなのですから。
●「われわれは失敗にも報酬を与えている。機能しない照明器具をつくったチーム全員にテレビセットを贈ったこともある。そうしないと、社員は新しい挑戦を避けるようになる」とアメリカのジャック・ウェルチ(GE元会長)が言うような、大胆な人事システムも考案していくべきでしょう。
●これまで企業は、社員に賃金を支払い、休暇を与え、労働時間を短縮し、福利厚生を充実させるという方向で酬いてきました。
しかし、これからは楽しく充実した仕事環境・生活環境を実現するために今までとは別の視点で社員の期待に応えていくべきでしょう。優秀な人材を確保し、快適に働いてもらうための投資は、充分な見返りがあるはずです。
2010年04月02日(金)更新
志に生きるためには・・
●女王にもこうした大失敗があるくらいですから、当然、失敗は誰にだってあります。
問題は失敗の有無ではなく失敗にめげずに立ち向かう気持ちの有無です。キム・ヨナ選手はバンクーバー以後、引退をほのめかすような発言をしていただけに、この世界選手権で優勝するモチベーションが最初から足りなかったのかもしれません。
●「優勝する」「ライバルに勝つ」という強い志があればキム・ヨナ選手は次の試合できっとリベンジするでしょうが、そうした気持ちが途切れてしまえば、別の進路で目標設定することでしょう。大切なことは失敗の有無ではなく志の有無の方です。
●かつてアメリカにこんな政治家がいました。大変有名な話なので、どなたもご存知でしょうが、あらためて彼のやったことを見てみましょう。次のような政治家を私たちは失敗者だと言えるでしょうか?
1809年ケンタッキー州の貧農家族に生まれる
1831年(22才)ビジネスに失敗
1832年(23才)地方議員選挙に落選
1833年(24才)ビジネスに再び失敗
1834年(25才)地方議員選挙に初当選
1835年(26才)最愛の恋人が死去
1836年(27才)自ら神経衰弱の病にかかる
1838年(29才)議会で敗北
1840年(31才)大統領選委員選挙に落選
1843年(34才)下院選挙に落選
1846年(37才)下院選挙に当選
1848年(39才)下院選挙に落選
1855年(46才)上院選挙に落選
1856年(47才)副大統領選挙に落選
1858年(49才)上院選挙に落選
1860年(51才)「丸太小屋からホワイト・ハウスへ」のキャッチコピーで大統領に当選
1861年(52才)南北戦争勃発
1863年(54才)「人民の人民による人民のための政治」・・ゲティスバーグで歴史に残る演説
1864年(55才)大統領選に再選
1865年(56才)南北戦争終結、黒人奴隷解放
ワシントンのフォード劇場で観劇中に暗殺
合衆国憲法修正、同国内の元奴隷すべてに公民権付与が決定
●50才までは失敗のオンパレード人生。ですが、今となっては、アメリカ合衆国の多くの都市が彼の名にちなんで命名しています。ネブラスカ州の州都は彼の名前そのものですし、ワシントンD.Cには彼の名の記念館があります。
5ドル紙幣および1セントコインには彼の肖像が採用され、サウスダコタ州のラシュモア山国立記念公園に顔を彫られている大統領の一人でもあります。
彼の誕生日2月12日は、1892年に連邦の休日と宣言されましたが、後にジョージ・ワシントンの誕生日と併せて大統領の日とされました。
それに、彼の名前は航空母艦や高級自動車にまで使われているのです。
●もうおわかりでしょう。そう、この人こそ他ならぬ米国第16代大統領、エイブラハム・リンカーンです。彼が勝利らしい勝利をおさめたのは、51才と55才のときの大統領選だけで、あとは全部失敗です。
ですが、失敗とは挑戦をあきらめることを言います。そうした意味で、リンカーンは決して失敗者ではありませんでした。
●結果も大切ですし、周囲の意見や社会の反応も大切なことですが、何よりも大事なことは、あなたの魂の叫びにあなたが正直に応えて生きていくことではないでしょうか。そういう人を、「志に生きる」というのでしょう。
社長は一貫して志に生きる人であり続けてほしいです。迷ったら立ち返る原点、それが志であり、それを文字に表したのが経営理念なのです。
あなたの「志」と「経営理念」は今もそうした役目を果たしていますか?
2010年02月26日(金)更新
起業家とサラリーマン
この本は大前氏がサラリーマンに送る檄文のような内容でしたが、楽しく痛快に読むことができました。
「サラリーマン同士でつるむな」、「やりたいことを10以上あげることができるか」、「死ぬときは貯蓄ゼロでいい」など、相変わらず歯切れがいい"大前節"を堪能させてもらいました。
●しかし異論もあります。たとえばこの箇所。
・・・
サラリーマンは常に上司によって、「人に言われたことをきちんとこなす力があるかどうか」で評価される。20代にこうやって育てられると、言われたことはやる、言われないことはやらない、という思考・行動パターンが習慣化する。これは、サラリーマンの生活習慣病みたいなもので、数年のうちに「お手」といわれたら、サッと手を出すという“サラリーマン染色体”に染まってしまうのだ。
・・・
●サラリと読んでしまえば問題ないのかもしれませんが、私は少々引っかかっりました。
私も30才になるまでは真面目で勤勉なサラリーマンでしたが、著者が言う「サラリーマン染色体」には染まっていません。
というより、勢いのある中小企業やベンチャー企業では、そうした染色体に染まる要素がないと思うのです。また、官僚的になってしまった巨大企業のサラリーマンだったとしても、本人の自覚次第で染色体まで染まるような愚はさけられるはずです。
●ですから、サラリーマンという立場の人を必要以上にワルモノにし、断罪するのは危険なことだと思います。
サラリーマンが悪いのではなく、"サラリーマン根性"が悪いわけで、その根性を要求したり、許容したりする仕組みの方が悪いと考えてみてはどうでしょうか。
サラリーマンの中にも経営者マインドに富んだ人がいる一方で、経営者の中にもサラリーマン根性の人がいます。大切なのは"根性"、つまり意識の方なのです。
●では、具体的に「根性」や「意識」はどうあるべきでしょうか。
『イノベーションと起業家精神』でドラッカーが訴えているのは、サラリーマン根性を涵養するような組織ではなく、起業家精神を涵養する組織を作れということです。
昔から「諸行無常、万物流転」と言いますが、ドラッカーも、「人の手によるものに絶対のもの、永遠のものは存在しない。あらゆるものがやがて陳腐化する。そして進歩する。それが文明というものである。だからあらゆるものにイノベーションと起業家精神が必要となる。しかも常時必要となる。イノベーションと起業家精神が当たり前に存在し、継続していく起業家社会が必要なのだ」と説いています。
●サラリーマン根性を育てかねない仕組みや制度があればすみやかに廃止し、逆に起業家精神を涵養する仕組みを考案しましょう。
それには、あなたがなぜ起業家的であるのかをよく考えてみれば、そのヒントが見つかるはずです。
2010年02月19日(金)更新
行動を共にできる相手
それだけ聞くと、“大のオトナが情けない”と思われるかもしれませんが、彼らにとってカレーの好みの差は氷山の一角であり、一事が万事、日ごろから意見や好みがあわなかったのです。
意見が合う・合わないというのは調整できますが、趣味や感性が違っていると互いに歩み寄りようがないのかもしれません。
●だからこそ、部下の喜怒哀楽や趣味嗜好が自分と同じである時、社長はすごくうれしいものです。それは社長に限った話ではなく人間の本性というべきものかもしれません。
ある日、私の講演会に部下を連れて参加されたS社長からこんなメールをもらいました。
「先日の岐阜での公開セミナーに大阪より参加させてもらいましたSでございます。私は武沢先生のお話をうかがうのはこれで2度目ですが、途中、涙がこみ上げてくるのを堪えていました。
今回は、自社の社員に是非聞かしてあげたいと最近入社してくれた二人の若手社員を連れて行きましたが、正直、最初は彼らがどういう意識で拝聴するか、不安でした。社長に無理やり連れて来られて、あまり感動もなく、ただ座っているだけで終わるかもと思っていました。
最初、受付で武沢先生の本を売っていたので、お前も買わないか?と尋ねたところ、[僕はこんな本、自宅にもたくさんありますから要らないです]といっていました。あぁやっぱり、連れてきても意味が無かったかと思いました」
●「セミナーが終わって、私は先生に挨拶に行きましたが、彼ら2名はその間になんと、自分の意思で先生の本を2冊ずつ購入していました。私は、1冊しか購入しませんでしたが(笑)・・。涙がこみ上げてくる思いでした。
そのあと、懇親会場へ移動する間、彼らが満足げな顔で『社長、今日は本当に来て良かったです』と素直に心から感謝していました。私は涙を堪えるのに苦労しながら感激しました。彼らの心に何か響いたのでしょう、心からこみ上げてくる熱い思いが顔に出ていました。
自分より一回り以上年下の彼らと、同じ感動を分かち合うことができて、これからの会社運営に意を強くもつことができました。創業して10年目になりますが、ようやく盟友に出会えた気分です。(後略)」
●私もこのメールに感動したので、さっそくS社長に返信したところ、再び次のメールが来ました。
「あれから、三人で話し合いましたが、我社の経営方針がはっきり決まりました。我々が真剣に世の中を変えてやろう、我々がこの業界を引っ張ってやろうと決断しました。男50にしてようやく死に場所が定まったようです」とありました。
●人気ビジネス書『ビジョナリー・カンパニー』でも、まず大切なことは「適切な人をバスに乗せること」だと説いています。時には不適切な人をバスから降ろすか、後部座席に追いやることも重要だと説いています。そして、適切な人が運転席に集まって、自分たちの目的地を決めるくらいで十分だというのです。
目的地へいくのにふさわしい人を探すのではなく、ふさわしい人を見つけて目的地を決めるのだという考え方に最初私は疑問を抱きましたが、夫婦だってそれに似ています。結婚してから互いに話し合って夢を見つける方が一般的です。
盟友を見つけるには、こちらも盟友相手にふさわしい人間でなければなりません。男惚れする人間になること、それが行動を共にできる相手を見つける鍵だと思うのです。
2010年02月12日(金)更新
もうとまだ
「もう半分しか残っていない」と考える人はなくなった水を見ているから否定的。「まだ半分残っている」と考える人は残っている水を見ているので肯定的。だから、いつでも「まだ」の心で今あるものに目を向けなさいというお話でした。
それを聞いて私は、「なるほどなぁ」という気持ちと同時に「そんな単純なものか?」という違和感を同時に感じました。
●相場の格言に「もうはまだなり、まだはもうなり」というのがあります。
もう底だと思えるようなときは、まだ下値がある。その反対に、まだ下がるのではないか、と思うときは、それが底かも知れないという先人の知恵です。
●「もう」か「まだ」かという二者択一だけで、その人が否定的か肯定的かが分かるというのはどうみてもナンセンスではないでしょうか。むしろ、「もう」や「まだ」のあとに続く言葉や態度が問われるはずです。
●たとえば、こうです。今年も1月が終わりました。あと11か月、その事実をどう考えるのかを例にしてみましょう。
「もう」の人たちはこう考えます。
「もう1か月が終わってしまった。時間がたつのはあっという間だ。この1か月で私たちは何を達成したか。何が問題だったか、そして残された11か月を最高にすごすにはどうすべきだろうか」と考え計画を作り、行動を開始します。
「まだ」の人の発想はこうです。
「まだ今年も11か月残っている。まだまだ始まったばかりだ。さあ、この新しい2010年で何を達成しようか」と考え計画を作り、行動を開始します。
この二つの場合は、どちらも目標志向で積極的です。
●その反対に、「もう」でも「まだ」でも、どちらにしたってうまくいかない人の考え方はこうです。
「もう1か月が終わってしまった。あと11か月しか残っていない。このままだと今年もあっという間に終わってしまうだろう。ああ、何て無駄な1か月を過ごしてしまったのか」となげく人。
「まだ今年も11か月残っている。大丈夫、まだまだ余裕。あわてなくてもなんとでもなるさ」と残り時間の多さをあてにする人。
●経営者は「もう」も「まだ」も両方を使いこなしましょう。
事実や現実はありのままを受けいれ、過去を引きずらず、たえず今日を出発点にして最善を尽くそうと考える姿勢こそが大切だと私は思うのです。
2010年01月08日(金)更新
もう一人の白虎隊
そのときの規則が「什の掟(じゅうのおきて)」です。その内容は、
一.年長者の言うことに背いてはなりませねぬ
二.年長者にお辞儀をしなければなりませぬ
三.虚言(うそ)を言うことはなりませぬ
四.卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
五.弱い者をいぢめてはなりませぬ
六.戸外で物を食べてはなりませぬ
七.戸外で婦人(おんな)と言葉を交えてはなりませぬ
「ならぬことはならぬ」と締めくくっています。ダメなものはダメなんだということです。
●これらは要するに、「人として恥を知りましょう」ということなのです。
中国の孟子は、「人は羞恥心がなければならない。羞恥心は人間にとって重大な徳目である。もし羞恥心がないことを恥ずかしく思うようになれば、辱められることはない」と語っています。
会津の「什の掟」も羞恥心を定義したもののように思えるのです。
●電車の中での携帯電話やお化粧。コンビニの前での座り食い。公園や路上での男女の抱擁や接吻。
彼らに注意しようものなら、「私の自由でしょう。それに誰にも迷惑かけてないじゃん」と反発するでしょうが、実は迷惑をかけているのです。
運転中の携帯電話を取り締まるだけでなく、これらの行為も公然わいせつ罪とか何かで取り締まってほしいものです。眉をひそめるだけでなく、国や学校の問題として「ならぬものはならぬ」と羞恥心を教えていかねばならぬはずです。
●会津藩に話は戻します。
白虎隊の物語は多くの方がご存知だと思うのでここでは割愛します。実は白虎隊と同世代の若者で郡 長正(こおり ながまさ)という若者がいます。
彼の行為は、「もう一人の白虎隊」として語り継がれているのですが、あまり知られていないようです。
わずか16歳で自らの命を絶ったせい惨な最期は、「ならぬものはならぬ」という教えに殉じた武士の引き際です。ご紹介しましょう。
●郡 長正(安政3年~明治4年)
会津藩家老、萱野権兵衛の次男。明治のはじめ豊津小笠原藩(福岡県)に留学した。育ち盛り、食べ盛りの長正は、ある日郷愁を覚えて母に手紙を書き送った。
「稽古や野外訓練が終わったあとなど、空腹で辛いことがあるので、会津の柿を送って下さい」
●その手紙を受け取った母は、さすが武士の親。
「事もあろうに空腹を訴え、柿を送れとは何ごとですか。会津武士の精神はどこへやったのですか」と戒めたのです。愛する息子への思いやりは、甘やかすことではなく、たしなめることです。しかし長正の母は、まさかこの手紙が息子を死へおいやるとは露知りません。
●長正は母からのこの手紙を心の支えとして大切に持ち歩いていました。
あるとき不運にも、これを落としてしまいます。それを学友に拾われ、皆の前で読まれてしまったのです。
小笠原藩士の学友たちに会津武士を辱められるほど恥ずかしく悔しいことはありません。悩んだあげく、長正は会津武士の屈辱をはらそうと藩対抗剣道大会で完勝し、その後切腹して果てました。時に16歳。
「ならぬものはならぬ」という恥の精神を貫いたのです。
●無病息災と不老長寿を願うばかりが幸せではなく、思想や志操に殉ずるためには、いつでも死と背中合わせに生きる生き方も人として大切なのではないかと思います。
「もう一人の白虎隊」と言われるこの長正の生き様から何かを学びたいですね。
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ボードメンバープロフィール
武沢 信行氏
1954年生まれ。愛知県名古屋市在住の経営コンサルタント。中小企業の社長に圧倒的な人気を誇る日刊メールマガジン『がんばれ社長!今日のポイント』発行者(部数27,000)。メルマガ読者の交流会「非凡会」を全国展開するほか、2005年より中国でもメルマガを中国語で配信し、すでに16,000人の読者を集めている。名古屋本社の他、東京虎ノ門、中国上海市にも現地オフィスをもつ。著書に、『当たり前だけどわかっていない経営の教科書』(明日香出版社)などがある。
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